丸谷才一
蓮實 まず「私小説」以外の小説(傍点)がはたしてあるのか。原理的な問題としてではなく、
具体的な作品として。たとえば丸谷才一の『裏声で歌へ君が代』、あれは「私小説」的なもの
から可能なかぎり遠ざかろうとしているけど、小説としては零だと思うわけです。『笹まくら』にしても
『たった一人の反乱』にしても読んでいるとつらくなってくるんです。西欧小説にたいする後進国的
な思いこみだけで書いているでしょ、このひと。ヨーロッパのほんの一時期の小説類型に殉じよう
とする特攻隊精神というか、文学はもっと自由でいいわけだ。彼の場合も、「私小説」的に書いた
『横しぐれ』だけがちょっとおもしろい(一同賛同)。むろんよいものが出てくれば褒めるのにやぶさか
でないし、ぼくとしては「私小説」なるジャンルにべつにこだわっているわけではない。 (P32)
『批評のトリアーデ』(1985) >>17
>丸谷の初期の作品どれでもええからみてみ、文体の冴えのなさゆうたら呆れる
>ほどやで・・だから江藤にバカにされるんやろ >>147
>大江や井上ひさしみたいなガチの左翼なら「後鳥羽院」や「新々百人一首」は書かないよ 『輝く日の宮』の丸谷才一さん
インタビュア 鈴木健次(大正大学教授)
丸谷 面白いでしょう。小説っていうのは面白いものだと思
うんですよ、僕は。日本の小説家がわざと面白くなく書くの
は間違っている。僕は文学賞の選考委員をやるとき、まず目
をつけることが三つあるんです。筋が面白いか、作中人物に
魅力があるか、それから書き方がおもしろいか。筋は大事だ
けれど、筋がいくら面白くても出てくる人間がロボットみた
いだとつまらない。筋がよくて作中人物がよくても、書き方
に新しい工夫がなくて古臭い書き方を踏襲しているのは、僕
はやっぱり惹かれないんだなあ。
(2003年6月16日 東京・目黒にて取材) <論争を読む> 論争評判 不言思本忠心蔵 : 丸谷才一『忠心蔵とは何か』をめぐって ·
敷地 博 · Hiroshi Shikichi. 成城国文学,(2),47-51 (1986-03). 丸谷才一『文学のレッスン』聞き手湯川豊。新潮社、2010
《丸谷 短篇小説とは何かという定義となると、一筋縄ではいかない難しさがあるから、
それは脇に置くとして、短篇小説の短さにもおのずから限度があって、極端にうんと短く
なってしまうと、それはアネクドート(逸話)になる。短篇小説じゃなくなる。アントニ
ー・バージェスというイギリスの作家・批評家が『エンサイクロペディア・ブリタニカ』
の「小説」の項目でそういってるんです。バージェスの説は、たとえばワシントンが桜の
木を伐(き)って、それを正直に父親にいった。父親がその正直さをほめて伐ったことを許
したという話、あれはアネクドートであって短篇小説ではない、ということですね。
アネクドートは短篇小説ではないとしますね。そのアネクドートと接して、ここから短篇
小説になるというのは、スケッチという言葉がぴったりかも知れない。川端康成の「掌の
小説」は駄作もあるけれど、おおむねいいものが多いんです。今の作家では江國香織さん
の書くものは、短篇小説というよりもむしろスケッチに近いものがあって、あれ、うまい
ですね。》
《丸谷 もう一つ、連作短歌とか連作俳句というのがあるでしょう。俳句の場合だと水原
秋桜子(しゅうおうし)とか山口誓子(せいし)とかが、どこか旅に出て、長崎なら長崎の句を
連作としてつくって一緒に発表するというものですね。あの連作に似ているのが、小説の
サイクルという方法です。サイクルというのは、この場合、一団とか一群という意味なん
です。
具体的にいうと、ジョイスの『ダブリン市民』。ダブリンの人びとのことばかりを短編連
作のように書いて、一冊の短篇集にしている。あれはサイクルです。》 赤井浩太
『国文論叢』55号がネット上で読めるようになりました。
特集「漱石論の現在」のほか、梶尾文武の『笹まくら』(丸谷才一)論、劉
夢如の『阿呆船』(寺山修司)論などが読めます。
2021年1月21日
北烏山編集室
ジョン・バースの訃報。大学に入るか入らないかぐらいの頃、『ユリイ
カ』で丸谷才一さんと井上ひさしさんの対談があり、そこで、野崎孝先生
の『酔いどれ草の仲買人』の翻訳が激賞されていたのだった。1/n
2024年4月3日 Executive Foresight Online
対談 楠木建×鹿島茂 読書と思考―その3
書評家という仕事。
2023-08-21
鹿島
今から30年以上前、毎日新聞の書評欄「今週の本棚」の編集顧問をされていた故・丸谷才一さん
が、書評委員に“書く技術”を磨いてもらうために書評三原則というものをつくりました。
1つ目は、「最初の3行に力を入れる」。「今週の本棚」は当時、月曜日の紙面に掲載されていまし
た。読者の多くは、通勤電車に乗ったサラリーマン。忙しい彼らは、限られた通勤時間の中で新聞の
内容を頭に叩き込もうとする。最初の3行を読んで、つまらなそうだと思った記事は読まない。だか
ら最初の3行に力を入れなさい、と。
2つ目は、「本をけなしてはいけない」。読むに値する本だから、ぜひ読んでください――これが書
評家のとるべき態度です。だれもが知る大ベストセラーに対する頂門の一針(※)としての考察なら
ともかく、自分を偉く見せようと、著者を貶めることを書いてはいけない。
※ ちょうもんのいっしん。痛烈で適切な戒め。急所を突いた教訓。
そして3つ目は、「しっかり要約する」。通勤時間にその書評を読んだ人が出社して、同僚に「俺、
こんな面白い本を読んだ」と、読んだふりができる。本を実際に買ってくれるかどうかは別として、
とにかく会話の中に、書評で取り上げた本が話題に挙がる。そんな“書評文化”を、丸谷さんはつくろ
うとしました。