谷沢永一
保守派の論客なんて肩書きがついているけれど
文学論争上の重要な人物
攻撃的なスタイルは
小谷野敦先生が衣鉢を継いでくれるでしょう 書評家「風」の正体は百目鬼恭三郎だったけど谷沢永一説もあったね。 「雉子も鳴かずば」を読むと明らかに精神状態がおかしいのが分かる。
谷沢の批評が持つ攻撃性は多分に病理的なものであって、
それを面白がってはいけないと思う。 「うつ」っていうことになってたけど双極性2型か人格障害系だったんじゃないの? いや、由良君美のエッセイに通じる危うさがある。
精神を病んだ人間特有の文章というのがあるんだが(晩年のニーチェとか)
谷沢の文章もそれに近いものがある。
ただ、全部が全部そうという訳ではない。 うむ。確かに由良の書きぶりにはやばさがあるな。落ち着いた精神状態のときに書いたであろうものは読めるのだが。 そう。
「紙つぶて」なんかは毒舌ですまされるが、
「雉子も鳴かずば」の頃は由良に通じるものがある。
谷沢は学会でも孤立していたから由良のようなストレスがあったんだろう。
それに生来の気質が加わった、と。 だが由良は若死にしたが谷沢は男性の平均寿命までは生きただろう。この差は何なんだろうな。 由良は学内で孤立していたから本当に無援の状態で
おまけに酒に手を出した。
これでは体がもたない。 武藤康史が書評は丸谷才一、谷沢永一、中沢新一の三「一」だと書いていたが
谷沢の生まれた1929年は小沢昭一、 工藤栄一、松下圭一の生年か 藤岡信勝と仲が悪かったね
谷沢永一は、批判されて然るべきだと思う
学者として良識を疑う藤岡信勝にいわせればただのチンチラの売文屋だそうだ
確かに、チンピラの所業といわれても仕方ない
後、谷沢は東大コンプレックスが強すぎる
バブル崩壊の時、大蔵省銀行局長を実名で罵って得意がっていたが、
そもそも、前川リポートを批判した経済学者に比べ、谷沢の公式ホームページ
からリンクされている長谷川慶太郎なんて、もろに、バブルを作ることを煽って
いたのだし、谷沢はやはり人間的におかしいと思う 谷沢永一は、東大コンプレックスが確かに強いと指摘されている
実は、渡部昇一も同じで、だからうまが合うのだろうと俺の高校の時の古文の
教師はいっていたな
谷沢永一の頃の関大は、国士舘みたいな怖そうなイメージの大学で
希望者は誰でも入れたと谷沢永一と同じ年の俺のジイサンはいっていたな
もう死んだけれども
天王寺高校から大学受験の時は「鬱状態」だったのじゃないかな
東大だけでない。京大コンプレックスの強かった十川信介批判もしてただろ。
大阪人の在野精神による官学批判ってわけだ。 美文を気取ってるところが痛いな。
開高も悪い仲間を持ったもんさ、おれは開高が可哀想でならなかった。 東京電力=清水社長
ほとんどが東大卒で占められる東京電力幹部の中で,
会長の娘をめとり,唯一,私立大(刑嘔大卒)で,
社っ長さんに,登りつめた,ズルがしこい奴。
KO大経済学部で学んだという,安全面より
徹底的な資金カットで,金儲け優先路線を走り,
震災後も,原子炉の廃炉を渋り,結果として
水素爆発を招いたのはまぎれもない事実。
福島原発付近の海では,高放射能の為,
収容できない福島県人の遺体が1000体以上あるという。
>>19
東電OL事件のホテトル嬢も父親が東大卒の東電マンで、
自分は慶応大学経済学部卒だったよね。あの事件で東電の
隠蔽体質を感じ取っていた。
谷沢永一は、今回の地震が起こる前の日に亡くなったよね。
『人間通』って、何この偉そうなオヤジはという感じを受ける
人って少なくないではないかな。
『人間通』なんかで谷沢を語るのは素人。
文学研究者なら『大正期の文藝評論』『牙ある蟻』『谷沢永一書誌学研叢』その他を語れ。 >>21
確かに、文学板的には、『人間通』や『人間通になるための読書術』なんての
は板違い。
しかし、谷沢永一スレッドだから、一般の人には、書誌学者だけれども
『人間通』が代表作なんでしょ?公式サイトにも謳っているしという受け取り
方をされてもしかない
ウィキペディアを覗いて見たら、呉智英のような三流評論家の言葉がわざわざ引用
されていてあきれた。
そのくせ、三好行雄が谷沢を評して言った「文学がわからない人間」は引用されていない。 「こんな日本に誰がした」「悪魔の思想」の感想としては
面白いけど、この文化人批判の執拗さを政治家批判にもっていけなかったのかな >>22
「公式サイト」……? 谷沢永一のサイトなんてあるか?
>>24
三好行雄のは悔し紛れだしなあ。
小谷野敦『現代文学論争』も方法論論争のポイントを全然読めてなかったし。 過去スレを読むと、批判的な書き込みが多い。
谷沢永一は敵を作るタイプだ。もっとも、それが、躁鬱病を患う谷沢永一の
治療法らしいのだが、谷沢永一は毒舌だとか、攻撃的だとか、近年の文章に品位
がない。
谷沢が有名なのは、テレビに出ていたことと、自己啓発系の本を量産していた
からだろう。
サラリーマンは、谷沢の本はその手の本しか買わないし、読まない。
書誌学者としての谷沢の本を買って読むのは、国文学関係の仕事をしている人
じゃないかな。
一般のサラリーマンには、そんな本を買って読むような趣味を持っている人は
非常に稀と思う。
倒産したコピーの三田の社長は、そうした趣味を持っていたようだ。
>>26
人間通 谷沢永一の公式サイト と称するサイトならある
E・H・カーの引用で剰余価値学説批判とか
シュンペーターのイノベーション説でマルクス主義批判とか
この程度じゃ宇野派ですら黙らせることは出来ない >>27
谷沢永一はよく日曜日の朝にテレビに出て竹村健一、渡部昇一、堺屋太一
と「4ピン」と言われていたね。
「あぶくだま遊戯」は面白かった。
人の文章をけなすだけでなく褒めてもいたから。 テレビで何回か見たことがあるが、博識、博覧強記であっても、
頭の良さ、文学的感性の鋭さは感じなかった。
時々NHKテレビに出演していた江藤淳と比べると、
頭の良さ、文学的才能の優劣はあまりにも明らかだった。
(一応断っておくと、才能は認めても、江藤淳は嫌いだ。) >>30
文学板なんだけれども。
>>32
谷沢永一が躁鬱病を患っていのは有名だけれども(本も数冊出している)
江藤淳も鬱病でしょ。脳梗塞の後遺症を苦にして自殺というこになって
おり、谷沢永一のように病気をカミングアウトしていないのだが。
江藤淳が主張していたウォー・ギルト・インフォメイション・プログラム
って思い込み(証拠がない)といわれている。
正力松太郎がCIAのスパイであることは鉄板だが、正力松太郎
・読売新聞・巨人軍にそれぞれコードネームがある。
谷沢永一は毀誉褒貶が激しい。
谷沢信者(書誌学者としての谷沢永一ではなく一般人向けの本の信奉者)が
結構いるし、谷沢が大嫌いな人もいる。ある意味、創価学会のようなもの、
谷沢は保守で天皇崇拝者なのに潮出版から本を数冊出しているし、左翼系
の出版社からも本を出している。
>>34
>(谷沢は)左翼系の出版社からも本を出している。
高校教師だった時はばりばりの左側じゃなかったっけ?
サヨク経験のある右側の人は「新自由主義」には陥らないことが多いよな。
おっと長谷川慶太は例外か?
谷沢は博引傍証で他人の揚げ足を取るだけで
批評の軸足がどこにあるのかさっぱり分からない
司馬や開高を論じても単なる仲間誉めの域を出ていないし 情緒に流れがちな文学研究者の中では一番論理的だったから、批判が効いたわけで。 >>35
左翼といっても、谷沢・長谷川慶太郎・藤岡は日本共産党で、
藤岡が一番党歴が長い。
東大教授になった後に、日本共産党を離党している
西部や森田実はブントでしょ。
>>35
ネオコンは、トロツキストからの転向者で、新自由主義だよね。
>>40
藤岡信勝って、東大の教授になってから共産党を辞めたの?
それから、転向したの、マジ?
>>39
論理的というよりは実証的だったと思いますが?
確かに研究者としてはそれでも構いませんが
批評は問題意識や対象との距離感が重要なので
そういうものは谷沢の書いたものからは感じられませんね >>40
谷沢はブントが分派する前で暴力革命を掲げていた日本共産党の
先鋭な党員だったよ。
>>40
藤岡の主催する会合って(ソ連や中共の)共産党大会に雰囲気がそっくりなんだってな。
藤岡のプレゼンが終わるとみんな拍手して異論や異議や質問などしたら糾弾されかねない感じで。
そういえば藤岡が新自由史観に転向して例の反自虐史観歴史教科書を出したのに谷沢が噛みついたことがあった。
それで保守陣営がかなり揉めた(藤岡・西尾VS谷沢・西部など、それ以後は誰が敵か味方かしっちゃかめっちゃかw)
「藤岡は保守陣営攪乱のために日共が送り込んだスパイ・・」なんてまことしやかに語られた。
>>45
今は藤岡が会長・西尾の弟子が副会長に納まっているね
谷沢永一が『絶版勧告』を出したは、単純に躁状態の時の金儲け
と、調子に乗ってのことだろう(俺はつくる会を擁護はしていない)
谷沢の盟友渡部昇一が「つくる会」に入っていなかったからそれに
関しての谷沢の私怨と「つくる会」は主張している。渡部昇一は
自分の意志で加わらなかっただけで、加われば理事になれたというのは
「つくる会」の主張だ。渡部昇一は統一教会との関係を噂され、「つくる会」
は「生長の家・日本会議」と繋がりが深い。(やはり何かあるのだろう)
谷沢は歴史問題解釈に関しては、自己矛盾していると思われる。
谷沢の友人として司馬がいるが、司馬は歴史学者からは歯牙にもかけられて
いない。
司馬史観とは、大東亜戦争の時の日本はキチガイだったと歴史解釈だから
自虐史観だろう。
谷沢は書誌学者としての顔と躁状態による売文屋としての顔と、天皇崇拝者
で保守言論人としての顔を持っていたが、
谷沢には、「憂国の心」を覚えることはなかった。
ただの、個人主義者で拝金主義者だったのではないだろうか。
そもそも藤岡が司馬を評価してたからな
司馬すら自虐史観と言い出したのは小林よしのりだろう
朝日と産経から好意的に扱われるのが司馬だ 単純に保守論壇内の縄張り争いで
教科書問題に火をつけたのは渡部昇一なのにひと言も挨拶が無かった(ケシカラン)
そして今度は司馬史観(という自分の縄張りにも)手を出してきた、
と谷沢が噛みついて、何回かの応酬のあとに
藤岡が「何も(司馬は)お前(谷沢)だけのものではないだろう」
と正しい本音をポロっと出したのに対して
谷沢が言質をとるような形で「ついに本音が出たな(泥棒猫め!)」
と尻をまくるような形で勝手に勝利宣言をだして終わった
まあ近年稀に見る薄汚い論争でしたね 旧友の向井敏は丸谷才一グループに入ったな
紙つぶての愛読者である坪内祐三は、向井と丸谷グループの気持ち悪さを批判していた >>43
方法論論争・作品論批判でも「実証主義者」と見られがちな谷沢だけど、
実証だけでなく論証も大事と最初から言っとったことは『牙ある蟻』にも書いてあるっしょ。
で、谷沢の研究者批判もだが、作品論である「人間失格」読解なんかも、基本は論理的なもの。
つまり書いてある言葉を拾って(ここまでは実証)、それをつないでる筋(=理)を見出し、それに沿って、
かくかくだからしかじかになると理詰めで説き進めとる。これが論証。
その論証に不備や行き過ぎもあるにせよ、谷沢程度に論理的な研究者すら学界に無かったため誰も碌に太刀打ちできなかったわけ。 >>50
うーん、それは「実証性」や「論理性」という言葉の捉え方に
あなたと私との間に違いがあって
私が>>43で述べた「実証的」というのは、
特定のテキストは作者の意図や時代的文脈から読み解かねばならず
そのためには当該テキストを構成する用語の意味や風俗をテキスト外の
文献を広く渉猟する必要がある、ということです
で、これらの「実証的」作業の裏付けが無い限りは、
いくら外見上「論理的」構成を持っていても
1つの閉じられた虚偽表示(イデオロギー)にすぎない、と
まあ、スコラ的学問ギルドを実証性で粉砕した谷沢というのが分かりやすいですかね?
だから、本人も「学問に王道なし」ということで
広く文献にあたることを奨めているのだと思いますが?
ただ、こういった姿勢は研究者としては至極まっとうなものですが、
批評としてはどうなんでしょうか?と>>43でいったわけです >>51
谷沢が「広く文献にあたることを奨めている」のはその通り。『遊星群』がその成果だね。
ところが主著『大正期の文芸評論』『明治期の文芸評論』はむしろ内在的読解なんだ。
評論家のテキストを読み込んで、そのテキストを底で構成する論理を明るみに出すものだった。
その延長上に『牙ある蟻』もある。
これらは、「批評」と呼んでもいいんでないかい?(無論、文献も大いに援用しとるが) >>52
>ところが主著『大正期の文芸評論』『明治期の文芸評論』はむしろ内在的読解なんだ。
いや、それでも大正期の文献をゴシップ記事も含めて広く集めていますよ
問題はその批評の軸がどこにあるのか分からない、と言う事なんです
前にも書いたように批評対象と批評家との距離(規準)が良く分からない
私は谷沢の仕事は豊富な文献資料に基づいて実証的に
閉鎖的知識の体系(マルクス主義も学閥も)突き崩すことに特色があったと思いますが
極めて「私」性の強い批評ではどんな原理を打ち出したのだろうか?と思うんですよ
上にある藤岡との司馬史観論争でも司馬の歴史観は「私」観であり、
教科書論争の具として公論として利用されるものではない、として退けたのですが
ただ、司馬の「私観」を論じる谷沢の「私見」にどんなものがあったのか?
それがよく見えない
おそらくは小林秀雄以上に先鋭的なイデオロギー批判をした人間の
批評原理がぼかされているここが問題なんですね
若かりし頃のヴァレリー体験と精神的危機の克服も含めて
この「私」性の欠如が気になりますね
何故か保守派に見られてる人だよなあ。
あの人は徹頭徹尾左翼のまんまで、戦略として
保守的言論を行ってたと思うんだけど。
そう考えないと、理屈がたたん面がたくさんあると
思うんだが。
あの世代はアカデミックポスト獲得のために
共産主義運動を利用した人間がたくさんいます
谷沢は私大である関西大出身なので
文部官僚、理事会、京大・阪大との対応で
いろんな顔を使い分けたのでしょう