【神話が考える】福嶋亮大【気鋭の批評家】
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福嶋亮大。文芸評論家/中国文学者。
著書『神話が考える:ネットワーク社会の文化論』(青土社、2010年)。
ルイス・キャロル論、村上春樹論、レディー・ガガ論など多数の論考あり。
雑誌『ユリイカ』/『en-taXi』/『思想空間β』などにて執筆。AZM48の副島のモデル?
得意分野はポップカルチャーの分析&東アジア消費社会の歴史的分析。
■ブログ
http://blog.goo.ne.jp/f-ryota/
■ツイッター
http://twitter.com/liang_da
■書評空間(紀伊国屋Web)
http://booklog.kinokuniya.co.jp/fukushima/ オマ エラ
どらいぶ(んこ ついてる)
びーる
バイト やっとフッサール読み終わった
次は何を読めばいいですか? http://booklog.kinokuniya.co.jp/fukushima/archives/2010/12/
いかにして文学をこの民主主義的社会に対応させていけばいいのか、最低限の歴史的素養を持って知性的に考えていただきたいと思う。
御大の切々たるこの一文を胸に刻んで次なる読書に励みなさい 福嶋亮大。文芸評論家/中国文学者。
著書『フッサールが考える:ネットワーク社会の文化論』 フッサールはこう言った文化論、約412ページってけっこう分厚いな ハッキリいっちゃうとこの人にフッサール論は書けないけどね
読んでないから 福嶋がトークイベントに出てきて、質疑時間があれば、誰かフッ君にフッサール
についてのテクニカルな質問してください 143 :吾輩は名無しである:2011/04/12(火) 22:11:01.74
でもこれ自体、なかなか味わい深い名文だよな。
> もうねー、偉そうに批判するならフッサールくらい読んどいでくれよ…。
> 単純にいい迷惑なんだよ…。
直接、そもそもの批判者であるブロガーには答えずに、
(横目でチラチラって見ながら)「いい迷惑なんだよ…」って独り言。 >>546
京都人って陰口しか言えないヘタレの集団だからな 福嶋にしろ黒瀬にしろ若くしてデビューすると勝手に自爆して消えてゆくな 東スレで2ちゃんねらーに論争挑んでボコボコにされた挙句、軽く相手してやったぜ
みたいな痛い書き込みが以前あったけど、あれもう一度見たいな _______
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ヽ__)_/ : / \ .. 新刊はどうなんだろう
これまで随分ひどい扱い受けてきてるし、周りが見直すような出来ならいいのだが contractio @contractio 15時間
國分功一郎『スピノザの方法』に対する福嶋亮大の書評(『新潮』2011年4月
号)について。 / “The Red Diptych 無知な人が知ったかぶりをすることのみ
じめさについて” http://htn.to/cku1Yy
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件のお気に入り アマギ7thZetaKOBAYASHI Chihiroまこと@ふぇぇぇぇぇ:;(∩´﹏`∩);癒月瀞子 @ぷ(。・ω・。)もLito Snowfield31ノットあんくら
2013年11月19日 - 21:41 · 詳細
大本薫 Kaoru Ohmoto @sunamajiri 15時間
こりゃまたすごいエピソードだw@contractio 國分功一郎『スピノザの方法』
に対する福嶋亮大の書評(『新潮』2011年4月号)について。 /“The Red
Diptych 無知な人が知ったかぶりをすることのみじめさについて”
http://htn.to/cku1Yy 酒井は相方が早稲田だし、それ以外にも仕事の付き合いあるから早稲田の國分が醜態晒してても指差して笑うことはできないんだよな
よく小室哲哉を推しているし、東大が憎くて「話法」ネタを引きずっている
逆に國分が煮え湯を飲ませた福嶋は安心して差別できる
twitterで終日立ち位置芸やってるのは北田暁大と好一対 学歴コンプこじらせてるのは自分なのに。
「お前は学歴コンプ持ってるから俺に楯突くんだろ」と先に言ったもん勝ちしてしまう早大生みたいなやつだよ。
これをやられた相手は何を言っても通じない絶望で黙り込むことになる。
そうして惨めになった相手が(酒井を差別するという形で)醜態を晒したら鬼の首を取ったように喜んで
「これで意思疎通には規範(偏見・固定観念・レッテル貼り)が必要だとわかっただろう」
と迫って相手が納得いかないままでも言葉の上で認めさせようとする。
喧嘩ばかりしている育ちの悪い人間がそこまで不幸じゃない人間にも「たくましさ」の必要性を認めさせようとして他人を貧しさに追い込む。
他罰的で、攻撃衝動を持て余しているから自分がぶちのめした相手に「弱さ」を見出して帰責する。
そうやって恥をかくたびにルーマンを引き合いに出して「人は自分の言動を自分の意思でコントロールし切れない」と悪びれる。
思想もコミュニケーションの作法も体育会系なんだけどやはり敵に体育会系のレッテルを貼って差別する。
ほとんどノーモーションで差別し始める。対話する気など初めから無い。とにかく嘲笑する。
これが酒井泰斗。 論文に嫌いなキーワードみつけて「××いただきましたw」を繰り返すバカという印象。 内輪を広げることに失敗するとそうなる
仲間内の空気に支えられるコード(規律、ディシプリンのこと)を普遍的に正当であるかのように無理押ししているだけというね
内容的には侮辱をちらつかせることでしか通せない主張だから反証不可能な押し方を選ぶ
例えば、「自明性」という言葉をNGワードに指定する規範的主張と
「なぜここに疑いを差し挟むのか?不自然だ」という、(直接的な言及を回避しているだけの)
「自明性」という言葉で指し示されるべき規範的主張が一つの論文の中に共存していたりする
そしてギルバート・ライルが出てきて「いたずらに整合性を求めるな。そんなことして楽しいか?」と煽って終わり 酒井は阪大で博士課程に進めなかった恨みをなぜか東大に向けている 小学校だか中学校では教師に殴られて、阪大は体育会系だから合わなかったと
それで東大生のモヤシを抑圧してるんだからニワトリのいじめだね
http://togetter.com/li/232383
強くなれてよかったな、殴ってくれた先生に感謝しろよー その酒井というやつフッサールくらい読んでるんだろうな? >>617
私自身はこれまで現象学にあまり興味が無かったので、概説書のような二次文献を通しての通り一遍の知識しかなく、
フッサール自身の主著もあまり読んでいません。まあ、フッサールを読んでいるか読んでいないかと言われれば、読んでいますが。
『危機』を読んでいないというのは事実です。 東大と京大はこれだけ差があるのに、「東大京大」と並べるのはもう無理でしょ
両者は全く別次元の大学 佐々木敦 大阪芸大 偏差値40のインチキ批評
wwwwwwwwwww 多少の過ちは群小批評家の1人として見過ごされるべきだろw 20世紀になってようやくマージナルな存在が文学に登場するわけでしてね >>640
フッサール「それは俺のセリフだろうが」 サントリー学芸賞決定
http://www.suntory.co.jp/news/2014/12215.html
〔思想・歴史部門〕
福嶋 亮大(ふくしま りょうた)(京都造形芸術大学非常勤講師、日本学術振興会特別研究員)
『復興文化論 ―― 日本的創造の系譜』(青土社) 勿論フッサールくらい読んでから賞与えてるんだろうな サントリー学芸賞ってこんなしょっぱい奴でももらえるんだ 19世紀文学には現れなかったマージナルな存在なんですけど? いかにして文学をこの民主主義的社会に対応させていけばいいのか、最低限の歴史的素養を持って知性的に考えていただきたいと思う。
『最低限の歴史的素養』 芦原省一 ?@ShoichiAshihara
これはなんですか。精神疾患を持つものとして非常に不愉快です。
こんな幼稚な人が青土社から本を出しているのですね。恐怖を覚えます。
◆「原稿に『狂人』という言葉を使ったら変更させられた」自主規制・言葉狩りを憂う声
http://togetter.com/li/861622 米国の社会学者・歴史家であるR・ニスベットによれば、「中間組織」の解体や弱体化は、必然的に人間の人格を破壊し、自分がどう生きていくのかの情報すら手にできなくなり、個々にバラバラとなった個人(=アトムとなった個人)は「根無し草人間」、
「余白的人間(マージナルマン)」、「憑依的妄想人間」、「無規範(アノミー)人間」、「孤独に苛まれる人間」となる(『共同体の探求』梓出版社、18頁)。 書物復権によせて
福嶋亮大
https://www.kinokuniya.co.jp/c/fukken2017
絶版本が好きだ――などと言うと何やら誤解を招きそうだが、事実そうなのだから仕方がない。
僕はどうも、センスが良くて洒落た本よりは、古典的な力量と文体を備えた硬質な人文書に惹かれる傾向があるのだが、
そういう本は今時たいてい古書で買い求めるしかない。
文芸・歴史関係に限定して言えば、レーヴィット『世界と世界史』、ルカーチ『ソルジェニーツィン』、アドルノ『楽興の時』、
ブルトマン『歴史と終末論』、ベルジャーエフ『ドストエフスキーの世界観』、フィードラー『アメリカ小説における愛と死』、
シュウォルツ『中国の近代化と知識人』、吉川幸次郎『仁斎・徂徠・宣長』、大山定一『文学ノート』、
高橋康也『サミュエル・ベケット』等は実に良い栄養になったし、文庫化されたもので言えば、
サルトル『聖ジュネ』、ジイド『ドストエフスキー』、佐藤春夫『近代日本文学の展望』、五味康祐『音楽巡礼』、
梅原猛『美と宗教の発見』、小松左京『わたしの大阪』、石母田正『神話と文学』あたりも忘れ難い。
思いつくままにタイトルを列挙してみるだけでも、もはや書店では手に入りそうもないこれらの本の印象がまざまざと蘇ってくる。
絶版であるということは、それだけ書物との私秘的な関係を強めるものなのだろう。
とはいえ、僕は愛書家ではなく、本に対するフェティシズムもない。
ある時期の知識人がどうやって文芸や世界を読み解いていたかを教えてくれる言葉、
しかももはや二一世紀には発せられそうもない硬質で非妥協的な言葉――、
この「古びることによって獲得される言葉の物質性」が僕には貴重なのだ。
何にせよ、良書が絶版になってしまうのは寂しいことだ。日本では「よくもこんなものまで」と思う本まで翻訳されているけれども、
ちゃんとレールさえ引けばそういうマイナーな本にも生気を与えられるのではないか。
真の「書物復権」に必要なのは、電子化よりも本のネットワーク化・文脈化だと思う。 福嶋亮大×福永信 クロスインタビュー 普通の会話
『厄介な遺産 近代日本文学と演劇的想像力』と『小説の家』を前にして
http://realkyoto.jp/article/fukushima_fukunaga/ 東浩紀
しかしそこで実際は終わらなくて、24時からはコアな会員だけが残るバータイムへ。ステージでは、
サントリー学芸賞受賞の福嶋亮大、
カオスラウンジの黒瀬陽平、
そしてPIP驀進の濱野智史の「思想地図三賢人」(という名の弟子3人)を迎え、
東周辺がなぜこのテイタラクなのか大反省会をやりますw
2014年12月8日 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています