0052吾輩は名無しである垢版 | 大砲2011/04/09(土) 00:16:09.31 >>51 谷沢が「広く文献にあたることを奨めている」のはその通り。『遊星群』がその成果だね。 ところが主著『大正期の文芸評論』『明治期の文芸評論』はむしろ内在的読解なんだ。 評論家のテキストを読み込んで、そのテキストを底で構成する論理を明るみに出すものだった。 その延長上に『牙ある蟻』もある。 これらは、「批評」と呼んでもいいんでないかい?(無論、文献も大いに援用しとるが)