開高健
>>102理解はできなくても、そこは許容してあげようよ。形にしようとする努力が文学の醍醐味のひとつなんだから。
102にそこまで悪気はなかったのなら謝ります。あぁ頭が固い・・ 開高;短気というのはわかるんだ。例えば、橋の上を通りしなに釣師が川岸で糸を垂れている姿を見て、『ああ、何というノンビリした風景!』と、
人は思うかもしれないけど、こっちはもう、ノンビリどころか、一心不乱、無我夢中で、いまにくるか、いまにくるかという、それだけ。
吉行;そういう瞬間の連続が、結果的に何時間にもなる・・・・
開高;その通り、その通りです。
開高健はアラスカの川で13時間立ってた時の事を回想して、「いまくるか、いまくるかそういう瞬間の連続だった」
とも言っている。今か今かと思いつめてやってる人は釣りがうまくなる。 村上春樹が今朝の朝日新聞に寄稿していたが、
開高氏なら今の中国や日本を何と評しただろう。 大兄は「玉、砕ける」で中国から撤退したわけですから何もいうことは無いでしょう。
文革をやるような国だから「またですか」といったところでしょう。
宮崎市定クラスの碩学が健在なら精緻な政治分析をやってくれるとは思いますが。 北海道を開墾して全然うまくいかないけど明日もじゃがいも植えるよ、って小説だけ読んだ
引き込まれたけどもうタイトル忘れちゃったわ >>107
ウーム、「玉、砕ける」は中国からの撤退、と読むのか・・・・、
勉強になりました。
最初は洞察力の鋭い文学者、次はビジネスマン、次は今や一般国民が
中国という国の正体を見たっていうことになるかな。
ちなみに、「玉、砕ける」で検索したら、全文が無料で読めました。 10/04(木) 12:30-13:00
BS釣りビジョン
ターポンと開高健
検索してたらこんなのがひっかかった
まあこのチャンネルだから魚の方がメインなんだろうが 開高健とタイトルにつければ視聴率あがるという魂胆でやってるだけ
の番組だな。
釣ってる奴も下手くそだし、ちょろっと開高健は・・・って言ってるだけ。実につまらん番組だぜ。 「玉、砕ける」は、入院していた病院の図書館にあった。
何回も読んだなあ。
染み入ったよ。 コンラッド、モーム、ロアルド・ダール、露伴、荷風、石川淳、吉行淳之介・・・・・ 生前ノーベル賞候補だったけど、いまいち理由がよくわからん。 >>114
8月はじめに初めて行った
中年女性2人が番をしていた
「あの人に会いたい」が流れてた
http://www.nicovideo.jp/watch/sm346693
結構広かったのに驚いたけど(200坪)まあそりゃ開高健の家だもんね
あそこの書斎の窓から色々ふけって書いていたかと思うとちょっと感慨深かった
行って良かった BSの「ホテルの窓から」っていう番組で、
ベトナム、マジェスティックホテルやってた。
もちろん、開高健のエピソードも。
いい番組だなあ。 >>121
なあにが哲学の小道だよ、笑わせんなよ、って感じだよね。 >>121
あの家の、開高の部屋を除くほとんどが
「捨てられない女」な牧羊子のために荷物ぎゅう詰め状態になってたと
資料を整理した人のインタビューで読んで
この広さなのに牧さんどんだけ……と思った
開高本人の几帳面振りと比べ合わせると
たしかに自宅がその環境じゃ鬱にも転びやすいわなあ
旅に逃げたくもなるよな >この広さなのに牧さんどんだけ……と思った
べつにあえて広いというほど広い家じゃないでしょう。
建坪は大したことない。入ってみればわかるよ。
それに、物書きの住まいなんてたいがい足の踏み場もない状態でふつう。 あはは、
じゃあ几帳面な奥さんをもらっていたら
ベトナムにもアマゾンにもモンゴルにも行かなかったわけだw 綺麗なうちなら旅に逃げなかったとは申さぬが
汚家もひとつのストレスの要因だったとは思うんだよね
一緒に釣り旅に出た人たちが「開高さんはいつも持ち物を綺麗に整頓していた」というだけに
まあそういう汚宅だから、本来の開高なら捨てていた
貴重な「夏の闇」創作メモが最近発見されたわけだけど 「always」は「言葉の落葉」の再編集版と聞いたのですが、本当でしょうか?
ネットで調べたり出版社に問い合わせたのですが、結局分かりませんでした。
言葉の落葉のみ近隣の図書館にあったので、以前たまたま1冊借りて読んだのですが、
分量は短いのに元気のでる文章に必ず会えるので、買って揃えようと思っています。
どちらを揃えたらよいか、ご存知の方教えていただけると助かります。 言葉の落葉の再編集版はalwaysではなく、all my tommorowでした。失礼しました。
遠い昔出版社に問い合わせて分からなかったのも下記の件だったのですが、
再度質問させていただきます。
alwaysとall my tommorowは両方とも単行本で1〜4巻あり、内容はエッセーとの事ですが、
内容において両者の違いはどの程度あるのでしょうか?
収録された年数を比較すると、
always:1959〜1989
all my tommorow(言葉の落葉):1955〜1981
両方揃えるほどなのかな?という感じの微妙なズレです。
always全巻を購入して1955〜の1巻相当をtommorowで補うか、
それとも収録されている内容がほぼ違うのであれば気長に両方揃えるか。
アドバイスいただけないでしょうか? 開高健 私の釣魚大全、ってのを昨日BSフジでやってたんで見たら、
なぜかC. W. ニコルが銀山湖で岩魚釣ったり(ボウズだけど)焼酎飲んだり、
黒姫の自宅紹介する番組だった。
銀山湖が出てくるのは私の〜じゃなくてフィッシュ・オンだろ。
もうネタ切れで新しい番組作るのは難しいのかな。
にしても夏の闇を書いた村杉小屋、
外観はトタン張りのプレハブ小屋にしか見えない。
名前通り小屋。
もっと和風を想像してたわ。 >>138
おまえね、プレハブってどういうことか知ってる? 雪が沢山積もる地域はトタン葺きが多いよ
瓦屋根は雪で傷んでしまう 山口瞳もこいつもサントリーのコネ枠で、デビューでしょ、なんかサントリーのお偉いさんと どっかの出版社とのつながりというか
よって一冊も読まない なんかコネコネ言ってるけど、コネも「実力(実際の力)」だよ。
使えるヤツは使って余計な神経を使わない省エネで初めりゃいい。
お初で苦労、を何年かの予選落ちで済ませられない、
今もどうすりゃスタートラインに並べるか?が五里夢中のアンタには、
そりゃ怪しからんことなんだろうけどね。
陸上競技じゃないんだからね。スタートラインが違うのはしょうがない。
現実世界ではあれやこれやもフェアプレーだよ。
詰まんない愚痴は言うなさ。そんな暇があったら精進しなさい。(笑 >142
キミノモチモノハ キミガオモッテイルホド オオキクナイノデ モウイッポ マエニデタマエ このおっさんの下品な面 大げさな比喩といい本当に不快だ。
食べ物に対するエッセイも下品。
「オーチンハラショー」いいながら釣りしてて竿が折れた時の映像は笑った 「あーーー」とか言って(笑)
じじいざまああ エッセイはどうでもいいが、小説はけっこう面白かったぞ
裸の王様とか流亡記とか 新聞のコラムで開高が井伏鱒二に書いた手紙を引用してたが
名文を気取って、臭くって、嫌味な文章だった。
朝刊であんなものをよまされると一日気分がよごれてしまった気がする。 短編集と日本三文オペラは本当に面白かったけど輝ける闇で挫折した
腰をすえて読もうか決めかねてる作家 確かに釣りしてて大物バラした時のあのアーッは笑えるよな。 先生は釣りの腕は実際どうだったのかな?キングサーモンだかイトウの大物逃したときの焦りかドラグ緩めないのみるとそこまで上手ではない気もするけど。 少年時代に鮒や鯉を釣っていた程度の釣歴の人が
中年になって鬱や書けない焦燥感を慰めるためにやり始めたものだから
そんなに上手いわけないでしょう。
ただ、そういう姿を番組企画で人目にさらして涙目になっている所を見るのも嫌なものです。 >少年時代に鮒や鯉を釣っていた程度の釣歴の人が
ここまでエッらそうに言えるものかね(笑
じゃ、少年時代にはなにを釣ってれば後々釣りの上手と言われる資格ができるんでしょう?(笑 >>154
君は「釣りキチ三平」を読んでからそう言いなさい(笑) >そういう姿を番組企画で人目にさらして涙目になっている所を見るのも嫌なものです。
こいういうすまし顔の驕ったコメントを読まされるほうがわしゃ嫌だがね。 しかしキングサーモンはともかくイトウ釣りはよろしくないな。絶滅危惧種だろ?もうあの頃でも? 「裸の王様」って結局どういうところが評価されてるの?
無知ですまない。 裸の王様は正にタイトル通りだよね。開高健はそこまで好きではないがこの作品は素直にすごいと思う。 確か読書画コンクールの話で
あの頃から教育関係者(保革の別は問わない)の醜態は酷かったということですね。
池に子供を連れていった時の描写が見事で
あの部分は現代文の問題に採用されることが多い。 >>158です
なるほど。うまく言えませんが、やはりあれは一般的な大人の見えていない、大人のいけない部分を
極めて効果的に露わにした作品として評価されている、というイメージでいいですかね? どうしてそういうつまらない絵解きに纏めないと気がすまないのかね。
しかも、世間にどう「評価されている」かにしつこく拘る。 開高さんは亡くなるのが早すぎたあれだけ酒タバコやってれば仕方ないかもしれんが。健在なら今の世の中をどう呟くのか聞いてみたかった。 まあ、最後の方はアルコール依存でさんざ醜態をさらした人だしね。 インタビューやテレビなどでファンからしたら四六時中酒飲んでる姿は開高健らしいってなると思うがファンでもない人間からしたらただのアル中だからな。それでも自分は好きだった 酔っ払って公共の場に姿をさらし
知りもしないことをえらそうに喋り散らす。
ある種の関西人のいやらしさがそれに加わるともうどうしようもない。
闇シリーズ、裸の王様、オペラ、オーパシリーズは読んだけど他にオススメあります? 短篇小説集では「ロマネ・コンティ・一九三五年」と「珠玉」あたりかと。
珠玉は第二部の途中あたりから文章が衰えてきますが、作者の体力が続かなかったのかなあ、と勝手に納得しています。
ただし、第一部の「掌のなかの海」は完璧です。
初期の「流亡記」にしても中期の「玉、砕ける」にしてもこの人は本当に短篇が上手い。 質問した者ですありがとうございました。オススメしていただいたものを読んでみます。 旅先の土地の金持ちや権力者に気に入られて一緒に釣りにでる短編書く事多い気がするがあれは本当に全て事実? 開高健、なつかしいなあ。スタインベックの「朝食」か、こんなのが
書けたらそこで終わってもいいみたいなことを書いてたよね。
表記間違ってるかもしれないけど1980年ころ読んだ「見た、揺れた、笑われた」という
短編集(文庫本)がおもしろかったなあ。私は闇三部作に付き合いきれずに離れた。
私小説というか自分小説というか、ではなくて、「パニック」とか「裸の王様」とか「日本三文オペラ」とか
そっち方向では書き続けるのは無理だったんかなあ。おもしろいものだと思うけどなあ。すごい才能の持主だったと思います。 よく比べられる石原、大江、開高は実際誰が一番才能あるの? 大江には思想があるが開高にはレトリックしかないというのが
開高の死に際してとある文芸編集者が漏らした言葉です。
まあ、この場合の“思想”とは実存主義や構造主義といった括りで把握されるものであり、
文芸業界の認識はこの程度のものだったということです。
小説なのだから言語表現の可能性や情報性が重要だと思いますけどね。
もっとも、開高の場合は言語表現の極北を追及したために小説を構成する文章自体が自壊の方向に進んだわけです。
実は大江も似たようなものなのですが、神話や家族に逃げ込むことによってかろうじて活路を見出した。
大江がデビュー時に提示していた“家族”“共同体”というテーマが大江をピンチから救ったわけです。
問題設定の勝利だともいえます。
ただ、開高の挑戦の方がはるかに野心的だったと思うんですけどね。 20代の若造なんですがオーパって発売当時はかなり売れてたんですか?開高健をリアルタイムで知らないから生前の氏の世間的評価がどんなだったのか知りたい。 最近質問多いね新規ファン増えたのかなそれはそれで歓迎だチョ 最後の10年はサントリーと集英社に食べさせてもらっていたようなもので、
ゴールデンタイム枠を2時間買い取って釣り紀行を放映したりしていましたね。
町の小さな本屋にも平置きされていたのをよく見かけたから
やはり相当うれたんでしょう。
というか、開高・大江時代やべ平連時代を知らないPLAY BOYの読者なんかにとっては
恰幅の良い博識な釣りのおじさんぐらいの認識でしょう。 もう一度オーパやエッセイ辺りを売り出せば意外と今の若者の食い付きもよさそうな気はする。時代背景は古く映ってしまうだろうが オーパって開高の作品というより
開高を使った企画ものと考えたほうがいいね。 オーパシリーズは高橋さんの写真の功績が大きいと思う。 高橋昇カメラマンって亡くなってるんだな。開高健の周りの方って亡くなるの早い方多いね。 >>190
気のせいか食道癌率が高いように見えるんだなぁ。
酒と煙草と食べ物が悪かった時代なのか。 小説家は「不健康」そのものの生活を送っていますしね。 憶測だがとれてないと思う晩年はもう文が枯れてたし出版社に食わせてもらってる感が強かった。本人は良くも悪くも巨匠気取ってたけど >晩年は〜
は賞にはあまり関係ないと思うが、
井上靖も取れなかったの考えると難しかったようには思う。 そもそも開高ってそこまで凄い人物ではないだろ?個人的には好きだが ベトナム絡みで米国ではそれなりに名前が売れていたようですが。
ノーベル賞というのは文学的功績というよりは文学者としての振る舞いが評価の対象になるので
本人もあわよくば…という気持ちがあったのかもしれない。
でもまあ、ベトナム戦記のゲリラ処刑シーンには違和感しか感じなかった 「第三の新人」について語り合いたい。
阿川弘之
遠藤周作
小沼丹
近藤啓太郎
小島信夫
島尾敏雄
庄野潤三
曽野綾子
三浦朱門
安岡章太郎
吉行淳之介
一応、上に一般的に「第三の新人」と呼ばれる作家を挙げた。
阿川弘之、島尾敏雄は「第三の新人」に含まないかもしれない。
しかし、誰の話だっていい。皆で語り合おう。 >>200
本気で間違えた
今からこれでスレ立てしようと思ってたのに
すみませんでした >>202
ああ、おまえね、
おまえ頭も性格もわるいし、ワキガがなあ。 二十代の若造です最近開高健読み漁りましたがこの先生ってエッセイ、短編は面白いが長編は大したことなくない?やっぱりあのキャラクターで人気あったんですか? 読みあさった長編がどのあたりの時期のものか
それで答えはかなり変わる そんなに膨大にあるわけじゃなし、読み漁ったというくらいなら
長編はぜんぶ読んでるでしょう。
というか、本格的な長編なんて書いてないじゃない。 ん?若者に難癖つけようとしてると思われたのかな、そんなつもりじゃなかったんだけど
初期とベトナム以降でかなり作風が違うわけだし、
どちらかに集中して読みあさったのか、それとも既に両方とも読破済みなのか
単に聞きたかっただけだよ
ついでながら自分の場合はテレビや広告のタレント的開高はさほど好きじゃ無い
でも作品としてのオーパなどの釣紀行は好きだ ベトナム前の長篇では「日本三文オペラ」が到達点で
ベトナム後では「輝ける闇」「夏の闇」「花終わる闇」「破れた繭 耳の物語1」「 夜と陽炎 耳の物語2 」
などがありますが、作者の分身ともいえる主人公はほぼ廃人同然です。
文章も小説的構築が困難な瓦解寸前のあり様で
レトリックでつなぎ合わせてかろうじて面目を保っています。
レトリックの鮮やかさと文章からにじみ出る狂気にたいして芸術的評価がなされるのかもしれませんが
小説としてあれは良いのだろうか?というと疑問ですね。
まさに精神の廃墟なんですよベトナム帰還後の長篇は。
短篇やエッセイでは技術で乗り切っているんですが。 いわゆる文学物は、「玉、砕ける」しか読んでないなあ・・・
あとはエッセイとか紀行文ばっかり読んでる。 >いわゆる文学物
小説といいたいんでしょうか・・笑 耳の物語は二度ほど読んだがさっぱりだった。やっぱり開高健というブランド名で受賞されたようなものかね? 筒井康隆が幾度ももダイアリーでリアルタイムで嘆いていたな
残像に口紅をを書いていた頃だから
そら出版社が耳の物語にそんなキャッチコピー付ければ
これで実験小説かと首をひねるわ
単なる私小説としてはまあ・・・過去の焼き直しだろうな 伝統的私小説や心理主義からの飛躍を目指すと啖呵を切ったのに
最後に書き上げた長篇が“私”抜きの私小説。
また、ベトナム帰還後に書き上げた闇三部作も嘔吐やその後のフランス小説なみの
心理小説に過ぎなかった。
何をどう描くかが重要なのであって作者が海外に雄飛するだけならルポルタージュと変わらない。
何故、こうなったのかというと小説に詩的要素を求めすぎたから。
短篇ならそれでもうまくいく。
しかし、長篇では構成が壊れる。 いよいよ12月9日(月)開高健悠々会発足!!
芥川賞の受賞作「裸の王様」や釣りの醍醐味を伝えた「オーパ」、
食と酒に関するエッセイなど
開高健の人と文学にふれる日。
日時:2013年12月9日(月)
発会式(11時30分〜12時)
記念講演会(12時〜13時)
講演者:玉岡かおるさん
記念パーティ(13時〜)
開催場所:天王寺都ホテル
参加費用:5,000円(記念講演会とパーティへの参加
募集人数:先着100名様まで
お申し込み・お問い合わせ先:開高健悠々会事務局 松本恵美 父がオーパ持っててこの方にはまりつつあるんですけど次は何読めばいいんですか?オススメ教えてください。 オーパではまるか・・・・じゃ、その次は・・・行き止まりです(笑
this is to my regret... オーパの次ならオーパ、オーパ(3冊あり。順番に読むべし)か、もっと遠く、もっと広く(これも順番に読むべし)じゃん。 エッセイだったら『開口閉口』『地球はグラスのふちを回る』『最後の晩餐』あたりですかね。 一気に「ベトナム戦記」(朝日文庫)に戻って
そこからあらためて時間を下ってくる、徐々に頽廃してくる過程を検証する。
これがもっともよろしいナ。
あんちゃん、これやってみてえナ。 ずいぶんと元気なせいこ蟹が居たので三杯つれて帰ることにする。早速茹でて、身を取り出す。
オレンジの内子、少し濃い色の外子、真っ白な身。
こばせの本式は茹で汁で飯を炊くが三杯だけでは薄くて味気ない。
身を出した後の殻を足してもう一度出汁を取る。
その出汁で米を炊き、ほぐした身をのせて蒸らし、完成。
今日はワインの気分。大兄お気に入りシャトー・フイッセのプイイ・フイッセがあるのを思い出し、合わせてみる。
出来上がった開高丼もどきをかき込む。カニの活きが良かったので透明な旨味が口の中に広がる。
ワインは一口、端麗な口当たり、と思ったが、喉を過ぎるとけっこうな旨味が残る。
なかなか良い組み合わせでした。 >220
「最後の晩餐」、良いですね。
腹が減るエッセイだなあ。
>216
「もっと遠く」「もっと広く」は如何でしょうか。 確かシナ風オデンみたいな料理の話が出てくるんだよな
開封だか大連の街でデカイ銅の鍋に白湯が煮えたぎっていてそこへ色々放りこんで煮たのを喰うって話
喰った皿数で勘定するとか そこでの会話とか そんなこと開高へ話してくれた老作家が文化大革命で粛清されたとかだったかな
アヘンの話もでてきたような気もする エッセイ集 最後の晩餐より
いよいよ明日は出発という日になって何を思ったのか老舎は、突然、料理の話をはじめた。
重慶か、成都か、どこかそのあたりの古い町に、何でも、部屋一つぐらいもある巨大な鉄の鍋をすてつけた家があり、
この百年か二百年、一日として火を絶やしたことがない。
野菜だの、肉だの、豚の足だの手あたり次第にほりこんで、グラグラと煮る。
百年、二百年そうやって煮つづけてきたのだ。客はそのまわりに群がって、茶碗にすくって食べ、料金は皿の数で頂く。
その釜はどんな色をしているか、汁はどうなっているか。何をほりこむか。
いつ、ほりこむか。野菜は。肉は。どんな客が、どんなぐあいにたったり、すわったりするか。
何杯くらい食べるか。何の話をしながら食べるか。そういうことを老舎は微に入り細にわたり、およそ三時間近く、ただその話だけをした。 >>225
いま、ビデオでみてるが、ダンカンの開高すばらしい。
開高の俗な部分を拡大して見せてる。 開高さんそんなに好きではないがなんだかんだ食のエッセイ書かせたら未だにこの方超える人でてこないね >>228
まあ、一つの究極の芸だから誰もあれを「超える」ことはできないんじゃないの。 仕方ないことだけど生前は知名度共にかなり高かったのに死後はそれほど扱いが良くないですよね。 >玉砕ける最高
そういえばおれもこれの影響で老舎「駱駝祥子」一冊だけ読んだな
文春文庫版「ロマネコンティ1935年」収録作品はどれも傑作だよね
個人的には傑作とは言わぬが佳品「黄昏の力」が
なんともいえぬハードボイルド小説で好き
洋酒天国あたりにのせる類だな 自分の勝手な思い込みかもしれんがシマヂさんって今東光やシバレンほど開高健を認めてない気がする まあ、あいまいな尺度だけど人物としての大きさ、風格といったはかりに乗せると
今東光やシバレンにはかなわないんだろうな。
文学者として開高が上でもしまじいの視点はちょっとちがうだろうから。 ずばり東京 朝日新聞社(1964年) のち文春文庫、光文社文庫 壽屋コピーライター 開高 健 [単行本(ソフトカバー)]
坪松博之 (著)
出版社: たる出版 (2014/4/29) 明日発売のkotoba秋号(集英社) が開高健特集 、佐伯彰一は「アパッチ族の野性的な活力への憧れと、現代日本の風刺的な寓意画を描こうという意図とが、
ついに最後まで融け合わなかったのではないか」(「文芸時評」一九五九・六・二二「週刊読書人」)といい、平野謙
は「最後の場面まで読み終った私の印象は、意外にすっきりしないものだった。(略)マス・集団を動かす恨源の力
を、ここで作者はみきわめようとしているのか。それとも、アナーキーな集団の力の限界をさししめそうとしているの
か」(「文芸時評」一九五九・六・二五「毎日新聞」)と、戸惑いを見せている。
単行本刊行後には、津田孝が「前半の部分では、ひじようにエネルギッシュなイメージをフクスケたちの集団にあ
たえている。(略)だが、せっかくのこの前進は、『日本三文オペラ』のかぎりでは、とちゅうで腰くだけになってい
る」(「開高健『日本三文オペラ』のどろぼうたち
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/797/1/kb-rs_054_006.pdf モームの言葉としてこんな自己主張をしている。
「働いているあいだは自分を忘れることができるので、労働は賛美されるのである。
愚かな人間は何も仕事がないと退屈する。
労働は、大多数にとっては、アンニュイ(倦怠)から逃れる唯一の道だ。
で、だからといってそれを神聖と呼ぶのは笑止千万。
怠惰でいるためには、多くの才能と豊かな教養が必要である。
あるいは特別製の頭がいるのだ 私個人のことからいくと、三十代はずっとベトナム戦争、それからビアフラの戦争、中近東の紛争、いろんなのを追っかけまわっていたんだけれども、くたびれてしまった。
戦場を行くんだけれども、書く文句はアフリカ、中近東、東南アジアと様相は違うんだけれども、
戦争の現場のことを書くとボキャブラリーが決まってしまう。同じボキャブラリーの言葉の繰り返しにすぎない。
で、もうすっかりいやになっちゃって、 勝手にしやがれって気になったんですね。 それで釣師になったわけです。
しかし、釣りの現場に立つという、現場主義という基本的なところでは変わっていないと思う。
戦争が河に変わっただけのことじゃないか、戦場が水に変わっただけのことじゃないかっていう気もしますね。
自然の森やら河やらの中に入っていって、いろんなものが見えてくるのは、三十五歳以後ぐらいじゃないのかしら。
一応いろんなことやっちゃって、人生に限界がもうそろそろ見えてくる。
あとは死ぬのを待つばかり、同じことの繰り返しだというふうな印象におそわれてくる。
そういうときになって森に入っていくと、今まで見えなかったものがどんどん見えてくる >>242
河は眠らない、のビデオか。あのダミ声が頭の中に響いてくる……
と思ったらフォトエッセイ集なんてのが出てるのか。 オーパ以降、紀行文、エッセイ、短編以外は酷いというか、
過去の上書き、テクニックでカバーしてたもんな。
明らかに衰えを感じた。年をとったとはいえ悲しかった kotoba買ってきた。
寄稿してる人のオススメとして「玉、砕ける」と同じくらい
「ずばり東京」を推してる人が多かったのには驚いた
俺は「輝ける闇」です。ベタですまん kotoba、立ち読みしました。
買わないでいいな・・・これは。 >>245
最近、新幹線開業50年がよくニュースになってて開業以来死亡事故無いのを誇ってるが、
ずはり東京には工事中に200名以上の犠牲者が出てるって書かれててびっくりしたな。 ノーベル賞関連スレを覗いてたら、開高健を推してる人がちらほらいて嬉しかったわ 50歳代のエッセイに、
「10年前に俺がキャッチ&リリースしたメス鮭の子孫が今でも残っていて…」
とか牧歌的な光景を描いていた。
この人なら、自分の唇に太い針を突き刺され、逃げようと暴れて力尽きた末に針を外され
再び放たれた魚の運命を想像できなかったわけではないだろうと思うが。
もしかすると、実際にはどうなるかを想像しながらも自分の家庭環境を考えて
「それでも強く生き続けていて欲しい」
という思いを託して知らぬふりをしていたのかな。 すべての橋は詩を発散する。小川の丸木橋から海峡をこえる鉄橋にいたるまで、橋という橋はすべて不思議な魅力をもって私たちの心をひきつける。右岸から左岸へ人をわたすだけの、その機能のこの上ない明快さが私たちの複雑さに疲れた心をうつのだろうか。
その上下にある空と水のつかまえどころのない広大さや流転にさからって人間が石なり鉄なり木なりでもっとも単純な形で人間を主張する、その主張ぶりの単純さが私たちをひきつけるのだろうか。橋をわたるとき、とりわけ長い橋を歩いてゆくとき、私たちは、
鬼気を射さぬ孤独になごんだ、小さな、優しい心を抱いて歩いてゆくようである。
/ しかし、いまの東京の日本橋をわたって心の解放をおぼえる人があるだろうか。ここには空≠熈水≠烽ネい。広大さもなければ流転もない。あるのは、よどんだまっ黒の廃液と、頭の上からのしかかってくる鉄骨むきだしの高速道路である。
都市の必要のためにこの橋は橋ではなくなったようである。東京の膨張力のためにどぶをまたいでいた、かすかな詩は完全に窒息させられてしまった。そこを通るとき、私たちは、こちらからあちらへ渡る≠ニいうよりは潜る≠ニいう言葉を味わう。
鋼鉄の高速道路で空をさえぎられたこの橋は昼なお薄暗き影の十何メートルかになってしまったのである 昨日のBS、高橋源一郎が北陸で開高の足跡を辿るやつ見た?
まあ新しい話はあまりなかったけど。 私個人のことからいくと、三十代はずっとベトナム戦争、それからビアフラの戦争、中近東の紛争、いろんなのを追っかけまわっていたんだけれども、くたびれてしまった。
戦場を行くんだけれども、書く文句はアフリカ、中近東、東南アジアと様相は違うんだけれども、
戦争の現場のことを書くとボキャブラリーが決まってしまう。同じボキャブラリーの言葉の繰り返しにすぎない。
しかし、釣りの現場に立つという、現場主義という基本的なところでは変わっていないと思う。戦争が河に変わっただけのことじゃないか、戦場が水に変わっただけのことじゃないかっていう気もしますね。
自然の森やら河やらの中に入っていって、いろんなものが見えてくるのは、三十五歳以後ぐらいじゃないのかしら。
一応いろんなことやっちゃって、人生に限界がもうそろそろ見えてくる。
あとは死ぬのを待つばかり、同じことの繰り返しだというふうな印象におそわれてくる。
そういうときになって森に入っていくと、今まで見えなかったものがどんどん見えてくる
古代インドの哲学思想を考えたくなります。だから、あの輪廻の思想は徹底的な唯物論なんだ。
それが徹底していたがためにポエティックな姿を帯びることになった。反対のもののようになった。こういうことが言えるんじゃないかっていう気がするんです。
この河岸に立ってサケの屍体やら小魚やらジャンプする親ザケの姿なんかを見ていると、ほんと、形が変わるだけなんだ。
そういう思想とも感性とも知性ともつかないものにおそわれます もう十年生きていたら、『花終わる闇』は完成したのだろうか? もう十年生きていたとしてもアル中の廃人になってただろうな。 もしも、開高しゃんが今季の芥川賞の審査委員をやっていたら… … 柳原良平
R.I.P.
ttp://www.asahi.com/sp/articles/ASH8M5KMWH8MULOB00N.html 「地球はグラスのふちを回る」は、全中学生によませるべきだな。 もいっちょ
「もっと広く!」のモリピカいじめヒドイ 釣師は心に傷があるか・・・
釣師は心に傷があるから釣りに行く。
しかし、
彼はそれを知らないでいる。
開高 健 開高作品を読み漁ってゆくと「使い回し」が鼻に付いてくる。ベトナム戦記やオーパはいいんだが、闇三部作あたりで目を背けたくなる。
他の作家でこれほどの事は無いと思うんだが。 エッセイでも「ん?これどこかで読んだような」という
デジャブ・スパイラルによく陥るんだがw。 煙霞の癖。漂泊の思ひやまず、ついフラフラといったところであろうか。
砂糖菓子のように言えば、風が誘うんです。甘い泣き事である。
されど開高よ、泣きたくなるぜ、この人生。
そんな危険な夜の訪れには、磨いた酒と手垢のついた地図に自身を慰めて、
我が田に水を引く半句をひねり出す。
旅は男の船であり、港である。
そして男は自殺するかわりに旅にでる。では。
↑これ、開高さんの代理で佐々木さんという
コピーライターが書いたサントリーオールドのコピー。
最初は、まんまと騙されたわw。 エッセイで使い回しは気にならないんだが、エッセイで出たセリフを小説の中で主人公に語らせるのが気持ち悪く感じる。
無理矢理、借りてきたセリフをはめ込むような違和感。 >>271
あんたプロだろ。
そのコピー、佐々木さんが書いたとか
開高ファンでもあんまり知らんのじゃないか。
サン・アドの系譜だな。 >>273 そんな貴方こそプロでしょう。
多分に広告業界の。 久々に「夜と陽炎 耳の物語2」を読んでいる。
この位が引用も鼻につかず丁度良い。
アダージョのくだりは、ここでしか出てこないと思うが好きなエピソード。 開高のエッセイは好きなんだが…
コッテリした饒舌なレトリックやネタのしつこさ
に辟易したりもする。
モノ知りなのはもう分かったからさ、とね。
お腹一杯だよ、と。
で、時間が経つとまた読みたくなったりする。
これのループだな、俺は。
小説はなあ…書けないことを書く作家に
なっちゃったというか、
晩年はエッセイストでしょ、実質的には。
苦しい作家生活だったんじゃないかね。
カネは稼いでただろうけど、
小説を書くのが小説家なんだから。 誰だったか…作家か評論家が書いたエッセイを
読んでたら、三島由紀夫の自宅に野坂昭如や
安岡章太郎、開高健がパーティに呼ばれた
エピソードが出てきた。
開高が、「小説の書き方を教えてください」と
正座して、三島に頭を下げたらしい。
野坂や安岡は…白けたらしいな。パーティなんだからな。
三島は親切に部屋の隅に開高を読んで話し込んで
たそうだ。開高は話し終えて満面の笑みで
戻ってきたらしい。
開高は同じ事を、武田泰淳にも井伏鱒二にもしてる。
小説が書けない、どうしたら書けるか、と。
それがベトナムに行く前の話しだ。
もう恥も外聞も無かったんだろう。 今日は雨で体調も悪く、病院の待合室や家のベットで開高を読み耽っていたが、こんな日にこの人のエッセイを読むと、つかの間、どこかの町、どこかの河原に連れ出してくれるようで、しばし憂鬱をうっちゃることが出来る。
この人は小説よりもエッセイに真髄があると思える。 初期作の巨人と玩具を読み返したけど、作家のサラリーマン経験がまだ稚拙な筆致でみっちりと書き込まれている。
稚拙ではあるけれどスレておらず、使い回しもなく、ひと目では開高作品とは分からない。
必死のエネルギーがあったんだな、この頃は。 ここに来ている人で釣り師はいるのかな?
「釣れるまでは日々諸々の事が頭の中でグツグツ渦巻いているが、かかった瞬間に消えて無くなる」という趣旨の事がどこかに書かれていて「円は閉じた」という言葉に置き換えているが、自分は名言だと思った。 確かに、開高の旅のエッセイは憂鬱な時間をうっちゃる手助けとなる。
束の間、読む者を引き込んでくれる。
それは開高自身が新鮮に驚いたことを書き綴っているからではないか。
読む者を見知らぬ地、その現場に連れて行ってくれるからではないか。 10年ぶりに開高の釣りに関わる本を端から順番に読み返している。
10年の歳月は私を変え、今また読み返すと違ったものが見えてきて、また束の間、世間を忘れさせてくれる。 輝ける闇からオーパまでは脂が乗って小説もエッセイも抜群に面白い。 明日世界が終わるとしても‥の元ネタを先に使った寺山の事を最期まで泥棒呼ばわりして憎んでたんだっけ。 「あいかわらずの一人旅です。いまポーランドにいます。昨日はアウシュヴィッツに行ってきました。
15年たちますが400万人も殺したものですから野原の上にはいまだに人骨の細片が貝ガラのように散らばっていて凄惨です。言葉を失いました。・・・」
この文章は、芥川賞を受賞後の開高健が日本文学代表団の一員として初めての海外旅行となる、中国を皮切りとしたヨーロッパ数か国の滞在中、
ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所にも足を運び、文芸評論家の中村光夫に宛てた絵葉書の一部分である。
現在も博物館として管理・公開されているアウシュビッツ強制収容所には絵葉書が売られており、
その当時(1960年)、開高健も第一収容所を写した絵葉書を利用して中村へ書き送ったようである。
http://andthings.exblog.jp/20380846/ オーパの取材旅行時に同行スタッフが持ってきた、とある作家の本をビリビリに引き裂いて「こんなのは文学じゃない」と激昂したというエピソードを目にした。
その本は五○寛○と推測したが。 くだらない話だ。
さらに悪いことには事実ではないってこと。 もし開高健氏が長生きしていたら世の中もうちょっと楽しくなってた 「一言半句の戦場」
今頃になって、やっと読みました。
よくもまあこれだけ沢山の未収録作品を、集めたものだね。 ニワカなんですが、カイコウタケシ、カイコウケン、
日常会話で開高氏の名前を言うときどっちを言えばいいんですか?
どちらも正解らしいんですが。。。
ちなみに小説を読むまではケンだと思ってました。 『夏の闇』のモデルの女の人
交通事故で他の男と一緒に死んだんだな
開高は遺体を引き取って骨を拾ったんだってな また評伝が出たね。サントリーの中の人の。
またか、と思いながらも読んでしまった。
牧羊子を好意的に書いてる評伝は初めてかな。
家族としてのつきあいとビジネスのそれの違いだろうか。 開高健ーー生きた、書いた、ぶつかった! 小玉武
著者は元サントリー宣伝部で山口瞳の部下、開高とは最期までつきあいのあった人。
開高と牧の家庭が円満であった。
開高の仕事上の色々なエポックに牧羊子人脈が大きな役割を果たした。
という話が色々出てくる。 「裸の王様」を読んでみたけど
太郎の精神的引きこもりなキャラといい家庭環境といい、
それを子供らしい絵が描けるように変えてやろうっていう主人公の考え方とか
あまりにもステレオタイプすぎる気したわ
これは当時では優れた作品だったんだろうけど
残念ながらもう60年前の小説だと思った 佐治敬三と開高健 最強のふたり〈上〉 (講談社+α文庫) 文庫 – 2017/10/20
北 康利 (著)
ひとりは勝算なき「ビール事業」に挑み、もう一人はベトナム戦争の最前線に身を投じる。生産量世界一のウイスキーをつくった
サントリー佐治と無頼派作家開高の不思議な友情がかなえた、巨大な夢。 >>310
芥川賞をとった作品が代表作とは限らない。
ヴェトナム三部作を読んで判断してほしい。 高関税の輸入洋酒とのハンデ戦で大勝ちした企業がカネに糸目をつけずに作ったバブル期の見本のような番組... >>312
>ヴェトナム三部作を読んで判断してほしい。
ヴェトナムではなく闇三部作だろう
「輝ける闇」はともかく「夏の闇」と「花終わる闇」で書かれた事は
廃人の日常であり、そのあり様は「裸の王様」とそれほど変わらない
「裸の王様」は釣りの場面が鮮やかで
あの作品はあの部分だけでも読む価値がある
闇三部作にはそういうものは無いからね
遺作の「珠玉」の方がまだマシ ベトナムものに関してはベトナム戦記、輝ける闇、夏の闇、サイゴンの十字架が読んで面白かった
花終る闇は作者の衰えを感じた この人はフィクショナルなストーリーが全く出てこなかったらしいな
大江健三郎とかそういうのは無限に出てきたとか言ってたけど
私小説家タイプなのかな >>316
>大江健三郎とかそういうのは無限に出てきたとか言ってたけど
>私小説家タイプなのかな
大江健三郎の作品群の特徴として
ある閉じた環境が設定される
そこに外部からの亀裂が生じることによって自意識が芽生えるが
この修復によって絶望だけが残る
このパターンの繰り返しに過ぎないとしている
開高自身は日本文学特有の自意識との格闘ではなく
遠心力をともなう外部への移動を目指すのだ、と言っていたが
実際は開高健という自意識の塊が世界中をさまよっているだけ
「輝ける闇」を読んだ三島由紀夫は
舞台設定がベトナムの戦場であるだけで
記述者の意識は書斎にいるのと変わらないじゃないか、と怒っている >>320
>としている
ってのは誰がしてるのか
>絶望だけが残る
っていう一般化だけでも例外が山ほど出てくる
っていうかそういうのは初期のにちょっとあっただけのように思う
「輝ける闇」への三島の感想で俺が知ってるのは
「これをフィクションでかけたらすごいと思う」
という感じのもので、読む方としてはどっちでもいいと思った >>321
>としている ってのは誰がしてるのか
開高による大江作品評ですね
これで開高と大江との仲が修復不可能なまでに悪化した
簡単に言うとああいうワンパターンの作品や
自意識を弄ぶだけの私小説は書かない
と開高は考えていたようだ >>322
あれーそんな仲なの
大江の方はまあ死んじゃってるのもあるだろうけど
良いことしか書いてなかったけどまあ数行レベルだけど
それと大江のは私小説じゃないな
そう言う日本の伝統を利用した
フィクションだな >>314
>「輝ける闇」はともかく「夏の闇」と「花終わる闇」で書かれた事は
Kindleで出されている「開高健」によれば「花終る闇」であり、「花終わる闇」という送り仮名をしている段階で読み間違えているらしいよ。 鉄道自殺した娘の開高道子について調べているが、情報が少な過ぎる。 もともと親の七光りだけで、二三冊書いたエッセーもほとんど刷られなかった。
阿川佐和子になれなかった人。 阿川佐和子は顔も体も鶏ガラ・ミーハーw
阿川は親爺の保守人脈に助けられたんだろ。
概して左翼はコネ使いを潔しとしない。 >>325
鬱気味だったと佐伯彰一あたりが書いていたような記憶がある
当時のFRAIDAYあたりにも記事がある 出版社って人気作家が亡くなると、とりあえず嫁か娘にエッセイ書かせるね 中国のことわざにこんな言葉があります。
•一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい
•一週間幸福でいたかったら、結婚しなさい
•一ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい
•一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい
•一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい >>320
そんなこと三島は書いていたのか。さすがに鋭いな。 ★ お楽しみタイム
2020年東京オリンピックの泣ける歌
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス
(新宿、渋谷、上野、浅草、下北沢、池袋、銀座、原宿)
↑
以上8ヶ所の東京都内の地名が、歌の歌詞に登場します 開高健が釣りについて書くとすると、頭のてっぺんから足の爪先まで、体中のボキャブラリーをまさぐりあて、それをやや衒学的に惜しげもなくふりまいて読者を魅了するのだが、陳氏の行文はそれとは真逆に
、どこからどこまでさりげなく、凡そ特徴といったものが目につかない。それだけに引用される中国の原文の読みくだし文がキラキラ輝き、まるで読者は魔法にかかったようにその魅力に捉えられる。たいした作文術である。 30代のエッセイを読むと、当時の中国を手放しで(ソ連以上に)褒めていて、
まあ騙した方が一枚上手で騙された方はおろかだったかもしれないが罪はないとは思うのだが、
この辺をきちんと文章として反省するべきだったなと感じるのはまあその先を知っているからなんだろうかね。
家庭的な事情でも理想を打ち砕かれて、美食だの釣りだのに逃げなくてはいけなかったのかなとも思うが、
そうなると「酒が開高を殺したんです!」という牧夫人の言葉がすごい皮肉に思われる 文章は形容詞から腐る」と言ったのは開高健です。形容詞は修飾語ですから
、使い過ぎると文章をイヤミな感じにさせてしまう。つまり文章は飾りすぎるな、ということです。 比喩も注意すべきです キョンがやたら増えてるという話を見て、先生のエッセイで「繁殖力が非常に弱い」と書いてあったのにと読み返したら、
先生、キョンとマメジカの区別が付いていなかっただけでした。 「どれもこれも低調で、ほとんど“作品”になっていない。スケッチ、デッサン、創作メモ、作文といったようなものばかりである。」「私は変らない。いつもおなじである。
新人の作品には鮮烈の一言半句を求めるだけである。それさえ見つかれば、修辞、構成、何であれ、いくら幼稚で拙劣であってもかまわないと思っている。」
https://prizesworld.com/akutagawa/sengun/sengun79KT.htm >>347
「輝ける闇」なんかはちょっと過剰に感じたけどなぁ スタインベックの「朝飯」は、開高健も絶賛している。
「…作者がほんとに書きたくて書いたことがすみずみまで
わかる、句読点の一つ一つにまで爽やかな息づかいの
こもっていることがよくわかる、ある一瞬についての記述
である。野外のひきしまった早朝の空気のなかでジュウジュウ
とはぜるベーコンの音がそのまま聞えてきそうなのである。
ただそれだけのことなのである。けれど、こういう絶品を
読むと、文学はこれでいいのだと思わせられてしまう」
(『白いページ』) その場合は「カイコウ」ではなく「カイタカ」だろうね 最後の晩餐の内蔵がらみの奴で、日本では豚の内臓食は戦後までなかったと書いてるのは、
ルーツが関西にあるんだなと改めて感じさせられた
(関西ではそういうのは長いこと被差別民の食べ物だった) 開高健「背骨がないということ」「シロかクロかの議論だけしかできなくなるニッポン人の全体主義者風の心根」
「その心性が明も生みだし、暗も生みだすのだが、今後もずっと肥大しつづけることであろう」。開高がこう書いたのは1984年のことでした センセイの末期エッセイで飲んだ酒に「アイレーモルトのグレンガリオッホ」なるものがあるけどなんだろう。
ゲール語知らない人がグレンギリーをこう読むことがあるけど、センセイは博覧強記の人で酒の読み方間違うわけもないし、
そもそもグレンギリーはアイラ(アイレイ)モルトではないし。 小松左京に
「果てしなき流れの果に」って何やこのタイトルは?あん?
とネチネチ絡んだ人だよね シマジ先生のバーは、新宿伊勢丹から西麻布に移ったんだね。 >>354
> その場合は「カイコウ」ではなく「カイタカ」だろうね
「ボボダカ」って話もあったなw 書店でほとんど先生の書籍を見ない。
太宰治のは多数あるが、
開高健先生のは、何も無い時もある。
寂しい。 文体はあったが、物語を持っていなかった作家
だから大して小説は書いていない >>366
> 文体はあったが、物語を持っていなかった作家
> だから大して小説は書いていない
なるほどね 日本の純文学界隈は物語のない作家ばかりだよ
書けなかったのは物語(あるいはイデオロギー的図式)を拒否して
自己の感性を重視したからだろう
自己の感覚に根差した文章だけが
鋭く研ぎ澄まされたのもそんなところだとおもう
しかしそういうのは詩や随筆でやるべきことだ
基本的にこの人は他人を冷たく突き放して観察者に徹しているから
感情と心理を持った人間的諸個人の衝突や絡み合いを描くのは不得意で
それゆえに展開力も乏しい
ベトナムに行ってベトコン少年の処刑シーンを目撃しても
アウシュビッツに行って犠牲者の骨のかけらを見ても
基本的に他人事なのね そこへいくと、この世代では高橋和巳は立派だ
39歳で亡くならず、70歳まで生きていたら、どれだけ膨大で骨太な小説群を残したことか
『邪宗門』のような傑作を読むと、つくづく惜しい作家を我々は早くに失ったと悟る むかし筒井康隆がエッセイに書いていた、井伏鱒二に絡む開高は
動画で残ってるね なんとかしちゃったが口癖で、話す言葉を文字で起こすと共通語なのにイントネーションはモロ関西弁だったよな
あと英語を話す時もイントネーションが関西弁ぽくて、あれ英語ペラペラの芸人が真似したらネタになりそうだ >>387
それ、竹村健一もそう言う傾向ありましたな。 「しちゃった」という言葉遣いを多用するのは
武者小路実篤のような白樺派同人あたりからかな
公家あたりの話ことばだったものが白樺派を通じて世に広まったらしい
そういえば大岡昇平は死ぬ直前のエッセイでも「しちゃった」と書いていたが
棺おけに片足を突っ込んでいる爺さんが「しちゃった」とはね しかし、開高のスレって無内容のレスばかりだな
まあ、その程度の作家か BSプレミアム 12月10日(木) 9:00〜10:36と24:45〜26:21(再)
作家 開高健の世界 巨大オヒョウを食らう(2011年) >>399
おかげで録画できたわ。サンキュ。
いい番組だったけど、知らない人向けなのか、茅ヶ崎の書斎のシーンが多いのはもったいなかった。せっかく教授を引っ張り出してきたんだから、当時の料理の再現とか色々観たかった。
今日は久々、オーパ・オーパ読むか。 また新しい関連本出たんだな。誰か読んだ?
開高健は何をどう読み血肉としたか 菊池治男 (著)
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309029283/ BSプレミアムで明日またやるよ、9時と深夜0:45(再) 来年1月26日にオーパの完全復刻版が出るらしい
ケース&ブックレット付で8800円!!! 自分は、開高健氏の作物を(何か)大学時代に読んだきりで
殆ど未体験者です。
氏の作を読む醍醐味とは、どういう点ですか? >>406
大判のオリジナルも持ってるし、直筆版も持ってるのにこれ以上お布施しろって? >>408
> 自分は、開高健氏の作物を(何か)大学時代に読んだきりで
> 殆ど未体験者です。
> 氏の作を読む醍醐味とは、どういう点ですか?
読んで感じてくれw
図書館で無料で読めるんだから www tbsが放送したスリランカの宝石の番組も再放送してほしい >最前線に出た際、反政府ゲリラの機銃掃射に遭うも生還。総勢200名のうち生き残ったのは17名であった
これだけ読んだらすごい修羅場をくぐったんだなとか、ものすごい強運だなと思ったりするけど
実は戦場慣れてる他の人は一目散にちりじりに逃走しただけなんだよな。そんなことは当たり前。
開高は単に平和ボケしてるだけのどんくささを武勇伝のように語ってる 開高健のいいのは、もちろん技巧が確かなことは言うまでもないが、徹頭徹尾真面目なところだ。
真面目ばっかりで陰気になってしまうのだったら、読むのが嫌になるが、遊びもあるのが楽しい。その意味では三島と並べたくなるような作家だ。
ネットで拾った名もない人のエッセイが良かった。
https://gamp.ameblo.jp/ju87gkanonenvogel/entry-12488998484.html 「けん.....?」って思ったけどそうか「たけし」とも読める 確か国鉄からJRに変わる日の0:00跨ぎの生放送特番のゲストで「みんな僕の事かいこうけんかいこうけん言うんですけど、本当はかいこうたけしなんですよぉ。もうかいこうけんでも良いんですけどね。」みたいな事言ってたの聞いて初めて知った気がする 「かいこうけん」だと「意見書こう」のアナグラムみたいでなんかイヤじゃんって思ったけど「かいこうたけし」でも「書こう!消したい!」でキチガイみたいになる
でもどちらの要素も持ってた作家という気がするw △うたえよケン!
さけべよケン!
太陽にとどくまで
およげよケン!
ジャンプだケン!
はしれ 狼少年ケン△ あら、僕ちゃん それはシワじゃないのよ。
の意味が分からなくてずっと考えています。
どういう状況でどこの事でしょうか? イージーな事ばかりしていたら男は腐敗する
って出典どこ? 戦地から必死に逃げ出そうとする人、
必要もないのに戦地でぶらぶらしている
日本人、ようわからん ■『知らないほうが……幸せかもしれない コロナワクチンの恐ろしさ』(ウィスコンシン医科大学名誉教授著)
ノーベル賞受賞者モンタニエ博士が警告!
「希望はない。ワクチンを打った人に対する治療法はない。ワクチン接種者は全員2年以内に死亡する。我々にできるのは大量の死者に備えて火葬場の準備をしておくことくらいだ」――これでもあなたはワクチン打ちますか!? 「六つの短編小説」など好きだが、拾いきれていないいろんなメタファーがあるような気がして自分ではまだ読みきれた感じがしない。
作品に則した批評、特に当時の文革と老舎、人民の動きなどから批評した文章がありそう。詳しい人、教えてください。 アメリカの傑作漫画の一つに、精神病院に入れられて、狭搾衣を着せられて、オリにすがって喚き叫んでいるという一コマ漫画があった。
なぜその男が精神病院に入れられてオリの中で叫んでいるのか、そいつの叫び声を読むと、「オレは女のすべてがわかったぞ!」というんだ。 >>1
なんとなく開高健のスレあるかなと思ったらあった
大阪市立大学も維新が潰すけど >>447
ノーベル賞受賞後は、しばしば非科学的な理論や根拠のない発言が問題視され、学会での権威を失った[ >>200
今となっては全然読まれて無いですね
死んじゃったかネトウヨみたいになった人もいる
開高健が今でもまーまー読まれてるのはウヨってなかったからな 開高健さん、酷い双極病の持ち主
奥さんが牧羊子といって癇癪持ち
こんな糞と関わりたくないからある時期、海外出張を積極的に入れます
さっさとこんな悪妻、離別すべきでした
この悪妻が娘さんすら鉄道自殺に追い込みました
女の馬鹿は死ねよ、ピエロでもしてキエロ
旦那と娘を追い込んで自分は孤独死という大笑い
諸君もクダラン♀に喰われないようにしろよ >>461
その逆だ、牧羊子の方が3年年上です
だからアタマが上がらない
おれだったらDVな半殺しにします >>460
双極性障害=双極病
5字も描きませんw
この病で苦しんでる人の多くが「自律神経」が上手く働いてないわ PGしてると分かるやりょ?
三字で済むことを五字でするロス時間がウザイ、という結論です。 「風に訊け」だったかな、週刊プレイボーイで連載されたやつ
ああいう軽いのがいい
ただ、このシリーズでは今東光のほうが圧倒的に面白い 開高健が「徹子の部屋」に出たとき。細かい事情は忘れたが開高の親しい人間が
亡くなったか忘れたが。不運なことが身辺であったことが話されて黒柳が
「そのときはどういうお気持ちで・・・」と訊いたとき、「“そういうときに
どういうお気持ちで”と訊くとはインタビュアーとして2流ですね」たしか
そういうことを言っていた。斜め下ににらみながら。さも自分は1流を知っていると
言わんばかりに。相当嫌味だなとそのとき思った。性格悪すぎる。
そのときのさも「自分はモノをわかっている」といいたげな見下す視線が
いやったらしい。その前からこの作家に注目していたが。彼は1970年頃に
高橋和巳や小田実らと『人間として』という季刊誌を筑摩書房から発行して
同人になっていた、が、途中でwikipediaによると「ベ平連内の反米左派勢力に
強く反発し脱退、過激化する左派とは距離を置くようになる。」とかで
脱退している。小田とかが反米左翼というwikipediaの括りもおかしいし、
“市民の連帯”を狙ったからこそベトナム行きの脱走兵を援助したはずだし、
『人間として』から脱退したあとは旅行記とグルメ紀行の専門家になる。
あと『週刊プレイボーイ』で読者の人生相談もしていたようだが。
それはまだどうでもいいが、その後1973年『群像』でかつての仲間である
小田と対談して「この男は心にもないことを大きな言葉でいう癖がある」等等
完全な中傷を始めている。非常に読んでいて見苦しい感じがした。
あそこではあんなこと言われて苦笑しながら対談続けている小田が大人にみえた。
別に小田実が全部正しいというわけでは毛頭ないが、あそこまでの中傷される
いわれはない。じゃその小田たちとかつてはつるんで、途中脱退したあとは
いわれのない悪口を言い出す自分はなんだということ。全然一貫性がない。
旨いモノ食べて旅行してブクブク肥え太り、今度は昔の左翼仲間を中傷。
「徹子の部屋」では自己の1流を誇示。かなり見苦しいと思っていた。 >>470
作家なんて人間の情念を扱っているんだから、
近くに行けば行くほど、知れば知るほど嫌な奴に違いない。
テレビでそういう嫌な面をさらけ出したんだったら、
いつもの退屈な「徹子の部屋」じゃなくて面白そうだな。
見てみたい。
・・・・・・
かつてカザルスの友人であった名ピアニストが来日した時に
「(カザルスが)亡くなったはどういう気持ちでしたか」と質問した記者がいた。
とたんにピアニストは不機嫌になり、
「どうしてあなたは私の傷口を触ろうとするのですか?」
といって睨み返していた。 >>473
驚いたよ。プールで何キロ泳いだとか自慢してたから
でも濃厚な人生で悔いは無かったんじゃないかな 〇1976年刊行時の推薦の言葉より(一部抜粋)
開高 健(作家)
故郷へ帰った探検家はときには大法螺吹きの山師、ときには不屈の英雄として遇されたが、眠りこんだ古い、小さな共同体に鮮烈と不安をあたえて、震わせた。一人のあとには二人、二人のあとには三人がその足跡をなぞって出かけていき、不安は常識に変った。
今西錦司(生態学者)
文明に飼いならされ、文明によって自然は、もはやこの世界から姿を消してしまったかのように思っている現代の青年が、このシリーズを読んで活眼をひらくことを期待したい。自然は、諸君が考えているよりもはるかに宏大であり、悠遠であり、はかりしれぬ力を秘めているのである。 この人って釣りに関するフィクションって書いてる?
もともと戦争文学としての開高健は知ってたけど、最近自分も釣りを始めて釣り人としての開高健に興味を持つようになった。 開高健はルアーフィッシングに拘ってるところがいいね。
俺もエサ釣りはあんまり好かない。疑似餌で魚との知恵比べに勝ってこそ価値がある。 最近釣りを始めたので
しばらくこの人の書いたものを読んでいこうと思うのであった 昔読んだ記憶があるのですが、もう一度読みたいと思っても、どの本に書いてあったのか、何か週刊誌のエッセイだったのか思い出せないんです。
内容としては、開高健さんがどこかの戦場に行って、釣竿を持って散歩していると、現地の人々が次々と「釣をするなら、あそこがいいぞ」と教えてくれる、というものでした。
釣りというものは、戦場であろうと人の心を開放してくれるものなのだと、そのエピソードから感じました。
戦場で釣り竿を持っている東洋人なんて、現地の人々からすれば奇異な光景だったでしょう。しかし、そんな開高健さんに悪意を感じる人はいないだろう、むしろ親しみを感じていたのではないだろうか、と想像しました。
このエッセイがどこにあったのか、もしご存知の方がいらっしゃれば教えていただけますでしょうか。 【ふくろう通信10】牧羊子と「ダンス・
ダンス・ダンス」
池内書房
2024年5月3日
村上春樹の長編「ダンス・ダンス・ダンス」(1988年)に、牧村拓(まき
むら・ひらく)というキャラクターが登場する。主人公「僕」が北海道で出
会った美少女ユキの父親でお金持ちの流行作家という役柄なのだが、その人
物描写が(少なくとも村上の目に映った)開高健そのものなのだ。
<それほど背は高くないが、がっしりした体格のせいで実際よりは大男に
見えた。><首はいささか太すぎた。もう少し首が細かったらスポーツマ
ン・タイプに見えなくはなかったのだろうが、顎に直結するようなそのもっ
たりとした太さと耳の下の宿命的な肉の弛みは長い年月にわたる不摂生を表
していた。><僕が昔写真で見た牧村拓はほっそりとして、鋭い目をした青
年だった。とくにハンサムなわけではなかったが、何かしら人目を引くもの
があった。いかにも前途有望な新進作家という風貌だった>
牧村は辻堂に住んでいる(開高は茅ヶ崎)。若い頃に書いた小説は文章も
視点も新鮮だったが突然まともなものが書けなくなり、冒険作家というふれ
こみで世界の秘境をめぐるようになった。「ダンス・ダンス・ダンス」発売
当時の読者は、「裸の王様」で芥川賞を取り、釣り紀行「オーパ!」シリー
ズで世界を回った開高のことをただちに思い浮かべただろう。