>>394
『西宮記』「侍中事」によると、更衣は辰四剋に女官を下知し天皇の洗顔などに奉仕し
午一剋には女官らを従えて朝膳の天皇に供した。
また内宴には更衣または典侍が陪膳役として近侍する、とある。
他にも儀式に高位女官としての職務を仰せつかる場合もあった。
また天徳内裏歌合では、更衣を以って左右の頭とされたが、他は内侍や命婦などの女房ばかりで
中宮や女御などはそこに名を列ねる事はなかったことから、更衣とは別格扱いされていることがわかる。
これらによって更衣と言う身分は、キサキの性格と女房の性格の両方を持ち合わせているといえるだろう。
実際に細かい身の回りの事をしていたのは内侍や命婦と言った女房達だが、儀礼的な職務は設けられていたんだ。

原文>ある時には大殿籠もり過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、
おのづから軽き方にも見えしを

キサキは天皇の寝所に侍る際、翌日になって夜明け以前(丑〜寅刻あたり)に退出するのがマナーだったらしい。
規定外に御前に侍る事は正式なキサキの立場では相応しくないから、内侍や命婦程度の女房と同一視されていたが
皇子の生母となった以上帝も考えを改めて、重々しくキサキらしく扱うようになったということだね。