鬼の業を総合すると、
自分の見る所では、
封建社会の流れを引く一夫一妻主義性への叛意を、
極東の風変わりな島国での中世的な風習に重ねて、いわば同一化し、
その多妻制度社会の古代の有様に親近感を覚え、空想を含め理想化し、
これらの誘因に応じてこの国にやってきた
遠く、西洋で生育した系譜にある人物という事だろう。

主要な因果は、その個人的家庭事情、
つまり親のどちらかが何らかの理由で離婚したと聞いた事があるが、
それかもしれない。「多妻的でも、無罪になり得る」可能性を、
日本のかつての風俗記録の上に見出し、その殉教者になろうとしたのかもしれない。

 例外的な人物だが、単に文章についての知識を除けば、そういう事ではなかったか。