丸谷才一
>>17
>丸谷の初期の作品どれでもええからみてみ、文体の冴えのなさゆうたら呆れる
>ほどやで・・だから江藤にバカにされるんやろ >>147
>大江や井上ひさしみたいなガチの左翼なら「後鳥羽院」や「新々百人一首」は書かないよ 『輝く日の宮』の丸谷才一さん
インタビュア 鈴木健次(大正大学教授)
丸谷 面白いでしょう。小説っていうのは面白いものだと思
うんですよ、僕は。日本の小説家がわざと面白くなく書くの
は間違っている。僕は文学賞の選考委員をやるとき、まず目
をつけることが三つあるんです。筋が面白いか、作中人物に
魅力があるか、それから書き方がおもしろいか。筋は大事だ
けれど、筋がいくら面白くても出てくる人間がロボットみた
いだとつまらない。筋がよくて作中人物がよくても、書き方
に新しい工夫がなくて古臭い書き方を踏襲しているのは、僕
はやっぱり惹かれないんだなあ。
(2003年6月16日 東京・目黒にて取材) <論争を読む> 論争評判 不言思本忠心蔵 : 丸谷才一『忠心蔵とは何か』をめぐって ·
敷地 博 · Hiroshi Shikichi. 成城国文学,(2),47-51 (1986-03). 丸谷才一『文学のレッスン』聞き手湯川豊。新潮社、2010
《丸谷 短篇小説とは何かという定義となると、一筋縄ではいかない難しさがあるから、
それは脇に置くとして、短篇小説の短さにもおのずから限度があって、極端にうんと短く
なってしまうと、それはアネクドート(逸話)になる。短篇小説じゃなくなる。アントニ
ー・バージェスというイギリスの作家・批評家が『エンサイクロペディア・ブリタニカ』
の「小説」の項目でそういってるんです。バージェスの説は、たとえばワシントンが桜の
木を伐(き)って、それを正直に父親にいった。父親がその正直さをほめて伐ったことを許
したという話、あれはアネクドートであって短篇小説ではない、ということですね。
アネクドートは短篇小説ではないとしますね。そのアネクドートと接して、ここから短篇
小説になるというのは、スケッチという言葉がぴったりかも知れない。川端康成の「掌の
小説」は駄作もあるけれど、おおむねいいものが多いんです。今の作家では江國香織さん
の書くものは、短篇小説というよりもむしろスケッチに近いものがあって、あれ、うまい
ですね。》
《丸谷 もう一つ、連作短歌とか連作俳句というのがあるでしょう。俳句の場合だと水原
秋桜子(しゅうおうし)とか山口誓子(せいし)とかが、どこか旅に出て、長崎なら長崎の句を
連作としてつくって一緒に発表するというものですね。あの連作に似ているのが、小説の
サイクルという方法です。サイクルというのは、この場合、一団とか一群という意味なん
です。
具体的にいうと、ジョイスの『ダブリン市民』。ダブリンの人びとのことばかりを短編連
作のように書いて、一冊の短篇集にしている。あれはサイクルです。》 赤井浩太
『国文論叢』55号がネット上で読めるようになりました。
特集「漱石論の現在」のほか、梶尾文武の『笹まくら』(丸谷才一)論、劉
夢如の『阿呆船』(寺山修司)論などが読めます。
2021年1月21日
北烏山編集室
ジョン・バースの訃報。大学に入るか入らないかぐらいの頃、『ユリイ
カ』で丸谷才一さんと井上ひさしさんの対談があり、そこで、野崎孝先生
の『酔いどれ草の仲買人』の翻訳が激賞されていたのだった。1/n
2024年4月3日