>>228
芥川龍之介の「藪の中」を読んでも、今さらちっとも面白いとは思わないが、フォークナーはなぜか
おもしろい。
その理由については自分ではまだうまく言い表せないが、>>50で紹介した
石井洋子「小川国夫とウィリアム・フォークナー」 http://atlantic.gssc.nihon-u.ac.jp/~ISHCC/bulletin/11/b002_Ishii.pdf
の小川発言及び石井による敷衍がかなりうまく代弁してくれているように感じる。

石井は、小川の最初のフォークナー体験が高橋正雄訳「響きと怒り」であることを指摘した
のち、小川の次の発言を引用する。

>彼の作品はことごとく推理小説の面白味を含んでいる。この種の小説は、途中でしばしば
立ち止まって考えることはあるとしても、筋の綾目をたどってひたすら読み進むところに
醍醐味がある。ところが、少なくとも私がフォークナーに対した場合には、そうした醍醐
味が、対岸にあるような気がする。つまり、推理小説を味わうに必要な読書のスピードが
出てこない。これは読む方の責任でもあるけれど、書き手のフォークナーにも責任がある。

石井はこれを
>すなわち、読み手の中になだれ込んでくるような、滑らかな文体ではないことは、負荷が
 加わることになるのだろう。
と敷衍する。