志賀直哉が「小説の神様」って。。。
そこまでの才能がある人なんですか?
「神様」なんて鴎外漱石よりも凄いのかな もしよくは解らぬがフランス語「でも」採用していたらだれも直哉くんの
小説を読めないわけだ >>332くんも立場が無くなるわけだ >>331 :吾輩は名無しである
2016/05/13(金) 21:07:08.74
英語以外なら何語でもいいという話だぞ
文学板にいるのに頭悪すぎだろ
それともわざとか?
英語だと暗殺喰らうからか? 用心棒が暗殺者を殺し、後の祭りにならんためか?w >>332
単なる自然主義作家とも言えるぜ。
おまえ反論できるか? Gaquesiuin の obautien が 物凄く分かりやすいフランス語書いて情景が浮かんでくるんだよな
こういう文を書くのは逆に難しいと思うぞ 佳人薄命じゃないが、どうして良い作家は比較的短命で、
糞のような物書きは無駄に長生きするのだろうか。
志賀は偽善。
終戦直後の志賀の小説で、飢えている少年を観察するだけの短編があるのだが、
冷たい目で見ているだけで、何もしていない。
アカの他人のことだから、飢える少年に対して志賀は「もう、どうでもいいや」とばかりに突き放している。
志賀の偽善ぶりはほかにも指摘できる。
戦時中は軍国主義に傾倒しておいて、敗戦するやいなや、
その傾倒をなかったことにして、内村鑑三の威厳を借りて開き直っている。
正直、志賀ほどの悪質な作家は日本文学史上、ない。日本にとって恥ですらある。 ↑志賀直哉だけじゃぁあるまい。偽善家は今も健在だよ。例えば舛添叩きしてるヤツら。
そもそも小説の神様なんて本人には迷惑だったろうな。 エゴイズムを貫き通すことが志賀の面白いとこ
エゴイズムは悪い・不愉快という風潮はあるけれど誰もが持っているし絶対になくならないものだろう 日本の文学者のなかでは男性的で雄々しい作風
文章も無駄がなく明晰、自我の肯定という主題も時代を越えた普遍性がある 和解の祖母の顎が外れる件で大笑いしたわ
志賀はユーモアのセンスある 和解で父親と泣きながら仲直りする場面には感動して目が潤んだわ 和解はいい。一番だろな
えんやーこーらーはだめでしょが 小谷野は和解なんてどこが感動すんだってぶっこいてるが
こいつどう考えてもマトモじゃねーな。そのくせた谷崎だけはまんせーーーーーーーーーーーーーーーーーー
浦和高校落ちて相当屈折してもうたな。東大でてもだめだ、このバカは この人の作品を理解するには相当の早熟を除いては、
人生の過半を過ぎないと無理では?
少なくとも自分はそう。高校のときに読んでるやつがいたが、
そいつは本当に理解できていたのかと今は思う。
俺は武者小路くらいしか理解できなかった。
漱石も芥川も難解すぎた。おそらく馬鹿だったのだろうが。
近代日本文学については、ジジイになって初めて理解しつつあるって感じかな。 小手先の技術や理論で
さんざん実験を繰り返しても
最後は志賀直哉の文章に敵わない、
って気付かされるんじゃないかね、
日本の作家は。
あれだけ沢山の作家が
志賀を慕って彼の世界に挑戦して行った
のは、時代のせいとかだけでは無いと
思うね。何事かであるはず、プロの作家が
そこまで志賀に拘るのは。
志賀直哉が退屈だ、とか課題評価だ、
とかは自分が読めてない可能性を考えるべき。
歳を重ねて分かってくるかも知れないね。
俺も中学生の頃に読んだけど、
オヤジになってからまた読み返してるよ。 性格が悪い、というような指摘には私も賛成だ。しかし人には長所短所があるものだろう。
フランス語採用論については、よく分からない。本人がどれくらいの熱意を込めて言ったのかが重要じゃなかろうか。
愛国心がないという意見には反対だ。英語圏の人に英語で日本の良さを語りたい、と考える人は間違っているのか?
内容がないという指摘は、不適当だ。人それぞれに好きな作品があり、人それぞれの好きな箇所がある。大切なのは「面白い」の種類の多さを理解して、自分の好みを人に押し付けないことだ。
坂口安吾の意見は、正直何を言っているかよく分からなかった。坂口安吾についての本を読んだ後で、なぜ彼が志賀直哉の作品の悪評を書いたか、考える必要があると思った。
志賀直哉のスレで色々な声を聞けて楽しかった。 志賀直哉いいですよね
ああなるにはどうしたらいいのですか 三島の言うようにいい文章ではあるけれど、いい文体ではないよね、ただ梶井基次郎とか尾崎一雄とかああいうすばらしい人たちを生んだって意味では言い過ぎではないね 日記みたいな小説ばっかって太宰がかいてたが、
確かにその通り。暗夜行路は破綻してるし。
どこが評価されるのか俺にはわからん。
武者よりはいいけど。 太宰のいうことなんかあてにはならんね
日記じゃないだろ
自分の目で確かめなよ わからんやつにはわからんさ
おれだけわかっていればいいのさ 漱石が志賀のようには書けないといったとおり
志賀は天才なんだよ 田中希生
わたしのみるかぎり、戦前の純文学はどう考えても志賀直哉、ないし白樺派を中心に回っていた。
純文学が私小説に行き着くのも必然がある。戦後はこの否定から始まっている。
結果的に第二次大戦と関わらず、かつ私小説を書かなかった漱石や鴎外が評価されることになった。
2017年1月7日 【日文研・アイハウス連携フォーラム】 志賀直哉の文学:外国語からの養分
https://www.i-house.or.jp/programs/nichibunihj20170120/
講師: 郭南燕 (国際日本文化研究センター准教授)
コメンテーター: 都甲 幸治 (翻訳家、早稲田大学教授)
日時: 2017年1月20日(金) 6:30〜8:00 pm
志賀直哉(1883-1971)の文学は近代散文の最高峰といわれています。
その簡潔な表現、的確な描写、鮮明な視覚性は、文章のモデルとして、多くの人に模倣されてきました。
若い頃の志賀は、当時の漢文、和文、戯文、欧文翻訳の文体に不満を持ち、新しい文体を創ろうと決心しました。
そこで意欲的に吸収したのは、意外にもラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の英語文体、
陶芸家バナード・リーチの話し言葉、台湾人中学生の日本語作文などでした。何と柔軟な言語意識でしょうか。
志賀はさらに、フランス語を日本人の書き言葉にしようと提案したこともありました。
本フォーラムでは、今日の国際社会において、
このような言語的背景を持つ志賀文学の先鋭性から、いかなる啓示を得ることができるかお話しいただきます。 短編で、昼間交通事故を見てしまった工事の人が大騒ぎして飲み歩いて、あげくに夜中に事故現場に帰ってきて泣き出す話が好き そうそう、「正義派」。あれがすき。路面電車の人身事故だったね。 『和解』で実母を亡くした少年(私)が、父の再婚相手はどんな人が
いいかと祖母に問われて言った一言「心の美しい人」に、俺は不覚にも
泣いた。 interesting B movies Japan (2016)
https://www.youtube.com/watch?v=-OgK1SGfWBE
伊丹 万作(1900年1月2日 - 1946年9月21日)
赤西蠣太(1936年、片岡千恵蔵プロダクション)
『赤西蠣太』は、志賀直哉の短編小説。1917年(大正6年)9月に『新小説』に発表された。
初出時の題名は『赤西蠣太の恋』。伊達騒動を下敷きにしている。 子どもの頃(中一だったかな)読んでさっぱりわからなかったが
いまになってその凄さがわかってきた。
これを成長というのか老化というのかわからないが
『暗夜行路』を読んで
ああこういう小説が、日本語の小説があるのは日本語を使って生きてきた者にとって
ありがたいなとすんなり思えた。
この志賀だからこそ日本語止めてフランス語でいいんじゃないのというボケをかませたんだなと 志賀直哉といえば『小僧の神様』だろチンカス包茎!
志賀直哉は「神様」ではなくて「仏様」だろ変態童貞! 志賀は自分に正直に生きた人
作品も素直で志賀のそのまんまの感性や生き方が現れている
つまり志賀の作品が嫌いというのは志賀の感性や生き方が嫌いということ >>384
わしも背伸びして高校のとき何冊も読んだが
正直言ってあまり面白くなかった。が
文学なんてこんなもんなのだろうと思っていたので
がっかりもしなかった 志賀なんて読んで有り難たがる奴は
百姓根性丸だしの馬鹿どもだよ! 問題になっていることは思想ではなく、日本語で表現することを
根源から否定するその馬鹿さ加減です。志賀のフランス語提案は
無茶苦茶で自らの文士としての基盤すなわち日本語をいとも簡単に
否定して平気な無神経さです。日本語で書かれ続けた我々の遺産、
古典を満足に読めない日本国民を「生産」せよという酷い発想です。
結果的に、自分の書いた文章をフランス語に翻訳して子孫に読ませよう
ということになるのです。思想以前の常識問題でしょう。若いときには
たしかに夢中になって徹夜で小説を読むこともあるでしょう。しかし、
小説は読み方がいくらでも変わるものです。志賀ていどの小説から
脱皮してもっと広い世界を見ようではありませんか。 立派な見た目とか家柄が
当時の文壇には
信じられないぐらい崇高に
見えただけではないか >>1
誰かが「小僧の神様」に引っ掛けて
いってみたかっただけで、
とくに意味はないのでは 戦後すぐだったか誰かが小林秀雄に
「どうして志賀さんはあれほど評価されてたんですかね」
と聞いて、「そういう時代だったんでしょ」と苦笑してたんで、
もうとっくに神様なんてもんじゃなくなってたみたいだ 上のを書きこんだ瞬間思いついたんだけど
かつて無意識過剰と評された石原慎太郎に似ている 文章の天才性では松本清張に及ばない「焚火と清張の「半生の記」戦後のエピソードの
いくつか比べればよくわかる。 自分が最も的確に運用できる言語を捨てる事になる、つまりは
志賀自身のよって立つ基盤を否定する事になるのだが、そうまでして
フランス語を移植しろって言ったのは、ある意味本気で日本の停滞を憂えてたのかもしれん
志賀の主張が全面的に正しいとは言わんが、現在の日本の閉塞感を見るとなあ
あと俺は太宰なんぞより断然この人のほうが立派だと思うし好きです 参岳 死餓名をや。
宇宙人と一騎打ちの方が自己紹介よりは。 右足はもとについでもらったけど。
腰に髪内おちたかと思ったよ。上がってんのか下がってんのか。スレ違いが。 手術中は自分は戦えないけど、ICUはいい匂いでした。
リバビリ前より、覇壊神みたいで廃人レベルでいい感じですよ。 神経内科とか、リハビリ科の方が精神科の古典よりおススメですよ 三国志より 五胡十六湖 もいいんだけどねえ。
詩経やら 経典の方が大事じゃないですか。 ま、要するに、直哉くんは鹿鳴館時代にあこがれていただけ。
森有礼くんが英語を国語にしようといったのと五十歩百歩。
森くんは暗殺されたが(伊勢神宮で無礼な振舞い)直哉くんは
戦後のどさくさのおかげで無事だっただけ。
民芸運動の連中と陶器をいじくっていただけならまあまあ。 >>401
なるほどねと思いつつ89の書き込みが2011年である事の戦慄の方が全てを包み込んだよ >>415
俺はたった5年間日本にいなかっただけで、帰国したときに
「○○でよろしかったでしょうか?」
と日本語が過去形になっていたことに戦慄を覚えた。実はものすごい勢いで日本語は現実に変化していっているよ。
ところが日本に住んでいるとそれが実感できない。じわじわ変わっていくから。しかし変化のスピードはものすごい。
実はそれ以上に決定的に驚愕したのは、
1)喫茶店やコンビニでお釣りを渡す店の女の子がわざわざおれの手を触るのだ。
2)歯医者に行くと女の歯科医が台に寝かされた俺の頭に乳房を押し付けながら治療するのだ。(誇張ではない)
こんなことは10年前にはあり得なかったことだ。
この変化におまえらは気が付いていたか?世の言葉やふるまいの変化にはまさに戦慄せざるをえない。
だからこそ阿川の文体にしがみつきたい。まあ女の子の手や乳房も楽しみたいが… ありがとう。では、あえて甘えさせて頂くならば、戦後日本語がすさまじい勢いで変化していく中、しかもそれを誰も意識的に実感していなかったときに、その変化をとめようとした大久保房男という編集者がはたした役割も大きく、憶えておきたい。 人生は短く芸術は永しというが毎年夥しく「生まれる」
文士のうち後代の記憶に残るのは何人か。志賀君も
阿川君もすでに文庫本にすら殆ど登場しない。
ひどいのは、歌手、演奏家、俳優。 九代目市川団十郎
が名優だったといってもそれは死後せいぜい十五年ぐらい
の記憶。芥川比呂之のハムレットは素晴らしかった、藤原義江
のテノールは歴史にのこる、エノケンのベアトリネーチャンしびれたなあ、
パガニーニのヴァイオリンは素晴らしかった? 中学校国語教科書採用作品一覧
http://1gyou-edu.com/download/junior-high-school_2017.pdf
教 育 出 版
伝え合う言葉中学国語1・清兵衛と瓢簞・小僧の神様
東 京 書 籍
新編 新しい国語 2・小僧の神様
光 村 図 書
国語 3・清兵衛と瓢簞・小僧の神様 高校国語教科書採用作品一覧
http://1gyou-edu.com/download/high-school_2017.pdf
教育出版
国語総合・清兵衛と瓢箪
精選 国語総合 現代文編・城の崎にて
三 省 堂
精選 国語総合 改訂版・清兵衛と瓢箪
数研出 版
改訂版 高等学校 国語総合・清兵衛と瓢箪
改訂版 国語総合・城の崎にて
新編 国語総合・清兵衛と瓢箪
第一学習社
高等学校 改訂版 新訂国語総合 現代文編・城の崎にて
高等学校 改訂版 国語総合・城の崎にて
大修館書店
精選 国語総合 新訂版・城の崎にて
国語総合 改訂版 現代文編・城の崎にて
筑摩書房
国語総合 改訂版・清兵衛と瓢箪
東京書籍
精選国語総合・城の崎にて
国語総合 現代文編・城の崎にて
現代文A・清兵衛と瓢箪
明治書院
新 精選 国語総合 現代文編・城の崎にて
新 高等学校 国語総合・清兵衛と瓢箪 >>420
藤原義江の歌う日本歌曲は違和感ありまくり。
いかにも西洋人が歌っているようにしか
聞こえない。 おらっちエノケンしっとるよ、ロッパ、シミキン、アチャコ、タカセミノリも 太宰の「津軽」に、酒の席での話題が「神様、という妙な呼び方をするものなども
出てきている」人気上昇中の作家のことばかりで、だれも目の前の自分の作品には
関心がないのでイジケてしまうというシーンがあった。
この作家は志賀直哉のことなのかなあ。 国定教科書制度でも、内地では翻訳でもいいわけで仕上がったのが後の方を
つかうべきという意味も。 >>428
「録音」た〜な〜んぞなもし、教えてつか〜さい
恐らく二十世紀の化石でやんすw 今の日本語の文体は基本的に志賀直哉(白樺派)の文体と同じ
夏目漱石も夢十夜では今に通じる文体だったが
歳をとるにつれて古い文体になってしまった
ちなみに新しい文体と古い文体を見分けるには
「のである」と「のだが」で簡単にわかる
新しい文体ほど「のである」と「のだが」が使われない 帝大や国営が出版物に乗り出してほしくないんだけどな。損得勘定で。 帝大でも併願が落ちて第一志望なんていないし、国営も内定取れず落ちてるから
失点を自覚させろよ。人生の敗北を。 小説の神様なんて帝国大学国営の後の前座だぜ。小説に凝りすぎてる時間の無駄の労作。