正木は突飛な言動をする人ですが、それほど悪い人では無いと思いますよ。
むしろ呉家の人を「保護」しようとしていたと考えられるふしがある。

思い出してください「卒業式すっぽかし事件」を。あれは何だったのでしょうか。

明治四十年十二月、正木は卒業式を目前にして突如姿をくらまします。
この前の月、十一月に一郎が誕生しています。
正木、千世子、一郎の親子三人は東京に向け、慌ただしく福岡を旅立ったのです。
今と違って飛行機も新幹線も無い時代ですから乳飲み子を抱えての長旅は大変だった
ろうと想像できるのですが、なぜそうまでしなければならなかったのか。

これは逃避行と考えていいと思います、何から逃れようとしていたのでしょうか。
誰の目から親子を隠そうとしていたのでありましょうか。