志賀直哉が「小説の神様」って。。。
そこまでの才能がある人なんですか?
「神様」なんて鴎外漱石よりも凄いのかな >>269
おまえにはムリ。
ラノベでも読んでろって(笑 ジジイの日常些事をダラダラ書き綴る私小説系の作家だからいわゆる「物語の創造」の小説じゃない。
「創造された物語」を小説に望む読者には、つまらない・バカじゃねーの、と言われてもそれは仕方ない。 電車にはねられた爺さんがイモリ打ち殺すのが代表作だからな 大学の授業でクローディアスの日記を担当したんだけど「お前が殺したんだって責められすぎてホントに殺したかも〜〜」って面白すぎるでしょ 雨蛙は何だアレ
美人だけどアホの嫁がヤられただけの話じゃねーか >>276
主人公は文化的になりたかったから嫁の背徳耽美不貞に興奮しかけるけど
そこでガタンと鳴って止まっちゃう、踏ん切れなかった
一瞬で文化(都会)に身を移す嫁と
本読んだりもしたけど結局「雨蛙交尾最高」なド田舎主人公の差がウケるって感じかな
男が「そちらから用があるのか」と言って女がぽかぽか殴るシーンがかわいかった >純文学に物語性を求めること自体間違い
創造性が無い無能な連中のただの言い訳。
創造性のある純文学作家は自分の小説を必ず物語性豊かな物語にする。
時には推理小説以上のどんでん返しも組み込む。 な〜んか煮え切らない作品が多いよな
これが持ち味と言われればそれまでだが
う〜ん.. 26 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2015/11/10(火) 03:16:37.448 ID:2zEk3BA/0.
志賀直哉って学生時代に1個下の後輩の男の子を
有島生馬らと共に集団リンチを加えて暴行したんだよね。
志賀は「人を殴つた話」と題する1956年の随筆の中にある
(岩波書店『志賀直哉全集』第9巻、1999年、pp.351-354)。
このリンチされた下級生の男の子っていうのが滋野清武って言う人で
のちに第一次世界大戦で日本人唯一のエースパイロットになった。
滋賀は自分の随筆の中でこのパイロットのことを
「とにかく人に好かれぬ男だった」と、さらに被害者を中傷してる。
志賀ってこういう自分より才能の芽が伸びそうな優秀な年下男子に目を付けて
ネチネチと、しかも集団で、いじめ、殴って、こきおろす、陰湿な人なんじゃない?
しかも志賀は年下のまだ若造だった太宰治に対してもめっちゃケチつけて
中傷してんだよね。
でも太宰は結局、志賀なんかより遥かに売れて日本文学史上1位2位を
争う存在に上り詰めた。
私はこういう志賀みたいな心魂卑しい小男が心底嫌い。 .
27 :以下、\(^o^)/でVIPがお送りします:2015/11/10(火) 03:29:12.941 ID:2zEk3BA/0
志賀は太宰の「斜陽」の敬語の使い方が「まるで山出し女みたい」
とイチャモンをつけたんだけど、その志賀氏こそ自身の作品の中で
「お父さまは、うさぎなどお殺せなさいますの?」という変な敬語を
使っていて「”お殺せ”なんて敬語は、ない。そもそも文章が文法的
にもおかしい」と太宰治から一刀両断されているw
これは太宰の指摘が正しいだろう。
哀れ志賀ジジイw
こういう若手の上にふんぞり返ってる勘違い暴走老人は
若手に駆逐されて然るべき
まあ今じゃ売り上げも地位も太宰とは比較にならないけどねw 538 :吾輩は名無しである:2015/11/13(金) 07:17:39.26
滋野清武(エースパイロット)の経歴にも「学生時代に志賀直哉たちに
集団暴行を受けた」と載っている。
志賀直哉って、自分より若くて面白くてモテる男への嫉妬心が異常だった
んじゃないかな。そのくせ一人では何も出来ずわざわざ年下の男の子1人
に対して年上の仲間数人引き連れて”集団で”暴行を加えるような卑劣
極まりない人格がすでに幼少期から出来上がっていたわけだ。
太宰に対してケチをつけた時も太宰はまだ名もなき若いガキに過ぎず
志賀は文壇の重鎮扱いで誰も逆らえぬような北朝鮮でいうキムジョンイル状態だった。
そんな文壇でわざわざ年下の太宰に公衆の面前でツバを吐きかけるよう
な下劣な中傷したわけだから、それに対して太宰が怒りの反論をしてい
るが至極まっとうで勇気在る行動だったと思う。
太宰の反論は、老害暴君に対して中指おったてたパンクだよ、あれ。
志賀を嫌っている人は太宰に限らず多数居たからね。
誰も面と向かって噛み付かなかっただけで若き才能たちにとっては
お荷物老害そのものだったらしいよ。 ●志賀直哉の知られざる人間性 −伊藤一男
「講演の最後の質疑応答で地元の白樺派研究家の一人が阿川氏に噛み付いた。
”志賀直哉は小説の中で、<妻の着 物を切り裂く>とか、<突き飛ばしてホームで転倒 させた>
(『暗夜行路』)など、随分女性を虐待し ている描写があり、まことに許しがたいと思うが、
実際はどうでしたか?”ちょっと困った表情の阿川氏であったが、おもむろに答えて曰く。
”うー ん、<着物を切り裂く>ことは実際にあったかも知 れないが、<ホームで突き飛ばした>
のはフィク ションでしょうね”
ともあれ、志賀直哉はかなりの癇癪持ちであったことは確からしい。
それは個人の性格の問題だから許容せざるをえないが、関連の作品を読んでいる と、
結構はしたない言動も目につく。 」 ●志賀直哉の知られざる人間性2 −伊藤一男
「ひとつは、徴兵逃れである。阿川弘之『志賀直哉』にはこんな内容の記載がある。
”徴兵検査に甲種合格した直哉であったが、知人の病院長に予め然るべき配慮を
してもらえるよう頼んであり、実際に「兵役免除」の知らせを受けたときは異常な
喜び方であった。直哉を兵役の義務から解放したのは、作られた一枚の診断書だ。
いくら検査しても悪いところが無いので、病院長の配慮により極度の難聴ということ
で処理された”と。」 ●志賀直哉の知られざる人間性3 − 木村徳三
「『人間』誌の編集長として志賀に接した木村徳三は、1946年に熱海の志賀邸を
訪問した際、斜視の青年(眼に障害のある青年)に向かって志賀が突然
”君の眼は、こうこう(と首を左右に振り)なってるので、どっちを見ればいいのか、
わかりゃしない!”と怒鳴りつけたため、青年の心情を思いやって居たたまれない思い
をしたことを記している」
(『文芸編集者の戦中戦後』大空社、1995年 35-36ページ)。 志賀直哉と太宰治は過大評価だな。
鴎外もその手だな。 志賀の文章は無駄が無いかもしらんが、小説自体は面白くないじゃん。
芥川の小説も同様かも知らん。文章は優れているのは認めるが。
そのてん、文章も内容も水準以上あるのは谷崎だけかも。
漱石は内容は面白いが、文章は結構適当だし。
やっぱ内容が重要だな。形式ではない。だから芥川は自滅したんだろうな。 志賀直哉が影響を受けた愛読書
二葉亭四迷「其面影」
幸田露伴「五重塔」、「対髑髏」
夏目漱石「猫」、「坊ちゃん」、「野分」、「草枕」
徳富蘆花「不如帰」
尾崎紅葉「金色夜叉」、「多情多恨」
泉鏡花「風流線」
国木田独歩「波の音」
永井荷風「牡丹の客」
西洋人のものでイプセン、トルストイ、ツルゲーネフ、ゴルキー、ハウプトマン、ずーダーマン、チェーホフ、モーパッサン、フランス、ハーン等を愛読した。
ゴルキーの極く初期のものは威勢がよくて特に好きだった。
歌舞伎、娘義太夫に熱中、近松、西鶴や泉鏡花などの作品に親しみ、イプセン、ゴーリキー、モーパッサンなどの作品を英訳で読む。 金井 憲一郎
NHK第二ラジオアーカイブス、今、昭和34年の志賀直哉の肉声。感動!
聞き手は38歳の阿川弘之、我孫子に2006年頃、講演会で聴いて以来、感動。。
阿川の講演は「志賀直哉と我孫子」で2005年10月に白樺文学館で行われたとのメモが見つかった。
志賀から「数でなく、いいものを残せと言われた」とのこと。遅れてきた研究者の端くれとして、私もこうありたい。
志賀の「書けない時は、冬眠せよ」は真似できないが。
志賀直哉曰く「東京にずうっといたら、書けなかった。尾道、松江等一人で住んでいたから、暗夜行路が書けた。
何か沈潜したものがあったのではないか」と。
あちこちの転勤、応援、若い頃は、会社をうらんだこともあったが、今は感謝。
会社に入らなかったら、関東や東京を相対化できてないだろう。
2016年2月15日 暗夜行路の序盤に謙介の阪口の小説に対する不満が書かれているけどあれは実在する作家の誰かを揶揄してるのかな 志賀直哉の神さまはいわゆる凡人と異にするって意味だし。
芥川が理性的に書くことしかできなかったのに、志賀直哉は感性のままに書いたらそれが小説になった。
そこを評価して神さまだからね。
作品が日本文学の頂点とか、そんな曖昧な評価じゃないんだよ おまえら、小僧の神様の最後どう解釈してんの?
あれっていい終わり方だよね。繊細。 他者を「決定的に」神格化することを作者が忌諱してると読みましたね
自分と自然が重要であって…と打って今はじめて気付きましたがどっちも「自ら」が言葉に含まれていますね 私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、
どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな
戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が
出來たらうと、そんな事まで思つた。吾々は尺貫法を知らない子供のやうに、古い國語を知らず、外國語の意識なしに
英語を話し、英文を書いてゐたらう。英語辭書にない日本獨特の言葉も澤山出來てゐたらうし、萬葉集も源氏物語も
その言葉によつて今よりは遙か多くの人々に讀まれてゐたらうといふやうな事までが考へられる。 若し六十年前、國語に英語を採用してゐたとして、その利益を考へると無數にある。私の年になつて今までの國語と
別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、
その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。
國語を改革する必要は皆認めてゐるところで、最近その研究會が出來、私は發起人になつたが、今までの國語を殘し、
それを作り變へて完全なものにするといふ事には私は悲觀的である。自分にいい案がないからさう思ふのかも知れないが、
兔に角この事には甚だ悲觀的である。不徹底なものしか出來ないと思ふ。名案があるのだらうか。よく知らずに云ふのは
無責任のやうだが、私はそれに餘り期待を持つ事は出來ない。
外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を
想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、
フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された
言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。私は森有禮の英語採用説から、
この事を想ひ、中途半端な改革で、何年何十年の間、片輪な國語で間誤つくよりはこの方が確實であり、徹底的であり、
賢明であると思ふのである。
国語の切換へに就いて、技術的な面の事は私にはよく分らないが、それ程困難はないと思つてゐる。教員の養成が
出來た時に小學一年から、それに切換へればいいと思ふ。朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。
>「朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。」無知丸出し。
切り替えなどしなかった。 無責任極まりない俗物:志賀 あのアインシュタインだって原爆投下にサインしてる。
シュレディンガーとか日本人もインディアン同様に頭の皮を剥ごうとしていたんだろ。
天才ってバカボンだからさ。ある意味糞野郎でもあるんだよな。その意味でも
志賀は天才だったんだよ。 >>301苦しそうだねw Einsteinと比べるなんてw格が違うw >>301あのアインシュタインだって原爆投下にサインしてる。
いみふw 天才だが、脳みそには欠陥があるという人は多い。湯川秀樹は自然科学の分野での
天才ってだけでなくて、文章でも才能があって人間的にもバランスが取れているよう
に見えるけれども、時々、そこに居合わせた全員が引いてしまうような発言をしていた
らしい。W
ああいう人はどこか脳足りんのところがある。アインシュタインなんかもそんな
感じだな。 305 :
吾輩は名無しである
2016/04/16(土) 20:53:44.34
志賀のフランス公用語論はGHQに対する厭味だよな
それほど根性のある学習院のおぼっちゃんとも桃えないがw
しがねえ小説かきだw 自らのよって立つ言語を否定するなんてw
なにをいってもおしめーよw まあ、志賀が「おフランス語をよく知らない」が、フランス語「でも」
採用したらどうかという時点で、彼の小説すべての価値は消滅
したな。森有礼のように暗殺喰らわなかったのはどさくさで
幸運だったといえる。 マ イ ン ド コ ン ト ロ ー ル の手法
・沢山の人が、偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い
靖 国 参 拝、皇 族、国 旗 国 歌、神 社 神 道を嫌う カ ル ト
10人に一人は カ ル ト か 外 国 人
「ガ ス ラ イ テ ィ ン グ」 で 検 索 を ! 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、
>無責任極まりない破廉恥な文豪w 作家が社会に責任を持つわけないだろ
石原慎太郎じゃあるまいし
そんなんろくな作家じゃない 作家が社会に責任を持ふりをするのは良くないね。
志賀直哉じゃあるまいし
そんなんろくな作家じゃない 志賀の作品っておもしろいか?
俺はこれだけは小谷野の意見に禿同する。
どこがいいのか全く解らない。
芥川は暗夜行路の前篇しかできていない段階で暗夜行路を読んで大傑作だっていったらしい。
確かに前篇まではよかった。しかし後篇がすべてを台無しにしてしまったと思うのだが。
そういや、あの俺の嫌いな小林秀雄って評論家も志賀の番犬だったなw >>318
暗夜行路は2chのアイドル系スレの書き込みの先駆者としても読める
志賀は立派なアイドルヲタ >>1
なんというアホなスレ立て。立てるなら、もっと気の効いたスレを立てろ、
バカバカしい。 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、 志賀なんぞがつい45年ほど前まで生きていたこと自体、日本にとって不幸だった、と最近まで思っていたが、
そのお蔭で著作権が未だ消滅せず志賀の自慰小説を無料では読めないことは日本人にとって幸福である。 この作家は考え抜いたうえで私小説風の作風になったのだと思うけど、どうして自分と同じような
悩みが普遍的だと解ったのかな。これが謎。芥川や漱石あたりは自分固有の悩みとして奥にしまって
置くようなところがあるが、この作家は直観的に自分の悩みが普遍的だと気付いているところが凄い。 著書集では武者の圧勝なんだがな。
価値は佳作の志賀に軍配が上がる。
なかなか世の中思い通りにはいかないな。 志賀直哉は立ち振る舞いが上手だっただけ
戦争中は日本軍の侵攻マンセー小説書いて
敗戦するや否や手のひらを返して自分を防御した
ああ反吐が出る いや、でもあの漱石でさえこの人のような作品は書けないと芥川に言っていたんだぜ。
凄い人には解る小説家だったんだろう。小林秀雄も認めていたように。
おれみたいな馬鹿には理解不能だが。 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、
>無責任極まりない破廉恥な文豪w まあ、志賀が「おフランス語をよく知らない」が、フランス語「でも」
採用したらどうかという時点で、彼の小説すべての価値は消滅
したな。森有礼のように暗殺喰らわなかったのはどさくさで
幸運だったといえる。 英語以外なら何語でもいいという話だぞ
文学板にいるのに頭悪すぎだろ
それともわざとか? いやこの人は神様だろ
物凄く分かりやすい文章で情景が浮かんでくるんだよな
こういう文を書くのは逆に難しいと思うぞ 俺的にはおフランス語で書いてもらったほうが解りやすいんだがw >>331文学板にいるのに頭悪すぎだろ
ahhahhahhahha-
文学板にいるから頭悪すぎだろ もしよくは解らぬがフランス語「でも」採用していたらだれも直哉くんの
小説を読めないわけだ >>332くんも立場が無くなるわけだ >>331 :吾輩は名無しである
2016/05/13(金) 21:07:08.74
英語以外なら何語でもいいという話だぞ
文学板にいるのに頭悪すぎだろ
それともわざとか?
英語だと暗殺喰らうからか? 用心棒が暗殺者を殺し、後の祭りにならんためか?w >>332
単なる自然主義作家とも言えるぜ。
おまえ反論できるか? Gaquesiuin の obautien が 物凄く分かりやすいフランス語書いて情景が浮かんでくるんだよな
こういう文を書くのは逆に難しいと思うぞ 佳人薄命じゃないが、どうして良い作家は比較的短命で、
糞のような物書きは無駄に長生きするのだろうか。
志賀は偽善。
終戦直後の志賀の小説で、飢えている少年を観察するだけの短編があるのだが、
冷たい目で見ているだけで、何もしていない。
アカの他人のことだから、飢える少年に対して志賀は「もう、どうでもいいや」とばかりに突き放している。
志賀の偽善ぶりはほかにも指摘できる。
戦時中は軍国主義に傾倒しておいて、敗戦するやいなや、
その傾倒をなかったことにして、内村鑑三の威厳を借りて開き直っている。
正直、志賀ほどの悪質な作家は日本文学史上、ない。日本にとって恥ですらある。 ↑志賀直哉だけじゃぁあるまい。偽善家は今も健在だよ。例えば舛添叩きしてるヤツら。
そもそも小説の神様なんて本人には迷惑だったろうな。 エゴイズムを貫き通すことが志賀の面白いとこ
エゴイズムは悪い・不愉快という風潮はあるけれど誰もが持っているし絶対になくならないものだろう 日本の文学者のなかでは男性的で雄々しい作風
文章も無駄がなく明晰、自我の肯定という主題も時代を越えた普遍性がある 和解の祖母の顎が外れる件で大笑いしたわ
志賀はユーモアのセンスある 和解で父親と泣きながら仲直りする場面には感動して目が潤んだわ 和解はいい。一番だろな
えんやーこーらーはだめでしょが 小谷野は和解なんてどこが感動すんだってぶっこいてるが
こいつどう考えてもマトモじゃねーな。そのくせた谷崎だけはまんせーーーーーーーーーーーーーーーーーー
浦和高校落ちて相当屈折してもうたな。東大でてもだめだ、このバカは この人の作品を理解するには相当の早熟を除いては、
人生の過半を過ぎないと無理では?
少なくとも自分はそう。高校のときに読んでるやつがいたが、
そいつは本当に理解できていたのかと今は思う。
俺は武者小路くらいしか理解できなかった。
漱石も芥川も難解すぎた。おそらく馬鹿だったのだろうが。
近代日本文学については、ジジイになって初めて理解しつつあるって感じかな。 小手先の技術や理論で
さんざん実験を繰り返しても
最後は志賀直哉の文章に敵わない、
って気付かされるんじゃないかね、
日本の作家は。
あれだけ沢山の作家が
志賀を慕って彼の世界に挑戦して行った
のは、時代のせいとかだけでは無いと
思うね。何事かであるはず、プロの作家が
そこまで志賀に拘るのは。
志賀直哉が退屈だ、とか課題評価だ、
とかは自分が読めてない可能性を考えるべき。
歳を重ねて分かってくるかも知れないね。
俺も中学生の頃に読んだけど、
オヤジになってからまた読み返してるよ。 性格が悪い、というような指摘には私も賛成だ。しかし人には長所短所があるものだろう。
フランス語採用論については、よく分からない。本人がどれくらいの熱意を込めて言ったのかが重要じゃなかろうか。
愛国心がないという意見には反対だ。英語圏の人に英語で日本の良さを語りたい、と考える人は間違っているのか?
内容がないという指摘は、不適当だ。人それぞれに好きな作品があり、人それぞれの好きな箇所がある。大切なのは「面白い」の種類の多さを理解して、自分の好みを人に押し付けないことだ。
坂口安吾の意見は、正直何を言っているかよく分からなかった。坂口安吾についての本を読んだ後で、なぜ彼が志賀直哉の作品の悪評を書いたか、考える必要があると思った。
志賀直哉のスレで色々な声を聞けて楽しかった。 志賀直哉いいですよね
ああなるにはどうしたらいいのですか 三島の言うようにいい文章ではあるけれど、いい文体ではないよね、ただ梶井基次郎とか尾崎一雄とかああいうすばらしい人たちを生んだって意味では言い過ぎではないね 日記みたいな小説ばっかって太宰がかいてたが、
確かにその通り。暗夜行路は破綻してるし。
どこが評価されるのか俺にはわからん。
武者よりはいいけど。 太宰のいうことなんかあてにはならんね
日記じゃないだろ
自分の目で確かめなよ わからんやつにはわからんさ
おれだけわかっていればいいのさ 漱石が志賀のようには書けないといったとおり
志賀は天才なんだよ 田中希生
わたしのみるかぎり、戦前の純文学はどう考えても志賀直哉、ないし白樺派を中心に回っていた。
純文学が私小説に行き着くのも必然がある。戦後はこの否定から始まっている。
結果的に第二次大戦と関わらず、かつ私小説を書かなかった漱石や鴎外が評価されることになった。
2017年1月7日 【日文研・アイハウス連携フォーラム】 志賀直哉の文学:外国語からの養分
https://www.i-house.or.jp/programs/nichibunihj20170120/
講師: 郭南燕 (国際日本文化研究センター准教授)
コメンテーター: 都甲 幸治 (翻訳家、早稲田大学教授)
日時: 2017年1月20日(金) 6:30〜8:00 pm
志賀直哉(1883-1971)の文学は近代散文の最高峰といわれています。
その簡潔な表現、的確な描写、鮮明な視覚性は、文章のモデルとして、多くの人に模倣されてきました。
若い頃の志賀は、当時の漢文、和文、戯文、欧文翻訳の文体に不満を持ち、新しい文体を創ろうと決心しました。
そこで意欲的に吸収したのは、意外にもラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の英語文体、
陶芸家バナード・リーチの話し言葉、台湾人中学生の日本語作文などでした。何と柔軟な言語意識でしょうか。
志賀はさらに、フランス語を日本人の書き言葉にしようと提案したこともありました。
本フォーラムでは、今日の国際社会において、
このような言語的背景を持つ志賀文学の先鋭性から、いかなる啓示を得ることができるかお話しいただきます。 短編で、昼間交通事故を見てしまった工事の人が大騒ぎして飲み歩いて、あげくに夜中に事故現場に帰ってきて泣き出す話が好き