ミラン・クンデラ
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もう出ないかと思ったら新作小説出たな。
前回に続いてチェコ語フランス語は後回しで、今度はまずイタリア語訳からだ。
ttp://ilmiolibro.kataweb.it/booknews_dettaglio_recensione.asp?id_contenuto=3746069
ttp://cultura.panorama.it/libri/milan-kundera-la-festa-dell-insignificanza 集英社文庫 12/13 別れのワルツ ミラン・クンデラ 未定 クンデラを最初に買ったのはペーパーバックのコーナーの英訳本の
The Book of Laughter and Forgettingだったが、最近調べて分かったが
その時は邦訳が出た直ぐ後だった。
あれほどの作品の邦訳が、原作から16ー7年?も間をおいて出たんだから、
編集者の無能も甚だしい。日本には馬鹿な編集者しかいない。
俺の場合は、ペーパーバックの中の冒頭数ページを立ち読みしただけで、
これは類い稀な名作を見つけたと有頂天になったがね。
本屋はやっぱり、ペーパーバックのコーナーがないと話にならん。
エーコに出会ったのも、ペーパーバックのコーナーだった。 じゃあ、ペーパーバックを仕入れた書店の担当者のほうが
編集者より目が利くというのかい?(笑
あんちゃん、もう少し考えてものを言うこったな。 「不滅」、よくわからなかった
ひとつひとつの章?が短いし場面が頻繁に変わるから
移動先に持っていって少しずつ読んでいたんだが、それがあかんかったのか
断片的で、バラバラで、それを頭の中でうまく繋げられなかった
いずれ再読したいけど この作家が性や愛の叙情性を信じていないという指摘はよくわかる ある程度、人生の辛さ惨じめさを舐めた者でないと
クンデラの味は分からないかもな。
暗闇の中から聞こえて来る複雑で皮肉な笑い声、そういうのが
好きな俺には至上のものだが。
今、読めば、そう面白くもないかもしれないがね。
日本人には、ワサビが全然利いてない落語の皮肉ぐらいが
丁度だろう。 「存在の(略)」は、人生経験の浅いDQNの自分にも十分すぎるくらき面白かったよ
最初にたまたま映画のほうを見てたんだけど
小説の方が何倍も面白かった そうそう、映画なんかに飛びつく前に
活字を読もうという好例ですな 存在の〜はタイトルからして暗いよね
そしてトマーシュの一夫多妻的なスタイルはちょっとうらやましい 「存在の〜」とクッツェーの「恥辱」て似てね?
「存在の〜」の方が好きだけど 日本とチェコってあまりにも違うので、
クンデラ作品の政治的な部分が分からないことを、少し残念に思ってたけど
3.11以後には分かるようになったな わかります
パムクがノーベルもらったときクンデラにもやっとけよと思った
クンデラは直接的すぎるのかな 12月 岩波文庫
『冗談』(ミラン・クンデラ/西永 良成 訳) いつもの集英社じゃないのか
そしてクンデラが岩波に入るようになったか 「冗談」こそクンデラのベスト。20世紀後半の世界文学のベスト10に入る傑作。
ノーベル賞はナボコフ、ボルヘス同様クンデラも取りこぼすだろう。 音楽家だった父親がベートーベンの曲を聴いて……
っていう話がいい。他の人が同じ話したら鼻につくんだろうけど 『冗談』の邦訳はみすず書房から1970年に出版された。
淡いオレンジ色の装丁の本で、自分は1990年に古書店で購入して、一読、感動した。
『存在の堪えられない軽さ』がまず映画で評判となり、そのあと集英社から
原作の翻訳も出て、話題になり始めた頃だった。
みすず版はチェコ語からだったが、今回の岩波版はフランス語からの翻訳だ。
ナボコフはロシア語と英語を駆使し、クンデラはチェコ語とフランス語を駆使する。
ともに自分にとって大切な作家である。 30代後半で女と交際した事ない、ひきこもりのキモい童貞を発見。
自称イラストレーター。足立区に住んでいるそうだ。
http://inumenken.blog.jp/archives/7002197.html クンデラはたしかフランス語版が正式オリジナルに認定ではなかったか? 存在の〜は、小説派からみて映画はどう思う?
俺は、まあ、3時間にまとめちゃうならあんな感じかなって感想。 トマーシュのデイ・ルイスが西欧風に洗練されすぎてるかなと思った。
公開時に見ただけの印象だが。
ERに出てたゴラン・ヴィシュニックくらいの泥臭さがあってもいいというか
レナ・オリンは良かった。ジュリエット・ビノシュは鼻につく ビノシュが一眼レフでスナップを撮る場面は好きだったな。俺も写真が趣味だから。
レナ・オリンはまさにヨーロッパのいい女という雰囲気がうまく出ていた。
フィリップ・カウフマンの映画では「ライト・スタッフ」「ヘンリー&ジューン」とともに好きな作品だ。 以前、チェコの物理学者と雑談していてクンデラが好きだと言ったら、クンデラは「西側」に向けて売れるものを書いている、
チェコにはもっと優れた作家はたくさんいると言われてしまった。ただ、『冗談』はよい作品だということでは意見が一致した。 @yoshinokuzu
From: Hal_Tasaki 岩波文庫『冗談』アマゾンでは売り切れなんだな。書店で買うか。
ちょっとシンプルすぎる装丁ではあるが。 クンデラか・・・・・
整いました。
あっちで誰か、水をくんでら。
ねづっちです。 自分にとってクンデラの『冗談』はオールタイム海外文学ベスト10に入る傑作。 読みたくて、先月アマのマケプレで単行本買ったあとに岩波から出るの知ったよ・・・
新訳だから買うけどさあ 俺はみすずの旧訳と新訳ともに持っているが、岩波も買うよ。 >>127
関根 日出男の70年版と92年版で訳違うの? >>129
全面的に改訳してある。
ところで、今日岩波を書店で買った。フランス語版はクンデラがチェコ語版にかなり手を入れたらしい。
俺はそういうことはしてほしくなかった。若書きの良さが消えてしまうから。 存在の耐えられない軽さが好きで何回も読んでる
少なくとも5回以上は
なのにしばらくするとどういう話か思い出せなくなっちゃう
他の小説はそんなことないのになぜこの小説だけ忘れちゃうんだろう いまいちテンションのあがらないつまらん小説ばっかり。
日本文学がいかにレベルが高いかわかる。 ゲーテ「だれかがこれまで、あなたの乳房をさわったことがありますかな?」 ミラン・クンデラ『無意味の祝崇』(西永良成訳) 3月 河出書房新社
10年ぶりの新作小説にして、本入いわく「最後の小説」。20世紀から21世紀の歴史・政治・社会風俗を
徹底的に笑いのめし、「無意味は人生の本質」と言い切る傑作 「別れのワルツ」「緩やかさ」以上に軽いドタバタ劇ですな。
最後が超常現象っぽいのはクンデラにしては珍しい。 >>133
退屈だからだよ。
文章も下手だし
衒学的だし 『無意味の祝崇』とはまたすごい題名だね。
妙にカッコつけないでも「どうでもいいことの祝祭」くらいのほうがよさそう。
>20世紀から21世紀の歴史・政治・社会風俗を徹底的に笑いのめし、
そんなにのめしてないじゃん。 これ、翻訳もうでてるね、昨日丸善にありました。
「無意味の祝祭」になってたな。しかし早いねえ。 無意味の祝祭 ミラン・クンデラ著 人生の本質めぐる哲学的な笑劇
(作家 堀江 敏幸)
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO87196690T20C15A5MY6001/
重さとの対比を拒む一つの現象としての、絶対的な軽み。
空気のように触知できないものではなく、たしかな手触りとしての軽みとでも評するべきか、
自然のなかで舞い落ちる鳥の羽根というより、いわば知性でつくられた羽毛布団の破れ目から飛び出して、
ふわふわと宙に舞っている和毛(にこげ)の感覚だ。
母国チェコを舞台とした前作『無知』から十数年の時を経てもたらされた『無意味の祝祭』は、
フランス語で直接書かれた四作目の小説である。
全体の緩い印象を裏切るような、七部からなる構造への目配りは相変わらずで、
語りは無意味という主題をめぐって、優雅で哲学的な笑劇、
もしくは遁走曲(とんそうきょく)のかたちで展開していく。 六月の朝、パリのリュクサンブール公園で、ふたりの人物が出会う。
公園内の美術館で開かれているシャガール展を観(み)ようとして、
そのたびに長蛇の列に嫌気がさしている老ラモン。
彼の元同僚で、心配していた癌(がん)の疑いがなくなり、上機嫌でおなじ園内を歩いていたダルドロ。
ところがダルドロは、自分は癌なのだとラモンに「無意味」な嘘をついてしまう。
作者自身もわからないととぼけてみせるこの嘘から、人物と人物の影踏みのような流れがはじまる。
ラモンがダルドロに斡旋(あっせん)したパーティ、つまり祝祭の差配業者シャルルの家に置かれていた
フルシチョフの回想録の、「二十四羽のヤマウズラ」を語るスターリンの逸話が遁走の手助けをする。
権力者の嘘を嘘と指摘できないこと。
あるいは、冗談を冗談と認識できないこと。
独裁体制におけるユーモアの欠如は、軽薄ではない知性を奪い去るのだ。
宴のあと、ラモンはダルドロに、「無意味とは人生の本質なんだよ」と諭す。
「残虐行為、血腥(なまぐさ)い戦闘、最悪の不幸といった、だれもそれを見たくないところにさえも無意味は存在する」。
無意味は無気力や無責任とはちがう。
過剰な意味を過剰と認識しないまま押しつけて悦に入っている者の愚を、
やさしく、戦闘的にではなく暴き立てる、真の知性の武器である。
かつてクンデラは、小説論とも言える『カーテン』のなかで、
入念なストーリー展開に対する義務感の蔓延(まんえん)を独裁政治下の空気に重ねていた。
ストーリーは小説を窒息させる。
意味を持たせないことで意味を悟らせなければならないのだ。
登場人物を愛し、人生を愛し、スターリンを笑う力がそこから生まれる。
これはなにも小説だけの話ではない。いまの私たちに最も有益な助言のひとつであろう。 岩波の「冗談」読んだら、本当に西欧的にすっきりしてしまっていて
昔の印象とだいぶ違った。こんなはっきりした話だったっけ? 元の味が消えた感じもあり、
みすず版を読み直してみようと逆に思った。
自分の記憶も「生は彼方に」あたりについてのそれと混ざってる気もするし スターリンとカリーニングラードの話しか頭に残らんかったな >>153
若い頃の作品に手を加えると、スマートにはなるが、ごつごつした荒削りの魅力が消えてしまう。
作家本人であっても。時間を経た作品に手を突っ込むべきではないと思う。 ナボコフとクンデラが岩波文庫にともに入る時代になったか。 >>155 153 132 その他
http://www.lecture-ecriture.com/6665-La-Plaisanterie-Milan-Kundera
原文のチェコ語に手を加えた訳じゃないよ。
最初の仏語版の訳者が原文の文体を無視して勝手なことをしていたのに
(仏語が上達した)作者が気付いて、原文に忠実に直しただけだよ。
そのことは新訳のあとがきに作者が書いている。
日本語訳(読んでないけど)が原文にどれだけ忠実か、怪しいよね。
別の小説で、女のデルタの何とかいう迷訳の例もあるし。 >>158
「新訳のあとがきに作者が書いてる」っていうのは
岩波版の訳者解説部分の内容のことだと思うけど、だとしたら
525ページをよく読んでみよう 新訳者のあとがきによると、チェコ特有の事情を書いた部分や冗長な章が削られているとある。
そういう部分は削らずに残した方が良かったと思う。作品は読んだ読者のものでもあるから。 ・・・いや、85年訳のガリマールのfolio版のつもりだったのだけど >>161
紛らわしいね。ここで論じているのは岩波文庫の訳とみすず書房の訳との異同だ。
フランス語版もいくつかヴァリアントがあるようだが、それはこのスレでは意味がない。
あくまで邦訳が問題なのだ。 原文に忠実に直しただけ(改作してはいない)とたとえ本人が言ったとしても、
フランス語で整理した結果、かなり削られている内容があるなら読む側には
改作と同じこと 英訳でも同じような問題があるみたいだね。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Joke_%28novel%29
一切の改変(訳者のも作者のも)の可能性がいやだったら、チェコ語を勉強するしか
ないですな。原文は67年以来変わってないから。 そんな極端な話をしていたように勝手に改変するなよw お前の言ってることちょっと的外れなんじゃないの、と言われたのを
改作は絶対に許せないと相手が言っているかのように語ってずらす
めんどくさい奴 >>164
今や古本しかないが、みすず版を手に入れれば、チェコ語版からの邦訳を読める。
ただ、みすず版も70年に出た初版とそれを全面改訳した92年版(2002年版はカバーが変わっただけ)がある。 ミラン・クンデラ 『小説の技法』 西永良成訳 岩波文庫 5月18日刊 842円
セルバンテス、カフカ、プルーストなど、誰もが知っている名著名作の作者たちと
その作品に言及しながら、「小説とは何か」 「小説はどうあるべきか」 を論じる
クンデラ独自の小説論。2011年刊行の改訂版を底本とした新訳決定版。 田舎で最も大きな書店の極小さな洋書コーナーに毎週通う人間が初めてクンデラのペーパーバックを世間の評判も全く知らないまま、立ち読みして「これはすごい」と、躍り上がって喜ぶような場合以外、本は読まれるのべきではない。
文痴にはスマホのゲームがある。 クンデラの「キッチュ」の定義が引用されることが多いのは、彼の表現の明晰さを証明する?一端でもあるかもしれない。 『冗談』面白いけどページ数が長すぎて食指が動かないんだよな クンニデラと書くことのどこが面白いのかさっぱりわからん チェコ事件の事を調べているときに気になったクンデラの『存在の耐えられない軽さ』を初めて買ったら、あまりにも面白くて一気に読んじゃった!
他の作品も読んでみたい。 クンデラの本が一冊も電書になってないのはどうなのか >>191
印刷本でしか出版できないような契約を結んでいるそうだ。
著作権が切れないうちは正規の電子本が出ることはないだろう。
for several years, he's insisted on a clause in his contracts stipulating that his books only appear in 'traditional' (i.e. printed) form -- no e-book versions. And, indeed, you won't find any Kundera titles on Kindle (etc.).
http://www.complete-review.com/saloon/archive/201207b.htm#ct1 『存在の耐えられない軽さ』ミラン・クンデラ 西永良成訳
たびたび、ドゥプチェクがモスクワから帰国してラジオでおこなった演説のことを考える。
彼がなにを話したのか、もうなにも思い出せないが、彼の吃音はまだ耳に残っている。
彼女はそんな彼のことを思ってみる。外国の兵隊たちが主権国家の指導者である彼を彼自身の国で逮捕した。
彼らは彼を連行し、ウクライナの山のなかのどこかに幽閉し、
十二年まえに彼の先駆者のハンガリー人、イムレ・ナジが銃殺されたのと同じように、
いずれ彼を銃殺することになるだろうと思い知らせた。
それからモスクワに移送し、入浴させ、髭を剃らせ、着替えてネクタイをつけるよう命じて、
おまえはもう銃殺執行隊に差し出されることはないと告げた。
そして新たに自分を国家指導者と見なすよう厳命し、ブレジネフの正面のテーブルにつかせ、交渉するよう強制した。
彼は辱められて帰国し、辱められた国民に話しかけた。彼は話すことができないほど辱められていた。
テレザは文言のあいだの、あの恐ろしい間のことをけっして忘れないだろう。
彼は力尽きていたのだろうか?病気だったのだろうか?麻薬を打たれていたのだろうか?
それとも、あれはたんなる絶望にすぎなかったのだろうか?
かりにドゥプチェクについてなにも残らないとしても、ラジオに張りついていた全国民のまえで彼が呼吸もできずに、
肩で息をしていた、あの長い沈黙の間だけは残ることだろう。
あの沈黙のなかにこそ、国を襲った恐怖のすべてがあったのだから。 存在〜を読み始めたけど、とんでもなく退屈だぞ
これ文学賞のロボトミーだろ 思想的ゴタクが多いからね
基本的に祖国を追い出された亡命者の愚痴だから クンデラが尊敬するムージルの『特性のない男』の途方もなさに比べたら
『存在の耐えられない軽さ』の思弁癖も可愛く思える
チャーミングな哲学的恋愛小説だね クンデラの「キッチュ」の定義はアートの世界への影響もあったように、クンデラはファッショナブルなんだよ。
クンデラの思弁癖が可愛いとか、どんな大物の辛口野郎なんだよw ムージルとの比較では、ということでしょう
つまりムージルには到底及ばないという意味だと思う
たしかにそうなんですけどね ムー汁は読まれてないし、当然美味くないw
具が最悪だからw >>201
君も読んでないと
あれは読者を選ぶ高貴な作家だからね >>202
俺より上の読者は日本には一人もいないはずだが。
浅田や柄谷、蓮實なら俺よりはるかに下位だが。
君は? http://www.jiji.com/jc/article?k=2018111100286
ミラン・クンデラ氏の国籍復活を=チェコ首相が提案
【プラハAFP時事】チェコのバビシュ首相は10日、旧チェコスロバキア出身で
フランス在住の作家ミラン・クンデラ氏(89)の国籍復活を提案したと明かした。
1968年の民主化運動「プラハの春」への支持を表明したクンデラ氏は
共産体制への抵抗者とみなされ、79年に国籍を剥奪されていた。
初の長編小説「冗談」(67年)で高い評価を得たが、
「プラハの春」弾圧以降は国内で発禁になり、75年にはフランスに亡命。
84年に発表した「存在の耐えられない軽さ」は世界的ベストセラーとなり、映画化もされた。
バビシュ首相は10日、訪問先のパリで、チェコ通信に
「彼は再びチェコ国籍を持つに値する」と指摘。
首相によれば、クンデラ氏は89年の共産政権崩壊後に何回か戻ってきたが、
最後の訪問は22年前だという。
(2018/11/11-14:45) 「存在の耐えられない軽さ」と関連があるんじゃないかと頭にメモしておいた小説が全く思い出せない
悲しい どこにメモしようがかまわん、ただ自分の頭の中にだけはするな…すぐになくなるから
by俺 クンデラはもう90歳くらいか
いつ亡くなってもおかしくないね
『冗談』はわが理想的な小説で、敬愛に値する作家だ 「不滅」
図書館で借りて読んで、よかったから文庫買おうと思ったけど値上がりすぎ
当時952+税
今1,650 19歳の夏だったと思う。
ダニエル・デイ・ルイスが医者を演じてた。
プールサイドにいたんだけど、泳いでた女は喫茶店でウェイトレスをしてた。
コニャック――口パクで頼んだ。
いつのまにか寝てしまったから覚えてないんだけど、戦車がプラハの街にやってきて大混乱してた。
女の名前はサビーナとテレーザ。
それは覚えてる。テレーザがカメラマンだったかな。ベッドシーンしか思いだせない。 残念ながらクンデラは味が薄い
ムージルやブロッホなどの読書体験を経た後では小綺麗さが鼻につく >>216
自分は92年に出版された単行本を当時買ったけど、2600円だった
>>217
タルコフスキーの映画なら寝てもおかしくないが、カウフマンの
あの面白い映画で寝ちゃうなんて、すごい才能だな
>>218
私見では、クンデラはムージルより劣るが、ブロッホよりは上だ クンデラ逝去か
91歳なら全く不自然じゃないけど、90代とは思ってなかった と思ったらフェイクニュースらしい(ともにツイッター情報) いま『無知』を読んでいる
『緩やかさ』『ほんとうの私』よりはいいな 『存在の耐えられない軽さ』
カレーニン涙
不思議な作品だった。トマシュ、テレザ、サビーネ、フランツがまるで友人のように思える… ミラン・クンデラ『小説の技法』西永良成訳
しかし、フローベールの愚行の見方において、もっともショッキングでスキャンダラスなのは次のこと、
すなわち愚行は科学、技術、進歩、現代性などを前にしても消えることなく、
逆に進歩とともに、愚行もまた進歩する!ということなのです。 >>216
ブックオフで200円くらいだった(単行本)。外で読むには重かった。 一般に共産主義化の東欧を描いた小説によくある特有の重厚さから見て、「軽さ」というのはフランス・パリでの生活から
クンデラが感じたことではないか。 俺はその「軽さ」というものを感じることが出来なかった。まだ読み方が浅いのかもしれない。 フィリップ・カウフマンの映画はとてもよかったが、
ミラン・クンデラの小説はさほどでもなかった
クンデラは『冗談』と『不滅』がよい 確か人『存在の...』と比べても『不滅』の小説としての成熟度、完成度は凄いと思う。 クンデラはkitschキッチュについてのエッセイでも有名だが、この言葉を割合、頻繁に使っていたのが少し前までの
浅田彰ではないか? ミラン・クンデラ死す
94歳
最高傑作は『冗談』
次いで『不滅』が優れている ご冥福をお祈りします。先日菅野昭正氏の訃報に接したばかりなのに 『存在の耐えられない軽さ』で知られ、ロシアの危険性を警告した小説家ミラン・クンデラさんが死去した。94歳だった。
チェコスロバキア生まれ、共産党から除名処分を受けた後、フランスに亡命したクンデラさんが11日、ほぼ隠遁生活を送っていたパリの自宅で亡くなったことを、
生誕地ブルノにあるクンデラさん専門のアーカイブを誇るモラヴィア図書館が発表した。
同図書館の声明には「世界で最も翻訳された作家の一人であるチェコ系フランス人作家のミラン・クンデラが、2023年7月11日にパリの自宅で亡くなりました」と書かれている。
クンデラさんは1975年フランスに亡命、1979年当時の共産政権下でチェコスロバキア国籍を剥奪され、1981年にはフランス国籍を取得、その後2019年にチェコ国籍を改めて獲得した。
https://yorozoonews.jp/article/14956616 クンデラが死んでらになったか。
世界でトップ級な翻訳需要の高い作家だが、ノーベル賞受賞に反対する人が多いんだろうな。
村上春樹もクンデラですらノーベルなしで死んでいったから、アキラメロンw
反スタ研究の盛んな日本でクンデラの作品を映画化するのも良いと思うが。 ジョイス、プルースト、カフカ、ムージル、ナボコフ、ピンチョンが
受賞していないノーベル賞など、どうでもいい
クンデラの小説が素晴らしいことは読者が実感すればいい
『存在の耐えられない軽さ』邦訳はチェコ語からの集英社版と
フランス語からの河出書房版があるが、後者は版元品切れらしい 『存在の耐えられない軽さ』河出の翻訳を好む人が多いが、増刷しないのかな
この小説の邦訳版権は集英社が持っているから、河出文庫にはならない
集英社の翻訳もギャラリーと文庫で相当改訳されている 『存在の耐えられない軽さ』河出版
古本も結構品薄入手困難のようだね クンデラは文芸評論『カーテン』のなかで、大江健三郎の『人間の羊』を論じている
バスでアメリカの兵士たちから日本人乗客がひどい目にあう短篇
クンデラはこれを占領軍告発の政治文書になっておらず、
実存の謎を追求する小説として褒め称える
左翼ではない自分が大江の小説に惹かれるのも、まさにその点だ 10年以上前のレスに「文体が退屈」だとかあるけど、原文で読んでる人いるってことだよね。凄いね。翻訳もんで語っていたら噴飯ものですが。 文学は心に余裕がなければ、なかなか読めないよね
まあ、根っからの本の虫は暇のあるなし関係ないけどね 文学は心に余裕がなければ、なかなか読めないよね
まあ、根っからの本の虫は暇のあるなし関係ないけどね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています