内藤陳追悼 in 文学板
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「読まずに死ねるか!」内藤陳氏が死去
コメディアン内藤陳さんが食道がんのため、死去していたことが30日、分かった。75歳。
著作「読まずに死ねるか!」などで知られ、「日本冒険小説協会」の会長を務めた。
[2011年12月30日21時21分]
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20111230-883327.html これは酷い。
あなたがた、いったい陳メに何の恨みが… >>17
榎本健一・藤山寛美・萩本欽一と並べて「自分の手足を切ってゆく」タイプの芸人に分類した。
(対極として、古川ロッパ・森繁久彌・タモリの名を挙げた)
って阿佐田哲也の話を思い出した。(Wikiで読んだおw) 生徒を親の職業や社会的地位で差別していた
元公立高校国語教師・村井正三は、もう地獄へ落ちただろう。 唯さん時々夜兎さん
カレーを食べに歌舞伎町まで行ったんだけど、今日は定休日でした(。´Д⊂)
近くの店でランチをしたあと、深夜+1を見に行ってきた。内藤陳さん亡くなってるけどまだ、営業してるね。
この店に行ったの30年以上前だわw内藤さんの誕生日だって話で、ドンペリを客全員で廻飲みしたのが懐かしかった
http://pbs.twimg.com/media/C4CgJurUMAEIyf8.jpg
2017年2月6日 会報2018年2月号2018.03.02更新
追悼
関口苑生
井家上隆幸−−いけがみ・たかゆき、と読む。全国で数軒しかない表記の姓らしく、
初見の人にはまず読めない。本人によると、梶山季之の『ミスターエロチスト』に
井家上姓の人物が登場するそうで、それ以外ではほかに見たことがないと言っていた。
最初に会ったのは、三十六、七年前になる。新宿ゴールデン街の酒場『深夜+1』で、
店主の内藤陳さんに紹介されたのが始まりだった。年齢は二十歳近く離れていたが、
それからあっという間に親しくなり(というか、親しくしてもらったというほうが正しいだろうか)、
それ以後わたしは金魚の糞のごとく、ガミさんの後をついてまわったものだった。
もっとも彼の怒りっぽさはつとに有名で、丸山邦男が斎藤龍鳳、柳田邦夫、井家上隆幸の三人を評して
「すぐに爆発する」からと“プロパン三勇士”と名付けたくらいだった。そうした彼の怒りは、
活字離れの若い人たちにも向けられたが、それよりもむしろ編集者に対してのほうが強かったように思う。
自身が編集者として小沢昭一『私は河原乞食・考』、竹中労『エライ人を斬る』、小鷹信光『アメリカ暗黒史』、
清水一行『小説 兜町』、嵐山光三郎『チューサン階級の冒険』といった本を過去に担当して
−−どの本も、今では名著と言われている――その経験と自負からの苦言だったのだろう。
そんな彼の仕事ぶりは『量書狂読』『またも量書狂読』『ここから始まる量書狂読』の三冊に集約されるだろうか。
一体あの人はひと月に何冊読んでいたんだろうと思うほどの本の数が、短い書評とともにそこには掲載されている。
著書のひとつに『一年で600冊の本を読む法』という本もあるから、
最低でもそのぐらいは読んでいたと思われるのだが……。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています