【神話が考える】福嶋亮大【気鋭の批評家】
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福嶋亮大。文芸評論家/中国文学者。
著書『神話が考える:ネットワーク社会の文化論』(青土社、2010年)。
ルイス・キャロル論、村上春樹論、レディー・ガガ論など多数の論考あり。
雑誌『ユリイカ』/『en-taXi』/『思想空間β』などにて執筆。AZM48の副島のモデル?
得意分野はポップカルチャーの分析&東アジア消費社会の歴史的分析。
■ブログ
http://blog.goo.ne.jp/f-ryota/
■ツイッター
http://twitter.com/liang_da
■書評空間(紀伊国屋Web)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/fukushima/ ちょうどあの時点を境に書評空間の更新止まっちゃってるんだなw 文学史に関する議論で素人に論破される文芸批評家に依頼なんてできないでしょwww
國分にとどめさされたのもそうだけど、取り巻きにあほしかいなかったのも痛かったね。
発狂して、福嶋と一緒にレッテル貼ることしかできなかった。 あの時福嶋さんが一番憎しみを感じたのは佐藤亜紀でも変なブロガーでもなく國分功一郎だろうな
ゼロ年代戦法、アイツラが痛い連中なんです!って印象操作がほぼ不可能になっちゃった
國分功一郎は優等生過ぎて印象操作できる隙ないし いや、実際京都はレベル高いよ
聖福嶋誕生の地だからね ツイッターを見る限り、
福嶋って、日本は「小国」だから「大国」中国の御機嫌損ねるなという立場なんだな。
事大主義そのもの。
京都の中文で生き残るにはそうするしかないのか。 久々に来たんだけど
まだ例の事件のこと話題にしてるのかよ
いいかげんしつこいだろ
そんなことしてる暇あったらフッサールぐらい読んどけよ 福嶋もフッサールぐらい読んどけばいいのに。単純にいい迷惑。 フッサールとハイデッガーはどう違うのかをたまに聞かれるんだけど、
僕なりの理解で言えばフッサール演義が王道的な英雄ロマンスであるのに対して、ハイデッガーはロマンスをパロディ化した前衛的なカーニバル現象学。
何せ純粋存在が世界・内・存在になっちゃうんだから(笑)。エロもギャグも何でもあり。 / ̄ ̄ ̄ ̄\
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|;;:: ::;;| フッサールくらい哲学的ないし認識論的いい迷惑なんだよ問題として捉えられない哲学者は全然ダメだと思うがねぇ。
そもそも、学歴ロンダトリオ問題の源流だって遡ればフッサールにあるわけだから、
浩紀の言う「ゲンロン」の問題と
(ということは日本のある種のブラック企業経営理想と)直結してる。 読んでもいない本を語る福嶋的な知ったかぶりを、
ハイデガーなら「Gerede(世間話)」と読んで頽落の一形態として位置づけただろう
これは、フッサールにおける生活世界の不可疑性から遊離した日常的コミュニケーションだ そろそろみんなわすれはじめたころだし復活のチャンスだな福嶋 Q&A
ZERO
裸足
BLOWIN
ULTRA SOUL
今夜
BROTHERHOOD
イチブ オマ エラ
どらいぶ(んこ ついてる)
びーる
バイト やっとフッサール読み終わった
次は何を読めばいいですか? http://booklog.kinokuniya.co.jp/fukushima/archives/2010/12/
いかにして文学をこの民主主義的社会に対応させていけばいいのか、最低限の歴史的素養を持って知性的に考えていただきたいと思う。
御大の切々たるこの一文を胸に刻んで次なる読書に励みなさい 福嶋亮大。文芸評論家/中国文学者。
著書『フッサールが考える:ネットワーク社会の文化論』 フッサールはこう言った文化論、約412ページってけっこう分厚いな ハッキリいっちゃうとこの人にフッサール論は書けないけどね
読んでないから 福嶋がトークイベントに出てきて、質疑時間があれば、誰かフッ君にフッサール
についてのテクニカルな質問してください 143 :吾輩は名無しである:2011/04/12(火) 22:11:01.74
でもこれ自体、なかなか味わい深い名文だよな。
> もうねー、偉そうに批判するならフッサールくらい読んどいでくれよ…。
> 単純にいい迷惑なんだよ…。
直接、そもそもの批判者であるブロガーには答えずに、
(横目でチラチラって見ながら)「いい迷惑なんだよ…」って独り言。 >>546
京都人って陰口しか言えないヘタレの集団だからな 福嶋にしろ黒瀬にしろ若くしてデビューすると勝手に自爆して消えてゆくな 東スレで2ちゃんねらーに論争挑んでボコボコにされた挙句、軽く相手してやったぜ
みたいな痛い書き込みが以前あったけど、あれもう一度見たいな _______
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ヽ__)_/ : / \ .. 新刊はどうなんだろう
これまで随分ひどい扱い受けてきてるし、周りが見直すような出来ならいいのだが contractio @contractio 15時間
國分功一郎『スピノザの方法』に対する福嶋亮大の書評(『新潮』2011年4月
号)について。 / “The Red Diptych 無知な人が知ったかぶりをすることのみ
じめさについて” http://htn.to/cku1Yy
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2013年11月19日 - 21:41 · 詳細
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri 15時間
こりゃまたすごいエピソードだw@contractio 國分功一郎『スピノザの方法』
に対する福嶋亮大の書評(『新潮』2011年4月号)について。 /“The Red
Diptych 無知な人が知ったかぶりをすることのみじめさについて”
http://htn.to/cku1Yy 酒井は相方が早稲田だし、それ以外にも仕事の付き合いあるから早稲田の國分が醜態晒してても指差して笑うことはできないんだよな
よく小室哲哉を推しているし、東大が憎くて「話法」ネタを引きずっている
逆に國分が煮え湯を飲ませた福嶋は安心して差別できる
twitterで終日立ち位置芸やってるのは北田暁大と好一対 学歴コンプこじらせてるのは自分なのに。
「お前は学歴コンプ持ってるから俺に楯突くんだろ」と先に言ったもん勝ちしてしまう早大生みたいなやつだよ。
これをやられた相手は何を言っても通じない絶望で黙り込むことになる。
そうして惨めになった相手が(酒井を差別するという形で)醜態を晒したら鬼の首を取ったように喜んで
「これで意思疎通には規範(偏見・固定観念・レッテル貼り)が必要だとわかっただろう」
と迫って相手が納得いかないままでも言葉の上で認めさせようとする。
喧嘩ばかりしている育ちの悪い人間がそこまで不幸じゃない人間にも「たくましさ」の必要性を認めさせようとして他人を貧しさに追い込む。
他罰的で、攻撃衝動を持て余しているから自分がぶちのめした相手に「弱さ」を見出して帰責する。
そうやって恥をかくたびにルーマンを引き合いに出して「人は自分の言動を自分の意思でコントロールし切れない」と悪びれる。
思想もコミュニケーションの作法も体育会系なんだけどやはり敵に体育会系のレッテルを貼って差別する。
ほとんどノーモーションで差別し始める。対話する気など初めから無い。とにかく嘲笑する。
これが酒井泰斗。 論文に嫌いなキーワードみつけて「××いただきましたw」を繰り返すバカという印象。 内輪を広げることに失敗するとそうなる
仲間内の空気に支えられるコード(規律、ディシプリンのこと)を普遍的に正当であるかのように無理押ししているだけというね
内容的には侮辱をちらつかせることでしか通せない主張だから反証不可能な押し方を選ぶ
例えば、「自明性」という言葉をNGワードに指定する規範的主張と
「なぜここに疑いを差し挟むのか?不自然だ」という、(直接的な言及を回避しているだけの)
「自明性」という言葉で指し示されるべき規範的主張が一つの論文の中に共存していたりする
そしてギルバート・ライルが出てきて「いたずらに整合性を求めるな。そんなことして楽しいか?」と煽って終わり 酒井は阪大で博士課程に進めなかった恨みをなぜか東大に向けている 小学校だか中学校では教師に殴られて、阪大は体育会系だから合わなかったと
それで東大生のモヤシを抑圧してるんだからニワトリのいじめだね
http://togetter.com/li/232383
強くなれてよかったな、殴ってくれた先生に感謝しろよー その酒井というやつフッサールくらい読んでるんだろうな? >>617
私自身はこれまで現象学にあまり興味が無かったので、概説書のような二次文献を通しての通り一遍の知識しかなく、
フッサール自身の主著もあまり読んでいません。まあ、フッサールを読んでいるか読んでいないかと言われれば、読んでいますが。
『危機』を読んでいないというのは事実です。 東大と京大はこれだけ差があるのに、「東大京大」と並べるのはもう無理でしょ
両者は全く別次元の大学 佐々木敦 大阪芸大 偏差値40のインチキ批評
wwwwwwwwwww 多少の過ちは群小批評家の1人として見過ごされるべきだろw 20世紀になってようやくマージナルな存在が文学に登場するわけでしてね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています