アントン・チェーホフ
私はねむいやワーニカとか子どもがひどい目にあうのは
読んでてつらい 作品としては素晴らしいと思うんだけど
やっぱりつらい 首の上のアンナのセリフで疑問なんですけど
大成功の晩餐会の翌日、閣下がお礼に挨拶に来ますよね。彼が辞去された後、
覚醒アンナが偶然家のなかで出くわした夫に向かって「ここにいらしっては厭! お馬鹿さん。」
っと言い放つこのセリフ、主語はどちらなのでしょうか?
主語がアンナなら、家に閉じ込めないで!という社交の要求で納得なのですが、
主語が夫だったとすると、ちょっと意味が分かりかねてます。 退屈な話読み終わった
これを二十九歳で書いたとかすごいわ
解説読んでトーマスマンとの関係が気になった >>349
松下裕訳では「あっちへ、行ってよ、でくの坊!」
「ここにいらしっては厭!お馬鹿さん。」でも出て行くのは夫の方だと思うけど
今風にいうと「うざいんじゃボケ、目の前でチョロつくな、うせろ!」という感じでは 353 d
若さと美貌で「家族」から脱却したアンナに幸あれ 「ワーニャ伯父さん」のアーストロフの実際家ぶりが好き 「黒衣の僧」もいい作品だね
人格は分裂しても話はスキッと終わるね 黒衣の僧はトーマスマンの短編に通ずるとこがあるね
天才的な優れた才能をもってるがゆえに実生活では凡人以下になってしまう感じ >>341
自分は岩波文庫版で読んだけど、最後がいいね。 19世紀後半のロシア主要文芸誌の傾向と掲載作品
○祖国雑記…思想的立場があいまいな雑誌。70年代ジャーナリズムの中心的存在。
ドストエフスキー「分身」(1848)「未成年」(1875)、ガルシン「四日間」(1877)、
ゴンチャロフ「オブローモフ」(1859)、シチェドリン「ゴロヴリョフ家の人びと」(1875-80)
○ロシア報知…カトコフにより1856年発行。最初のリベラル改革支持の立場から反ニヒリスト路線に変更していった。
ニヒリストは良くて馬鹿者、多くの場合、泥棒ペテン師強盗殺人放火犯として描かれた。
ツルゲーネフ「その前夜」(1860)「父と子」(1862)「煙」(1867)、
トルストイ「コサック」(1863)「アンナ・カレーニナ」(1875-77)、
ドストエフスキー「罪と罰」(1866)「白痴」(1868)「悪霊」(1871-72)「カラマーゾフの兄弟」(1879-80)
レスコフ「僧院の人びと」(1872)「封印された天使」(1873)、シチェドリン「県の記録」(1856-57)
○現代人…急進派の中心的存在。パナーエフとネクラーソフが買い取って、チェルヌイシェフスキーを編集長とした。
1866年のカラコーゾフのアレクサンドル2世暗殺未遂事件の余波で閉鎖。ネクラーソフは「祖国雑記」に回帰する。
ツルゲーネフ「ルージン」(1856)「貴族の巣」(1859)、チェルヌイシェフスキー「何をなすべきか」(1863)、
トルストイ「幼年時代」(1852)「青年時代」(1857)、ゴンチャローフ「断崖」の五章(1860)
○ロシア思想
トルストイ「復活」(1899)、コロレンコ「森はざわめく」(1886)「盲音楽師」(1886)、
チェーホフ「六号室」(1892)「無名氏の話」(1893)「サハリン島」(1893-94)「中二階のある家」(1896)
「百姓」(1897)「箱に入った男」(1898)「子犬を連れた奥さん」(1899)
参考:「はじめて学ぶロシア文学史」ミネルヴァ出版
近代サンクトペテルブルクの出版人たち —1860年代と1870年代の比較を通して 巽由樹子
ttp://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/51945/1/reny002013.pdf ↑すみません、上の表見るとチェーホフって「ロシア思想(Русская мысль)」に数多くの作品を
発表しているみたいなんですよね。
若いころは(割と卑俗な)ユーモア雑誌に投稿してたみたいですが、文芸誌「ロシア思想」に活躍の場を
移したのは、いつ頃からなんでしょうか? 作中の物価で俺の給料が何ルーブルなのか知りたい
自給が何コペイカなのかも >>366ですが、チェーホフの伝記ググったら自己解決できました。やはり、文壇で成功を収めた1992年あたりから
大手文芸誌に掲載されるようになったみたいですね。
ロシア文学:チェーホフの伝記
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7795/pis19/chehov/chehov.html
>>368
このサイトとか、参考になる?
帝政ロシアの通貨事情
ttp://www.a-saida.jp/russ/imperija/index.htm ロシア文学って古典を読むことが比較的多いから、貨幣單位は古いものになじんでいるんで、
それはEU諸国も同じですね。つまんない。 カシタンカが面白かった。
犬の話多いけど、自身も飼ってたのかな。 犬は知らないが釣り好きだったらしいね
たしかのあの顔はフライフィッシングとか似合いそう 全集が欲しい
どこの古本屋なら安く買えるかな
今度いろいろ回ってみるか http://book.tsuhankensaku.com/
キーワードに「チェーホフ全集」
検索結果を新しい画面に開くにチェックを入れて検索
歩きたいなら歩いて調べたらいいと思いますけどね。 自分の足で探すのも悪くないよ。
たま〜にすごい掘り出し物があったり。 揃ってるホムマン全集の6巻だけを買ったら
すごい顔で接客された >>384
実際に猫を飼っていたらしい。沼野充義氏がエッセイで書いてた。 チェーホフの作品で、
人の好意にありがとうと言えずに話をごまかす
自分の殻に閉じこもった人を描いた短篇ってあったかな? すぐり
中二階の男
がそういう閉じこもった人間を描いた作品だ
この2編はシリーズものだ チェーホフ全集はどこの公立図書館にもおいてあるよ
16冊に及ぶ作品もある
最近の図書館は1回で10冊借りることができるから
そこで読むほうがいい
自分もチェーホフは3割くらいしか読んでいない
今度図書館で全集を借りてみる予定だ ヌイチはイォーヌィチとか
ソリョーヌィは ちはつかないです
まあそれはそれとして
三人姉妹ではクルイギンが一番好き >>397
でも一気に読まないほうがいいよ、特に初期は
どれがどの作品だか訳がわからなくなる ヤフオクで買えばいいじゃん
3000もあれば買えるよ
無駄に2セットも買ってしまった俺はチェーホフアン >>409
自分の足で探したいんですよ
カード情報を盗まれたら困る https://www.radiodays.jp/artist/show/197
浦雅春(うらまさはる)
ロシア文学研究者・東京大学大学院教授
東京大学大学院総合文化研究科教授。1948年、大阪府生まれ。
71年、神戸市外国語大学ロシア語科卒業後、東京の広告会社に勤め、ロシア語雑誌の編集に携わる。
ロシア語の勉強のためチェーホフを読むうち、『三人姉妹』の末娘イリーナの「働くことはよいことだけれど、労働の中には詩(ポエジア)がなければ」という台詞を読んで衝撃を受ける。
改めてチェーホフを研究するため、早稲田大学露文科大学院に入り、83年に博士課程中退。
87年に東京工業大学助教授、94年に東京大学教養学部助教授となり、のち教授となる。
専攻はロシア文学、表象文化論など。チェーホフを中心としたロシア文学、ロシア・アヴァンギャルド芸術の研究などを手がける。
おもな著書に『チェーホフ』、訳書にイスカンデル『牛山羊の星座』、ゴーゴリ『鼻/外套/査察官』 (光文社古典新訳文庫) 、『ロシア・アヴァンギャルド』、『メイエルホリドベストセレクション』など多数。 酒豪で下ネタ好き
女関係も全然潔癖ではなく
オリガと交際や結婚していたころでも複数の女性と関係があった
ウィキペディア等に書いてあるけど
今までのチェーホフのイメージから遠すぎて笑える
紳士だったのか普通の俗物だったのか
実像はどうだったのだろう 「日本のチェーホフ」岩松 了
「アメリカのチェーホフ」レイモンド・カーヴァー
「イギリスのチェーホフ」キャサリン・マンスフィールド
「中国のチェーホフ」イーユン・リー 大ヴォローヂャと小ヴォローヂャという作品でショーペンハウアーの名が出てたけど
チェーホフも影響受けてたのか サハリン旅行した時には
そこで商売してた日本人娼婦を買って
そのサービスのすばらしさに感動して
知り合いの編集者に送った手紙の中で
サービスの様子を詳細に描写してたんだよ。 >>414
たぶん俗物を装おうとした糞真面目な異常者だと思う。
観察力が鋭すぎるせいで人間の不合理なところが片端から目についてイライラしてるけど、
かといってそれを横に置いて人生を楽しめるほど不真面目でもなかったんだろう。 不思議なのがいっつも金づまりなんだよな
若い時はしょうがないとして、ある程度成功してからもなぜか常に金不足で苦しんでる
本人か親族が無駄金使ってたのかな >>421
家族みんなの生活費をかせいでたからだよ
そのために医学生時代から必死でアルバイトしてたとか読んでない? >>423
いや、だから作家として成功してからもって書いてるじゃん
全集の解説にだって「不思議といつもすぐに金詰まりになる」
みたいなこと書いてあるくらいだし 岩波のカシタンカ・ねむいに入ってる神西先生のチェーホフ序説
すげー面白い 浦の本は山崎まさよしの歌詞を挟んでくるのが気持ち悪い
秒速5センチメートルってゴミアニメ思い出してイライラする 夏から全集読み始めてやっと一巻読み終わった。読破するまで何年かかるやらw 土田英生さんってチェーホフっぽい要素を含んでるよね
「チェーホフは笑いを教えてくれる」とか「チェーホフを待ちながら」っていう劇も上演してるから好きなんだろうね
MONOお正月特別配信『燕のいる駅』
https://www.youtube.com/watch?v=3T8dt8jx4ik 44歳で亡くなってるんだ。
ずいぶん若くして、去ってしまったんだね。
もったいない。 自分の中では、なんとなく夏目漱石とかぶる
亡くなった年齢も近いし
チェーホフがもし長生きして、子どもが無事生まれていて、
リアルに父になり祖父になり…なんて風になっていってたら
どんな作品を書いたのだろう?読んでみたかったなあ… 夏目 漱石(1867年2月9日 - 1916年12月9日)
明治 : 1868年 - 1912年
アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(1860年1月29日・タガンログ - 1904年7月15日・バーデンワイラー)
1891年 3月〜5月スヴォーリンとともに初めてヨーロッパを旅行。
国際列車の一等車でウイーンからヴェネチア、フィレンツェ、パリとヨーロッパの絢爛たる歴史と文化にひたり、
ニースではカジノのルーレットにも興じた。
1894年 8月〜10月2度目のヨーロッパ旅行。
1897年 大喀血で入院。肺結核の診断。転地療養のため南仏ニースへ(3回目のヨーロッパ。9月〜翌5月)。ドレフュス事件に強い関心
1900年 12月〜翌2月ニースへ(4度目のヨーロッパ)
1904年 6月、南独のバーデンワイラーに転地療養。3週間後、7月2日午前2時ホテル・ゾンマーにて死去。
アレクサンドル2世 在位1855年3月2日 - 1881年3月13日
1861年農奴解放令を公布した。1864年、地方自治機関であるゼムストヴォを設置した。
その他、「大改革」には治安判事と陪審員裁判を取り入れた司法制度の改革、士官養成や管区編成の変更などの軍事改革、
初等教育・中等教育の充実などの教育改革などがおこなわれた。
いずれも、ロシアにとっての課題であった近代化を、皇帝が上から実現を図る改革であり、
それによって1860年代にはロシアの産業革命が始まった。しかしその上からの改革は、ツァーリズムの圧政に対する反発を呼び覚まし、
1860〜70年代にはナロードニキ運動が盛んになった。また、1863年にはロシア支配下でのポーランドの反乱が勃発した。
それらの運動は官憲、軍隊によって厳しく弾圧されることとなり、その結果として1881年には、アレクサンドル2世暗殺がおこることとなる。
アレクサンドル3世 在位1881年3月13日 - 1894年11月1日
この時代に帝国の工業は著しく発達したが、それが農業の危機をもたらすなど、
ロシアの前近代的な社会体制との間に多くの矛盾が噴出し、社会不安はますます増大していった。 >>441
コーヒーゼリーとミルクくらいの比率かと