開高健
>最前線に出た際、反政府ゲリラの機銃掃射に遭うも生還。総勢200名のうち生き残ったのは17名であった
これだけ読んだらすごい修羅場をくぐったんだなとか、ものすごい強運だなと思ったりするけど
実は戦場慣れてる他の人は一目散にちりじりに逃走しただけなんだよな。そんなことは当たり前。
開高は単に平和ボケしてるだけのどんくささを武勇伝のように語ってる 開高健のいいのは、もちろん技巧が確かなことは言うまでもないが、徹頭徹尾真面目なところだ。
真面目ばっかりで陰気になってしまうのだったら、読むのが嫌になるが、遊びもあるのが楽しい。その意味では三島と並べたくなるような作家だ。
ネットで拾った名もない人のエッセイが良かった。
https://gamp.ameblo.jp/ju87gkanonenvogel/entry-12488998484.html 「けん.....?」って思ったけどそうか「たけし」とも読める 確か国鉄からJRに変わる日の0:00跨ぎの生放送特番のゲストで「みんな僕の事かいこうけんかいこうけん言うんですけど、本当はかいこうたけしなんですよぉ。もうかいこうけんでも良いんですけどね。」みたいな事言ってたの聞いて初めて知った気がする 「かいこうけん」だと「意見書こう」のアナグラムみたいでなんかイヤじゃんって思ったけど「かいこうたけし」でも「書こう!消したい!」でキチガイみたいになる
でもどちらの要素も持ってた作家という気がするw △うたえよケン!
さけべよケン!
太陽にとどくまで
およげよケン!
ジャンプだケン!
はしれ 狼少年ケン△ あら、僕ちゃん それはシワじゃないのよ。
の意味が分からなくてずっと考えています。
どういう状況でどこの事でしょうか? イージーな事ばかりしていたら男は腐敗する
って出典どこ? 戦地から必死に逃げ出そうとする人、
必要もないのに戦地でぶらぶらしている
日本人、ようわからん ■『知らないほうが……幸せかもしれない コロナワクチンの恐ろしさ』(ウィスコンシン医科大学名誉教授著)
ノーベル賞受賞者モンタニエ博士が警告!
「希望はない。ワクチンを打った人に対する治療法はない。ワクチン接種者は全員2年以内に死亡する。我々にできるのは大量の死者に備えて火葬場の準備をしておくことくらいだ」――これでもあなたはワクチン打ちますか!? 「六つの短編小説」など好きだが、拾いきれていないいろんなメタファーがあるような気がして自分ではまだ読みきれた感じがしない。
作品に則した批評、特に当時の文革と老舎、人民の動きなどから批評した文章がありそう。詳しい人、教えてください。 アメリカの傑作漫画の一つに、精神病院に入れられて、狭搾衣を着せられて、オリにすがって喚き叫んでいるという一コマ漫画があった。
なぜその男が精神病院に入れられてオリの中で叫んでいるのか、そいつの叫び声を読むと、「オレは女のすべてがわかったぞ!」というんだ。 >>1
なんとなく開高健のスレあるかなと思ったらあった
大阪市立大学も維新が潰すけど >>447
ノーベル賞受賞後は、しばしば非科学的な理論や根拠のない発言が問題視され、学会での権威を失った[ >>200
今となっては全然読まれて無いですね
死んじゃったかネトウヨみたいになった人もいる
開高健が今でもまーまー読まれてるのはウヨってなかったからな 開高健さん、酷い双極病の持ち主
奥さんが牧羊子といって癇癪持ち
こんな糞と関わりたくないからある時期、海外出張を積極的に入れます
さっさとこんな悪妻、離別すべきでした
この悪妻が娘さんすら鉄道自殺に追い込みました
女の馬鹿は死ねよ、ピエロでもしてキエロ
旦那と娘を追い込んで自分は孤独死という大笑い
諸君もクダラン♀に喰われないようにしろよ >>461
その逆だ、牧羊子の方が3年年上です
だからアタマが上がらない
おれだったらDVな半殺しにします >>460
双極性障害=双極病
5字も描きませんw
この病で苦しんでる人の多くが「自律神経」が上手く働いてないわ PGしてると分かるやりょ?
三字で済むことを五字でするロス時間がウザイ、という結論です。 「風に訊け」だったかな、週刊プレイボーイで連載されたやつ
ああいう軽いのがいい
ただ、このシリーズでは今東光のほうが圧倒的に面白い 開高健が「徹子の部屋」に出たとき。細かい事情は忘れたが開高の親しい人間が
亡くなったか忘れたが。不運なことが身辺であったことが話されて黒柳が
「そのときはどういうお気持ちで・・・」と訊いたとき、「“そういうときに
どういうお気持ちで”と訊くとはインタビュアーとして2流ですね」たしか
そういうことを言っていた。斜め下ににらみながら。さも自分は1流を知っていると
言わんばかりに。相当嫌味だなとそのとき思った。性格悪すぎる。
そのときのさも「自分はモノをわかっている」といいたげな見下す視線が
いやったらしい。その前からこの作家に注目していたが。彼は1970年頃に
高橋和巳や小田実らと『人間として』という季刊誌を筑摩書房から発行して
同人になっていた、が、途中でwikipediaによると「ベ平連内の反米左派勢力に
強く反発し脱退、過激化する左派とは距離を置くようになる。」とかで
脱退している。小田とかが反米左翼というwikipediaの括りもおかしいし、
“市民の連帯”を狙ったからこそベトナム行きの脱走兵を援助したはずだし、
『人間として』から脱退したあとは旅行記とグルメ紀行の専門家になる。
あと『週刊プレイボーイ』で読者の人生相談もしていたようだが。
それはまだどうでもいいが、その後1973年『群像』でかつての仲間である
小田と対談して「この男は心にもないことを大きな言葉でいう癖がある」等等
完全な中傷を始めている。非常に読んでいて見苦しい感じがした。
あそこではあんなこと言われて苦笑しながら対談続けている小田が大人にみえた。
別に小田実が全部正しいというわけでは毛頭ないが、あそこまでの中傷される
いわれはない。じゃその小田たちとかつてはつるんで、途中脱退したあとは
いわれのない悪口を言い出す自分はなんだということ。全然一貫性がない。
旨いモノ食べて旅行してブクブク肥え太り、今度は昔の左翼仲間を中傷。
「徹子の部屋」では自己の1流を誇示。かなり見苦しいと思っていた。 >>470
作家なんて人間の情念を扱っているんだから、
近くに行けば行くほど、知れば知るほど嫌な奴に違いない。
テレビでそういう嫌な面をさらけ出したんだったら、
いつもの退屈な「徹子の部屋」じゃなくて面白そうだな。
見てみたい。
・・・・・・
かつてカザルスの友人であった名ピアニストが来日した時に
「(カザルスが)亡くなったはどういう気持ちでしたか」と質問した記者がいた。
とたんにピアニストは不機嫌になり、
「どうしてあなたは私の傷口を触ろうとするのですか?」
といって睨み返していた。 >>473
驚いたよ。プールで何キロ泳いだとか自慢してたから
でも濃厚な人生で悔いは無かったんじゃないかな 〇1976年刊行時の推薦の言葉より(一部抜粋)
開高 健(作家)
故郷へ帰った探検家はときには大法螺吹きの山師、ときには不屈の英雄として遇されたが、眠りこんだ古い、小さな共同体に鮮烈と不安をあたえて、震わせた。一人のあとには二人、二人のあとには三人がその足跡をなぞって出かけていき、不安は常識に変った。
今西錦司(生態学者)
文明に飼いならされ、文明によって自然は、もはやこの世界から姿を消してしまったかのように思っている現代の青年が、このシリーズを読んで活眼をひらくことを期待したい。自然は、諸君が考えているよりもはるかに宏大であり、悠遠であり、はかりしれぬ力を秘めているのである。 この人って釣りに関するフィクションって書いてる?
もともと戦争文学としての開高健は知ってたけど、最近自分も釣りを始めて釣り人としての開高健に興味を持つようになった。 開高健はルアーフィッシングに拘ってるところがいいね。
俺もエサ釣りはあんまり好かない。疑似餌で魚との知恵比べに勝ってこそ価値がある。 最近釣りを始めたので
しばらくこの人の書いたものを読んでいこうと思うのであった 昔読んだ記憶があるのですが、もう一度読みたいと思っても、どの本に書いてあったのか、何か週刊誌のエッセイだったのか思い出せないんです。
内容としては、開高健さんがどこかの戦場に行って、釣竿を持って散歩していると、現地の人々が次々と「釣をするなら、あそこがいいぞ」と教えてくれる、というものでした。
釣りというものは、戦場であろうと人の心を開放してくれるものなのだと、そのエピソードから感じました。
戦場で釣り竿を持っている東洋人なんて、現地の人々からすれば奇異な光景だったでしょう。しかし、そんな開高健さんに悪意を感じる人はいないだろう、むしろ親しみを感じていたのではないだろうか、と想像しました。
このエッセイがどこにあったのか、もしご存知の方がいらっしゃれば教えていただけますでしょうか。 【ふくろう通信10】牧羊子と「ダンス・
ダンス・ダンス」
池内書房
2024年5月3日
村上春樹の長編「ダンス・ダンス・ダンス」(1988年)に、牧村拓(まき
むら・ひらく)というキャラクターが登場する。主人公「僕」が北海道で出
会った美少女ユキの父親でお金持ちの流行作家という役柄なのだが、その人
物描写が(少なくとも村上の目に映った)開高健そのものなのだ。
<それほど背は高くないが、がっしりした体格のせいで実際よりは大男に
見えた。><首はいささか太すぎた。もう少し首が細かったらスポーツマ
ン・タイプに見えなくはなかったのだろうが、顎に直結するようなそのもっ
たりとした太さと耳の下の宿命的な肉の弛みは長い年月にわたる不摂生を表
していた。><僕が昔写真で見た牧村拓はほっそりとして、鋭い目をした青
年だった。とくにハンサムなわけではなかったが、何かしら人目を引くもの
があった。いかにも前途有望な新進作家という風貌だった>
牧村は辻堂に住んでいる(開高は茅ヶ崎)。若い頃に書いた小説は文章も
視点も新鮮だったが突然まともなものが書けなくなり、冒険作家というふれ
こみで世界の秘境をめぐるようになった。「ダンス・ダンス・ダンス」発売
当時の読者は、「裸の王様」で芥川賞を取り、釣り紀行「オーパ!」シリー
ズで世界を回った開高のことをただちに思い浮かべただろう。