>>368
佐々木中は賭けよりもストレートな主張ばっかしているように見えるけどな…というと言い過ぎか
でもゲージュツの代理=表象を買って出ているだけっつうか、その限りでは喜んで自足している人を超えていないんでないの?
佐々木はそれもこれも分かってて原理論をやっているだろうけれど、主張なるものと無縁の場所にしか賭場は発生しえないでしょ
当の0.0001は0.0001であることを知る由もないから賭けが成り立つのに、彼の煽動が生むのはせいぜい>>366>>369のような主張を汲み取ってみせるだけの奴じゃんね?
それって君が言うような読めてないことのしょうもなさ、あるいは一つの賭けに至るよりずっと手前の、ただのしょうもなさなんだよ

そんでよ、
《あらかじめの》0.0001パーセントの栄光などいうものはない、
および代理=表象されることなき当の芸術は、99.9999パーセントの失敗を《前提とする》ことなどありえないし、その確率はとうとう結果ですらない
(奇蹟がアトランダムではなくダイアグラムから発生するのであればなおさら)
ということが>>366は分かっていないように見えるんだよね
「文学の負けはほぼ前提」とか言っちゃっているから

煽動のためにゲージュツの代理=表象をしているであろう佐々木中の主張を疑いもなく代理=表象している>>366
結局びっくりさせられるくらいに賭けを主張の理解という形でしか提示できていないわけだよ

しょうもないほうの、とわざわざ書き足したのはそれゆえになのよ
ただただしょうもないほうの