【深い河】遠藤周作【沈黙】
この人カトリック教会が応援してくれて地位が築けたんじゃないかと推測。
ぐうたらシリーズとか読んでも、勉強はよくしてるようだけど、
なんかちょっと、あんまり頭がよくない人のような印象が強い。 書いたものよりご本人のが面白い人
なんだろうか
さくらももこに名刺を渡して、彼女が
電話したらテプコだったり
佐藤愛子にいたずら電話をかけたり
するくだりは笑えた 遠藤周作は短編の話がおもろいわ
若い頃は老いるの怖い怖い言いながら年取ったらロリコンになるわ
奥さんの悪口ばっか言うくそロクデナシ人間が世間からは殉教者みたいな扱いうけてるし 沈黙はって過大評価だろ
神のいない国です!って西洋人がほざきそうな言葉
遠藤が借りてきてそのまま唱えてるようにしかみえん 深い河で木口がガンジス川で阿弥陀経を唱えているときにいた少女は、磯辺の奥さんの生まれ変わり? 今までスルーしてたけど人生の踏絵が面白かったので沈黙読んでます 俺も人生の踏絵読み始めた
テレーズデスケルウも買ってしまったw
外国の本はいまいち読まず嫌いなんだが、なんかのエンと思って読もうと思う 絵踏みした人は、踏みたくて踏んだんじゃない。拷問死したくなくて踏んだんだ。それを踏みたくて踏んだと邪推する人は自分が踏みたいから自分の気持ちを相手に投影しているんだ。変態なんだよ! 韻踏みで踏み絵ぐらい凝ってないと。脚韻というか。拷問は避けるべきではない。何か効果や意味がある。 テレーズデスケルウをチューの時に半目あけてる人って表現してるとこが笑った
テレーズデスケルウ読んでタシカニと思ったw 深い河を書くのに大きな影響をおよぼしたというジョンヒックの宗教多元主義買った
3000円とか高すぎww 持っている本・海と毒薬 悲しみの歌 侍 わたしが・棄てた・女 父親 夫婦の一日 結婚
ひとりを愛し続ける本
今回購入した本・人生の踏み絵 イエスの生涯 深い河 留学 砂の城
尼の古本で灯がうるむ頃と一・二・三!と怪奇小説集も購入する予定 沈黙忘れていました
大昔読んで古本屋に売ったきりです
購入して読みます 深い河って大学生の頃読んですごく感動した覚えがあるんだが、今読んでもあんまりジーンとはこなかった
あれこんな話だったっけ?!って思った 昔読んだ角川文庫のぐうたら生活入門が書店にあったので買ったけど薄いのに600円は高い
テレーズ・デスケルヴも文庫で1100円もした 深い河を読み終わった
涙が止まらなかった
沼田は先生そのものなんだろうね
満州の犬・犀鳥・九官鳥
そしてここには出てこないけどリヨンの猿はよほど気に入っているらしい
大津の生き方=キリスト的な生き方
の解釈で合っている?
終わり方にショックを受けた >>318
補足
>満州の犬・犀鳥・九官鳥
>そしてここには出てこないけどリヨンの猿はよほど気に入っているらしい
動物のエピソードのこと
何度か他の話でも出てくる 話の舞台がインドで
ガンジス川界隈の話で終わるというのが、なんか意図がありそう
舞台がフランスでセーヌ川のほとりで終わるとか
舞台がエルサレムあたりでヨルダン川界隈の話で終わったらだいぶ意味が変わってくる 最近たまたま読んだ本で、あるプロテスタントの牧師が宗教多元主義を全否定していて笑った 遠藤周作と三浦綾子の違いを例えると
遠藤周作は自分の着古したコートについて、シミやほつれのことまで語っていて
三浦綾子は最近買った服について、デザインや購入にいたった経緯について語っている 三浦綾子は昔好きでよく読んだけど登場人物の心が綺麗過ぎて現実感が無いんだよね
遠藤周作の登場人物は人間臭い ミッション系の大学へ行き、遠藤周作という作家を知り
いろいろな経験をし、ついにクリスチャンになりました なんかビートルズのアンソロジーみたいな感じするなあ
発表されなかったことにはそれなりの理由があるわけで、ゴミ箱の中をあさるようなマネはアーティストに対するボウトクである
とだれかが言ってたよ 読んだ感想 マダァ-? (・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン >>336
積読になっている
明日ちゃんと読んでみるよ カトリックの宣教が始まりのカクレキリシタンが、鎖国終わってもカトリックに戻らなかった理由は、隠れてもいない、キリシタンでもない、カクレキリシタンというものになっていたからだ
という人もいるけど、現代の在日ブラジル人やなんかも同じかな
ポルトガルの植民地だったことを考えるとカトリックのはずなんだけど、ほとんどのブラジル人は日曜日にカトリック教会じゃない教会行ってる こいつはキリスト教キチガイすぎて今ではもはや評価されなくなった小説家だな
その辺はソ連崇拝の宮本百合子と似ている >>338
カトリックじゃない教会とは?
例えば プロテスタントとかか? >>341
そうプロテスタント系
evangelicalと書いてあることが多いから、プロテスタント系の福音派だと思う 遠藤周作が深い河創作日記で書いてる「今のわたしはプロテスタント的である」って言葉って、宗教多元主義的な考え方してるって意味じゃなく、信仰義認のこと言ってるんだな
クリスチャンになって初めて分かったよ 遠藤周作の短編で一回だけラジオで聴いたのがあるんだけど、どうしても思い出せないのでわかる方いれば教えて頂きたいです
・大学?の机の中に手紙を入れてそこから男女が付き合う話
・男が日中、女が夜間に通っていた(逆かも)
・最後は女性が交通事故で死んでしまう
情報少なくてすいません >>345
「青い果実」です
講談社文庫の「結婚」に入っています
舞台は高校で、主人公の吉岡努は高校生で、浜田千代子は昼間ビール工場で働いて夜間の高校に通っています
古本で買えるので探してみてください
表題作の結婚も面白いですよ、結婚に対する価値観が今と違いますが…
「集団就職」もいい話です >>346
昔ラジオで聞いて思い出せずにいたんです。
本当にありがとうございます。
文庫も買ってみようと思います。 今日「おバカさん」を本屋で見つけたので買った
昔々買ったけど引っ越す時に売ってしまって後悔していたので嬉しい >>327-329
これ買ったけど私はまだ読んでいないしここに誰も感想を書いてないね 「影に対して」未発表なのが納得出来た
つまらなくはないが、遠藤作品としては出来が悪い 遠藤周作という人はちょくちょく俺の人生を横切る人だ https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202105170001136.html
フジテレビ遠藤龍之介社長が副会長就任 金光修氏がフジMHDと社長を兼任
[2021年5月17日21時8分]
フジテレビとフジメディアホールディングスは17日の役員会で、遠藤龍之介フジテレビ社長(65)がフジテレビ副会長に就任し、
金光修フジ・メディア・ホールディングス社長(66)が、両社の社長を務めることを内定した。
関係者への取材で分かった。来月の株主総会を経て正式に決定する。
遠藤氏は約2年で、フジテレビの社長を交代することとなった。
遠藤氏は編成として時代劇などを担当。広報担当としてライブドア事件などの処理に当たり、19年6月、社長に就任した。
96年に亡くなった芥川賞作家の故遠藤周作氏(享年73)の長男。
金光社長は編成で「料理の鉄人」「カノッサの屈辱」などを担当。
19年6月にフジ・メディア・ホールディングス社長に就任していた。
◆遠藤龍之介(えんどう・りゅうのすけ)1956年(昭31)6月3日、東京生まれ。
81年慶大文学部を卒業して、フジテレビ入社。01年7月編成制作局編成部長、03年6月広報局広報部長。
06年6月広報局長。07年6月取締役。10年6月常務取締役。13年6月専務取締役。
17年6月専務取締役、社長補佐等担当。19年6月代表取締役社長。
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/img/202105170001136-w1300_0.jpg やっぱ、遠藤周作の母親と ヘルツォーク神父はデキてたんか?? 中学生の頃、遠藤先生は朝鮮人だと思っていた
狐狸庵だからな 小学生の時に初めてハマった作家
数年に一度、読み返して癒されてます
シリアスも含めて、親近感の塊。 は用心しすぎだろ
この人から害を被ったことは無いぞオレ
なんの恨みも無いわ、むしろ膠着状態に来てくれて本当に有難い
怒鳴りつけたのは20年たまりにたまっていた怒りが爆発したから
良かったじゃないですか現場じゃなくて 深い河を読み終わった
涙が止まらなかった
沼田は先生そのものなんだろうね
満州の犬・犀鳥・九官鳥
そしてここには出てこないけどリヨンの猿はよほど気に入っているらしい
大津の生き方=キリスト的な生き方
の解釈で合っている?
終わり方にショックを受けた >>363
そんな感じだと思うけど、遠藤周作の考え方にはキリスト教より、他力本願・念仏を旨とする浄土真宗が合ってた気がする
まあ大津のようになりきれない自分の中途半端さを作者本人が感じていたのかもしれないが。 「同伴者イエス」がテーマの一つだと本人がなんかに書いてた気がする 私のイエスに
「私は、いつか小説に書きたいことがある。同じ神学校で同じことを教えられた、違った国籍を持つ二人がいる。祖国同士が戦争を起こし二人は戦場で遭遇し、銃を向け合わなくてはならない状況になったら二人はどうすればいいか」
って書かれてたんだけど、これは小説になったの? この壮大なテーマの冒頭に、作者は、「焼き芋〜 焼き芋〜 ほかほかの焼き芋〜」という一言葉を選んだ。 遠藤周作は1970年代後半、高校生の時にはまった作家
『白い人』や『海と毒薬』、『わたしが・棄てた・女』や『さらば、夏の光よ』などの小説、
さらにはぐうたらシリーズなどエッセイも含めてかなり読んだが、
大学進学で上京後は読まなくなったし、本も実家に置いてきて手許にない
先日、近所の書店に新装版の『深い河』(>>370)があったので、購入した
数十年ぶりの遠藤周作だが、さてどうか 遠藤周作のスレはあるのに同じクリスチャンの三浦綾子はないのか
最近ハマった 文学板自体が人少ないからなー
三浦綾子で思い出した
氷点て原罪がテーマとか言ってる人いるけど、たぶんその人原罪の意味わかってないし、クリスチャンでないと思う 三浦綾子は一つも読んだことがないが、
最近『細川ガラシャ夫人』新潮文庫を買った
大河ドラマの主役になってもおかしくない人物で興味があったし、
表紙カバーが美しかったから 三浦綾子と遠藤周作は直接ではないけど
軽く批判しあってたな 三浦綾子はプロテスタント、遠藤周作はカトリックだから対立は必然 遠藤周作の手記みたいなやつにはたまぁに三浦綾子出てくるよね
俺の読んだ限りの手記には三浦綾子に否定的なことは書いてなかったけど 遠藤周作の記録が残されていなかった短編小説 見つかる
「沈黙」などの作品で知られる作家、遠藤周作が、デビュー後まもない時期に発表したものの記録が残されていなかった短編小説が、
遠藤周作文学館などの調査で見つかりました。
専門家は「後の作品に影響を与えた貴重な作品だ」と話しています。
見つかった作品は「稔と仔犬」というタイトルで、著作目録などには記録がなく、これまで研究者の間でも存在が知られていませんでした。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20211219/k10013394911000.html >>383
この「稔と仔犬」は、来年2月に出版されるということです。 もうこれ以上ゴミ箱あさるようなまねはやめてくれ
遠藤周作より >>382
立派なキリスト教徒だけど生真面目すぎて偽善的になってる
と言うのと
信仰を忘れ世俗的利益(金と名誉)に走ってる
という、あくまで「そんな感じ」の文を互いに見た気がする
直接言い合ってるんじゃなくて、さりげなく匂わせるみたいなのは見たことがある。
どこでと言われても答えられないけど。
三浦は旦那が神父で、文筆で稼いだ金、全部献金状態だった。
ただ戦中、学校の先生で、戦争大賛成の人で、教え子を何人も戦争に送った罪悪感でキリスト教徒になったという
ここらへんの極端な振り幅が見方によっては 三浦の旦那は郵便局員じゃなかったっけ
クリスチャンになったのは戦争に送った罪悪感じゃないよ のちに旦那になる彼氏がクリスチャンだったというのは手記に書いてあったな >>386みたいな全部嘘のレスってどういう理由で書き込んでるんだろう
不思議だわ 7年間小学校教師をやってたのにどうやって生徒を戦争に送り込めるんだろう >>391
いや単に無意識的に記憶を変形・創作してたのかなあ
自分でも不思議だわ
40年は長いな〜www https://mainichi.jp/articles/20211228/k00/00m/040/132000c
長崎市遠藤周作文学館は28日、
潜伏キリシタンを描いた小説「沈黙」などで知られる作家、
遠藤周作(1923〜96年)の未発表戯曲3本の原稿が見つかったと発表した。
いずれも遠藤が生涯のテーマとした「日本人とキリスト教」について描かれており、
関係者は「遠藤文学の神髄を伝える貴重な作品」としている。
見つかったのは、「善人たち」(清書原稿124枚、草稿25枚)▽
「戯曲 わたしが・棄(す)てた・女」(清書原稿105枚、草稿22枚)▽
「切支丹(きりしたん)大名・小西行長 『鉄の首枷(くびかせ)』戯曲版」(清書原稿117枚、草稿28枚)。
使用された原稿用紙や遠藤の日記などから、
執筆時期は「鉄の首枷」が75年以降、他の2本は79年ごろと推定される。
「善人」以外は、遠藤による小説がある。
文学館では昨年、遠藤の未発表の中編小説「影に対して」の原稿が見つかっており、
全ての所蔵資料を再調査したところ、3本が未発表と分かった。
未発表の理由は不明。いずれもタイトルはなかったが、出版が決まったため遺族らでつけたという。
3本のうち「善人たち」は、米ニューヨーク州オールバニを舞台に、
神学校に通うため渡米した日本人青年とその周囲の米国人一家を描く。
遠藤自身の戦争体験やフランス留学の経験などが色濃く反映され、
人種問題や戦争とキリスト教など、遠藤文学の主要なテーマが凝縮されている。 最近新発見みたいなの多いな
また三田文学に載せるのだろうか まいったなあ、ゴミ箱あさるようなまねはやめてくれないか
発表しなかったのには理由があるんだ
遠藤周作より ほんと、自分がゴミ箱漁らる立場だったら泣きたくなるわ。
登校したら、大学の教会が人で溢れてるから「何だろう?」と思ったら、遠藤周作の葬儀でビックリしたあれから四半世紀。自分も今年から急に老眼が始まったオッサンになりましたわ。 いま遠藤訳モーリアックの『愛の砂漠』を読んでいる
昔『テレーズ・デスケルー』を読んだが、どちらも読みやすい良訳だ
小説自体はおそろしく暗いけれど 日本人にとってキリスト教とは何か
遠藤周作「深い河」から考える
若松英輔
↑これ今読んでるんだが、まあまあおもしろい
「人生の踏絵」にも出てくる「人生と生活は違う」って言葉の解説がしてあってナルホドって思った 三浦綾子の未発表の詩が見つかったんだそうな
遠藤周作といい三浦綾子といい、もう未発表にハアハアするのやめた方がいい気がする
宮沢賢治の銀河鉄道の夜だって生前未発表だから一概には言えんとこもあるけど あれだけ社会的成功をおさめた遠藤周作が晩年、自分をヨブ記のヨブにたとえていたのは宗教の気持悪さ。 >>404
奥さんが死んだりもともとカリエスだし
晩年の密着取材映像みたいので
若い記者にキレてた狐狸庵先生らしくない姿を思い出すと
そう思ってたのかもしれない
どんなに成功しても健康が侵されると全て意味がないな ヨブ記って、信仰深いヨブさんが悪魔からものっそいイヤがらせ受けて信仰失いそうになったけど、なんとか持ちこたえてより一層めでたいことになりましたって話だったよな
それと自分の今を重ねてるんだよ
健康じゃなくなって苦しい思いをしてく時に、信じるものがあるって幸せなことだと俺は思うぜ まっ結果的な筋としてはめでたしめでたしだけど
主となるテーマはまったく非が無い生活をしている人が
苦しみだらけの出来事にばかり見舞われるのはどういうわけなんだ
ということだよ
ヨブ記が象徴的に取り上げられるのもこの点でね 稔と仔犬 青いお城
遠藤周作初期童話
遠藤 周作 著
単行本 46変形 ● 228ページ
発売日:2022.02.28(予定)
予価1,870円(本体1,700円)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309030265/ しかし人いねーなww
では最近思うことを一つ
「カクレキリシタンは江戸幕府の激しい迫害にあっても信仰を守り通した」というのは、遠藤周作が作ったイメージ
彼は小説家だからそれは別にそれはいいんだけど、実際のカクレキリシタンが信じていたものはキリスト教の教理からはかけ離れたものだった
カクレキリシタンはクリスチャンなのかどうかはちょっと注意したほうがいい
まあ日本に布教したのがカトリックだから教理がズレてるのは仕方ないとこもあるが… 隠れキリシタンの信仰が、キリスト教とかけ離れてたって、まさに遠藤周作が書いてきたことそのものじゃないか ちょっとズレてるなーくらいの書き方じゃなかったかなあ
沈黙に出てくるオラショ
農民が宣教師に「オラショを唱えてくだせぇ」って言うやつ
このオラショが実はグレゴリオ聖歌であることを突き止めた人が少し前にNHKに出てて驚愕した
バチカンまで長い間行って調べた結果、分かったらしい
その人はそれから洗礼受けてクリスチャンになったみたいだけどな
導きってやつだなと思った ずっと昔、遠藤と大江健三郎が銀座のバーで一人の美人ホステスを巡っての恋のさや当てで?殴り合い寸前まで行ったとか。 その揉め事にはホステス関係ねえなw
無知が無理して話題作りに必死で草 >>427
お前がろくに本を読んでないだけ
それについては安岡章太郎が書いている
若くても読んでいれば知っている >>428
俺もウィキその他のネット情報を見て言ってるだけだが、
じゃあ真相は?? >>430
俺はお前みたいなチマチマした人間じゃないので
細かいことにあんまり興味ないんだよ。 >>431
だからデタラメばっか書き込んでゴミみたいな人生送ってんだろう
周りがみんなチマチマ頑張ってるのに陰口を叩きながら
自分は宝くじでも当たりますようにと願っているようなカスなんだろうw
な、カスw >>432
人には分というものがあって、お前はチマチマを専門に拾ってろ。 >>433
ブ?貧乏臭い部屋で屁でもこいてろよゴミw お前の屁が出ないならお前の死期が近いんだよw
鏡と会話してるつもりなのか、アスペかよw やっぱつまんねーなお前
話になんねーから本くらい読めよゴミ 生誕100年か
三島由紀夫より年上だったんだな
高校生の頃、講談社から出ていた遠藤周作文庫を愛読した
今はその本は一冊も手許にないけれど 遠藤作品を初めて読んだ感想 白い人
表現がきれい
変な性癖がありそう 遠藤周作文庫のA10, A11, A12って出版されたんですか? 遠藤周作と同じような作家、ほかにおすすめあれば教えてください。
登場人物に人間臭さがあって心情描写がしっかりしてるような。 >>447
反共同士でもあり、遠藤と親しかった阿川弘之。 大江健三郎は第3の新人のなかでは安岡と吉行とは仲がよく、
遠藤、阿川とは犬猿の仲だった 自分を持ち上げてくれる人とばかりつるんでいるって感じ。 >>447
>反共同士でもあり、遠藤と親しかった阿川弘之。
遠藤さんが反共だったかどうかは詳しくないが。反精神分析だったのは北杜夫との対談で読んだこと
ある。北杜夫は精神医学者だし精神分析にも作家を知る方法の1つとして意味はある、という言い方
をしたら、遠藤が猛然とそれまでのまさしくグウタラなモードから変わって反論しだしたのを覚えてい
る。今思えばあそこまで精神分析を否定する必要あったのかと思うくらいの調子だった。
遠藤周作の狐狸庵ものは楽しませてもらったが、一見グウタラでありながらそうではない堅いところ
もあった。精神分析否定はその典型で、しかし精神病の作為体験とかがあって苦しんでいる人もいる
事に関してどう言っていたか記憶にない。精神分析をやるしかない事例だってあるんだし。もしや
今思えば『存在と無』でのサルトルに同調したかもしれない。あそこでサルトルは無意識を否定。
当然精神分析も否定。しかも後からはそれを撤回する。あれで『存在と無』が「20世紀哲学の金字塔」
とよく言われるはないだろうと思うが。サルトルのあそこでの展開を鵜呑みにしてそのままだったのか
という疑いもある。最後のフローベール論ではサルトルは精神分析全開なんだけど(笑) >>457に続けると。遠藤さんてグウタラとか標榜して軽妙なエッセイも書く。だけど深刻な宗教
小説も書く。二面性があるわけだけど。しかし先の精神分析批判もだけど、肝心な、作家としての
「ここだけは」という線にかんして、甘いところがあったようにも見えるんだけど。サルトルの自ら
の不勉強を後に放棄したと同じ無意識批判をそのまま持ってるとかね。北杜夫がどうみても気の毒な
感じがした。ああいう遠藤と話さなきゃいけない。しかも先輩なわけでしょう遠藤の方が。しかも
グウタラから急に起き上がって反論しだして(笑)北は自分が躁鬱で周囲に迷惑もかけてるし、自分の
病歴の実体験で言ってるんだから遠藤の持論展開に付き合う理由はなかったはずだが付き合ってた。
今思うと終生ちゃんと勉強してたのか疑問だし、途中でそれまでの教養でしか書かないようになった
のじゃないかって疑問もありますね。それでいかにも世間的にはユーモアもわかる教養人で宗教家で。
どっか緩んでるというか、「緩んでるように見えて実は私は硬派である」かにみせてその実
物事を突き詰める作業から離れたんじゃないか。しかもそれを優しさみたいに考えてたんじゃないか
という疑いはある。 >>458に続けると。狐狸庵ものが読まれた当時は1970年代で、政治運動が連赤事件でいったん頓挫
して、どっか「突き詰める思想は危ない」て風潮が蔓延したときでもあったんですね。狐狸庵先生や
マンボウものはそこでウケた。「突き詰めないのが優しさ」みたいなはぐらかしの効用があるみたいに
。だけどそういう時代が一段落して振り返ると、遠藤さんの立ち方がどっかいい気なものみたいに
視えてくるところはありますね。政治的にも文学的にも宗教的にも。優しさはいいけど、それを盾に
して突き詰める思想にSTOPかけるのがさも正しいみたいに。そういうのって遠藤さんの周辺全体
にあって、結局保守派の1グループみたいなところに落ち着いていくわけでしょう。北杜夫は別とし
て。佐藤愛子もそう。それと阿川弘之は逝去してるけど娘の阿川佐和子って、年長にしては可愛いだけ
であと何がある、と問えば何もないんじゃないか(笑)あらゆる人に平等に接するは良いけど、この方は
相手に決定的な疑問を呈することは避けるからそれが続いてる。それって素晴らしいことなんだろうか
。こういう姿勢ー決定的な突き詰め方をしない優しさーこそ遠藤周作一派から継承してる癖であり、
文春対談のポリシーであり、阿川佐和子が可愛いおばさんだからこそ通用するんですよね阿川さん?
(笑) サルトルもフロイトも強姦しているけど文学界や医療制度で。 カトリック作家の遠藤周作がフジテレビに入社が決まった息子に言ったらしい。「おまえは公道を歩くことにしたんだな」――砂浜を歩きながら。「こうして一歩一歩自分の足跡が残る生き方もいいもんだぞ」 Kim, Yi-Chul 🖖
国際的な知名度があり、同時代の大衆にも浸透しており、優秀な作家であ
るけれども、同世代のなかで突出しているわけではないという「第三の新
人」のなかの遠藤周作のような立ち位置に漫画史上いるのが鳥山明。他方
「24年組」は大江健三郎が三人ぐらいいるのでかなりおかしい。
2024年3月11日 必死に持ち上げてるごく一部の人たちを除いてはほぼ忘れられつつある。 遠藤周作氏は、著書の中でキリシタン時代の歴史を独自の視点で描き、宣教師やキリシタン弾圧について批判的な視点を提示しています。しかし、彼の作品には、歴史的事実の誤認や偏見に基づいていると思われる部分も見受けられます。
例えば、宣教師が侵略戦争を行うためのスパイとして送り込まれてきたという主張は、史料的な裏付けが乏しく、当時の宣教師たちの活動内容を過度に単純化していると言えます。また、キリシタンの拷問・処刑が根拠なく行われている残忍なものであるという表現は、当時の弾圧の実態を過度に強調しており、キリシタン弾圧の複雑な背景を考慮していないように思われます。
さらに、高瀬弘一郎氏の『キリシタン時代の研究』に引用されているイエズス会宣教師ペドロ・デ・ラ・クルスの手紙の内容は、宣教師たちが日本征服を企んでいたという印象を与えるものです。しかし、この手紙はあくまでも一人の宣教師の個人的な意見であり、当時のイエズス会全体の意向を反映しているとは言い切れません。
遠藤周作氏の作品は、キリシタン時代に対する理解を深める上で貴重な役割を果たしていると言えるでしょう。しかし、彼の作品を鵜呑みにするのではなく、歴史的資料に基づいて批判的に検討することが重要です。 遠藤周作(1923年3月27日 - 1996年9月29日)
『沈黙の声』(2017年、青志社)、1992年時の著作
「長崎で見たときはなんでもなかった踏絵が私の心にかかりだし
たのは、東京へ帰ってきてからだった。(中略)
あの黒い足指の痕を残した人びとはどういう人だったのか―――と
誰もが考えるように、私も考えた。自分の信ずるものを自分の足
で踏んだとき、いったい彼らはどういう心情だったのだろう。」
「踏絵に足をかけていった人びとの話は、私にとってけっして遠
い話ではなかった。むしろ切実な問題だった。〈信仰〉などと言
うと縁遠い話になるのなら、〈自分の生き方や思想・信念を暴力
によって歪められざるをえなかった人間の気持〉と考えてみれば
どうだろう。誰にでも痛いほどに分かる問題のはずだった。
踏絵の足指の痕は、他人事ではない。」
遠藤周作『沈黙の声』