瀆聖や一般的な性愛の否定が、サドの大きなテーマだろうけど、
逆にそれが否定するものの価値を高めるってことでしょ。
一般的な無宗教の日本人なら、サドの小説の人物たちが、なんでそんなに必死に神を否定しようとするんだ、
って冷めた感情を抱くんじゃないかな。

神を否定するものは、逆に神に近づく。ユイスマンスしかり、最近の人だと佐藤優なんかもそう。
同志社大の面接で「わたしは無神論者です」とか言った数年後に、洗礼を受けてるって典型。

まあ、サドの読み方の一つに過ぎないだろうけど。