問題になっていることは思想ではなく、日本語で表現することを
根源から否定するその馬鹿さ加減です。志賀のフランス語提案は
無茶苦茶で自らの文士としての基盤すなわち日本語をいとも簡単に
否定して平気な無神経さです。日本語で書かれ続けた我々の遺産、
古典を満足に読めない日本国民を「生産」せよという酷い発想です。
結果的に、自分の書いた文章をフランス語に翻訳して子孫に読ませよう
ということになるのです。思想以前の常識問題でしょう。若いときには
たしかに夢中になって徹夜で小説を読むこともあるでしょう。しかし、
小説は読み方がいくらでも変わるものです。志賀ていどの小説から
脱皮してもっと広い世界を見ようではありませんか。