志賀直哉が「小説の神様」って。。。
そこまでの才能がある人なんですか?
「神様」なんて鴎外漱石よりも凄いのかな 暗夜行路の序盤に謙介の阪口の小説に対する不満が書かれているけどあれは実在する作家の誰かを揶揄してるのかな 志賀直哉の神さまはいわゆる凡人と異にするって意味だし。
芥川が理性的に書くことしかできなかったのに、志賀直哉は感性のままに書いたらそれが小説になった。
そこを評価して神さまだからね。
作品が日本文学の頂点とか、そんな曖昧な評価じゃないんだよ おまえら、小僧の神様の最後どう解釈してんの?
あれっていい終わり方だよね。繊細。 他者を「決定的に」神格化することを作者が忌諱してると読みましたね
自分と自然が重要であって…と打って今はじめて気付きましたがどっちも「自ら」が言葉に含まれていますね 私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、
どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな
戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が
出來たらうと、そんな事まで思つた。吾々は尺貫法を知らない子供のやうに、古い國語を知らず、外國語の意識なしに
英語を話し、英文を書いてゐたらう。英語辭書にない日本獨特の言葉も澤山出來てゐたらうし、萬葉集も源氏物語も
その言葉によつて今よりは遙か多くの人々に讀まれてゐたらうといふやうな事までが考へられる。 若し六十年前、國語に英語を採用してゐたとして、その利益を考へると無數にある。私の年になつて今までの國語と
別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、
その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。
國語を改革する必要は皆認めてゐるところで、最近その研究會が出來、私は發起人になつたが、今までの國語を殘し、
それを作り變へて完全なものにするといふ事には私は悲觀的である。自分にいい案がないからさう思ふのかも知れないが、
兔に角この事には甚だ悲觀的である。不徹底なものしか出來ないと思ふ。名案があるのだらうか。よく知らずに云ふのは
無責任のやうだが、私はそれに餘り期待を持つ事は出來ない。
外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を
想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、
フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された
言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。私は森有禮の英語採用説から、
この事を想ひ、中途半端な改革で、何年何十年の間、片輪な國語で間誤つくよりはこの方が確實であり、徹底的であり、
賢明であると思ふのである。
国語の切換へに就いて、技術的な面の事は私にはよく分らないが、それ程困難はないと思つてゐる。教員の養成が
出來た時に小學一年から、それに切換へればいいと思ふ。朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。
>「朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。」無知丸出し。
切り替えなどしなかった。 無責任極まりない俗物:志賀 あのアインシュタインだって原爆投下にサインしてる。
シュレディンガーとか日本人もインディアン同様に頭の皮を剥ごうとしていたんだろ。
天才ってバカボンだからさ。ある意味糞野郎でもあるんだよな。その意味でも
志賀は天才だったんだよ。 >>301苦しそうだねw Einsteinと比べるなんてw格が違うw >>301あのアインシュタインだって原爆投下にサインしてる。
いみふw 天才だが、脳みそには欠陥があるという人は多い。湯川秀樹は自然科学の分野での
天才ってだけでなくて、文章でも才能があって人間的にもバランスが取れているよう
に見えるけれども、時々、そこに居合わせた全員が引いてしまうような発言をしていた
らしい。W
ああいう人はどこか脳足りんのところがある。アインシュタインなんかもそんな
感じだな。 305 :
吾輩は名無しである
2016/04/16(土) 20:53:44.34
志賀のフランス公用語論はGHQに対する厭味だよな
それほど根性のある学習院のおぼっちゃんとも桃えないがw
しがねえ小説かきだw 自らのよって立つ言語を否定するなんてw
なにをいってもおしめーよw まあ、志賀が「おフランス語をよく知らない」が、フランス語「でも」
採用したらどうかという時点で、彼の小説すべての価値は消滅
したな。森有礼のように暗殺喰らわなかったのはどさくさで
幸運だったといえる。 マ イ ン ド コ ン ト ロ ー ル の手法
・沢山の人が、偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い
靖 国 参 拝、皇 族、国 旗 国 歌、神 社 神 道を嫌う カ ル ト
10人に一人は カ ル ト か 外 国 人
「ガ ス ラ イ テ ィ ン グ」 で 検 索 を ! 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、
>無責任極まりない破廉恥な文豪w 作家が社会に責任を持つわけないだろ
石原慎太郎じゃあるまいし
そんなんろくな作家じゃない 作家が社会に責任を持ふりをするのは良くないね。
志賀直哉じゃあるまいし
そんなんろくな作家じゃない 志賀の作品っておもしろいか?
俺はこれだけは小谷野の意見に禿同する。
どこがいいのか全く解らない。
芥川は暗夜行路の前篇しかできていない段階で暗夜行路を読んで大傑作だっていったらしい。
確かに前篇まではよかった。しかし後篇がすべてを台無しにしてしまったと思うのだが。
そういや、あの俺の嫌いな小林秀雄って評論家も志賀の番犬だったなw >>318
暗夜行路は2chのアイドル系スレの書き込みの先駆者としても読める
志賀は立派なアイドルヲタ >>1
なんというアホなスレ立て。立てるなら、もっと気の効いたスレを立てろ、
バカバカしい。 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、 志賀なんぞがつい45年ほど前まで生きていたこと自体、日本にとって不幸だった、と最近まで思っていたが、
そのお蔭で著作権が未だ消滅せず志賀の自慰小説を無料では読めないことは日本人にとって幸福である。 この作家は考え抜いたうえで私小説風の作風になったのだと思うけど、どうして自分と同じような
悩みが普遍的だと解ったのかな。これが謎。芥川や漱石あたりは自分固有の悩みとして奥にしまって
置くようなところがあるが、この作家は直観的に自分の悩みが普遍的だと気付いているところが凄い。 著書集では武者の圧勝なんだがな。
価値は佳作の志賀に軍配が上がる。
なかなか世の中思い通りにはいかないな。 志賀直哉は立ち振る舞いが上手だっただけ
戦争中は日本軍の侵攻マンセー小説書いて
敗戦するや否や手のひらを返して自分を防御した
ああ反吐が出る いや、でもあの漱石でさえこの人のような作品は書けないと芥川に言っていたんだぜ。
凄い人には解る小説家だったんだろう。小林秀雄も認めていたように。
おれみたいな馬鹿には理解不能だが。 外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、
>無責任極まりない破廉恥な文豪w まあ、志賀が「おフランス語をよく知らない」が、フランス語「でも」
採用したらどうかという時点で、彼の小説すべての価値は消滅
したな。森有礼のように暗殺喰らわなかったのはどさくさで
幸運だったといえる。 英語以外なら何語でもいいという話だぞ
文学板にいるのに頭悪すぎだろ
それともわざとか? いやこの人は神様だろ
物凄く分かりやすい文章で情景が浮かんでくるんだよな
こういう文を書くのは逆に難しいと思うぞ 俺的にはおフランス語で書いてもらったほうが解りやすいんだがw >>331文学板にいるのに頭悪すぎだろ
ahhahhahhahha-
文学板にいるから頭悪すぎだろ もしよくは解らぬがフランス語「でも」採用していたらだれも直哉くんの
小説を読めないわけだ >>332くんも立場が無くなるわけだ >>331 :吾輩は名無しである
2016/05/13(金) 21:07:08.74
英語以外なら何語でもいいという話だぞ
文学板にいるのに頭悪すぎだろ
それともわざとか?
英語だと暗殺喰らうからか? 用心棒が暗殺者を殺し、後の祭りにならんためか?w >>332
単なる自然主義作家とも言えるぜ。
おまえ反論できるか? Gaquesiuin の obautien が 物凄く分かりやすいフランス語書いて情景が浮かんでくるんだよな
こういう文を書くのは逆に難しいと思うぞ 佳人薄命じゃないが、どうして良い作家は比較的短命で、
糞のような物書きは無駄に長生きするのだろうか。
志賀は偽善。
終戦直後の志賀の小説で、飢えている少年を観察するだけの短編があるのだが、
冷たい目で見ているだけで、何もしていない。
アカの他人のことだから、飢える少年に対して志賀は「もう、どうでもいいや」とばかりに突き放している。
志賀の偽善ぶりはほかにも指摘できる。
戦時中は軍国主義に傾倒しておいて、敗戦するやいなや、
その傾倒をなかったことにして、内村鑑三の威厳を借りて開き直っている。
正直、志賀ほどの悪質な作家は日本文学史上、ない。日本にとって恥ですらある。 ↑志賀直哉だけじゃぁあるまい。偽善家は今も健在だよ。例えば舛添叩きしてるヤツら。
そもそも小説の神様なんて本人には迷惑だったろうな。 エゴイズムを貫き通すことが志賀の面白いとこ
エゴイズムは悪い・不愉快という風潮はあるけれど誰もが持っているし絶対になくならないものだろう 日本の文学者のなかでは男性的で雄々しい作風
文章も無駄がなく明晰、自我の肯定という主題も時代を越えた普遍性がある 和解の祖母の顎が外れる件で大笑いしたわ
志賀はユーモアのセンスある 和解で父親と泣きながら仲直りする場面には感動して目が潤んだわ 和解はいい。一番だろな
えんやーこーらーはだめでしょが 小谷野は和解なんてどこが感動すんだってぶっこいてるが
こいつどう考えてもマトモじゃねーな。そのくせた谷崎だけはまんせーーーーーーーーーーーーーーーーーー
浦和高校落ちて相当屈折してもうたな。東大でてもだめだ、このバカは この人の作品を理解するには相当の早熟を除いては、
人生の過半を過ぎないと無理では?
少なくとも自分はそう。高校のときに読んでるやつがいたが、
そいつは本当に理解できていたのかと今は思う。
俺は武者小路くらいしか理解できなかった。
漱石も芥川も難解すぎた。おそらく馬鹿だったのだろうが。
近代日本文学については、ジジイになって初めて理解しつつあるって感じかな。 小手先の技術や理論で
さんざん実験を繰り返しても
最後は志賀直哉の文章に敵わない、
って気付かされるんじゃないかね、
日本の作家は。
あれだけ沢山の作家が
志賀を慕って彼の世界に挑戦して行った
のは、時代のせいとかだけでは無いと
思うね。何事かであるはず、プロの作家が
そこまで志賀に拘るのは。
志賀直哉が退屈だ、とか課題評価だ、
とかは自分が読めてない可能性を考えるべき。
歳を重ねて分かってくるかも知れないね。
俺も中学生の頃に読んだけど、
オヤジになってからまた読み返してるよ。 性格が悪い、というような指摘には私も賛成だ。しかし人には長所短所があるものだろう。
フランス語採用論については、よく分からない。本人がどれくらいの熱意を込めて言ったのかが重要じゃなかろうか。
愛国心がないという意見には反対だ。英語圏の人に英語で日本の良さを語りたい、と考える人は間違っているのか?
内容がないという指摘は、不適当だ。人それぞれに好きな作品があり、人それぞれの好きな箇所がある。大切なのは「面白い」の種類の多さを理解して、自分の好みを人に押し付けないことだ。
坂口安吾の意見は、正直何を言っているかよく分からなかった。坂口安吾についての本を読んだ後で、なぜ彼が志賀直哉の作品の悪評を書いたか、考える必要があると思った。
志賀直哉のスレで色々な声を聞けて楽しかった。 志賀直哉いいですよね
ああなるにはどうしたらいいのですか 三島の言うようにいい文章ではあるけれど、いい文体ではないよね、ただ梶井基次郎とか尾崎一雄とかああいうすばらしい人たちを生んだって意味では言い過ぎではないね 日記みたいな小説ばっかって太宰がかいてたが、
確かにその通り。暗夜行路は破綻してるし。
どこが評価されるのか俺にはわからん。
武者よりはいいけど。 太宰のいうことなんかあてにはならんね
日記じゃないだろ
自分の目で確かめなよ わからんやつにはわからんさ
おれだけわかっていればいいのさ 漱石が志賀のようには書けないといったとおり
志賀は天才なんだよ 田中希生
わたしのみるかぎり、戦前の純文学はどう考えても志賀直哉、ないし白樺派を中心に回っていた。
純文学が私小説に行き着くのも必然がある。戦後はこの否定から始まっている。
結果的に第二次大戦と関わらず、かつ私小説を書かなかった漱石や鴎外が評価されることになった。
2017年1月7日 【日文研・アイハウス連携フォーラム】 志賀直哉の文学:外国語からの養分
https://www.i-house.or.jp/programs/nichibunihj20170120/
講師: 郭南燕 (国際日本文化研究センター准教授)
コメンテーター: 都甲 幸治 (翻訳家、早稲田大学教授)
日時: 2017年1月20日(金) 6:30〜8:00 pm
志賀直哉(1883-1971)の文学は近代散文の最高峰といわれています。
その簡潔な表現、的確な描写、鮮明な視覚性は、文章のモデルとして、多くの人に模倣されてきました。
若い頃の志賀は、当時の漢文、和文、戯文、欧文翻訳の文体に不満を持ち、新しい文体を創ろうと決心しました。
そこで意欲的に吸収したのは、意外にもラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の英語文体、
陶芸家バナード・リーチの話し言葉、台湾人中学生の日本語作文などでした。何と柔軟な言語意識でしょうか。
志賀はさらに、フランス語を日本人の書き言葉にしようと提案したこともありました。
本フォーラムでは、今日の国際社会において、
このような言語的背景を持つ志賀文学の先鋭性から、いかなる啓示を得ることができるかお話しいただきます。 短編で、昼間交通事故を見てしまった工事の人が大騒ぎして飲み歩いて、あげくに夜中に事故現場に帰ってきて泣き出す話が好き そうそう、「正義派」。あれがすき。路面電車の人身事故だったね。 『和解』で実母を亡くした少年(私)が、父の再婚相手はどんな人が
いいかと祖母に問われて言った一言「心の美しい人」に、俺は不覚にも
泣いた。 interesting B movies Japan (2016)
https://www.youtube.com/watch?v=-OgK1SGfWBE
伊丹 万作(1900年1月2日 - 1946年9月21日)
赤西蠣太(1936年、片岡千恵蔵プロダクション)
『赤西蠣太』は、志賀直哉の短編小説。1917年(大正6年)9月に『新小説』に発表された。
初出時の題名は『赤西蠣太の恋』。伊達騒動を下敷きにしている。 子どもの頃(中一だったかな)読んでさっぱりわからなかったが
いまになってその凄さがわかってきた。
これを成長というのか老化というのかわからないが
『暗夜行路』を読んで
ああこういう小説が、日本語の小説があるのは日本語を使って生きてきた者にとって
ありがたいなとすんなり思えた。
この志賀だからこそ日本語止めてフランス語でいいんじゃないのというボケをかませたんだなと 志賀直哉といえば『小僧の神様』だろチンカス包茎!
志賀直哉は「神様」ではなくて「仏様」だろ変態童貞! 志賀は自分に正直に生きた人
作品も素直で志賀のそのまんまの感性や生き方が現れている
つまり志賀の作品が嫌いというのは志賀の感性や生き方が嫌いということ >>384
わしも背伸びして高校のとき何冊も読んだが
正直言ってあまり面白くなかった。が
文学なんてこんなもんなのだろうと思っていたので
がっかりもしなかった 志賀なんて読んで有り難たがる奴は
百姓根性丸だしの馬鹿どもだよ! 問題になっていることは思想ではなく、日本語で表現することを
根源から否定するその馬鹿さ加減です。志賀のフランス語提案は
無茶苦茶で自らの文士としての基盤すなわち日本語をいとも簡単に
否定して平気な無神経さです。日本語で書かれ続けた我々の遺産、
古典を満足に読めない日本国民を「生産」せよという酷い発想です。
結果的に、自分の書いた文章をフランス語に翻訳して子孫に読ませよう
ということになるのです。思想以前の常識問題でしょう。若いときには
たしかに夢中になって徹夜で小説を読むこともあるでしょう。しかし、
小説は読み方がいくらでも変わるものです。志賀ていどの小説から
脱皮してもっと広い世界を見ようではありませんか。 立派な見た目とか家柄が
当時の文壇には
信じられないぐらい崇高に
見えただけではないか >>1
誰かが「小僧の神様」に引っ掛けて
いってみたかっただけで、
とくに意味はないのでは 戦後すぐだったか誰かが小林秀雄に
「どうして志賀さんはあれほど評価されてたんですかね」
と聞いて、「そういう時代だったんでしょ」と苦笑してたんで、
もうとっくに神様なんてもんじゃなくなってたみたいだ