>>357
エミリーでもそうでしたが、町の人たちの目って女に厳しいですね。

誰某の娘、父亡きあとは、誰某の妻というアイデンティティを獲得しないと女性が生きにくい社会。
「バーベナ」のドルーシラは男勝りで南北戦争でも活躍したけど、敗戦後、無理矢理、随分年上の
ジョン・サートリスと結婚させられてしまう。でも居心地が悪そう。
エミリー、ミニーは若い頃ちやほやされることに甘んじ、年とってしまった面もあるけど、それも
そのような価値観の社会で生きていたから仕方ないという見方もできる。
フェミニズム批評といった観点からの研究も多分なされているのだろうなあ。
ジェンダー研究的視点をも射程にいれている諏訪部浩一「ウィリアム・フォークナーの世界」をとり
あえず読んでみようかと思います。

>>364
>偽証はひどいですけど、テンプルちゃんもかなり可哀想だったかも。

テンプルちゃんも、「すっかり混乱していて、どのように振る舞えばいいのか、わからなくなっている」
かわいそうな存在として描かれる。
>家父長的な「世界」がテンプルにとって「意味」を成さないものになっていようとも、それでも彼女
は共同体の「娘」としての役割を果たさねばならず、法廷にいる「父」達(法廷にいるのは男性だけで
ある)の期待する言葉を、鸚鵡のように口にしなくてはならない。彼女は共同体の「父」達を満足させ
ねばならないのだ――たとえ彼女が、「父なき世界」においてどうしてそんなことをしなくてはならな
いのか理解できないにしても、である。
 その「イノセント」な自己が「世界」との繋がりを完全に失ったテンプルは、いまや「無意味」に凌辱
された少女でしかない。ブレイカスタンは、裁判シーンにおける彼女の姿がレイプの場面での姿とほとんど
同じであると指摘する。実際、彼女が「主体」として振る舞うことが許されないこの不条理な裁判場面は、
レイプ場面のグロテスクな反復であるといっていいだろう。159−160頁。