内田樹いうところの「自分が何を知っているのかを知るために書いている」という
「説明する人」橋本治。独特のくどい文体、論理展開。
これでもかなり要所要所だけ抜き出している。
(この人の「蓮と刀」を読んで、漱石の「こころ」はホモ小説と刷り込まれてしまった。
「源氏供養」もそんな橋本ならではの魅力に溢れていた)

>重要なことは「兼好法師の時代になって、やっと現代人でも読めるような
文章が登場する」です。だから、それ以前の古典―『源氏物語』や『枕草子』
が読めなくたって、読んでも意味がわからなくなたって、べつに不思議でも
なんでもないんです。
 そう思って、安心してください。この私のモットーは、「"わからない″を認め
ない限り、“わかる”は訪れない」です。

>『源氏物語』なんかは、今から千年以上も前に書かれたくせに、近代フランス
の心理小説と同じくらいの複雑さを備えています。その「複雑な内容」を、どこで
切れるのかわからない「和文体」で書かれたら、もうわからなくなるんです。『源氏
物語』の難解さはそれです。
>「ひらがなばっかり」の「和文体」は、ある意味で「子供の文章」です。「ひらがな
ばかり」で、ろくに漢字はありません。かんたんな内容なら、そういう「子供の文章」
で十分なんですが、その子供が、とんでもなく「複雑な内容」を書いたり話したりし
たらどうなるでしょう?
>「かんたんな文章」で「かんたんな内容」を書かれたら「わかる」、でも、「かんたん
な文章」で「複雑な内容」を書かれたら「わからない」―『源氏物語』のわかりにくさの
正体は、これなんです。
(『ハシモト式古典入門』ごま書房、1997、ちくま文庫版だと『これで古典がよくわかる』2001)