開高健
大阪市立大学創立130周年記念「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」
大阪市立大学は、創立130周年記念行事の一環として、同窓会連絡会、学友会などと共に平成23年2月11日(金)〜20日(日)の10日間
「生誕80年 大阪が生んだ開高健展」を大阪、難波「なんばパークス」で開催します。
http://tokyo.ocu-yukokai.com/article.php/kaikoken
http://tokyo.ocu-yukokai.com/images/library/File/0496_001.pdf >>273 そんな貴方こそプロでしょう。
多分に広告業界の。 久々に「夜と陽炎 耳の物語2」を読んでいる。
この位が引用も鼻につかず丁度良い。
アダージョのくだりは、ここでしか出てこないと思うが好きなエピソード。 開高のエッセイは好きなんだが…
コッテリした饒舌なレトリックやネタのしつこさ
に辟易したりもする。
モノ知りなのはもう分かったからさ、とね。
お腹一杯だよ、と。
で、時間が経つとまた読みたくなったりする。
これのループだな、俺は。
小説はなあ…書けないことを書く作家に
なっちゃったというか、
晩年はエッセイストでしょ、実質的には。
苦しい作家生活だったんじゃないかね。
カネは稼いでただろうけど、
小説を書くのが小説家なんだから。 誰だったか…作家か評論家が書いたエッセイを
読んでたら、三島由紀夫の自宅に野坂昭如や
安岡章太郎、開高健がパーティに呼ばれた
エピソードが出てきた。
開高が、「小説の書き方を教えてください」と
正座して、三島に頭を下げたらしい。
野坂や安岡は…白けたらしいな。パーティなんだからな。
三島は親切に部屋の隅に開高を読んで話し込んで
たそうだ。開高は話し終えて満面の笑みで
戻ってきたらしい。
開高は同じ事を、武田泰淳にも井伏鱒二にもしてる。
小説が書けない、どうしたら書けるか、と。
それがベトナムに行く前の話しだ。
もう恥も外聞も無かったんだろう。 今日は雨で体調も悪く、病院の待合室や家のベットで開高を読み耽っていたが、こんな日にこの人のエッセイを読むと、つかの間、どこかの町、どこかの河原に連れ出してくれるようで、しばし憂鬱をうっちゃることが出来る。
この人は小説よりもエッセイに真髄があると思える。 初期作の巨人と玩具を読み返したけど、作家のサラリーマン経験がまだ稚拙な筆致でみっちりと書き込まれている。
稚拙ではあるけれどスレておらず、使い回しもなく、ひと目では開高作品とは分からない。
必死のエネルギーがあったんだな、この頃は。 ここに来ている人で釣り師はいるのかな?
「釣れるまでは日々諸々の事が頭の中でグツグツ渦巻いているが、かかった瞬間に消えて無くなる」という趣旨の事がどこかに書かれていて「円は閉じた」という言葉に置き換えているが、自分は名言だと思った。 確かに、開高の旅のエッセイは憂鬱な時間をうっちゃる手助けとなる。
束の間、読む者を引き込んでくれる。
それは開高自身が新鮮に驚いたことを書き綴っているからではないか。
読む者を見知らぬ地、その現場に連れて行ってくれるからではないか。 10年ぶりに開高の釣りに関わる本を端から順番に読み返している。
10年の歳月は私を変え、今また読み返すと違ったものが見えてきて、また束の間、世間を忘れさせてくれる。 輝ける闇からオーパまでは脂が乗って小説もエッセイも抜群に面白い。 明日世界が終わるとしても‥の元ネタを先に使った寺山の事を最期まで泥棒呼ばわりして憎んでたんだっけ。 「あいかわらずの一人旅です。いまポーランドにいます。昨日はアウシュヴィッツに行ってきました。
15年たちますが400万人も殺したものですから野原の上にはいまだに人骨の細片が貝ガラのように散らばっていて凄惨です。言葉を失いました。・・・」
この文章は、芥川賞を受賞後の開高健が日本文学代表団の一員として初めての海外旅行となる、中国を皮切りとしたヨーロッパ数か国の滞在中、
ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所にも足を運び、文芸評論家の中村光夫に宛てた絵葉書の一部分である。
現在も博物館として管理・公開されているアウシュビッツ強制収容所には絵葉書が売られており、
その当時(1960年)、開高健も第一収容所を写した絵葉書を利用して中村へ書き送ったようである。
http://andthings.exblog.jp/20380846/ オーパの取材旅行時に同行スタッフが持ってきた、とある作家の本をビリビリに引き裂いて「こんなのは文学じゃない」と激昂したというエピソードを目にした。
その本は五○寛○と推測したが。 くだらない話だ。
さらに悪いことには事実ではないってこと。 もし開高健氏が長生きしていたら世の中もうちょっと楽しくなってた 「一言半句の戦場」
今頃になって、やっと読みました。
よくもまあこれだけ沢山の未収録作品を、集めたものだね。 ニワカなんですが、カイコウタケシ、カイコウケン、
日常会話で開高氏の名前を言うときどっちを言えばいいんですか?
どちらも正解らしいんですが。。。
ちなみに小説を読むまではケンだと思ってました。 『夏の闇』のモデルの女の人
交通事故で他の男と一緒に死んだんだな
開高は遺体を引き取って骨を拾ったんだってな また評伝が出たね。サントリーの中の人の。
またか、と思いながらも読んでしまった。
牧羊子を好意的に書いてる評伝は初めてかな。
家族としてのつきあいとビジネスのそれの違いだろうか。 開高健ーー生きた、書いた、ぶつかった! 小玉武
著者は元サントリー宣伝部で山口瞳の部下、開高とは最期までつきあいのあった人。
開高と牧の家庭が円満であった。
開高の仕事上の色々なエポックに牧羊子人脈が大きな役割を果たした。
という話が色々出てくる。 「裸の王様」を読んでみたけど
太郎の精神的引きこもりなキャラといい家庭環境といい、
それを子供らしい絵が描けるように変えてやろうっていう主人公の考え方とか
あまりにもステレオタイプすぎる気したわ
これは当時では優れた作品だったんだろうけど
残念ながらもう60年前の小説だと思った 佐治敬三と開高健 最強のふたり〈上〉 (講談社+α文庫) 文庫 – 2017/10/20
北 康利 (著)
ひとりは勝算なき「ビール事業」に挑み、もう一人はベトナム戦争の最前線に身を投じる。生産量世界一のウイスキーをつくった
サントリー佐治と無頼派作家開高の不思議な友情がかなえた、巨大な夢。 >>310
芥川賞をとった作品が代表作とは限らない。
ヴェトナム三部作を読んで判断してほしい。 高関税の輸入洋酒とのハンデ戦で大勝ちした企業がカネに糸目をつけずに作ったバブル期の見本のような番組... >>312
>ヴェトナム三部作を読んで判断してほしい。
ヴェトナムではなく闇三部作だろう
「輝ける闇」はともかく「夏の闇」と「花終わる闇」で書かれた事は
廃人の日常であり、そのあり様は「裸の王様」とそれほど変わらない
「裸の王様」は釣りの場面が鮮やかで
あの作品はあの部分だけでも読む価値がある
闇三部作にはそういうものは無いからね
遺作の「珠玉」の方がまだマシ ベトナムものに関してはベトナム戦記、輝ける闇、夏の闇、サイゴンの十字架が読んで面白かった
花終る闇は作者の衰えを感じた この人はフィクショナルなストーリーが全く出てこなかったらしいな
大江健三郎とかそういうのは無限に出てきたとか言ってたけど
私小説家タイプなのかな >>316
>大江健三郎とかそういうのは無限に出てきたとか言ってたけど
>私小説家タイプなのかな
大江健三郎の作品群の特徴として
ある閉じた環境が設定される
そこに外部からの亀裂が生じることによって自意識が芽生えるが
この修復によって絶望だけが残る
このパターンの繰り返しに過ぎないとしている
開高自身は日本文学特有の自意識との格闘ではなく
遠心力をともなう外部への移動を目指すのだ、と言っていたが
実際は開高健という自意識の塊が世界中をさまよっているだけ
「輝ける闇」を読んだ三島由紀夫は
舞台設定がベトナムの戦場であるだけで
記述者の意識は書斎にいるのと変わらないじゃないか、と怒っている >>320
>としている
ってのは誰がしてるのか
>絶望だけが残る
っていう一般化だけでも例外が山ほど出てくる
っていうかそういうのは初期のにちょっとあっただけのように思う
「輝ける闇」への三島の感想で俺が知ってるのは
「これをフィクションでかけたらすごいと思う」
という感じのもので、読む方としてはどっちでもいいと思った >>321
>としている ってのは誰がしてるのか
開高による大江作品評ですね
これで開高と大江との仲が修復不可能なまでに悪化した
簡単に言うとああいうワンパターンの作品や
自意識を弄ぶだけの私小説は書かない
と開高は考えていたようだ >>322
あれーそんな仲なの
大江の方はまあ死んじゃってるのもあるだろうけど
良いことしか書いてなかったけどまあ数行レベルだけど
それと大江のは私小説じゃないな
そう言う日本の伝統を利用した
フィクションだな >>314
>「輝ける闇」はともかく「夏の闇」と「花終わる闇」で書かれた事は
Kindleで出されている「開高健」によれば「花終る闇」であり、「花終わる闇」という送り仮名をしている段階で読み間違えているらしいよ。 鉄道自殺した娘の開高道子について調べているが、情報が少な過ぎる。 もともと親の七光りだけで、二三冊書いたエッセーもほとんど刷られなかった。
阿川佐和子になれなかった人。 阿川佐和子は顔も体も鶏ガラ・ミーハーw
阿川は親爺の保守人脈に助けられたんだろ。
概して左翼はコネ使いを潔しとしない。 >>325
鬱気味だったと佐伯彰一あたりが書いていたような記憶がある
当時のFRAIDAYあたりにも記事がある 出版社って人気作家が亡くなると、とりあえず嫁か娘にエッセイ書かせるね 中国のことわざにこんな言葉があります。
•一日幸福でいたかったら、床屋に行きなさい
•一週間幸福でいたかったら、結婚しなさい
•一ヶ月幸福でいたかったら、良い馬を買いなさい
•一年幸福でいたかったら、新しい家を建てなさい
•一生幸福でいたかったら、釣りを覚えなさい >>320
そんなこと三島は書いていたのか。さすがに鋭いな。 ★ お楽しみタイム
2020年東京オリンピックの泣ける歌
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス
(新宿、渋谷、上野、浅草、下北沢、池袋、銀座、原宿)
↑
以上8ヶ所の東京都内の地名が、歌の歌詞に登場します 開高健が釣りについて書くとすると、頭のてっぺんから足の爪先まで、体中のボキャブラリーをまさぐりあて、それをやや衒学的に惜しげもなくふりまいて読者を魅了するのだが、陳氏の行文はそれとは真逆に
、どこからどこまでさりげなく、凡そ特徴といったものが目につかない。それだけに引用される中国の原文の読みくだし文がキラキラ輝き、まるで読者は魔法にかかったようにその魅力に捉えられる。たいした作文術である。 30代のエッセイを読むと、当時の中国を手放しで(ソ連以上に)褒めていて、
まあ騙した方が一枚上手で騙された方はおろかだったかもしれないが罪はないとは思うのだが、
この辺をきちんと文章として反省するべきだったなと感じるのはまあその先を知っているからなんだろうかね。
家庭的な事情でも理想を打ち砕かれて、美食だの釣りだのに逃げなくてはいけなかったのかなとも思うが、
そうなると「酒が開高を殺したんです!」という牧夫人の言葉がすごい皮肉に思われる 文章は形容詞から腐る」と言ったのは開高健です。形容詞は修飾語ですから
、使い過ぎると文章をイヤミな感じにさせてしまう。つまり文章は飾りすぎるな、ということです。 比喩も注意すべきです キョンがやたら増えてるという話を見て、先生のエッセイで「繁殖力が非常に弱い」と書いてあったのにと読み返したら、
先生、キョンとマメジカの区別が付いていなかっただけでした。 「どれもこれも低調で、ほとんど“作品”になっていない。スケッチ、デッサン、創作メモ、作文といったようなものばかりである。」「私は変らない。いつもおなじである。
新人の作品には鮮烈の一言半句を求めるだけである。それさえ見つかれば、修辞、構成、何であれ、いくら幼稚で拙劣であってもかまわないと思っている。」
https://prizesworld.com/akutagawa/sengun/sengun79KT.htm >>347
「輝ける闇」なんかはちょっと過剰に感じたけどなぁ スタインベックの「朝飯」は、開高健も絶賛している。
「…作者がほんとに書きたくて書いたことがすみずみまで
わかる、句読点の一つ一つにまで爽やかな息づかいの
こもっていることがよくわかる、ある一瞬についての記述
である。野外のひきしまった早朝の空気のなかでジュウジュウ
とはぜるベーコンの音がそのまま聞えてきそうなのである。
ただそれだけのことなのである。けれど、こういう絶品を
読むと、文学はこれでいいのだと思わせられてしまう」
(『白いページ』) その場合は「カイコウ」ではなく「カイタカ」だろうね 最後の晩餐の内蔵がらみの奴で、日本では豚の内臓食は戦後までなかったと書いてるのは、
ルーツが関西にあるんだなと改めて感じさせられた
(関西ではそういうのは長いこと被差別民の食べ物だった) 開高健「背骨がないということ」「シロかクロかの議論だけしかできなくなるニッポン人の全体主義者風の心根」
「その心性が明も生みだし、暗も生みだすのだが、今後もずっと肥大しつづけることであろう」。開高がこう書いたのは1984年のことでした センセイの末期エッセイで飲んだ酒に「アイレーモルトのグレンガリオッホ」なるものがあるけどなんだろう。
ゲール語知らない人がグレンギリーをこう読むことがあるけど、センセイは博覧強記の人で酒の読み方間違うわけもないし、
そもそもグレンギリーはアイラ(アイレイ)モルトではないし。 小松左京に
「果てしなき流れの果に」って何やこのタイトルは?あん?
とネチネチ絡んだ人だよね シマジ先生のバーは、新宿伊勢丹から西麻布に移ったんだね。 >>354
> その場合は「カイコウ」ではなく「カイタカ」だろうね
「ボボダカ」って話もあったなw 書店でほとんど先生の書籍を見ない。
太宰治のは多数あるが、
開高健先生のは、何も無い時もある。
寂しい。 文体はあったが、物語を持っていなかった作家
だから大して小説は書いていない >>366
> 文体はあったが、物語を持っていなかった作家
> だから大して小説は書いていない
なるほどね 日本の純文学界隈は物語のない作家ばかりだよ
書けなかったのは物語(あるいはイデオロギー的図式)を拒否して
自己の感性を重視したからだろう
自己の感覚に根差した文章だけが
鋭く研ぎ澄まされたのもそんなところだとおもう
しかしそういうのは詩や随筆でやるべきことだ
基本的にこの人は他人を冷たく突き放して観察者に徹しているから
感情と心理を持った人間的諸個人の衝突や絡み合いを描くのは不得意で
それゆえに展開力も乏しい
ベトナムに行ってベトコン少年の処刑シーンを目撃しても
アウシュビッツに行って犠牲者の骨のかけらを見ても
基本的に他人事なのね そこへいくと、この世代では高橋和巳は立派だ
39歳で亡くならず、70歳まで生きていたら、どれだけ膨大で骨太な小説群を残したことか
『邪宗門』のような傑作を読むと、つくづく惜しい作家を我々は早くに失ったと悟る むかし筒井康隆がエッセイに書いていた、井伏鱒二に絡む開高は
動画で残ってるね