>>51
谷沢が「広く文献にあたることを奨めている」のはその通り。『遊星群』がその成果だね。
ところが主著『大正期の文芸評論』『明治期の文芸評論』はむしろ内在的読解なんだ。
評論家のテキストを読み込んで、そのテキストを底で構成する論理を明るみに出すものだった。
その延長上に『牙ある蟻』もある。
これらは、「批評」と呼んでもいいんでないかい?(無論、文献も大いに援用しとるが)