三島由紀夫の「豊饒の海」を語ろう★
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『豊饒の海』(ほうじょうのうみ)は、三島由紀夫の長編小説。
「春の雪」「奔馬」「暁の寺」「天人五衰」の4部からなり、「浜松中納言物語」に題材をとる。
1965年から1970年にかけ、月刊の文芸雑誌『新潮』に連載された。
概要
「夢と転生」がテーマ。20歳で死ぬ青年が、次の巻の主人公に生まれ変わっていく。
仏教の唯識思想、神道の一霊四魂説、能の「シテ」「ワキ」、春夏秋冬、など様々な東洋の伝統を踏まえて書かれている。
なお第一巻は和魂を、第二巻は荒魂、第三巻は奇魂、第四巻は幸魂を表すと三島は述べている。第四部「天人五衰」の入稿日に三島は、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)。
「豊饒の海」とは、月の海の一つである「Mare Foecunditatis」の訳語。
創作ノートからは、当初とは全く違った構想だったことがうかがえる。 >>593
やはり、三島に限って無知ということはないだろう。
調べれば分かること。
不適切な比喩を使って偽物を示していると思う。 家庭教師の古沢が透に話す猫と鼠の話。
透の自殺未遂の伏線のように思える。 本多が最後に聡子(と清顕?)に会うだけで涅槃に入るというのは、ちょっと虫が良すぎるんじゃないか。
透と絹江の子供に転生し、さらに苦しんだほうが良いような気がするね。 暁の寺の空襲に焼かれた松枝邸の印象がつよいままに、また春の雪を読み始めたけど、 天人五衰には、三島が楯の会を率いて登場している。
ちょっと分かりにくいが。 >>599
人間ではなく、積乱雲として出てくる。
逞しい筋肉をもった積乱雲。 逞しい筋肉の積乱雲に続く「埴輪の兵士の群のよう」な積雲たち。
市ヶ谷決起の三カ月前の場面ですね。 ウィキぺディアを見ると、三島はヒッチコック監督のように自分自身を「天人五衰」に登場させていて、それが「黒いベレー帽の老人」だと言うが、三島はヒッチコックとは違う。
積乱雲の神として登場させるほうが、三島らしい気がします。 なんか、透は鬼頭槇子の転生のような気がする。
内面が本多に似ていて、慶子と気が合わないところとか。
なぜか本多は慶子と仲がいいんだが。 豊饒の海に出てきた人物の中で、最後あんなことになるまでの透が
個人的には一番魅力的に感じる
あの透の最後の変遷は、ちょっと安っぽいテレビドラマのキャラみたいでちょっとなあと ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 三島の分身みたいな本田が、実は主役よね。本田の壮大な夢物語だと思う。 奔馬に奈良の百合祭りの記述があり、
最も優雅で美しい神事とあったので、
わざわざ見に行ったが、大変な
混雑でかつ暑いし何も見えず帰って来た、
早く行って前の席をとらなければならない、 春の雪は豊饒の海の中ではドラマチックで一番面白いね 三島先生は何者にも越えられぬ
だが俺様はあの方に並ぶ
新時代の文学に村上春樹など必要ないのだよ
三島先生をルーツに平成を描ける俺様こそがノーベル文学賞に相応しい 三島オタが沢山居るから、あんまり大きな声で言えないけど、最高傑作だよな。 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 最高傑作とは言い難いな
最好傑作ってとこじゃない? 春の雪の聡子と清顕の結末は、源氏物語の女三宮と柏木みたいだと思った
髪を下ろして世を捨てる女と恋に病んで殉じる男
もちろんただのモチーフ
聡子は三宮みたいな空っぽな女じゃないし、舞台が近代なだけあって子供は産まずに始末されたし
近代能楽集の「卒塔婆小町」で少将という官位が平安時代にも明治時代にも存在したことによって、「小野小町と深草少将の伝説」の時代を超えた換骨奪胎が可能になったように、春の雪にはそれと同じものを感じる
大正時代が王朝時代のロマネスクを再現できる最後の時代だったのかも 転生がテーマだから”薫”(聡子と清顕の子)の存在は必要なかった、と 其の金閣寺も、 水上勉の「金閣焼亡」が出て
ケチがついてるしな、 嫌な想像なんだけど、本多の覗き癖の最初って清顕と聡子の逢引だったりして…
いや、でもその後に車の中で2人の行く末について重要な事を話し合ってるし、そんなアレな雰囲気はなかったよね
堕落する前の本多だから、そんなキモい癖を持つとは到底思えない第1巻目の本多だからこそ、聡子が捨てる靴の砂の音がとても艶めかしく読めるわけで… 本多=三島
聡子=園子
主人公たち=近江
仮面の告白のリメイク
春の雪が何で雪かと言うと仮面の告白の雪の場面で近江に恋したから
不良の中の子供っぽい部分に気づいたあの冬の日に
三島は本気で近江に恋に落ちた、だから春の雪
転生者が何故黒子なのかと言うと仮面の告白の近江の鉄棒で見せた
たくましい体と黒々とした腋毛に三島は自分は届かないと恋に挫折した
だから主人公は脇腹に黒子を持っている
そういう届かない存在でないと恋に値しない
暁の寺は秋になっておそく女の問題でいなくなった
自分を置いて消えてしまった近江の話
天人五衰は近江がいなくなり喪失感に苛まれた戦後の三島
近江と三島=本多は恋に値しないから園子=聡子を近江の恋人にして
近江のいない悲しい人生を描く 仮面の告白の園子=聡子
園子と結婚していれば、仮面の告白は世に出ることはなく、大蔵官僚として堅実な人生を
歩んだか。 出世をあきらめた後、役所を辞めて、作家になっただろうか? その場合、
社会の裏側を見て、ロマン主義的作風ではなくなっていただろう。 園子と結婚するなんてことはありえなかったってことを書いたのが仮面の告白だと思ふ そう強がりでホモって仮面をでっち上げた小説
三島はホモではない
ホモの仮面を被ってただけ いやホモはホモでしょ
マッチョ男(刺青があればなお良)を見たら勃起するってのは嘘だとは思えない
しかし女に惹かれる、女を必要としてた男であるのも事実だと思う
性的には男に興奮し、恋心は女かよ 矛盾してるじゃねえかって言われるかもしれないが
普通のノーマル男でも、性的に興奮する女と恋心を抱く女は別種であることは多いので
性と恋の分離は別におかしくはないとオモ 三島が最もびんびんにエレクトできたのは
「聖セバスチャン殉教図」
オンナとかホモとかじゃあないんだな 磔にされて弓や刃物で刺されていたぶられて死ぬ
そういうのが好きなの
SMのマゾなんてもんじゃない、死に至るとこまで行くのが理想だからな
本当は切腹じゃなくそういう死に方がベストだったが、なんとか写真集出して自分を慰めてたな いやホモかどうかつうのは要は対象のベースが男か女かって話だろ
そこからすれば三島の勃起の対象は明らかに男のほう やっぱ幼少期に母親(つまり若い女体)のスキンシップが足りなかったから
それが満足感の原型にならなかったんだろうな 三島由紀夫のように、研ぎ澄まされた様な文体で小説が書ける作家は今はいない。
平野敬一郎あたりではまだまだである。 研ぎ澄まされてはいないでしょう
精緻な論理構成と華麗な修辞による
堂々たる建造物のようではあるけれど 一行一行の表現に魅力があるとは思うが
全体の話がなんだか「変」、無理に操作してるって感じがする 暁の寺の冒頭とかにそれっぽい法律論が出てくるけど
ちゃんと勉強すると微妙に間違ってるよね
半分かりのを飾りのために尤もらしく書いてるみたいな
三島が好きになれない人って結局そういう所が嫌なんだと思う >>637
トーマス・マンのオマージュじゃないのかな
『魔の山』とか『ワイマルのロッテ』等の
知識があるとふざけてることが解る議論を、糞真面目な文体で書いてる所とかの >>636
物語として面白いとか、人間の心理えぐるとかそういうタイプの作家じゃないから。
文体と、警句や逆説が楽しんだ。
シュールアホリズム。 そうなの?
清顕さんの思考の屈折具合とか昔の自分見てるみたいで読んでて心が痛くなった… 奔馬の初めに出てくる、奈良の何とか神社の百合祭り?
今年はどうなったんだろう? 『春の雪』がダントツの出来で、あとの3作はたいしたことはない
自分はこの四部作はバルザックの人物再登場法を使った別々の小説とみている
連作小説としてのつながりはかなり弱い 遠憲あたりかな。
松重さんだと真面目過ぎちゃう。
大杉錬さんは死んでるし…。 最近のガキ、特に5ちゃんに来ている様な餓鬼どもは、情報過多の世の中で
溢れる玉石混交を見抜くこともせず、勝手な虚構を自分の中で組み立てて
知った様な大法螺を平気で抜かしているから笑える。
おまえら、全てに於いてそうだよな。
馬鹿言う前に、春の雪から天人五衰まで、まずは通読しろよ。 どーだったかな
ふんわりした記憶でも言ったらネタバレになりそうやし
今ここに読んでる途中の人いるんでしょ
知らない方が楽しめるよ 法律、裁判所の描写が詳細ですね。インド、仏教への造詣も深く、勉強になります。 >>644
「豊饒の海」の主題が何かってまったく気にしてないんだな
そういう気楽な読み方ってのもありなのかもしれんが、三島渾身の力作がそんなふうに読まれちゃ立つ瀬がねーな
言っておくが、輪廻転生は単なるフリで主題じゃあないからな 春の雪で肺炎になっていく過程の描写がやや性急な気がした。 春の雪で、寝取られた皇族のその後に一切触れず進行するところは、氏の文体の、格調を保つ意味では、三文的にならずよかったと思う。 奔馬で、みねと侯爵ができていて最初の子が飯沼のか侯爵のかわからん、というくだりがありますが、春の雪でみねと侯爵ができていたという話はなかったですよね? >>661
では君はその主題を何と捉えているのかな? 天人五衰ちゅう題はミスマッチやな、
内容とのつながりが不明、
根本は、仏教など少しも信じていない作家が、
仏教思想を利用しようとした点
神道ならまだほんまもんや >>666
認識とは何ぞやってお話。
現実に起こってること起きたことという「事実」はただ一つしかないが、
それが人間が認識する、脳内に入ってしまうと、その現実の「事実」と認識したものは、果たして同一といえるのか?
過去(記憶)と未来(想像)って、人間の脳内で処理してる場合、その違いって何なの?
さらには「今」まで加わるが、「今」って果たして存在するのかよ?
時間は流れているから、「今」という瞬間、境目はないんだ。
境目がないんなら、過去と未来の違いはどうなるのよ?
ってなことのお話。
「暁の寺」で説明不能の「空」の話をしたように、結論は出して(出せて)ない。
と、オレは思ってます。 聡子さんが、松枝清顕のことは覚えていない、
そんな人はいなかったというが、
これは老人性の記憶脱落と考えられる、
本田といい、聡子さんといい、老人問題が顕著
その点現代的先駆的である、さすが、 ニーチェが神は死んだって言ってるのに、神としての天皇を蘇らそうとしてるのが三島
神は死んだよって言ってるのが聡子さん
三島はニーチェの逆をやろうとしたのか
太宰の逆をやった三島だからあり得るな >>669
それは哲学が扱うテーマだね
文学が扱っても答えは出せない
三島の小説の多くが観念的なのはそういう哲学的テーマを扱うからだ
だったら彼は哲学者になればよかったのだが、文学が好きなんだね
わたしは哲学嫌いだから、小説に哲学的テーマが扱われても無視する
『春の雪』は三島の最高傑作だが、『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』は
空疎極まりない >>670
最初から読んできてその結論かい
そこまで短絡な解釈されちゃ三島も浮かばれねーなー
「奔馬」のラストをよく考えろ
実際に朝日は昇っていないのに、腹切った瞬間脳内では朝日が昇ったんだ
そーいうことを言い続けてるのが「豊饒の海」なのよん
「奔馬」がってことじゃないが、「豊饒の海」は遺書みたいなもんだ
なんで物書き、文学者を止めて、腹を斬るという肉体的な行為で死ぬのかという説明、あるいは宣言みたいな書なんだよな >>674
三島の小説は、物語として読んじゃ楽しめるものはほぼないと言っていい
登場人物を借りて三島のこねくり回した理屈を訴えてるんだ
心理描写にすぐれてるとかいうのもありゃしない
そりゃそうだ、そんなことやっちゃいないんだから
しかしまあ多かれ少なかれ小説家ってのはそういうもんらしいな
結局自分の事しか書けやしないんだって
太宰だったっけかな
小説を書くというのは、往来で素っ裸になって歩くようなもんだ、とか言ってたのは >>674
物語としての面白さを求めて読むことを否定はしないが、それじゃ三島の小説なんかで面白いものなんかないんじゃね?
「春の雪」だけが、らしくない異質な作品だったともいえるか
現実の世界で起こっていることと、それを処理する個人個人の脳内の世界が果たして同一なのか、同じと言えるのか
あるいは、違いがあるとしてもその違いは、異質、別物とまでなるものなのかとかってな問題は、さほど哲学的なことでもなく、小説のテーマになるのも不自然なこっちゃないと思うけどな 槙子役は誰がいいであろうか。
竹内結子は中村より男であった。 三島は『春の雪』と実話を題材にした『宴のあと』が面白い
それ以外は観念的でつまらない みたらい
@46wtcFjxWqXmCbi
2月19日
ある大学教授の韻文。身体感覚を旨として作っているらしいが、客観性を持つがあくまで主観的な観点から発せられる言葉をもって、その感覚が読み手に伝わるとは思えないケド。難解好きなインテリがはまる陥穽じゃないかなあ。
むしゃくしゃしたんで、庭に立った霜柱を踏みつけた。はあ、スッキリ。
何様やねんこいつ 豊饒の海は春の雪以外ゴミというなら同意する
冒頭から文章下手くそ過ぎて読む気なくす 豊饒の海の面白さがわからないって不幸だな
三島作品それだけ読んだってのならわからんでもないが、多くの作品読んだ上でだろ
まあ人の感想だからどうでもいいことだし、オレがわかったことをみんなが共有する必要もないことだけど、一応チャチャは入れておきたくなるわ 三島がなんであんな死に方したのかを探るのには「豊饒の海」の理解が必要ではある
また三島個人の思想とかを考える上でも必須になる
三島由紀夫という人間はどういうもんだったかってのを考えるのにはね
そんなことはどうでもよく、ただ作品が楽しめるかどうかってなことだけだったら、そりゃ人それぞれ勝手に好き嫌い言ってればいい ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています