志賀直哉が「小説の神様」って。。。
そこまでの才能がある人なんですか?
「神様」なんて鴎外漱石よりも凄いのかな 今月奈良旅行するのだが、
ならまちの中に旧志賀直哉邸があるんだよな。
おまえら志賀の大ファンらしいので、行ったことあるんだろ?
行く価値あるかのか? 「雨蛙」も傑作だと思う。「暗夜行路」後編との関連が面白い。
太宰治は批判してたけど、あのラストは太宰じゃ書けない。太宰が書いたら、主人公の夫婦は心中したろうな。 志賀はよってたつ日本語をないがしろにし「たとえばフランス語」でも(!)
国語に採用したらどうかと提案した軽薄非愛国者です。いくらりっぱな
作品を残したとしてもこの一点のみで語る資格のない俗物です。 >>184
同じ文に「今の国語を完全なものに造りかえる事が出来ればそれに越した事はないが、」とも書いている。
この文を書いたのが昭和二十一年であることも考慮した方がいいのでは? 志賀せんせいはその後取り消しもしくは
懺悔謝罪をされたのでしょうか? 戦後のどさくさだから
何をいったとしても許される訳ではないでしょう。 「造り変える」
努力はなさったのでしょうか? たとえば、トルストイがロシア語は
不完全なので国語を「英語」に「でも」変えたらどうかといった場合
を想像するとその馬鹿馬鹿しさに呆れかえります。 明治憲法の
発布日に暗殺された文部大臣は日本語をやめて英語にすればよいと
臆面もなく公言しました。 日本文化を馬鹿にして伊勢神宮で
神殿の御簾をステッキであげたと「文部」大臣でした。文明開化だから
許されるのでしょうか? >>184
志賀のフランス語採用説はさんざん非難罵倒されてきたことで、
ロクに自分の考えもない人間が今更それをなぞって志賀を腐すのはそれ以上に愚かしい風景であるな。
まして「非愛国者」などと頭の悪いにもほどがある。
志賀ほど日本語での表現において見事な達成をじぶんのものにしていた、
しかもプロの作家が、他言語の採用を提案することの意味を、自分なりにしっかり、
考えてみたことがあるんだろうか。
もっとも、この話は志賀は軽い談話みたいなつもりで書いたものだった気がするが。 ああ、もう一匹いたのか。
これも懺悔だとか謝罪とか日本人バナレした語彙のひとだな(笑
だからそういう志賀の発言のニュアンスがまったくわからないんだね。
森有礼のはなしもそう。当時、大学の教師は全部お雇い外国人で
講義はすべてドイツ語、フランス語、英語などで行われていたんだ。
ならば、面倒臭えから日本語はやめて英語にでもすべえ、って発想はどこまで
本気かは別にしてちっとも違和感のない一時代の挿話だろう。 それに違和感を覚えないから文学者としてどうかって話では(不笑) 安吾さんの文章を読むと安吾さん自身も根があるんじゃないかな・・・
太宰だって、如是我聞にはその文章以上の事が含まれて理解されると
しらなかったわけではなかろう。
そして安吾さんもそれを理解してないはずもなかろう >>191
188もきみ?
>志賀ほど日本語での表現において見事な達成をじぶんのものにしていた、
>しかもプロの作家が、他言語の採用を提案することの意味を、自分なりにしっかり、
>考えてみたことがあるんだろうか。
これ、ただの直哉信者の信仰告白じゃん
当時も「自分なりにしっかり、考えてみた」多くのひとが
「日本語・・・達成・・・プロの作家」のつぎを「なのに・・・」と継いだと思うけど
その後ラカンの日本語論やら
山城むつみ「文学のプログラム」やらと時代を経て
やっぱりたとえ当時の状況下の「軽い談話」であっても
文学者としてお粗末としか言いようがないと再認識
にもかかわらず「なのに」が間違いで「だから」が正解だと言いたいのなら
はじめから議論などする気のない信仰告白だしもうひいきの引き倒し
そんな御仁にひいきされるのだから丸谷など持ち出さなくたってその程度の作家 森有礼を引き合いに出すのも笑止だわ
鹿鳴館的な「ちっとも違和感のない一時代の挿話」を出せば
直哉が正当化されると思って出したのか・・・むしろ直哉に失礼だわ
森より時代はくだり鹿鳴館の騒ぎはもはやなかっただろうが
外国語教育を受けてなお「違和感」を保ったものから
近代日本文学の源流が生まれたことを忘れてはじめて
森がどーたらだなんて話が恥もなく出せるんだわ
鴎外漱石二葉亭が聞いて呆れるわ
直哉を少しでもその末席に位置づけたいのなら
あれは間違いだったと論ずることから正当な再評価がはじまる
神様を人間に戻してはじめてな >>188
それこそ馬鹿である証拠ではないか。
いくら志賀直哉の小説が素晴らしくても、
志賀が馬鹿であることを何度も語って何の問題もない。
小説家を偉人のように崇めるよりよっぽど健全だろう。 志賀の奈良の旧居って親父の遺産で建てたらしいな。
それも「和解」後だってw
でも当時としては凄い家だぜ。
間取りは多いわ、庭園やプールや池もあるし。
一度奈良に行って観てくる価値はあるよ。 >>193、>>195
森を引き合いに出したのは君のお仲間の>>186君だぜ。
>>189はそれを引き取っただけ。
全体にめんどくさいのでいちいち挙げないけど、君の文章は、
妄想を乱れまくった論理の紐ででたらめに縛ろうとやってみて
でも、できないのであきらめたって感じだね。
平日の昼間のこと、酔っ払って書いたとは思いたくないが・・・ 森鴎外は偉大だよ。http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person129.html
これ見ればわかるように「創作」と「想作」の差を埋めようとした人だ。
脳内の限界に挑戦しようとしたんだろうからそういった意味では夏目漱石よりもより「現実及び未来(バッドな方?)」を投影しようとした人だね。
夏目漱石はあれだけの文章で秘めていたものは日常の循環性の非だけだからね。 諸君、志賀君のやうな、そのよって立つ言語、日本語、を「ふざけて」
否定するやうな輩につきての空しき議論はやめやうではないか。
ま、森幽霊君のように暗殺されなかった小物ってーことで手打ちw 赤痢菌の発見者志賀潔は人種的偏見のためにNobel prizeは
授けられなかった。あと、高峰譲吉、北里柴三郎、などなど。
わが志賀直哉先生はなにを発見されたのでしょうか?
小説沢山書いて金儲けした、フムフム、それで? なになに
金儲けの神様? 発見というのは、それまで人間に知られていなかったものを、
覆いをのけるように(英語でいうヂスカバアこれなり)明らかにすることなり。
すなわち自分で何かを作るのでなく、たんに見つけることなり。
志賀直哉先生のなさった御事業はそのようなつまらない次元のことではなく、
あらたな文学空間を創造されたことの意義は無限大である。
そんじょそこらの発見小僧たちと一緒にしてはいかんな。 こういう擬古文?だの旧仮名だのどこの便所から盗んで来たんだ?の漢語だのを使って
気取った心算になってる阿呆とは道ですれ違うのさえ嫌だ、でただただ国文はバカにされて
そんなの読んでるヤツは軽蔑と嘲笑の対象になって行くだけだなw
世間の国文離れが進んで行くから、勿論、いいことだw 美学ってのは美しさへの感受性が当然に基礎だから天性のものだよなあ・・・
無いヤツに美学なんて全く期待できないから言ったって無駄なんだよなあ・・・
しかし作家厨ってのはそういうのばっかりだな・・・
だからそういうのとは完全に絶縁してるのが一番いいんだけど・・・
ま、軽蔑と嘲笑くらいは、世のため人のためだ、目についたらそういうのにはぶつけよう、と(笑 やれやれw
>>204
発見とはなんの謂ぞ。 そは当時まで人間に知られざるものを、
覆ひを除くが如く(英語にいふヂスカバアこれなり)明にすること
なり。 すなはち自己にて何物かを作るにあらで、唯見つくることなり。 >>205
おいおい、>>204は擬古文のつもりじゃなく、ちょっとふざけただけなり。
本気で擬古文を書いてるバカがみたければ吉田健一スレにいるから見ておいで。
>>207
おまえもおまえだよ、このお調子モンが! >>205
きみは旧仮名づかひを嫌ふやうだけれど、その理由はと言へば
なんのことはない、「ゆとり」教育で国語の素養が充分でないだけのことだろ(笑 >>209同感。きっちりと現代国語を学ばば、
「正」仮名づかひも簡単なり。>>208はしがない先生に倣うて
国語を軽んじたのみ。 暗夜行路手に入れた。
長いから途中挫折しないか心配だぜ 国文かじりつきのヤッコは文学指数低いなり。
文学、そして芸術の王者・仏文の知識を少しは入れてみいやぁ。 >>212
絶対に挫折する。
修行だと思って読めや。 >>213訂正でつ
国文かじっとらっせるヤッコは文学指数どえらい低いでかんわー
文学、そいで芸術の王者・仏文の知識をちょこっとは入れてみりゃぁ。 >>213またまた訂正でつ
国文かじりはるヤッコさんは文学指数低いんよ。
文学と芸術の王者・仏文の知識をもすこし入れてみなはれ。 >>213またまたまた訂正でつ
じゃっどん国文かじりもうすヤッコどんは文学指数低くかー。
文学、そして芸術の王者・仏文の知識を少しは入れたかごわす。 >>214
最初の子供シーンは良かったけど、その後から修行が始まった。
淡々としてつまんねえ
なんとか後編まで頑張るぜ! 露伴の「いさなとり」はロマンの醍醐味を十分に味わわせてくれる。
下らない個の悩みなんぞあっというまにすっとんでしまう。
デイモンに溢れた読み物です。 >>218鴎外の史伝は睡眠剤です。眠れぬ夜に渋江ちゅうさい(変換しても
でないorz). 暗夜行路w
日本文学最高傑作だとか持ち上げられたこともあったw >>218
よし、まずは褒めて遣わす。その勢いで残りの修行も頑張れ。
ただな、後篇こそがこの小説の本当の大修行なんだな。これが。
ぶっちゃけ前篇と後編との内容の因果関係はまったく無いといってもいい。
まあ、後篇は特に荒行だと思って滝に打たれるなり火の上を歩くなりしないと読み切るのは難しいと思え!
前編の最初で修業になるのでは、やはりオマエ程度の馬鹿にはちと無理っちゅうことかもなwww
悔しかったら読み終えろ! 志賀直哉という作家がある。アマチュアである。六大学リーグ戦である。 志賀の嫁は美人ではないが実に可愛かった。
あの武者のいとことは絶対に思えない。だが、武者の嫁は美人だった。これも不思議だが事実。
なのに、志賀ときたら京都の芸妓と浮気しやがった。
チンコギロチンの刑になったのおかしくなかったくらい。
されど暗夜行路はツマンネ。 新潮文庫『古典夜話』
白洲正子「でも、志賀さんの文章というのは、最高だと思いますね。」
円地文子「いい文章ですよ。だからいま書いている中年以上の人たちは、
ほとんど志賀さんの文章をお手本にしているようね。」 鶴見俊輔がアメリカから帰って京都大学の助教授になった。
ところが鶴見は10代で渡米してしまったので日本語を書くのがダメだった。
桑原武夫が心配して志賀直哉に相談した。自分のところに早くに英語になっちゃって
日本語が回復できない人間がいると。すると志賀は、その人は日本語の名文をお手本にして
勉強してはいけない。日本語と英語との間の溝に落ちてもがくべきだ。もがき続けることに
よって自分の文体ができる、と言ったという。
すごい話だね。志賀の文章が名文の代表とされていた時代の話。 2040年支那との戦争が勃発しました
日本は負けました,木っ端微塵にされました
焼け野原にされました
支那進駐軍が日本の公用語をシナ語にするかもしれないという噂が流れました
俺「公用語はドイツ語にしろや」 森有礼の息子、有正は長年おフランスにいたので、日本語が
うまくなかった。 志賀は天皇制や軍部などの権威を散々否定しておきなfがら
最後は文化勲章を受けるクズっぷり
さらにはその後に「別に欲しくないけど一応もらっておいたw」とうそぶくクズっぷり
こいつは長編が書けない一発屋
暗夜行路も長編ではなくグダグダ書いたものをつぎはぎしただけ
こいつは文壇のなかで政治がうまかっただけ >>231
そんなことは全くない。
有正は渡辺一夫と同じように暁星出身だから早くからフランス語に親しんではいたが
渡仏したのは東大仏文の助手時代ですでに30才をとうに超えていたはず。
渡仏後もフランス語での日記は書いていたが、あと芥川の仏訳などはやったが
基本的に著作は日本語だったし、逆にフランス語での論文はほとんどないでしょう。 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を
想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、
フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された
言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。私は森有禮の英語採用説から、
この事を想ひ、中途半端な改革で、何年何十年の間、片輪な國語で間誤つくよりはこの方が確實であり、徹底的であり、
賢明であると思ふのである。
国語の切換へに就いて、技術的な面の事は私にはよく分らないが、それ程困難はないと思つてゐる。教員の養成が
出來た時に小學一年から、それに切換へればいいと思ふ。朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。 そのよって立つ使用言語を否定するなんて。しかも「具体的に解っているわけではないが」
「フランス語」でもどうかだとよ。言葉に真剣さが全然ない。
どんな{名作}も色あせてみえます。 朝鮮で日本語に「切換へ」ただとよww朝鮮人にハングルを
普及したのは総督府wwとんでもない無知ww >>236
無知はおまえだよ。
日本が朝鮮でハングルの普及策をとった時期があったのは事実。
しかし、おまえはその断片的知識だけで軽薄に草をはやしてみっともないぞ。
もうちょっとよく勉強してきなさい。 >>237
無知はおまえだよ。
日本が朝鮮でハングルの普及策をとった時期があったのは事実。 私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、
どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな
戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が
出來たらうと、そんな事まで思つた。吾々は尺貫法を知らない子供のやうに、古い國語を知らず、外國語の意識なしに
英語を話し、英文を書いてゐたらう。英語辭書にない日本獨特の言葉も澤山出來てゐたらうし、萬葉集も源氏物語も
その言葉によつて今よりは遙か多くの人々に讀まれてゐたらうといふやうな事までが考へられる。
若し六十年前、國語に英語を採用してゐたとして、その利益を考へると無數にある。私の年になつて今までの國語と
別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、
その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。
國語を改革する必要は皆認めてゐるところで、最近その研究會が出來、私は發起人になつたが、今までの國語を殘し、
それを作り變へて完全なものにするといふ事には私は悲觀的である。自分にいい案がないからさう思ふのかも知れないが、
兔に角この事には甚だ悲觀的である。不徹底なものしか出來ないと思ふ。名案があるのだらうか。よく知らずに云ふのは
無責任のやうだが、私はそれに餘り期待を持つ事は出來ない。
>無責任極まりない俗物:志賀 直哉の奥さんはかわゆかった。
性格も明るくいい奥さんだったらしい。
×一を除けば… 白樺派のお坊ちゃんたちは有島武郎をのぞいて事なかれ主義的なところが
あるからなぁ
彼らの教祖のトルストイは無政府主義のアウトローで白樺派の理念とは
真逆の所に居たと思うんだが
絶対に到達し得ない理想を仰ぎ見て手を合わせるだけ,白樺派にはそんなところがある 問題になっていることは思想ではなく、日本語で表現することを
根源から否定するその馬鹿さ加減です。志賀のフランス語提案は
無茶苦茶で自らの文士としての基盤すなわち日本語をいとも簡単に
否定して平気な無神経さです。日本語で書かれ続けた我々の遺産、
古典を満足に読めない日本国民を「生産」せよという酷い発想です。
結果的に、自分の書いた文章をフランス語に翻訳して子孫に読ませよう
ということになるのです。思想以前の常識問題でしょう。若いときには
たしかに夢中になって徹夜で小説を読むこともあるでしょう。しかし、
小説は読み方がいくらでも変わるものです。志賀ていどの小説から
脱皮してもっと広い世界を見ようではありませんか。 「問題外」の発言は文人にとって致命的です。自分が使っている
言語を否定するなんて。しかも「具体的に解っているわけではないが」
「フランス語」でもどうかだとよ。言葉に真剣さが全然ない。
どんな{名作}も色あせてみえます。
学校教育で固有の言語を簡単に変えれると思っている
日本文化の敵、志賀。 >学校教育で固有の言語を簡単に変えれると思っている
まあ、じっさいには変えることはできるわけだけどね。
歴史上、そういう例はいくらもあるし、人間の歴史ってそういうふうに生きられて
来たものなんだ。もちろん日本語を廃止すれば日本の文化は重大な影響を受け、
それは一つの文化が滅びるということかもしれないが、見方によっては、ほろびるのではなく
大きな変化を遂げると表現しても良いかもしれない。もとにあった日本語による
文化が完全に消え去るかどうかは疑問の余地があるからね。 だから単純な頭で「滅茶苦茶」だと罵って思考停止するのではなく、
そういう発想がせっかく提示されたのなら、いったい母国語を捨てることには
どういう意味があるのか、よく考えてみる機会としたら良いではないか。
ユダヤの例とかね。
よく、母語を捨てないうちはその民族は滅びないなんていいますな。
それはどういうことなんでしょう。一律に答えがでる話ではなさそう。 日本語を捨てよとほざいた日本の小説家。許し難い軽薄な売国。 つか、これだけ激しく非難をうける物書きはいないな。三島だって、
いやいや石原慎太郎だってww忘れてた大江のーべるだってww 父親が大金持ちでなかったらこの人の人生はどうってことなかっただろう。 こいつはフランス語でも英語でも、日本語さえ滅ぼせばよいと
言っているのだ:
私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、
どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな
戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が
出來たらうと、そんな事まで思つた。吾々は尺貫法を知らない子供のやうに、古い國語を知らず、外國語の意識なしに
英語を話し、英文を書いてゐたらう。英語辭書にない日本獨特の言葉も澤山出來てゐたらうし、萬葉集も源氏物語も
その言葉によつて今よりは遙か多くの人々に讀まれてゐたらうといふやうな事までが考へられる。
若し六十年前、國語に英語を採用してゐたとして、その利益を考へると無數にある。私の年になつて今までの國語と
別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、
その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。 こういう一種の「夢」の提示はそれなりに面白い。
滋賀はこれから国語に英語を採用しよう、と言っているのではなく、60年前にそうなって
いたらよかったのにと述懐しているわけだ。日本語での創作に苦労した人にしての
感想ともいえる。
こういう文章をもって頭から非難するのはなにも実りのないやりかただ。
まして、「売国」だなどというのは軍国主義ファシストの語彙だ。
滋賀の言うところに対してきちんと論理的な言葉での批判が君たちにはできていない。
この点でも単に感情に訴えるような言葉でひとつの言辞を血祭りにしようとしている
君たちは軍国主義ファシストによく似ている。 >>253でましたー サヨク なんやら北朝鮮っぽい宣伝文ww
「売国」といえばファシストwww 日本を貶めるのが大切な仕事ww
二十世紀最大のまやかし、共産主義、社会主義。なにも生み出さなかった。
戦争をはびこらせて多くのひとびとを殺した。スターリン、毛沢東、
金日成、マンセーマンセー。
日本共産党、社民党万歳! 自民党の横暴を許すな!wwwwww
不破哲三は別荘で優雅な生活。位を志す(なんと!非平等!)委員長は
引退後 だうするのかな?ww つか売国奴は左派の専売用語ではないか? 用例:安倍は売国奴
正しくは安倍は愛国者。 そういやあ愛国者も左派専売じゃ
野坂参三は愛国者www 韓国事案
.2015年7月8日まで、1年を切りました。
.在留カード未登録は不法滞在となり、永住者は欠格により自動的に許可取り消し→強制送還となります。
法改正で不法滞在相談窓口が廃止されました。念のため!
.未登録による在日の居直りは、銀行口座、クレジット、健康保険証、免許証等の発行、
利用が停止、あるいは凍結されます。生活保護は停止されます。
.登録した場合でも、通名の口座開設はできません。各証明書の通名発行もできなくなります。日韓の相互通報制度により、
財産があれば生活保護は停止されます。
.最高裁判所の生活保護は日本国民だけという判決が示されました。
地方自治体に人道上の裁量権はあるものの、金額の4分の3は国の負担です。自治体は負担できる?
.生活保護最高裁判決に、在日は大慌て。
私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、
どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな
戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が
出來たらうと、そんな事まで思つた。吾々は尺貫法を知らない子供のやうに、古い國語を知らず、外國語の意識なしに
英語を話し、英文を書いてゐたらう。英語辭書にない日本獨特の言葉も澤山出來てゐたらうし、萬葉集も源氏物語も
その言葉によつて今よりは遙か多くの人々に讀まれてゐたらうといふやうな事までが考へられる。
若し六十年前、國語に英語を採用してゐたとして、その利益を考へると無數にある。私の年になつて今までの國語と
別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、
その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。
國語を改革する必要は皆認めてゐるところで、最近その研究會が出來、私は發起人になつたが、今までの國語を殘し、
それを作り變へて完全なものにするといふ事には私は悲觀的である。自分にいい案がないからさう思ふのかも知れないが、
兔に角この事には甚だ悲觀的である。不徹底なものしか出來ないと思ふ。名案があるのだらうか。よく知らずに云ふのは
無責任のやうだが、私はそれに餘り期待を持つ事は出來ない。
>無責任極まりない俗物:志賀 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を
想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、
フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された
言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。私は森有禮の英語採用説から、
この事を想ひ、中途半端な改革で、何年何十年の間、片輪な國語で間誤つくよりはこの方が確實であり、徹底的であり、
賢明であると思ふのである。
国語の切換へに就いて、技術的な面の事は私にはよく分らないが、それ程困難はないと思つてゐる。教員の養成が
出來た時に小學一年から、それに切換へればいいと思ふ。朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。
>「朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。」無知丸出し。
切り替えなどしなかった。 ふりがなを振ったり現代仮名遣いに直すのは良いでしょ 志賀直哉、映画に行く エジソンから小津安二郎まで見た男 (朝日選書) 単行本 – 2015/2/10
文豪・志賀直哉は稀代の映画好きだった。
日本に初めて入ってきた「エジソンが発明した活動写真」から
小津安二郎、石原裕次郎の映画まで、
数千本の映画を見たことを日記に記している志賀は、
生涯を通して映画に熱狂し続けた珍しい文学者であったにもかかわらず、
映画好きということすら知られていない。 >エジソンが発明した活動写真
これは違うだろ。たしかフランスのなんとかって兄弟じゃなかったか?
確認しないが、タイトルで間違っているんだから全冊回収してくれ。 暗夜行路よんでるけどまったくおもしろくない
130pくらいまできたけどだれてきた
いつになったら本題にはいるんだ >>269
おまえにはムリ。
ラノベでも読んでろって(笑 ジジイの日常些事をダラダラ書き綴る私小説系の作家だからいわゆる「物語の創造」の小説じゃない。
「創造された物語」を小説に望む読者には、つまらない・バカじゃねーの、と言われてもそれは仕方ない。 電車にはねられた爺さんがイモリ打ち殺すのが代表作だからな 大学の授業でクローディアスの日記を担当したんだけど「お前が殺したんだって責められすぎてホントに殺したかも〜〜」って面白すぎるでしょ 雨蛙は何だアレ
美人だけどアホの嫁がヤられただけの話じゃねーか >>276
主人公は文化的になりたかったから嫁の背徳耽美不貞に興奮しかけるけど
そこでガタンと鳴って止まっちゃう、踏ん切れなかった
一瞬で文化(都会)に身を移す嫁と
本読んだりもしたけど結局「雨蛙交尾最高」なド田舎主人公の差がウケるって感じかな
男が「そちらから用があるのか」と言って女がぽかぽか殴るシーンがかわいかった