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ウィリアム・フォークナー 4
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0037◆vDcOqdC/aA
垢版 |
2011/10/08(土) 12:08:27.88
「バーベナの匂い」法と暴力の関係について

父の死により、語り手は、心ならずも当主になってしまう。語り手は、当主として狩りの
儀式の先頭に立つことを強いられるあの不具で無力無能なモケタッベと同様の立場にたた
されているのだ(後述するようにサートリス家の歴史の中では二代目イケモッチュベに
相当するが、すでに南部が南北戦争に敗北したあとの没落の時期に当主を引き継いだ点で
はモケタッベとパラレルになる)
モケタッベとの違いは、彼が父にもまさる知識教養を身につけ得る賢く有能で、かつ、
祖母のために仇打ちの儀式を若くして行った勇気と行動力もある青年であり、自分の意思
でこの儀式・風習をとりやめたことだ。
しかし、風習に逆らうことは彼にしても大変な精神的努力を必要とした。
オックスフォードから実家についた後、一睡もしていないし、絶えず息苦しさと吐き気が
彼を襲う。翌朝、いよいよレッドモンドの事務所を訪れるが、語り手は朝飯も食べずに
(どのみち喉を通らないから)出かける。
レッドモンドとの対面を果たし、5時間ほども寝入ったのち、語り手はようやくそのプレッ
シャーから完全に解放されたことを悟り、ひとしきり泣きじゃくる。

イケモッチュベ(というより暴力でその地位を確立したという点で初代のドゥーム)に相当
する父も、やはり賢明で自らの死を予期しながら、復讐が時代遅れの風習として消えていく
ことを見越し、むしろ望み、息子が儀式をとりやめる役割を果たすことを期待していた。
父は、息子が大学で学ぶ法律に期待していた。
そもそもベイヤードは父のたっての希望で法律の学位を取るため大学に行ったのだ。
0038◆vDcOqdC/aA
垢版 |
2011/10/08(土) 12:10:25.15
本編が、まず、語り手が夕食後、法律の本を読んでいるところ、父の訃報を知らされるシーンで
始まることからも、フォークナーが法と仇打ち等の暴力の関係について意識的であったことは
間違いない。

>私は夕飯をすませたばかりだった。そしてランプの下のテーブルの上で、ちょうどクック(訳注:一五五二 - 一六三四。
イギリスの法律学者サー・エドワード・クック)の本を開いたところだった。

エドワード・コークと発音されることの方が多い。
「法の支配」の原理の確立者。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%AF

人間たる支配者(王)をも拘束する法。支配者の暴力といえども制限される。
コークの思想はメイフラワー号で北アメリカにわたる。


>国王・宗教裁判所・エクイティ裁判所・海事裁判所に対してコモン・ローの優位を主張し、それらの権力を
コモン・ローによって制限することを主張し続けたとされ、中でも、1606年の国王の禁止令状事件が有名で
ある。国王ジェームズ1世が王権神授説をもって国王主権を主張したのに対して、コークが「王権も法の下
にある。法の技法は法律家でないとわからないので、王の判断が法律家の判断に優先することはない。」と
主張したところ、気分を害したジェイムス1世が「王である余が法の下にあるとの発言は反逆罪にあたる。」と
詰問したのに対し、コークは、「国王といえども神と法の下にある」というヘンリー・ブラクトンの法諺を引用し
て諫めたとされる。
>コークの著書の写しは1620年にメイフラワー号に乗って北アメリカに渡り、イギリス植民地のすべての法
律家がコークの本、特に『判例集』『イギリス法提要』に学んだ。


「征服されざる者たち」連作の第1作「待ち伏せ」で父ジョン・サートリス大佐の蔵書にも
コークの「リトルトン註解」すなわち『イギリス法提要』の第1巻があることがで確認できる。


0039◆vDcOqdC/aA
垢版 |
2011/10/08(土) 12:12:48.95
法律を学んだから、ベイヤードは、仇打ちの風習を野蛮と認識し、やめるに至ったのはなく、
順序は逆であることに注意する必要がある。
現に、大学の下宿先(?)のウィルキンズ教授(判事でもある)夫妻は、語り手がとうぜん、
命を賭して仇打ちをすることを期待していた。
語り手に「剣に生くる者は、剣に死すべし」と南部の勇士の振舞いを期待していた。

夫人
>心配そうな顔を静かに上に向けていたが、その顔は、剣に生くる者は剣に死すべし、とでも
考えているようなふうだった。お婆ちゃんなら考えそうなことだ。

夫人が、語り手の祖母を思い出させるとの記述が直前にある。
この祖母はプアホワイトによる盗賊集団の首領に殺害され、語り手はリンゴーとその首領を
見つけ出し、殺害し、仇打ちを果たしている。
語り手の仇打ちの意志は実は、殺された当人の遺志をくんでいたと取る余地もある。
父が、もうこれ以上他人の血を流すのはごめんだと、法律を学んでいる息子に期待していた
ことがあとから出てくる。
そう言って、父は死を覚悟して、丸腰で、政敵レッドモンドのもとに赴いたのだった。
(そのときは殺されないけど、2ヶ月後に殺される)
0040◆vDcOqdC/aA
垢版 |
2011/10/08(土) 12:13:31.73
教授
>ウィルキンズ教授は一言もものをいわずに、あいかわらず馬とピストルを私に提供しようとし、
あいかわらず「剣に死すべし。剣に死すべし」と考えながら(私にはそれも感じられたのだが)
くっついてきた。


一応、その理由として、「老人すぎて、血と生立ちと背景をもはばからずに、「汝 殺すなかれ」
という原則に固執することなど、とうていできないのであった」と高齢で価値観が固まってしまった
ことをあげているが、おそらく、ドルーシラが頼っていく、彼女の弟デニソンはおそらく法律を学ん
でも、復讐の風習よりも「汝殺すなかれ」の法原則遵守を優先させる側にはならないであろう。
でなければ、ドルーシラが語り手を見捨てて、彼のもとへと行くとは思えない。
儀式をとりやめるには、若さと法律の知識だけでは足りないのだ。

大体、父のかたきのレッドモンドに至っては、かたき討ちどころか、弁護士でありながら、
侮辱されたという思いから、サートリス大佐を射殺しているではないか。
0041◆vDcOqdC/aA
垢版 |
2011/10/08(土) 12:14:47.68
語り手が、復讐の儀式をやめようと思うに至ったのは、実際に祖母の復讐を行なって、
そのあと殺伐とした感情に襲われたからではないかと推測される。
あくまでも推測にすぎないが。

大学で法律を学ぶのは父の希望でもあったが、語り手もおそらくそれを望んでいた。
教授相手に、モーセの十戒のうち「汝 殺すなかれ」について議論したりするのも、
彼が法律を収めようとした動機がそこにあるからだ。
0042◆vDcOqdC/aA
垢版 |
2011/10/08(土) 12:17:19.91
父の遺志
>おまえはなかなかよく法律を勉強しとるそうだな。ウィルキンズ判事がそういっとったぞ。わしはそれを聞いて、
とてもうれしかったよ。……わしはいま、わしの目的のうちで、せっせと活動しなきゃならん方面のことはぜんぶ
やりとげてしまったところだ。……この土地と時勢とが命じるままに、わしは活動をしてきた。……しかしいまは、
土地も時勢もかわりつつあるんだ。今後に残されてる問題は、地固めということだ。狡猾で確実なごまかしをや
ることだ。その点にかけては、わしはまるで母親の腕に抱きかかえられた赤ん坊のようなもんだ。だがおまえは
ちがう。おまえは法律できたえられとるから、ちゃんと自分の――われわれの――地歩を保つことができるんだ。
そうだ、わしはわしの目的をちゃんと達した。こんどはすこし、道徳的な家掃除をやる番だ。たとえどんな必要が
あろうと、またどんな目的であろうと、とにかく人を殺すことにはわしもあきあきした。あした町へ行って、ベン・レッ
ドモンドに会う時には、わしは武器は持たないつもりだ」

「地固め」「狡猾で確実なごまかし」「道徳的な家掃除」
法律がその手段となることを父は知っていた。
自らの死もある程度予期していた。
そして、かたき討ちなどしないでくれよとも。


語り手にはインディアンの二代目の役割も託されているが実は、南部戦争敗北後に当主の地位を引き継いだ、
当主自体であるまいとする三代目なのだ。
(下記の一章での決意はことリンゴーに対してだけのものととれるが)

>私はいまでもよくおぼえているが、そのとき私が考えていたのは、たとえ私たち二人のどちらに
どんなことが起ろうと、私はけっして彼にたいしては「サートリス家の当主」にはなるまい、という
ことだった。
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