中村光夫
文学の世界って、まるでタイムマシンに乗ったような体験ができるんだ。中村光夫の作品は、大正時代から昭和初期にかけての日本の社会や文化を鮮やかに描き出してるから、まるでその時代にタイムスリップしたような気持ちになれるんだよね。
例えば、「縮図」って作品は、当時の学生たちの恋愛や友情、そして将来への不安を描いていて、すごく共感できると思う。主人公の学生たちは、戦争という暗い影に翻弄されながらも、自分たちの生き方を探していくんだけど、その姿は現代の私たちにも通じるものがあると思うんだ。
他にも、「死の島」とか「獅子」とか、名作がたくさんあるから、ぜひ読んでみてほしいな。きっと、新しい世界を発見できると思うよ。 中村光夫、あるいはわが青春に悔なし(7)
(2005)
Saven Satow
2024年6月12日
「そして世間から学者といわれるような人々に却って無教養な者が
多いのも当然の事として頷ける筈である。彼等の所謂教養とは、多くの場合
単に無用な知識の堆積にすぎない」(中村光夫『中島敦』)。
前近代は、近代に比べて、非合理的だという先入観も次第に改まっていき
ます。1970年代に途上国でセオドア・W・シュルツ(Theodore William
Schultz)の近代理論が本格的に導入されます。彼は第三世界の農村地域を研
究し、『農業近代化の理論』や『世界農業の経済的危機』、『経済成長と農
業』、『農業的誘引の歪み』といった示唆に富んだ著作を発表しています。
80年代にポストモダンが勃興し、先進国において段階論で形成された近代
概念が再検討されます。90年代に入ると、冷戦構造の解体による社会主義諸
国の発展戦略が挫折したものの、東アジア諸国やASEAN、インドが経済成長
を遂げ、グローバリゼーションと各種原理主義が進行し、こうした近代化論
を葬り去っています。
そうした世界情勢を考慮するなら、近代は段階ではなく、ゆらぎです。現
在、中国やベトナム、イランといったかつて原理主義的政策を実施していた
国家の間で、近代化が進み、経済的な発展と政治的な多様化が見られるよう
になっています。
エリートの青春が従来の近代化でしたが、大衆の青春が新たな近代化の特
徴です。かつての近代化が政治主導で行われたとすれば、今回の近代化は経
済の要求に押されて進んでいます。近代の超克などは、どれほど1940年代の
日本人にとって有意義であったとしても、彼らには、空疎です。 近代の超克は、政治主導で、デザインを考え出し、「力の地図」を描く企
てです。「文化のイメージをえがく」ことをしていません。日本浪漫派のア
ジアへのシンパシーにしても、アジアの複雑さが欠けています。日本の近代
化は、東南アジア諸国に比べれば、ゆっくりしているだけでなく、単純で
す。線形として捉えられるのです。日本より多民族・多宗教を抱えていた
り、地理的複雑さを備えていたりするアジア諸国の近代化は非線形的です。
中村光夫は衛星放送やインターネット、携帯電話といった高度に発達した
国際的な情報網も目にすることはありません。けれども、彼は近代に向けら
れた意識の倒錯を問い、ゆらぎの視点を持っていたため、その洞察は、むし
ろ、現代的です。民衆からの要求によって日本の現状に適応するために変化
した近代を中村光夫は決して非難したりしません。「動きなれた精神の軌道
から出ることは、口に云ふほど、簡単ではないのです」(中村光夫『「近代」の
借り着』)。
中村光夫は近代をある歴史的段階と捉えていません。前近代=近代=
脱近代という線的な歴史観ではなく、近代をゆらぎとして把握しているの
です。
中村光夫は1/fゆらぎとしての近代化を暗示しま
す。彼は反近代ないし脱近代ではなく、近代を自己組織化に基づいて問いつ
めることによって、それを非線形の認識として再検討しています。中村光夫
の作品は、今日拡大しつつある新たな近代化についても示唆を与えているの
です。
「僕らは惰性で灰色の老年を生き、残った酒の苦がい澱を飲まねばなるま
い」(中村光夫『鈴木力衛への弔辞』)。