開高健
大阪市立大学創立130周年記念「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」
大阪市立大学は、創立130周年記念行事の一環として、同窓会連絡会、学友会などと共に平成23年2月11日(金)〜20日(日)の10日間
「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」を大阪、難波「なんばパークス」で開催します。
http://tokyo.ocu-yukokai.com/article.php/kaikoken
http://tokyo.ocu-yukokai.com/images/library/File/0496_001.pdf このおっさんの下品な面 大げさな比喩といい本当に不快だ。
食べ物に対するエッセイも下品。
「オーチンハラショー」いいながら釣りしてて竿が折れた時の映像は笑った 「あーーー」とか言って(笑)
じじいざまああ エッセイはどうでもいいが、小説はけっこう面白かったぞ
裸の王様とか流亡記とか 新聞のコラムで開高が井伏鱒二に書いた手紙を引用してたが
名文を気取って、臭くって、嫌味な文章だった。
朝刊であんなものをよまされると一日気分がよごれてしまった気がする。 短編集と日本三文オペラは本当に面白かったけど輝ける闇で挫折した
腰をすえて読もうか決めかねてる作家 確かに釣りしてて大物バラした時のあのアーッは笑えるよな。 先生は釣りの腕は実際どうだったのかな?キングサーモンだかイトウの大物逃したときの焦りかドラグ緩めないのみるとそこまで上手ではない気もするけど。 少年時代に鮒や鯉を釣っていた程度の釣歴の人が
中年になって鬱や書けない焦燥感を慰めるためにやり始めたものだから
そんなに上手いわけないでしょう。
ただ、そういう姿を番組企画で人目にさらして涙目になっている所を見るのも嫌なものです。 >少年時代に鮒や鯉を釣っていた程度の釣歴の人が
ここまでエッらそうに言えるものかね(笑
じゃ、少年時代にはなにを釣ってれば後々釣りの上手と言われる資格ができるんでしょう?(笑 >>154
君は「釣りキチ三平」を読んでからそう言いなさい(笑) >そういう姿を番組企画で人目にさらして涙目になっている所を見るのも嫌なものです。
こいういうすまし顔の驕ったコメントを読まされるほうがわしゃ嫌だがね。 しかしキングサーモンはともかくイトウ釣りはよろしくないな。絶滅危惧種だろ?もうあの頃でも? 「裸の王様」って結局どういうところが評価されてるの?
無知ですまない。 裸の王様は正にタイトル通りだよね。開高健はそこまで好きではないがこの作品は素直にすごいと思う。 確か読書画コンクールの話で
あの頃から教育関係者(保革の別は問わない)の醜態は酷かったということですね。
池に子供を連れていった時の描写が見事で
あの部分は現代文の問題に採用されることが多い。 >>158です
なるほど。うまく言えませんが、やはりあれは一般的な大人の見えていない、大人のいけない部分を
極めて効果的に露わにした作品として評価されている、というイメージでいいですかね? どうしてそういうつまらない絵解きに纏めないと気がすまないのかね。
しかも、世間にどう「評価されている」かにしつこく拘る。 開高さんは亡くなるのが早すぎたあれだけ酒タバコやってれば仕方ないかもしれんが。健在なら今の世の中をどう呟くのか聞いてみたかった。 まあ、最後の方はアルコール依存でさんざ醜態をさらした人だしね。 インタビューやテレビなどでファンからしたら四六時中酒飲んでる姿は開高健らしいってなると思うがファンでもない人間からしたらただのアル中だからな。それでも自分は好きだった 酔っ払って公共の場に姿をさらし
知りもしないことをえらそうに喋り散らす。
ある種の関西人のいやらしさがそれに加わるともうどうしようもない。
闇シリーズ、裸の王様、オペラ、オーパシリーズは読んだけど他にオススメあります? 短篇小説集では「ロマネ・コンティ・一九三五年」と「珠玉」あたりかと。
珠玉は第二部の途中あたりから文章が衰えてきますが、作者の体力が続かなかったのかなあ、と勝手に納得しています。
ただし、第一部の「掌のなかの海」は完璧です。
初期の「流亡記」にしても中期の「玉、砕ける」にしてもこの人は本当に短篇が上手い。 質問した者ですありがとうございました。オススメしていただいたものを読んでみます。 旅先の土地の金持ちや権力者に気に入られて一緒に釣りにでる短編書く事多い気がするがあれは本当に全て事実? 開高健、なつかしいなあ。スタインベックの「朝食」か、こんなのが
書けたらそこで終わってもいいみたいなことを書いてたよね。
表記間違ってるかもしれないけど1980年ころ読んだ「見た、揺れた、笑われた」という
短編集(文庫本)がおもしろかったなあ。私は闇三部作に付き合いきれずに離れた。
私小説というか自分小説というか、ではなくて、「パニック」とか「裸の王様」とか「日本三文オペラ」とか
そっち方向では書き続けるのは無理だったんかなあ。おもしろいものだと思うけどなあ。すごい才能の持主だったと思います。 よく比べられる石原、大江、開高は実際誰が一番才能あるの? 大江には思想があるが開高にはレトリックしかないというのが
開高の死に際してとある文芸編集者が漏らした言葉です。
まあ、この場合の“思想”とは実存主義や構造主義といった括りで把握されるものであり、
文芸業界の認識はこの程度のものだったということです。
小説なのだから言語表現の可能性や情報性が重要だと思いますけどね。
もっとも、開高の場合は言語表現の極北を追及したために小説を構成する文章自体が自壊の方向に進んだわけです。
実は大江も似たようなものなのですが、神話や家族に逃げ込むことによってかろうじて活路を見出した。
大江がデビュー時に提示していた“家族”“共同体”というテーマが大江をピンチから救ったわけです。
問題設定の勝利だともいえます。
ただ、開高の挑戦の方がはるかに野心的だったと思うんですけどね。 20代の若造なんですがオーパって発売当時はかなり売れてたんですか?開高健をリアルタイムで知らないから生前の氏の世間的評価がどんなだったのか知りたい。 最近質問多いね新規ファン増えたのかなそれはそれで歓迎だチョ 最後の10年はサントリーと集英社に食べさせてもらっていたようなもので、
ゴールデンタイム枠を2時間買い取って釣り紀行を放映したりしていましたね。
町の小さな本屋にも平置きされていたのをよく見かけたから
やはり相当うれたんでしょう。
というか、開高・大江時代やべ平連時代を知らないPLAY BOYの読者なんかにとっては
恰幅の良い博識な釣りのおじさんぐらいの認識でしょう。 もう一度オーパやエッセイ辺りを売り出せば意外と今の若者の食い付きもよさそうな気はする。時代背景は古く映ってしまうだろうが オーパって開高の作品というより
開高を使った企画ものと考えたほうがいいね。 オーパシリーズは高橋さんの写真の功績が大きいと思う。 高橋昇カメラマンって亡くなってるんだな。開高健の周りの方って亡くなるの早い方多いね。 >>190
気のせいか食道癌率が高いように見えるんだなぁ。
酒と煙草と食べ物が悪かった時代なのか。 小説家は「不健康」そのものの生活を送っていますしね。 憶測だがとれてないと思う晩年はもう文が枯れてたし出版社に食わせてもらってる感が強かった。本人は良くも悪くも巨匠気取ってたけど >晩年は〜
は賞にはあまり関係ないと思うが、
井上靖も取れなかったの考えると難しかったようには思う。 そもそも開高ってそこまで凄い人物ではないだろ?個人的には好きだが ベトナム絡みで米国ではそれなりに名前が売れていたようですが。
ノーベル賞というのは文学的功績というよりは文学者としての振る舞いが評価の対象になるので
本人もあわよくば…という気持ちがあったのかもしれない。
でもまあ、ベトナム戦記のゲリラ処刑シーンには違和感しか感じなかった 「第三の新人」について語り合いたい。
阿川弘之
遠藤周作
小沼丹
近藤啓太郎
小島信夫
島尾敏雄
庄野潤三
曽野綾子
三浦朱門
安岡章太郎
吉行淳之介
一応、上に一般的に「第三の新人」と呼ばれる作家を挙げた。
阿川弘之、島尾敏雄は「第三の新人」に含まないかもしれない。
しかし、誰の話だっていい。皆で語り合おう。 >>200
本気で間違えた
今からこれでスレ立てしようと思ってたのに
すみませんでした >>202
ああ、おまえね、
おまえ頭も性格もわるいし、ワキガがなあ。 二十代の若造です最近開高健読み漁りましたがこの先生ってエッセイ、短編は面白いが長編は大したことなくない?やっぱりあのキャラクターで人気あったんですか? 読みあさった長編がどのあたりの時期のものか
それで答えはかなり変わる そんなに膨大にあるわけじゃなし、読み漁ったというくらいなら
長編はぜんぶ読んでるでしょう。
というか、本格的な長編なんて書いてないじゃない。 ん?若者に難癖つけようとしてると思われたのかな、そんなつもりじゃなかったんだけど
初期とベトナム以降でかなり作風が違うわけだし、
どちらかに集中して読みあさったのか、それとも既に両方とも読破済みなのか
単に聞きたかっただけだよ
ついでながら自分の場合はテレビや広告のタレント的開高はさほど好きじゃ無い
でも作品としてのオーパなどの釣紀行は好きだ ベトナム前の長篇では「日本三文オペラ」が到達点で
ベトナム後では「輝ける闇」「夏の闇」「花終わる闇」「破れた繭 耳の物語1」「 夜と陽炎 耳の物語2 」
などがありますが、作者の分身ともいえる主人公はほぼ廃人同然です。
文章も小説的構築が困難な瓦解寸前のあり様で
レトリックでつなぎ合わせてかろうじて面目を保っています。
レトリックの鮮やかさと文章からにじみ出る狂気にたいして芸術的評価がなされるのかもしれませんが
小説としてあれは良いのだろうか?というと疑問ですね。
まさに精神の廃墟なんですよベトナム帰還後の長篇は。
短篇やエッセイでは技術で乗り切っているんですが。 いわゆる文学物は、「玉、砕ける」しか読んでないなあ・・・
あとはエッセイとか紀行文ばっかり読んでる。 >いわゆる文学物
小説といいたいんでしょうか・・笑 耳の物語は二度ほど読んだがさっぱりだった。やっぱり開高健というブランド名で受賞されたようなものかね? 筒井康隆が幾度ももダイアリーでリアルタイムで嘆いていたな
残像に口紅をを書いていた頃だから
そら出版社が耳の物語にそんなキャッチコピー付ければ
これで実験小説かと首をひねるわ
単なる私小説としてはまあ・・・過去の焼き直しだろうな 伝統的私小説や心理主義からの飛躍を目指すと啖呵を切ったのに
最後に書き上げた長篇が“私”抜きの私小説。
また、ベトナム帰還後に書き上げた闇三部作も嘔吐やその後のフランス小説なみの
心理小説に過ぎなかった。
何をどう描くかが重要なのであって作者が海外に雄飛するだけならルポルタージュと変わらない。
何故、こうなったのかというと小説に詩的要素を求めすぎたから。
短篇ならそれでもうまくいく。
しかし、長篇では構成が壊れる。 いよいよ12月9日(月)開高健悠々会発足!!
芥川賞の受賞作「裸の王様」や釣りの醍醐味を伝えた「オーパ」、
食と酒に関するエッセイなど
開高健の人と文学にふれる日。
日時:2013年12月9日(月)
発会式(11時30分〜12時)
記念講演会(12時〜13時)
講演者:玉岡かおるさん
記念パーティ(13時〜)
開催場所:天王寺都ホテル
参加費用:5,000円(記念講演会とパーティへの参加
募集人数:先着100名様まで
お申し込み・お問い合わせ先:開高健悠々会事務局 松本恵美 父がオーパ持っててこの方にはまりつつあるんですけど次は何読めばいいんですか?オススメ教えてください。 オーパではまるか・・・・じゃ、その次は・・・行き止まりです(笑
this is to my regret... オーパの次ならオーパ、オーパ(3冊あり。順番に読むべし)か、もっと遠く、もっと広く(これも順番に読むべし)じゃん。 エッセイだったら『開口閉口』『地球はグラスのふちを回る』『最後の晩餐』あたりですかね。 一気に「ベトナム戦記」(朝日文庫)に戻って
そこからあらためて時間を下ってくる、徐々に頽廃してくる過程を検証する。
これがもっともよろしいナ。
あんちゃん、これやってみてえナ。 ずいぶんと元気なせいこ蟹が居たので三杯つれて帰ることにする。早速茹でて、身を取り出す。
オレンジの内子、少し濃い色の外子、真っ白な身。
こばせの本式は茹で汁で飯を炊くが三杯だけでは薄くて味気ない。
身を出した後の殻を足してもう一度出汁を取る。
その出汁で米を炊き、ほぐした身をのせて蒸らし、完成。
今日はワインの気分。大兄お気に入りシャトー・フイッセのプイイ・フイッセがあるのを思い出し、合わせてみる。
出来上がった開高丼もどきをかき込む。カニの活きが良かったので透明な旨味が口の中に広がる。
ワインは一口、端麗な口当たり、と思ったが、喉を過ぎるとけっこうな旨味が残る。
なかなか良い組み合わせでした。 >220
「最後の晩餐」、良いですね。
腹が減るエッセイだなあ。
>216
「もっと遠く」「もっと広く」は如何でしょうか。 確かシナ風オデンみたいな料理の話が出てくるんだよな
開封だか大連の街でデカイ銅の鍋に白湯が煮えたぎっていてそこへ色々放りこんで煮たのを喰うって話
喰った皿数で勘定するとか そこでの会話とか そんなこと開高へ話してくれた老作家が文化大革命で粛清されたとかだったかな
アヘンの話もでてきたような気もする エッセイ集 最後の晩餐より
いよいよ明日は出発という日になって何を思ったのか老舎は、突然、料理の話をはじめた。
重慶か、成都か、どこかそのあたりの古い町に、何でも、部屋一つぐらいもある巨大な鉄の鍋をすてつけた家があり、
この百年か二百年、一日として火を絶やしたことがない。
野菜だの、肉だの、豚の足だの手あたり次第にほりこんで、グラグラと煮る。
百年、二百年そうやって煮つづけてきたのだ。客はそのまわりに群がって、茶碗にすくって食べ、料金は皿の数で頂く。
その釜はどんな色をしているか、汁はどうなっているか。何をほりこむか。
いつ、ほりこむか。野菜は。肉は。どんな客が、どんなぐあいにたったり、すわったりするか。
何杯くらい食べるか。何の話をしながら食べるか。そういうことを老舎は微に入り細にわたり、およそ三時間近く、ただその話だけをした。 >>225
いま、ビデオでみてるが、ダンカンの開高すばらしい。
開高の俗な部分を拡大して見せてる。 開高さんそんなに好きではないがなんだかんだ食のエッセイ書かせたら未だにこの方超える人でてこないね >>228
まあ、一つの究極の芸だから誰もあれを「超える」ことはできないんじゃないの。 仕方ないことだけど生前は知名度共にかなり高かったのに死後はそれほど扱いが良くないですよね。 >玉砕ける最高
そういえばおれもこれの影響で老舎「駱駝祥子」一冊だけ読んだな
文春文庫版「ロマネコンティ1935年」収録作品はどれも傑作だよね
個人的には傑作とは言わぬが佳品「黄昏の力」が
なんともいえぬハードボイルド小説で好き
洋酒天国あたりにのせる類だな 自分の勝手な思い込みかもしれんがシマヂさんって今東光やシバレンほど開高健を認めてない気がする まあ、あいまいな尺度だけど人物としての大きさ、風格といったはかりに乗せると
今東光やシバレンにはかなわないんだろうな。
文学者として開高が上でもしまじいの視点はちょっとちがうだろうから。 ずばり東京 朝日新聞社(1964年) のち文春文庫、光文社文庫 壽屋コピーライター 開高 健 [単行本(ソフトカバー)]
坪松博之 (著)
出版社: たる出版 (2014/4/29) 明日発売のkotoba秋号(集英社) が開高健特集 、佐伯彰一は「アパッチ族の野性的な活力への憧れと、現代日本の風刺的な寓意画を描こうという意図とが、
ついに最後まで融け合わなかったのではないか」(「文芸時評」一九五九・六・二二「週刊読書人」)といい、平野謙
は「最後の場面まで読み終った私の印象は、意外にすっきりしないものだった。(略)マス・集団を動かす恨源の力
を、ここで作者はみきわめようとしているのか。それとも、アナーキーな集団の力の限界をさししめそうとしているの
か」(「文芸時評」一九五九・六・二五「毎日新聞」)と、戸惑いを見せている。
単行本刊行後には、津田孝が「前半の部分では、ひじようにエネルギッシュなイメージをフクスケたちの集団にあ
たえている。(略)だが、せっかくのこの前進は、『日本三文オペラ』のかぎりでは、とちゅうで腰くだけになってい
る」(「開高健『日本三文オペラ』のどろぼうたち
http://repo.lib.ryukoku.ac.jp/jspui/bitstream/10519/797/1/kb-rs_054_006.pdf モームの言葉としてこんな自己主張をしている。
「働いているあいだは自分を忘れることができるので、労働は賛美されるのである。
愚かな人間は何も仕事がないと退屈する。
労働は、大多数にとっては、アンニュイ(倦怠)から逃れる唯一の道だ。
で、だからといってそれを神聖と呼ぶのは笑止千万。
怠惰でいるためには、多くの才能と豊かな教養が必要である。
あるいは特別製の頭がいるのだ 私個人のことからいくと、三十代はずっとベトナム戦争、それからビアフラの戦争、中近東の紛争、いろんなのを追っかけまわっていたんだけれども、くたびれてしまった。
戦場を行くんだけれども、書く文句はアフリカ、中近東、東南アジアと様相は違うんだけれども、
戦争の現場のことを書くとボキャブラリーが決まってしまう。同じボキャブラリーの言葉の繰り返しにすぎない。
で、もうすっかりいやになっちゃって、 勝手にしやがれって気になったんですね。 それで釣師になったわけです。
しかし、釣りの現場に立つという、現場主義という基本的なところでは変わっていないと思う。
戦争が河に変わっただけのことじゃないか、戦場が水に変わっただけのことじゃないかっていう気もしますね。
自然の森やら河やらの中に入っていって、いろんなものが見えてくるのは、三十五歳以後ぐらいじゃないのかしら。
一応いろんなことやっちゃって、人生に限界がもうそろそろ見えてくる。
あとは死ぬのを待つばかり、同じことの繰り返しだというふうな印象におそわれてくる。
そういうときになって森に入っていくと、今まで見えなかったものがどんどん見えてくる >>242
河は眠らない、のビデオか。あのダミ声が頭の中に響いてくる……
と思ったらフォトエッセイ集なんてのが出てるのか。 オーパ以降、紀行文、エッセイ、短編以外は酷いというか、
過去の上書き、テクニックでカバーしてたもんな。
明らかに衰えを感じた。年をとったとはいえ悲しかった