【グレート・ギャツビー】フィッツジェラルド
冒頭の部分が名文になってるけど、いまいちよくわからない。
みんな誰ものが自分は恵まれていると思ってるの?
恵まれているマトモな自分と違って、
ダメな人間は、恵まれていなかったからダメになってしまったのだ。
可哀想だから批判するのは少し我慢しよう。
ダメ人間はそれがダメなことだという感覚すら持っていない、つまり悪気はない。
いちいち批判するよりも、そういうものだと思えば、また違った面が見えてくるかも。
だがそれも限界だ。そんなの関係ねえ。 ゼルダの浪費ぶりはなにか高嶋夫婦を思い出させますな
俗な例で恐縮ですが
あれは病的 指輪を買うとお揃いのネックレスが欲しくなり、合うドレスが欲しくなり、
それを着ていくパーティに出たくなり、付き合いでパーティを開きたくなり、
人を呼んで褒められるだけの家が欲しくなり…きりがないもんです 美しいけどやっぱりわからんなあ
夢を夢として正確に描いたからクラシックなんだろか この小説好き嫌いで言ったらセンチメンタルですごく好きなんだけど
みんなからなんでそんなに評価されてるのかよく分からん 新潮社ギャツビー読んでるんだが代名詞が何を指してるのかわかりにくい
これはおいらがバカなのかそれともフィッツジェラルドの特徴なの? アメリカでランキング作ったら毎回ぶっちぎりで1位だしな
そんないいかな トビー・マグワイア版のニックけっこう良かったぞ
脆く儚い・・ >>136
そうかぁ〜?
まあ彼は童顔だから実年齢と違う30歳て設定は違和感なかったが
全体的に90年代トレンド風映画で映画そのものの乗りが時代遅れて感じ バブル真っ最中だもんなぁ
Babylon Revisitedなら時代に合ってるかもしみったれてて見たくないか 春樹訳を読んで、フィッツジェラルドの小説は、かなり秀逸だと感じた。
すべての言葉が箴言のようだったし
まるで素晴らしく大きな壁画を形づくる一個一個突飛で魅力的な石である
ひとつひとつ選ばれた語彙の緻密さ、その奏功にうならされた。
遠景に隠された複雑な近景。鳥瞰図と虫瞰図を巧みに使い分ける筆致。
描写のフラジャイルさや心理的なものへの限りないこまやかさ、
そして風景や歴史的な視座への問題意識の広がりなど
アメリカ大陸に移民してきたすべてのアグレッシブな開拓者の
子孫たちにとってアメリカという国が根本的に抱えている矛盾というか
限界や空虚で虚飾なものをすべて包摂した作品なんだろうと思った。
だからアメリカ人には自ずと感じさせるものがあって、受けたんだろうと。
作者の小説態度に
春樹が見出した「ドストエフスキーにも及ぶほどの 途中で投稿されてしまった。
ヘミングウエーを超えてドストエフスキーに迫る深さがある
と読んだ若い頃の春樹の、「成熟した読み」にも驚かされた。
が、映画版を見たら
原作の一筋縄ではない奥行きはすっかり刈り込まれてしまって
見晴らしのいい芝生のうえで、わかりやすい野外劇がおこなわれているようだった。
ロミジュリやムーランルージュのときのようなあの映像編集は
原作とはミスマッチの功罪という感じ。
けっこう原作を大切に映画化していることはわかったけど
まあ映画は50点って感じだった。
原作は、ギャツビーの葬式前後〜エピローグ的なところに重要なことがいっぱいあるんだけど
映画はもう終末へ向けてお定まりの流れへ単純に雪崩れているといった感じで、それだけで減点30かな。 今アメリカは50s60sを今風にアレンジするのがトレンドですから。
生まれる前に嗅いだ匂いをどう表現するか…目が見えない人が描く景色や
耳が聞こえない人が奏でるメロディ…ある意味 ろ ま ん。 ギャツビーって毎日風呂入んねーんだよ。きったねぇー ギャツビーが毎日風呂に入んないって ちゃんと後ろの方に書いてあるぜ。
おまえら、ちゃんとギャツビーの小説全部読んだか?
ギャツビー、きったねー ケルアックの路上なんか読んだらきみは死んじゃうんじゃないかね ギャツビーが毎日風呂に入んないって ちゃんと後ろの方に書いてあるぜ。
おまえら、ちゃんとギャツビーの小説全部読んだか?
ギャツビー、きったねー 風呂入って死んだ奴はいても、風呂に入らないで死んだ奴なんかいねーよ グレートギャツビーの翻訳を読もうと思うんだけど
誰が一番いい?
悔しいけど村上春樹? 映画観たけど、現代版の設定にしほうがよかったかもね
ありゃジャズよりディスコ時代だわ。当時のファッションと髪型がSF世界の宇宙人にしか見えんw
役者はがんばってたのに残念 中央公論新社のグレート・ギャツビー(村上春樹訳)を読もうと思ってるんだけど、図書館でネット検索すると
・319ページの愛蔵版 (別冊付録:「グレート・ギャツビー」に描かれたニューヨーク 村上春樹著(28p)
・356ページの村上春樹翻訳ライブラリーシリーズ
の2冊があって、前者は予約もほとんどない状態、後者は予約で一杯で、いつ読めるかわからない状態なんだが、
やっぱり後者を読んだ方がいいの? 俺が読んでるのは昔も今もロバートレッドフォードが表紙の岩波文庫だ。
細かいことを気にするなら村上約じゃなくて原文を読め。 内容は一緒だよ
ただ、ハードカバーで読みたい人が多いってだけだろう >>152
同意。原文で読むべきだ。
アメリカの友達と喋ってると
原文で読んでいて良かったと痛感する。 グレート・ギャツビーの文学的価値がイマイチ分からん
個人的には感傷的なところが好きなんだが
いろんな作家がこぞってこの作品を評価しているところが分からん 『夜はやさし』読んでるんだが、場面だの情景だのまったく頭に入ってこない。
グレートギャッツビーやら短編は文体もストーリーもとても好きなんだが、翻訳が読みづらいのか、原書自体無理して書かれた感が強い気がする
上巻読んだが、糖質の美人との恋愛結婚と理想的な不倫相手しか記憶に残ってないわ… これのどこがいいのかまったくわからん。
俺の中では駄作。 誰の訳を読んでいるのかは知らんけど、
フィッツジェラルドは凝った文章を書くから、日本語に訳すのが大変。 他には、森慎一郎、谷口陸男が訳しているよ。
森慎一郎訳を読むべきだったな。
フィッツジェラルドに限った話ではないが、旧訳の小説は読むのが大変だよ。 旧訳になるのかw
ギャツビーは村上と野崎のどっちも良かったんだけど、あっちは登場人物少ないしストーリーも分かりやすいからなぁ >>159
俺に言ってるんじゃないなら>>163は無視してくれ。 谷口陸男は名訳者だと思うね。
この人の『夜はやさし』『日はまた昇る』にどれだけ感銘を受けたことか。 「夜はやさし」は原本からして二つのバージョンがあるからねえ。
人ぞれぞれだろうけど、
オリジナル版(ローズマリーの登場から始まる)を使った新訳の方が、
まずはリッチな描写を楽しみながら、物語に入っていきやすいと思う。 >>167
翻訳がいいから原作の良さを味わうことができる。
『夜はやさし』の情感豊かな典雅な文体と
『日はまた昇る』のハードボイルドな文体をきちんと訳し分けている。
特に、後者におけるヒロインの男っぽいセリフの訳にはしびれた。 >>168
出回っている数が少ないからね。
こういうのはどちらかというと図書館などが購入する本。
個人で買う人は少ないし、買った人は手放さないから値が上がる。 彼女をもう一度ものにするため必死こいて
働いたというのはいいんだけど成功するの早すぎないか? フィクションの成金だからな
あんな品の良い成金は現実には存在しない
だからグレートなんだよ >>167
将来有望な主人公が転落していくってだけのわかりやすいストーリーだと思うけどなあ。
旦那、妻、ローズマリーの三人の視点で語られるってだけ(最後のほうで破綻してる箇所もあるけど) レッドフォード版の映画見たけど
どいつもこいつも汗だくで暑苦しくてこっちまで
気分悪くなったがあれは演出なのだろうか
とくにろくでなしの主人公が一番汗だくで不愉快だった チャールズトーマスも本当はグレートギャッツビーになりたかったんだぜ! 映画みたけど、小説ではよくわからない筋がみえてよかった
ただデイジーを諦めればギャツビーも幸せになれたのになあ... ギャツビーにとってデイジーのいない世界なんてクソと同じだろ 実際には、そのデイジーがクソだったんだから、
むなしいよなあ。
女には夢やロマンは通じない グレートをここの住民ならどう訳すんだろ
あ、村上みたいに諦めてそのままは無しね 日本じゃわりと人気あると思うんだが、
どうして楽園のこちら側の新訳とか、美しく呪われし者の翻訳が出ないんだろう 翻訳者も翻訳に乗り気な出版社もいないんじゃない
だからといって村上春樹に翻訳されても困るが
光文社の古典新訳文庫ならワンチャン >>182
夜はやさしの新訳がされたのも50年近く経っての事だったみたいだし、
グレート・ギャツビーとある程度の短編があればいいって感じなのかなぁ
残念だ、長編くらいは全部翻訳で読める環境になっていて欲しい >>180
10か月ほど考えてみた。
「となりのギャッツビー」・・・だめだな 元々フィッツジェラルドはこの小説に『おバカなギャッツビー』って題をつけようと考えていた、という逸話を目にした事がある グレートギャツビーはアメリカ文学史の観点からは
間違いなくモニュメントだよ
あの時代のアメリカの豊かさを享受した都会の白人の心性と感性を余すところなく描けている
彼らの精神性が形を変えつつも現代に至るまで
世界中に行き渡ってるという意味では
普遍性を備えてると言える
文章は装飾的に過ぎるようにみえても
読めば読むほど過不足なく絶妙なバランスを
保っていることがわかる
それ自体が恰も当時の繁栄やギャツビーのストーリーや
もっと言えばフィッツジェラルド自身の生が不可避的に内包していた
脆さのメタファになっているようにすらみえる
だからこそ本物の作家の所業と言えるんだろうけど
アメリカ社会史、心性史および宗教史の知識なしに読んで愉しめるのは
ギャツビー本人と同じように青年期に
人生を決定づける恋愛を経験した男性だろうね
そこに限定すれば通俗小説としても一流 モニュメントだね
アメリカの中で完結した世界
まさに20世紀 >>43
かなり同意
しかし俺はこう考えている
努力ではどうしようもない壁がある
それが一番よくわかるのが恋愛である
貧乏人が無理に金持ちの女と無理に付き合っても合わんもんは合わん
金持ちの女も貧乏人の成金の男とでは何か違う
やはり豊かに育った人間同士がいちばん心地よい
貧乏人の男は金持ちの美人な女、それに象徴される世界に憧れるけど
絶対に手が届かない
両者の間にはものすごく高い壁がある
こういう感覚は俺自身の体験からかなりのリアリティをもって共感できる
俺にとってグレートギャツビーはこういうところがすごくリアルに描かれた小説だという点で印象に残る 金持ちと貧乏人の格差
階級社会
というものがものすごく厳しい世界であるほど
グレートギャツビーのことがより実感をもって感じられるだろう
そういう意味ではどちらかというと日本人には実感としてわかりにくいかもしれん
ヨーロッパに住んだらものすごくよくわかるようになる
階級の差
パッと見ただけで階級を見分けられる
という不思議な感覚
絶対に越えられない壁の存在 立ち居振る舞いなのか言葉遣いなのかなんなのか
階級の高い者同士は一目で分かり合える
これは貧乏人には全然わからない
不思議だよこれは
ギャツビーが大富豪として適当な女と結婚して子供をもうければ
ギャツビーの孫はデイジーみたいな女と結婚できたかもしれない
JFKなんかもそんな感じだろう >>43
デイジーは解っててバカ金持ち女やってるんだよね
詳しくは書かれてないけど彼女が金持ちの家に生まれたことで
葛藤しながら生きてきたことは容易に読み取れる
女の子は可愛いバカが一番云々のセリフは
聡明な彼女の諦念が言わせた言葉
その意味で魅力ないとは思わないよ俺は
話は変わるけどフィツジェラルドはフェミニストから
比較的攻撃されなかった印象がある
それはデイジーのキャラ造形なんかみても
なんとなく得心がいくんだよね 村上春樹は『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』に
収録されているエッセー「『夜はやさし』の二つのバージョン」でこの二つを比較し
おそらくカウリー版の方が全体のバランスは良い
しかしオリジナル版のミステリアスな雰囲気も捨てがたい
ただ自分は最初に読んだのがカウリー版だからかも知れないが
そっちに思い入れがある、みたいなことを書いている。 しかし村上春樹は見る目がないと思う。
断然オリジナルバージョンの方が素晴らしい。
前半の華やかさがあるからこそ
ラストの儚さと余韻の美しさが活きる。
改訂版ではそうならない。
出た当初はそれほど反響がなくて
がっかりしたかもしれないが
それでもフィッツジェラルド自身の
ポリシーと美学を貫くべき。
よって改訂の必要は自分は感じない。
森慎一郎の訳を推します。 もうちょっと安く出れば...
向こう(アメリカ)だったら
気軽に手を出せる値段なのに。
それだけギャツビーぐらいしか
日本では求められていないということか。 『夜はやさし』を出した時の
あまりにもの市場の反応の薄さに
改訂版のもくろみを
始めたのかもしれない
あれだけ心血を注いだにもかかわらず
さっぱりな反応しか得られなかったので
こりゃ順番変えた方がいいのかなと
思ったのかもしれないが
あの構成こそ
あの小説の唯一無二の個性を
表していると思うし、
改訂版は本人自身が完成させた
ものではなかったからな 『グレート・ギャツビー』は美的構成が整っており、芸術として評価が高い。
一方、『夜はやさし』は構成に欠陥があるものの、作者の真情がその濡れた文体に
横溢している点が傑出している。個人的には圧倒的に後者を愛する。 20世紀アメリカ文学は、一方にヘミングウェイの乾いた文体を、もう一方にフィッツジェラルドの
濡れた文体を創造した。そして、両者とは遙かに隔たったところでフォークナーの錯綜した文体を持った。 キレと抒情的があるとすると
『夜はやさし』はより抒情的の方に
寄っている作品
『グレート・ギャツビー』ほどは
メジャーになりきれないのかもしれないが
人知れず、でも深く
愛され続ける作品 ギャッツビーを原文で読んだ
ラストタイケンも原文だった tycoonは日本語由来なんだからちゃんとタイクーンって読めよ In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice
that I've been turning over in my mind ever since.
おれは今日から英語の勉強をすると決めた 読み終わったんだけど質問
ギャツビーは最初からデイジーの事が好きじゃなかったという記事を見たんですが本当ですか?
文章中では海外に行く前、互いに愛し合っているのを自覚したとあるんですが 209です。ごめんなさい間違いです、訂正します
yahoo知恵袋では「デイジーはギャツビーを昔から好きだったわけではない」という文章を見たのですが
本文では海外に行く前、互いに愛し合っているのを自覚したとあるんですが、どうなんでしょう?
これはただのギャツビーの自意識過剰だったんでしょうか?
結婚式前に手紙握りしめて酔って泣き喚いたデイジーは、その時まだギャツビーに対して恋心があったように思います。 ギャツビーにおいて金はポイントではない。
重要なことは最後の自己犠牲だ。
だから偉大なんだ。
自己犠牲は本当の英雄の行為なんだ。 ちょうどamazonで見つけて気になってた
訳者は何者なんだ? 最近『グレート・ギャツビー』読み終えたばかりなんだけど、とにかくシンドイ読書だった
空っぽな印象 >>215
いいね。荒地出版社の旧訳持っているが、ひどい訳で途中放棄したままだ。
今度こそ良訳であってほしい。もちろん買う。 ギャツビーは、映画は良いのだが、原作はぱっとしない。 ギャツビーの映画の脚本はコッポラ
それもゴッドファーザーPARTUと同じ1974年
つまり彼の創造力のピークの頃だ
悪いわけがない なるほど、しっかりと時代考証をしてファッションもそれっぽくて、絵画を見てるよう。
格差社会アメリカの富と貧困の鮮やかな対比や、富の嘘と一瞬の没落が描けていて、
映画はフィッツジェラルドの原作を骨組みとして使っているが、肉はコッポラがつけたわけね。
原作は膨らみに欠ける。 >>215
買ったよ。聞いたことがない出版社に訳者。解説なし。
大きな書店に在庫たった2冊きりだった。 春樹訳のグレート・ギャツビーを読み始めたけど、
思ってたよりもくどくどしい文体で読みづらい。。
こんなものなのかな? そうなのか。。
勝手に流麗な文体を想像していたからギャップが大きかったのかも。
春樹訳のレイモンド・カーヴァーは違和感なく読めたんだけど(原文知らないけど)。
夏バテで頭がボーッとしてたのかもしれん、時間を置いて読み直そう。 春樹の翻訳業だとカーヴァーが大傑作でフィッツジェラルド、特にギャッツビーが一番の駄作だからな う〜ん、国語力のない人はまずそのことをしっかり自覚するべきなんじゃないかな。 国語力とか言いだしたら
翻訳の日本語なんか汚くて
読めたもんじゃないな 1974 年の映画を名画座で見て、原作をざっと読んだ。
ギャツビーはロマンティストで、デイジーにもカネにも夢を抱いて、それに恋をしているだけ。
現実のデイジーという女は見えていない。
「アデルの恋の物語」でアデルにピンソンという男が見えていないのと同じ。
「スワンの恋」でスワンにオデットが見えていないのと同じ。 フィッツジェラルドはとにかくカネがテーマという感じ。
米国人にとってカネがどのくらい大切か。
ドストエフスキーだとカネはアンチクリストって感じだが、そこが米国。 映画(最近の方)を見たんだけど人をはねたのなんか権力で握り潰せないの? ラスト近くでのジョーダンとの会話
「わたしね、あなたのこと正直でまっすぐな人だと思ってた。それがあなたの胸に秘めたプライドだと思ってたんだ」」
「ぼくはもう30だぜ。あと5つ若ければ、自分に嘘をついてそれを誇りとしたかもしれないけれど」
ここ文脈がわからない
解説誰か頼む
俺も30なんで正直に生きればいいのかよくわからなくて気になる 森慎一郎の「ギャツビー・ゴネグション」、本当におすすめ
もう一回本文を読み直さずにはいられなくなる >>240
ニックがもし若かったら「正直でまっすぐな人」だと
嘘をついてジョーダンを信じ込ませたかもしれないけど
もう30だからそんな気持ちにはなれない
って意味では?
質問の意図にそっているかわからないけど >>240
正直でまっすぐな人間なんていない。そういう人間は自分に嘘をついて誇りを保つものだし歳をとり色んな人生経験を経るとそんな生き方も出来なくなるという事では? >>180
映画公開当時誰かが「すごいよ!ギャツビーさん」って訳してて笑ったけど
ちょっと呆れるほど常識外れなギャツビーを形容するのには案外ニュアンスは合ってるかもしれん >>244
自己レス
>>185を見るとあながち間違ってはいないようだ Gold-Hatted Gatsby
金の帽子のギャツビー
Trimalchio in West Egg
ウエストエッグのトラマルキオ
The High-Bouncing Lover
高く飛び上がる恋人
Ash-Heaps and Millionaires
灰色の谷と億万長者
On the Road to West Egg
ウエストエッグへの道
Under the Red, White and Blue,
(星条旗の旗のもとに?)
The Great Gatsby (偉大なギャツビー)に決まる前のタイトル案は上記のものが知られている。
トラマルキオは古代ローマの風刺小説の主人公。トラマルキオが主宰した豪華な饗宴のシーンが
有名。放蕩者、成金としての意味をギャツビーになぞらえたと思われる。 「もしお前がメタファーなら、何か一つ即興で暗喩を言ってみろ。
何か言えるだろ」と私は言った。
顔ながは長いあいだ考え込んでいた。それから言った。「彼はと
ても目立つ男だった。通勤の人混みの中でオレンジ色のとんがり
帽をかぶった男のように」
確かにそれほど上等な比喩ではない。だいいち暗喩ですらなかった。
「それは暗喩じゃなくて、明喩だよ」と私は指摘した。
「すいません。言い直します」と顔ながは額に汗を浮かべながら言っ
た。「彼はあたかも通勤の人混みの中でオレンジ色のとんがり帽をか
ぶるように生きた」
「それじゃあ文章の意味が通じない。それにまだきちんとした暗喩に
なっていない。お前がメタファーだなんて、どうにも信用できない
な。殺すしかない」
顔のがの唇は恐怖のためにぶるぶると震えていた。
(『騎士団長殺し』第二部 オレンジ色のとんがり帽子をかぶった男) フィッツジェラルドの奥さんって精神病なって自殺したよね ギャツビー全然偉大じゃなかった
邦訳は華麗なるギャツビーだっけ? 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 >>20
アメリカは戦争に行った人と行ってない人の乖離が激しかった
欧州でも同じ事が戦場にならなかった地域では起きたが
アメリカほどは戦争成金が多くなかった
イギリスが日英同盟を解消するに至ったのは
WWTで借金をたくさんしたアメリカの圧力が大きい
外交を左右するくらいアメリカには金が集まってた >>78
なんで翻訳したかの話が長いよ
翻訳家自身の語りは自分のエッセイに書けばいいよ >>119
誰に腹立てたかは書いてないし
結局は説明になってない言い逃れと開き直りだから
ジョーダンは黙っちゃったわけ
草稿ではジョーダンはさらに追い打ちの言葉を投げかけてる
決定稿ではニックに読者が感情移入出来る余地のある記述に収まってるが
ニックに感情移入しすぎるのはあまりいい読み方ではない
かなり無責任な人間
ただ戦争のPTSDに悩まされてるわけだから仕方ない面もある
作者も何度もニックの逡巡と割り切りの様、悪く言えば計算高いところを描いている
特に女性関係は同時に二人と付き合わないところ一点を除いて危うい
誰でも紳士たる徳のうち一つくらいは…の話がそれに対応してる
変なこだわりはあるけど全体のバランスが悪い人 >>189
これはアメリカの話
しかも次々と富豪が現れてる時代の話だから >>191
70年代から女性を書いた部分は弱いと指摘されてるよ >>246
思われるというか7章の初めに
his career as Trimalchio was over
って名前出てるじゃん
翻訳だと言い換えてる版があるのかな? >>250
最初はどっちだか知らんが
映画が華麗だったから
タイトルを華麗に変えた文庫があったのは結名な話
映画はビジネス的に華麗がいいんだろうけど
小説の内容的には偉大だろう
ニックがそう思ってるだけだが 村上春樹っぽいねこの作品って思ったら翻訳者が村上春樹でした 老人が女の子にケーキ買ったりして対話する短編ってなんだっけ? I'd Die for You: And Other Lost Stories
読んだ人います?
未発表だっただけにやはり御多分に洩れずなんですかね? 村上「オールド・スポート」
俺「何言ってんだコイツ・・・」 デイズィは故意にマートルをひき殺したの?作中ではトムに浮気相手がいる事は知っててもマートルの外見は知らないはずだよね マートルは黄色い車にトムが乗っているのを、トムたちがニューヨークに
向かう時に、途中に立ち寄った時に見てる。だから黄色い車はトムの車だと思ったはず。
すごいスピードで車が走ってきた時、トムに車に乗せてもらってウィルソンの元からさろうと
マートルはしたんだと思う。それで近づいていったが、デイジーは轢いてしまった。 ハンドルを切ろうとしたが、対向車が来て切りかけたハンドルを元に戻した。
ギャツビーがハンドルに手をかけたが時すでに遅しだった。
間に合わずに轢いてしまった 原作未読の者です
今更ながらレオ様の2013年公開の映画を見たんだけど、かなり面白くてハマってしまった
ただ調べてると本国ではあまり評判が良くなかったらしく、というか過去のギャツビー映画化作品の全てがどちらかというと不評らしく何故なんだと不思議に思ったんだけど
そんなに実写化が難しい題材なの?何か原作の大きな魅力を欠いてしまったりしてるのかね
ストーリーすら知らなかった自分からすれば充分面白かったから映画が評価されない理由が知りたい プールでギャツビーの周りのみ描写され、死体に言及がないのは意味があるらしいが何なの?
数十年謎なんだが
単にニックが語りたくないってだけ? >>274
確かにその後も遺体に関する直接的、具体的な描写はないな
物語を回想している数年後の時点で
ニックにとってギャッツビーはひとつの観念であり
肉体の生死を超えた存在になっているから
肉体的な死を直接的に描いてないんだろうかね
それか遺体が凄惨で思い出すのが単に忍びないだけか 昔日本語訳でギャツビーを読もうとしたけど退屈ですぐに放り投げた
原書で読んだら面白かった
もっとも原文ならではの魅力だけでなく英語学習的なモチベもある分こっちも読み手として母国語の時よりは忍耐強いのだろう
ディケンズを原書で読んだ直後だからそれに比べれば楽々読み進められる
じゃあ何が面白く感じられたかと言うとなんだろう?
文章の魅力と(凝っていけど決して難渋ではなくさらっとしている)
作者が作品にちりばめた諸々のファクター
デイジーの上流階級のふわふわとしつ陰影もある美しさとマイナス要素
令嬢への夢を捨てなかったギャツビーの諸々
ここらを浮彫にさせるストーリー展開
特に終盤の方で顕著になる東部と西部がなんたらかんたらというの
そしてラストの文章の魅力が決定的なんだろうな アマプラ会員特典に
バズ・ラーマン版 華麗なるギャッツビー 入った。
ディカプリオ
エリザベス・デビッキ 190cm
キャリー・マリガン 「夜はやさし」オリジナル版を原書で読了
ギャツビーを原書で読むのには苦労しなかったんだけど
(小説は大抵最初の方の文章が気合が入っているので原書で読む場合そこがちょっと難所で
そこにひるまずに読み続けると読みやすくなってくることが多い)
それに比べて「夜はやさし」は読みにくい文章だった
読解力落ちたのかな?と思ったけどその後アイリス・マードックの小説を読ん読むのに苦労してないから
やっぱり「夜はやさし」の英文が読みにくいと思うんだけど
第一部は海水浴なんかもある楽しい思い出
その後第一部のメインの登場人物の過去が明かされる
っていうので「こころ」を思い出した
文章のトーンは逆なくらいだけれど
以下かなりネタばれ的なので嫌な人は読まないでください
ギャツビーと似ていると思ったのは
主人公が女のために人生をフイにするくらい身を犠牲にしたのに女に捨てられまた身を持ち崩した点かな
大きな違いは「夜はやさし」は女も最後に女とくっついた相手も主人公のことを高く評価しているっていうか感謝しているっていうか
それから抱えている状況が重たくて情状酌量の余地ありと言っても主人公のが先に浮気しちゃっていて
しかも妻に対してちとウエメセだから破滅しても後味悪くないっていうか
メンヘラ女にかかずらわらなければ社会的に成功し外も実態もきらびやかな相手とくっつけたのかもしれないけど
結果的に身を持ち崩しちゃったけど人間的にはそこで、綺麗事だけでなかったとはいえ、妙に情けを起こす方が魅力的とも言えるし アラン・ラッド版がアマプラにあったよ。
だいぶ前から、思い出したとき探してたんだがなかったんだよね。
久しぶりに検索したらひょっこり出てきた。 BRUTUSで村上春樹が『ラスト・タイクーン』校正終わったと言っていたが、いつ出るのだろう。現行角川文庫版は訳が今ひとつなので、出来れば新訳で読み直したいのだが。 米田敏範訳 『ラスト・タイクーン』 三笠書房、1977年
乾信一郎訳 『ラスト・タイクーン』 ハヤカワ文庫、1977年
大貫三郎訳 『ラスト・タイクーン』 角川文庫、1977年、復刊1989年、改版2008年。
沼沢洽治訳 『最後の大君』 「世界文学全集76」集英社、1979年
他は沼沢訳「皐月祭・富豪青年・バビロン再訪」、および野崎孝訳「偉大なギャツビー」、各・集英社文庫で再刊
上岡伸雄訳 『ラスト・タイクーン』 作品社、2020年10月
他に短編4作 (「クレージー・サンデー」 「監督のお気に入り」 「最後のキス」 「体温」)、および書簡24通
村上春樹訳 『最後の大君』 中央公論新社、2022年4月 アメリカ文学スレにも書いたが、シナリオ作家としてのフィッツジェラルドに興味がある グレイトギャツビーの主人公のギャツビーのどこがグレイト(華麗)
なのかさっぱりわかんないんだけど…… 「あいつらはくだらんやつらですよ」芝生ごしにぼくは叫んだ。「あんたに
は、あいつらをみんないっしょにしただけの値打ちがある」これを言ったこ
とを、ぼくはいつもうれしく思いだす。これが後にも先にもぼくが彼を誉め
た唯一の言葉だった。(F・スコット・フィッツジェラルド「グレート・ギ
ャツビー」野崎孝・訳) >>285
そういう意味なんじゃないの?
反語的な 最初にグレートを華麗なと訳した奴が悪い。元に戻るまでに何十年かかったことか >>288
村上春樹も段々と残り時間が少なくなってきたがあとどの本を訳したいのだろう。少なくともラヴクラフトではないように思うが。個人的にはフィッツジェラルドのシナリオを訳して欲しい >>273
レオ版を見て
原書を読んだけど
原書やレッドフォード版を先に見れば良かったと後悔した
映画全般としてはレオ版は面白かった
でもデカプリオ演じるギャツビーがレオ色が強くてね
タイタニックの男の子がおっさんになった感じ
スター役者が何を演じても誰それっていうのが必ずしも悪いとは思わないがギャツビーはそういう役ではないだろう
レオ演じるギャツビーはキャラクターが少年的で
少年時代は愛されやすく得してそうな人物が少年期の万能感の幼さのまま人生に対処している感じ
やり手だけど昔思いがけず近付きになれた身分違いの相手との過去や純愛にに支配されて現実との齟齬が出てくるというのでなくね
こっちを先に見ると原作のギャツビーまで厨っぽいスノッブに見えてしまう
それと原作の終わりの方でこの作品の主な登場人物が属する中西部の人間の東部との相容れなさのようなものが語られているから
イタリア系っぽい雰囲気の強いレオだとしっくり来ない
フィッツジェラルドの作品の空気間にもそぐわない気がする