澁澤龍彦(1928-1987) Part 4
マグナも津原も澁澤を何時まで読むつもりかねw
澁澤は現代においては価値ゼロだ。
澁澤の追随者である限り、津原は何百冊出しても、ゼロであるしかない。
ドラコニアきたん集『極楽鳥について』から、抜粋すると、
ヘルベルト・ヴェントのごときは、次のような大胆な仮説を述べている。
......中略・・・・・・・
しかし、私の印象を率直にいわせてもらうならば、このヴェントのいかにも
本当らしい意見は、どうにも眉唾物のような気がしてならないのである。
これは一見して、花田清輝の文体を真似たものと分かるが、ごく表面的にしか
花田の文体を澁澤は理解していないから、こんな醜態をさらすことになる。
ここで、澁澤がヴェントの「仮説」や「意見」を眉唾物のような気がする、と
言うが、仮説や意見は元々が相対的なものであるから
それに対して眉唾であるという言い方は有り得ないのだ。
花田が「眉唾物である」と、言う時は、歴史的常識に対してなのだ。花田だけで
なく、「眉唾物」の使い方はそうあるべきだと思うが。
澁澤は形だけ花田を真似するから恥を曝すことになる。
無論、澁澤の『ドラコニアきたん集』や津原の「不思議」は花田にとっては
まったく意味のないものであったし、花田以後を目指す俺にとっては
問題外の事だった訳だが。 相変わらず小谷野はバカだなあ。
だけどマグナはともかく、なんで津原なん? 友情か?
それとも単にマグナ・津原・小谷野で三バカ大将ってことか?(笑 >>183
おまえまだいたのか(笑
まずしい読書量からくる狭小な視野と守備範囲、からっぺたな文章、花田花田と
やかましい連呼、すぐにわかるな。
少しも成長しないところを見ると、すでにおっさんか? >>185
お前のようなバイキンにも生きる資格はある。 ツイッターでこの>>183を要約して呟いたら、とある映像作家から過去作の番組を紹介されたよ。
YOUTUBEで澁澤 NHKで検索すると出て来る。澁澤は時代に食いつぶされた人では決してない。 悪かった。
子供の玩具を取り上げるとか、俺も大人気なかったw
じゃなw そういうのは風の谷のナウシカについてわずかに書いてるだけだからな おれは『唐草物語』が澁澤龍彦の最高傑作だとおもっているけど、みんなはどう思っているかね? >>193
おれは犬神家だから趣味近いな、おまえと。 >>196
おれもおれも。蟻塚のあたりが特に好き。 澁澤が神秘としたものは、というよりも、神秘とすべきとしたものは
これからどんどん解明されて行くか、既に解明されてるものだから。
松岡正剛がバルトルシャイティスについて最初に語ったあれですよ。 >>197
おれも。おれは蟻の戸渡りのあたりが好きだから趣味近いな、おまえと。 >>190
大瀧啓裕の、エヴァンゲリオンの夢、って本があるよ。 ナウシカは好印象だったようだけど、エヴァは好きじゃなさそう
ロボットにも興味ないだろう もしロボットが球体関節でしかもちょっとエロかったら... どうだろねえ・・・
そういえば、多くの人は勘違いしてるようだけど、タデウシュ・カントルとか天野可淡みたいなタイプの人形はあまり評価してなかったみたいだな 『女体消滅』は、なかなか官能的であった。
古人の名前をからかうのは、いかにも澁澤らしいなw 西欧芸術論集成買えば世紀末美術や幻想の肖像や幻想の彼方の文章も載ってる? >>190
俺は澁澤龍彦にH.R.ギーガーの絵を見せて感想を聞きたいなw
NHKの日曜美術館の澁澤特集は録画して100回は見たな。 テレビ嫌いだったらしいから、ネットなんか大嫌いになっただろうな 自分で発信、編集できるから毛嫌いするとは思えないけどな。
生きてたら仏やEUの衒学者達と早くから濃いネットコミュニティを形成してたんじゃない?
テレビは一方的に押し付けてくるだけだし このひと、現実的なことは何でも龍子さんまかせだったらしいから
まずネットは無理w ネットコミュとかももちろん無理ww性格的に無理っしょww
どっちにしろ、いい時期に死んだよ。年代的にもぎりぎりだな。 そういう物言いは好かんなあ、早死にだったんだから
松山俊太郎氏も現在、癌で闘病中 内弁慶の逸話は多いみたいだな。一人じゃ買い物もできなかったらしいし 『澁澤龍彦を語る』
澁澤 龍彦(1928 - 1987)
出口 裕弘(1928 - )
松山 俊太郎(1930 - )
種村 季弘(1933 - 2004)
巖谷 國士(1943 - ) 澁澤の批評と叙述の中間のエッセイっていうんだろうか、あの形式の話がすごい好き。作者の意見を展開しつつ
物語が進行していくのあの文体が真似だきたらいつ死んでも文句はないなあ。でも本人さらっとやってるけど非常に
難しいだろうねえ、なんか作者がのってくると、描写と解説が渾沌として来るのが好き。 結局はエッセイの語り口の現在性=(通)空間性と、
小説のストーリーを語る時の(通)年性というか、
(通)時間性が織り成す世界、つまり横糸と縦糸を
互いに絡ませ織って行く作業な訳だ。
澁澤のは少し目が粗い織りだが。 死後三十年近いのにこんなに読まれるという事はなんか凄さはあるんだろうな。 ヘルメスに対する態度が、花田が真剣なのに対して、澁澤はまともに
取り合っていないこと。これは松岡正剛、中野美代子らにも共通する。
澁澤が『極楽鳥について』で「神話や伝説の起源を合理的に
解釈しようとする試みに対して、いつも私は胡散臭いものを
感じてしまう。」と、言ってるがこれに集約されてる。
極楽鳥については、カロルス・クルシウスが既に、1603年かに、
極楽鳥の脚がないはずがないことを論じていたから、ヨーロッパで
「脚がない」との伝説がどれだけ流布していたか疑問だし、いわゆる
旧態の錬金術から確実に科学は脱皮し始めていた。
少なくとも、澁澤はクルシウスを無視するべきでなかった。
澁澤は馬鹿馬鹿しい部分だけを取り上げて楽しんでいるのだ。
少なくとも、脚のない鳥についてはオルフェウスなどのギリシャ神話
からの伝統があった。それを無視して、「愚か」とするのは、太宰が
古典を近代的解釈するのと似たようなものだ。
クルシウスは1576年にルドルフ2世が王位につくやいなや、職を
解任されている。若年のルドルフは旧態以前の錬金術を好んだから、
クルシウスのような科学者が疎ましかったのだ。晩年のルドルフは
ディーらの錬金術師達を追放して、機械時計や、エンジンの開発に
関心を向けるのだが。
クルシウスは極楽鳥の標本を高価を払って、Jacob van Heemskerk
(オランダの1598ー1600年のインドネシア遠征を率いた)から
入手していた。
澁澤や中野が神秘としたものの出所は俺はいくつも突き止めた。
俺には神秘を神秘としてそのままにしておく雅量が欠けてるから。
ヘルメスは古代人の思考であり、かつて実在したものであり、
現代にはいや増して有効なものかもしれない、とさえ俺は思ってる。 221でレッツゴー3匹のジュンさんが亡くなったのを知った。
産経新聞の偉いところは、旧式のパソコンでも綺麗に読める
ようにしてるところ。
その次に偉いのが読売ぐるーぷ。
一番、不親切なのが朝日、毎日だな。
たいしたことも書いてない癖に勿体ぶるな! >>224
ありがとう。
海野弘の『スペクタクルと都市』の中で、1603年のイギリスの
ロンドンのジェームズ1世の即位ページェント(パレードや、街の
あちこちでお祝の演出を凝らしてる)の様子について書いてるが、
この人は、古代思想とのつながりへの目配りが深い点で、好きだな。
松岡正剛にも似てるかな。文章の官能性は余りないね。
澁澤がいなくなって、退屈してる人は覗いてみてはどうですか? 南方熊楠→アホみたいな読書量
中島敦→アホみたいな漢籍読解能力
澁澤→アホみたいな(昭和の人間が出来うる限りの)読書量
荒俣宏→アホみたいな(書籍収集と)読書量
こういう「アホみたいな」何かがものを言う系譜っていうのがあるんじゃないかな。 石川淳→アホみたいな和漢洋にわたる読書量 とかか? 漱石ってそんなすごいのか
>>212
生活力なかったっていうのは、生い立ちからか、後の読書の影響からか 漱石は読書量がそんなに人並みはずれて多いタイプじゃないよね。 後年はまた鬱っぽくなって読めない時期があったらしいしな 漱石のようにあれだけの創作をして弟子達との付き合いもあり思索も詩作もする人間が
読書だけにそんなに時間は割けないんじゃないか? 一方、石川淳は午前中仕事して、午後になったらどこかへ行ってしまうような毎日だったとか 澁澤は蔵書二万冊だからそれほど取り立てて多いという訳でもないな。
読んだ本は残しておく人だったぽいから、青年期からの読書量は殆どはいってると思われる。 作家は読書量というが、ある程度の冊数、1000〜ぐらいからになってくるともう読書量じゃ無く力量が問われてくるなとは思う。 量か質か
実際に一冊読むのだって、流し読みと何度も精読するのと違うからな 熊楠全集を憑かれた様に読み込んで飽き足らず、自分のための索引を作り直したと言うあたり、伊達の読書人ではないと思ったよ 現代人が活字を集中して読めなくなったのはネット、スマホ、ゲームのせいだろうか 読書量というとおいらが知ってる中では鶴見俊輔が圧倒的にすごい。
小学校卒業までに一万冊読んだという。これは仮に一年生から読み始めたとすると
一日平均4.5冊を六年間続けたことになる。異常だね、これ。
大読書家といわれた杉浦明平が、ひと月10,000ページのノルマを自身に課していて、
毎月月末はノルマ達成のために大菩薩峠みたいな大衆小説に取り付いたので
ノルマの弊害、読書の堕落だと自嘲していたが、常人の読書量はこんなレベルだろう。 >>240
現代人って活字を集中して読めなくなってるのかい?
そんなの聞いたことないね、君だけなんじゃないかい? 現代人を語ってみたけど、ちょっと知性が不足していたようだね 現代人は読んでると思うぞむかしの人よりよっぽど。だが新書とか入門書的なのも増えたからな。新書読みの学者先生が増殖してると。 きのうもどっかで林真理子が「こんなに本が売れない時代なのに」とか言っていたから
「売れないのはおまえの本だ、ば〜か」とオレは言ってやったよ。心の中でな。
だって別に目の前に林真理子がいいたわけじゃないし。 漫画は読む? 見る?
どちらの言い方がふさわしいかな? 見るだと思う。でも、言葉としては読むの方が通じるだろうな
ともかく、文学というより、絵が主体だから美術に近い 「夢の宇宙誌」に参考文献として英仏独の本を40冊弱挙げているが、
必要な情報だけ拾ったのか全部読んだのかは定かでないね。 そういえば、参考文献の名前並べてページ数稼いでるエッセイない・・・? 日本語のメリットは「早く読める」ことだし
日本語を読める外人に聞いたら、母国語より日本語のほうが早く読めたという笑い話があるくらいで
漫画といえばヤマザキマリ&とりみきの合作で「プリニウス」が出てたので読んでみた
ヤマザキマリに言わせると「私のプリニウス」で博物誌から引用された部分はイタリア人が絶対抜粋しないところだと 厳密には ヤマザキマリの亭主に言わせると が正しい >イタリア人が絶対抜粋しないところだと
思わせぶりな言い方だな、なにが言いたいのかはっきりしろい! 三島由紀夫、澁澤龍彦の周辺ってミソジニーが多くない? 芸術家っていうのは文学に限らず、多分にミソジニーな傾向がある >芸術家っていうのは文学に限らず、
男性一般のこととして、つまり芸術家に限らず、一定の割合のミソジニーはいる。
そしてミソジニーの割合が芸術家の場合に特に多いとは言えない。 澁澤は女のミソジニーはゾッとしないほうだろうからな。 三島とか澁澤はわかるけど、永井荷風と吉行淳之介って女性の扱いが巧みだったのにミソジニーと言われるのはどういうこと 折口センセイレベルにならないとミソジニーとは呼べません 吉行をミソジニーの作家と呼ぶのはどうか。
どういう立論か読んでみないとわからないが、驟雨を論じるなかで
言ってるとしたら、初期作品にはそのような精神上の傾向が見えるということかも知れない。
思うに、男性の中には青春期から若年期にかけてミソジニー傾向を持つ場合がかなり多いのではないか。 >>274
アンカー間違えてないっすか?w
吉行さんは育った環境考えれば女嫌いになるでしょうな。
バリキャリの母、才能を秘めた美人姉妹、おとっつあんは自由気ままな風来坊。
男は一応、身近な所で男たるものとしてのモデルケースを学んでいくから
幼少期から思春期の多感な時期にプーな父親見て育ったら、
女に依存して生きていきたい、でも女は反対に自分に依存してくる
女って面倒くさいという心理が根底に生まれてもおかしくないと思うけどね。 時代的な男女の捉え方もあったかもしれない。
戦前-戦時中だと男は戦い、女は守る。
敗戦と同時にその価値観が吹っ飛び、
新しい時代の男女関係が生まれるまで30年ぐらいかかった。
今現在のように男も女も稼ぐの当然よ、となると
ミソジニー吉行系のタイプの作家は時代の波に埋もれて現れないだろうね。
ネットで愚痴やボヤキを書き込むぐらいが関の山になるか。 吉行をミソジニーと決め付けちゃいけないよ。
たった一人のおっさんが、ある論考でそう指摘したというだけなんだから。
どうも最近の子達は考え方が安易でいかんな。 吉行の二人の妹は兄貴が美男の誉れ高いわりに、ふたりとも美人ってもんじゃない。
それに二人とも才高きおにいちゃんを尊敬するいい妹たち。
とても兄貴をミソジニーにするような家族じゃない。 吉行をミソジニーって書いたのはオッサンじゃなくてオバハンじゃない? 引きこもりの先哲みたいな人だろう?
自分の本は死後も売れると言ってたらしいし、こういう時代が来ることがわかってたのかな 龍子さんと再婚してからは国内二人でいろんなところに旅行行ってた
鎌倉も散歩コースがあってよく出歩いていたそうだ
それプラス堀内誠一さんがパリに居たので、堀内家と仲よく海外旅行も行ってた
死後の売れたのは殆どが文庫化されたおかげかな
三島の版権は新潮社が管理らしいけど、澁澤は河出書房新社? きみ頭悪いねえ。
売れるから文庫化されたんだよ。
>三島の版権は新潮社が管理らしいけど、澁澤は河出書房新社?
こどもが余計なことに気を回すんじゃないよ、バアタレが。 >>286
龍子さんのインタビュー記事では
「できるだけ若い人たちに読めるような状況にしてほしい云々」
という遺言もどきがあったのはご存知かな。
澁澤クラスでも生前は初版売りきればいい方だった。
死後の版権権利はしっかりしておかないと、
出版社倒産後の悲劇というのがあるからね。
河出はね、かつて計画倒産した会社なんだよ、よく覚えておいてな。 >死後の版権権利はしっかりしておかないと、
それがおまえにどういう関係があるのかってハナシだろ。
河出に限らず出版社なんてみんなそんなもんさ。よく覚えておいで。 ここまでおいで〜
アハハーウフフーキャッキャッ(はあと) その昔、澁澤ファンは神田界隈では疎まれていたらしいが、こういうのがいるせいか 昭和の頃の話だけど、たぶん70年代頃?
澁澤ファンは古書店街で態度が悪かったらしい 90年代の終わり頃でも
鼻持ちなら無いやつばっかだったぞ 澁澤ファンは そのうち新たな伝説として、澁澤はお金を持たなかったが加わるのか そのうち澁澤は生まれつき盲目なのにがんばって一生懸命勉強したとか ひとりで買い物もできないという場合、
1.気が弱くてお店の人と口が聞けない。
2.一人では何を買っていいかわからない。
3.お金を持ち歩き、やり取りする面倒にたえられない。
などの解釈がありうると思うが、>>298くん、君はひとのうわさを疑うことも
せずに鵜呑みにした時、この3つのうち澁澤はどのケースだと思ったのかね?
あるいは、この3つ以外のなにか別の解釈をしたのかね? 298ではないけれど
「金勘定ができなかった」だな、きっと 金勘定ができなかったという場合、
1.数字に弱くて足し算、引き算もおぼつかなかった。
2.指がそろってなかったので、金勘定が物理的にむりだった。
などの解釈がありうると思うが、>>304くん、君はこの2つのうち澁澤は
どのケースだと思ったのかね?あるいは、この2つ以外のなにか別の解釈を
したのかね? 仮に机の上での算数は出来たとしても、
それとはある意味無関係に、例えば
「287円です」って言われて、
「え〜っと、この銀色が100円で、これ2枚と
銅が8…6枚しかないや。ヤバい」
って焦っていつも1000円出しちゃう感じ。
まあ勝手なイメージだけどねw
それより何より、一寸格好付けて言ってた気もするけど。 龍子さんによると
「ウチの亭主も野菜炒めぐらいはできるようになったわよ。」
常に、俺はノルマルだって語ってた人だから
変人扱いは気の毒。 浮世離れはポーズと観念世界だけで無茶苦茶現実的な人だったぞ 折込チラシでスーパーの特売品をチェックするほどになw へえええ、そんなほどかあ。
ってうそ言うんじゃないよ、名月谷の澁澤邸にはスーパーのチラシなど
入ってなかったよ。 料理作れるようになったことはエッセイでも書いていたはずだ。 >>311
きみのレスはどことなく不意に蚊がとまったような「うざ味」を感じさせるな。
パチンとやりたいが、この季節の「哀れ蚊」、蚊遣りも焚かずにおこう。 ドナルド・キーンが「三島は松の木の名前も知らなかった」という話を広めて
澁澤がそれは信じられないと反論していた話があった
植物学者の塚谷裕一がこの件で澁澤にも触れて検証していて、澁澤の方に軍配を上げている
三島の松の木の描写は植物をわかってる人のものだということだそうだ >植物学者の塚谷裕一がこの件で澁澤にも触れて検証していて
これのソースは? 遠藤周作については書いてる?交流はあったみたいだけど 松の木の名前を知らなかったんじゃなくて、
松の木という言葉がさす実物の松の木をしらなかったというんでしょ。
あるとき誰かに教えられて「ふうん、これが松というものか」と言ったと言う。 フランスでサド全集が出始めたとき、澁澤が丸善に注文をいれたら
もう一人、サド全集の予約をいれた人物がいて、それが遠藤だったというハナシ
はむかしどこかで読んだな。 >>314
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163474700
ソースはこれ
>>316
みたいに三島=観念的で具体的な事物に疎い、という先入観があってこの話が広まったのだが
植物学者から見ると三島の作品には植物が多く登場して、しかも特徴を的確に捉えている。三島が植物に疎かったというのは誤りだという論調だった。 澁澤ってキーンのことどう思ってたんだろう
アメリカってだけで嫌に思いそう・・・ べつに澁澤がアメリカを極端に毛嫌いしたというはなしはないんではないか。
トルーマン・カポットなど気に入っていたんではないか。 ドナルド・キーンと澁澤が縁が無いのはわかるんだけど、
キーン氏は中井英夫周辺の三島のホモセクシュアルコネクションと全然つながってない印象なのはちょっと不思議だ
米軍系の日本研究者ならつながりがありそうなんだけどな >>318
松の話の真偽はともかく三島は自然描写が長い割りに植物名は出てこない
でもじじばばは都会人でも木の名前とかよく知ってるわ普通に出てくる
若者じゃ(たとえば俺らの地方じゃ)ヤマモモとクスノキの区別さえ知らん ヤマモモって山口百恵とかのこと?そりゃクスノキとは違うっしょ、ぜってえ。 そりゃあ昭和天皇がそっち系の学者さんだったから
一国民でさえ最低限の植物のことは知ってなければという意識が
昭和の時代にはあった いいかげんな事言ってんじゃねぇよ
ヽ( ・∀・)ノ┌┛Σ(ノ `Д´)ノ >>327 宮沢賢治にしろ澁澤龍彦にしろ、亡くなる絶妙な時期っていうのがあるのか? >>330
あると思う。
賢治の誕生と死は東北の大きな自然災害に関係していて、絶妙を超えている。
カリスマとしての付加価値が付けられたとでもいうのかな。
それと、歴史的に見て一番酷いとされている東北の大飢饉が賢治の死後に起こる。
彼が生きていたら愛する東北の惨状を絶望視し、恐らく東奔西走して悲観した後、
小林多喜二のような人生を歩んでしまったかもしれない。
もしそうなった場合、賢治の文学者としての位置付けはがらりと変り、政治的に利用されていた怖れもある。
澁澤の場合は本人が昭和の子、と自称していたくらい、昭和と共に生きた。
亡くなった年は昭和天皇が手術をされた年でもある。
昭和は文化や歴史の背景としては平成に比べると重厚で絢爛豪華、ドラマティックだったよ。
それに澁澤が亡くなった年は彼の好きだった人たち、堀内誠一や石川淳、
前年はジャン・ジュネ土方巽も亡くなっているしね。
どんな人も、生まれと死は探れば大きな意味が隠されていると思っている。 >>331
随分とメロドラマテカリレエな見解だねえ。そんなわけないだろ。
昭和のすたる爺。 論破も出来ず何も生み出せない不毛な輩の言葉は、概ね否定で始まる。 論破とかそういう内容の文章じゃねえっしょ、これ。だよねえーって感じで同意を強いてくる感じの文章だ。 父母の交尾の結末にてただ生きるだけの者には、
時代が求めた役割を果した者の意味を追究するのは
酷といえるかな。 60年代、澁澤龍彦が例によってわいせつ文書(サドの『悪徳の栄え』)を著述、頒布し、裁判になった(所謂サド裁判)
例によって、反省しない澁澤は、法廷で、わいせつとは何かをめぐって縦横無尽に主張を展開した
ほかの作家もやって来て弁論したり、傍聴したりで、白熱した論議が毎回行われた
裁判は終わらず、法廷での論戦が何年も続いた
ときは70年代――――あるとき裁判長は言った
「時代は移り、ここ日本には、わいせつ文書などいたるところにあふれている
わいせつを巡る議論に結論は出ていないが、もはや時代にそぐわなくなった
このあたりで、議論は終わりにしたい」
……サド裁判は、そのあと、数回行われたが、結論が出ないまま、終わった >>335
いやあ、死んだ人間をこじつけて彼は時代の役割を果たした! とかほざく輩よりは、よっぽど交尾の結末でただ生きる人間の方がまともだと思うがね。 一応このスレらしく解説しておくと、澁澤は「玉虫物語」という自作の構想もしている。その作品のメモも残っていた。
友人の出口裕弘はそれを以て澁澤の生涯が完成されきっている、とか言う風に見る事に否定的だった。傍目からはそう見えるが本人から見ればまだ生きたかったのだと。
宮沢賢治観についても、こいつは賛美してるくせに吉田司的なんだよな。あの本はあれで面白いが。
>平成に比べると重厚で絢爛豪華、ドラマティック
というのも笑える。平成文化もそれはそれで豊かなんですが。受け付けられなくなってるのかね、ご老体。 澁澤は当時ではサブカル扱いだっただろう。「文壇」人と交流はありつつも、没後読売文学賞を与えられつつも、メインカルとは認められてないところはある。
事実今でも「文壇」に入り浸ってる輩は、澁澤をたまに褒める事はあってもそれに入れ込んだ姿勢を見せることを拒んでる(そういうのは所謂サブカル、エンタメと見られる作家に任せてる)のはそういう流れがあるからだろうな。
長生きしてたら事情も変わっただろうが、筒井のように。 澁澤は三島のことを「一番親しい友達だ」みたいに言っていたけど、三島は澁澤のことをどう思っていたんだろう? 三島にとったら多くいる「友人」の中の一人的な感じだったのでは。チワワ情報だが三島は文壇には友人はいないといっていたようだ。 >>341
澁澤は文壇人として認められていないと自分で言ったばかりなのに・・・
もっとも土方だのシモンだの澁澤グループの中に加わったとき、やはり三島は敬されつつも
浮いていて、からかいの種になったということはあったようだね。 三島の中では「文壇」だったかもしれねえからな。三島は例外的に澁澤には高待遇だったんじゃね。
と言うか三島にとったら、自分以外は全部敵だったのかもしれないが。
俺の中で>>341で「文壇」と言った時、念頭にあったのは、ずばり中上、柄谷、蓮實、渡部、スガ、以下ぞろぞろと現代まで続く文芸誌連中を指してだった。
丹生谷なんかは違うようだが。 丸谷はよく言われるけど文壇を牛耳っていたわけじゃないよ。
実際にはそういう感じじゃなかった。
丸谷が澁澤に言及したのは私は見た覚えがないな。
澁澤がロエブ叢書なんかでラテン文学などをコツコツ読んでることを
中村が褒めていたことはあったな。中村と澁澤は縁戚関係があるんだよ。 丸谷才一は文芸時評で胡桃の中の世界を一度取り上げていたことがある
三島由紀夫が澁澤をどう見ていたかというのは、集成の推薦文を見るとわかるような気がする
悪い意味ではなく、文壇の人間とはちょっと違うという位置づけ 別スレの話題だけど、中村真一郎が今は読まれなくなった作家として取り上げられたが
振り返ってみると、海外の作家の影響が直接出ているような作家や作品は風化しやすいのかもな
澁澤もそのタイプなのだが、そのわりには読まれている 中村が海外文学の影響を受けたという意味では澁澤はそういうことはないだろう。
それと中村は読まれなくなったとはいえないだろう。
まあ、もともと中村の小説の読者は少なかったけど、今でも中村の研究誌が定期的に
出されているし、少ない読者、愛好者は継続しているのだ。 >354
谷崎=足フェチ
てゆーか「じゅんいちろう」っていう顔?
澁澤様は「たつひこ」なお顔なのだ 四谷シモンは今Twitterをやっている
正月に澁澤家に行った写真を上げていますね こないだ高岳親王航海記読んだけどこれ素晴らしいなこういうまだ知らない小説がたくさんあるんだろうな この時代の作家にしては?
なにか勘違いしているんだろうな・・・
しかし何をどう勘違いしているのかは、なぞだ。 ツイッターのフォロワーにNHKスタッフが居て、澁澤特集の番組制作の取材したとかで、
いろいろ貴重なお話をしてくれた。その人も読書家で、澁澤周辺の作家のお勧め本を、
勧められるまま読んだ、本当にいい読書体験をしたと、今思い出した。
粗方読んで、気持ちも一段落してみると、この人は、小説エッセーより翻訳の方が、良いような。
翻訳では他の仕事より段違いに才気を発してる気がする。 翻訳から段違いの才気を感じるってどういうとこだろうな。
確かに澁澤は翻訳うまいし翻訳の作業が大好きと言っていたけど段違いの才気って
ちょっとピンとこないな。
エッセーでたとえば夢の宇宙誌だとか胡桃の中の世界とかも読んだのかな。 というのになんなんだい?
昨晩たまたま滞欧日記が目に付いたので読んだんだけど
澁澤はよく酒を飲むだけでなくよく食うねえ。
パリでも連日、中華や日本食レストランで食ってるのをまたよく書いてる。
食うことが中心の日記だね、こりゃ。
それで、食ったあとホテルにもどり「排便」してから出口のアパルトマンへ行く、とか
クソをしたことまで書く。
いかにもパリくんだりで米のメシをいやしく食いまくり、大グソをたれてる感じが
よく分かる。 イノキュウって
プルーストがいついつに糞をしたことまで知っている
って学生に言われてたとかだから >>389
じつにいい。
イノブタの串焼きに「キューバ」をたつぷり付けてはうばる。
これにまさるアテはなかなか思ひつかない。
ビールによし、ワインなら赤白どちらでも、ウイスキー、コニヤツク、焼酎。
紹興酒でもいいが、清酒はちよつときびしいかな。 中井英夫の新刊が本屋の目立つとこに置いてた(それでイイのかよ?)ので手にとって読んでみた。
晩年のエッセイは今まで読んだことがなかったがナカナカ、って4000円は高すぎですよ。来月までそこで俺の事をまってろよと(笑) 澁澤龍彦は偉大だ
中卒サブカルの僕にも丁寧に文学芸術を教えてくれる
本当に偉大な師匠だよ 自動人形
複雜な裝置のある時計
噴水
花火
オルゴール
びっくり箱
パノラマ
…わたしたちの生産社会に対する隱微な裏切りにも似た、ふしぎな欺瞞の快楽…
ピントの合わない視界をもどかしく思っていたところへ、突然いいルーペを差し出された感覚、と言おうか。
いゝ眼をしている澁澤。 >>376
おいおい、おまえはルーペなしで一人歩きしちゃいかん(笑 実は >375 の左耳にTachinidaeの亜種の蛆を三つほど仕込んでおいたのだ。
こいつは生體膜を食い敝る強力な頤を持っていて鼓膜から大腦まで蠶食していくだらう。
>375はまあ、今とあまり変わらないのだが、人格破潰がさらに進み、周に今以上の害惡を齎らすだろう。 社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。だもんだから「今の若いものは……」なんて批判する。
口で言うだけならまだいいが、伸びる芽まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、「老害」以外の何物でもないからね。
そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。人間、はじめるよりも終りのほうが大事なんだよ。
本田宗一郎 つたゐ@千丈ヶ嶽
澁澤龍彦って時代がかぶさってくる小説じゃなかったなあとおもう。
リアルタイムでそれを読んで、時代背景と重ねてなにか衝撃を受けるような、そんな作家ではないなと。
翻訳だけど、裁判になったサドも。なんていうか、そのひとの積みかさねてきたものにかぶさってくる小説だなとおもう。
2016年1月12日
デグーのすあま&よもぎ@まー
麻耶雄嵩とかね、小野不由美とかさ、長野まゆみだとか菊地秀行やら京極夏彦やら、あの辺は学生時代の青春なんですよ。
だから有栖川有栖も当然のように嗜んでましてね、好きなんです。
そこから入って江戸川乱歩だの夢野久作だの澁澤龍彦だの寺山修司だのですよ。
厨二こじらせてますよ、現役で。
2016年1月13日
高山文彦
澁澤龍彦のエッセイで「ちょろぎ」なるものの存在を知った。ネットで画像を見たが、食べたいと思う外見ではなかった(ナウシカの王蟲を連想した)。
食い物の好き嫌いは環境依存が大きいので仕方が無い。
南九州の家庭で作るお菓子の「あくまき」、知らない人は外見を見て拒絶反応を起こすのではないか。
2016年1月18日 あなたは40代ロサンゼルス府警工場作りですか?ドーハの悲劇「横浜衝撃イヤフォン」「横浜悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん?
それともいくつですか?huluさん? >>392
どういう意味ですか?マゾヒストには堪らないということですか? 斉同動詞
90年代地下現象学講義 #6「90年代、テロへの道」(5)
それは青山正明が澁澤龍彦の影響を受けていると聴いたときに頷けたように、
60年代からのサブカルチャーの暗部が反転してしまって、その暗部だけが肥大した95年ということなのかもしれない。
2016年5月6日 vobo
澁澤龍彦を入り口にアートに関心を抱いた自分みたいなのにとってイオネスコは当然通る存在で、
EVAについてもベルメールやモリニエの作品集と並んで書架にあったりした。
で、無邪気にその耽美を賞賛したりしてたわけだけど、『ヴィオレッタ』を観てがつーんと凹まされるわけです。美ってなんだ、と。
2016年5月12日 古書ドリス
奥の深い澁澤龍彦の世界を、彼の著作ではなく、あえて雑誌の特集記事から読み解きたい方にお勧めの三冊。ヴィジュアルに特化した内容です。
「鳩よ!」は、スワーンベリやクロヴィス・トルイユなど若干クセのある美術と、エロティシズムの思想を紹介。
アサヒグラフは、有名な澁澤邸の書斎を彼の幻想王国として取り上げる。
太陽は、怪物、鉱物、貝殻など、澁澤のヴンダーカンマー趣味に焦点を当てる。
様々な側面から見ることができる澁澤龍彦の世界。
ビジュアルではなく文学から彼の思想を読み解きたい方には、ユリイカや幻想文学や別冊新評をお勧めします。
https://www.instagram.com/p/BFdWZknwtt_/ 金子 國義(1936年7月23日 - 2015年3月16日)
1966年、『O嬢の物語』の翻訳を行っていた澁澤龍彦の依頼で同作の挿絵を手がける。
翌1967年、澁澤の紹介により銀座の青木画廊で個展「花咲く乙女たち」を開き画壇デビューする。
世紀末的・デカダンスな雰囲気を漂わせる妖艶な女性の絵を得意とする。
活動・表現領域は幅広いが、一般には「富士見ロマン文庫」(富士見書房)、
『ユリイカ』をはじめとする多くの書籍・雑誌の装幀画・挿絵を手がけたことで知られた。 芸術人類学研究所(IAA)多摩美術大学
安藤礼二所員のお知らせ。太田出版より8月上旬に『松山俊太郎 蓮の宇宙』を編・解題 安藤礼二が出版予定!
インド、法華経、ボードレール、そして蓮。無限をおそれえぬ探究の果てに独自の学問を築き上げた伝説の碩学・松山俊太郎の”集大成!
2016年6月1日 昔、俺が唐草物語の文体は花田清輝の下手くそで惨めな猿真似だという意味のことを言ったら、生意気にもハンドルネーム「狸」が(笑)で否定しやがった。
あんな鈍感な阿呆は文学など一切、読むな。 「渋沢龍彦氏のひとみ座批判(新しいクリエイティブ・ディレクション発見へのプロセス―その1)」
清水浩二
http://ningyonoie.com/zukan/12shibusawa.html 澁澤龍彦入門
河出書房新社編集部 (編集)
出版社: 河出書房新社 (2017/5/17)
没後30年、澁澤が甦る。東雅夫篇コレクション、平野啓一郎、ヤマザキマリ、山崎ナオコーラ、嶽本のばら、三原ミツカズなど。 書店で見かけたけど、確かに入門用だった
そこそこ売れてる感じ 平野啓一郎なんか載せてるのに 佐藤亜紀は載せてないの?まぁ他のも(ry 澁澤龍彦ふたたび、澁澤先生の珍しい写真が見れたので良かった 「暗黒のメルヘン」読んでるけどこれ面白いなあ。
澁澤のひとこと解説もいい! ユイスマンスの"A rebours"を「さかしま」と訳したのは誰なんだろう?
澁澤だとばかり思っていたのだが、昭和15年に出版された本には既に、「さかしま」と紹介されている。 上田敏じゃね
一応日本で初めてユイスマンスを紹介したのはこいつだから 翻訳物は悪徳しか読んだことないのですが、さかしまと城の中のイギリス人どちらが面白いですか。 ヤフオクにポトマック全原稿200万円というのが出てますね。博物館レベルだなあ。 澁澤龍彦の
極楽鳥とカタツムリ
買おうとしたらイラストがキモすぎてやめた 南が丘文庫
http://www.minamigaoka.info/BOOKS/
Official Homepage
横浜市立南が丘中学校の母体である、平成研究会、通称、経世会とは、自由党吉田茂派を起源に持ち、周山会(佐藤栄作派)・木曜クラブ(田中角栄派)の流れを汲む、鉄の軍団と呼ばれた保守本流集団である。
横浜市立南が丘中学校OB会 世田谷文学館の展示のニュースを見て思い出したよ
30年前亡くなった時に今はもう無い近所の本屋で追悼特設コーナーが作られてて
そこで初めて澁澤龍彦を知った
毒薬の手帳と黒魔術の手帳を買って帰ってどハマりした厨房の思い出…
色々読んだけどエッセイがやっぱり好きだったな
貝殻とか植物とか虫とか石とか 男子小学生が好きそうなもののエッセイが特に秀逸だったように思う 『澁澤龍彦のアヴァンギャルド―異端から生み出される聖なるもの―』 Bunkamura Gallery(東京都) - 全国のイベント情報 : CINRA.NET //www.cinra.net/event/20171201-shibusawatatsuhiko >>425
高校生の頃だったか夏休みの宿題の読書感想文で推薦図書の一覧が載ってるプリントに
「城の中のイギリス人」が入ってたw なんという高校なのかw
いろいろ書店を巡ったんだけど どうしても「城の中のイギリス人」が売ってなかった
今はネットで買えるから便利になったものよ・・・
澁澤の本に酒井抱一を扱った文章があるけど
西洋絵画の批評が圧倒的に多い澁澤作品の中で日本の絵画を取り扱ってるのは珍しと思った 20年位前に放映されたNHK日曜美術館の澁澤特集のビデオが掃除してたら出てきたので
久しぶりに見たら凄く良かった
特にシモーネ・マルティーニとピエロ・ディ・コジモと酒井抱一を紹介されてる部分は涙が出そうなくらい感激した
ところで四谷シモンさんっていつも同じことばっかり言ってるね
「濡れた和紙に澁澤色というインクが染み渡るように影響を受けた」って言ってたけど
別の番組でもそれ言ってた 違う番組で4回くらい同じセリフだと思った >>436
すでにUPされてるよ
「澁澤龍彦」「幻想の王国」のキーワードでyoutubeで検索してみると
トップに出てくるよ 久しぶりに古書店のぞいたら澁澤の古本ってバブルの頃よりかなり安くなってるね。若い頃は手が出なくて文庫本で我慢した思い出。 「ところで、三島由紀夫が、「絶対を垣間見んとして」死んだのだという紋切り型は、澁澤龍彦のこのエッセイに始まる。
信じがたく単純なこのエッセイを読んで感じるのは、澁澤龍彦というのがたかだか高度成長期までの文学者だったというこ
とだ。近代社会のタテマエがそれなりにしっかりしていたから、それにちょっと背をむけてみせれば、「異端の文学者」を
気取ることができた。それに、ヨーロッパがまだまだ遠く、洋書を手に入れるのも難しかったから、あの程度でも素人は眩
惑できたという事情もある。だが、さすがに僕の世代ともなると、澁澤龍彦が面白いというのはよほどナイーブな人間ということになった」 浅田彰 新しいムック本が出たりして、また状況は変わってきてますよ なんだこれ? ラノベかよ
http:// images-fe.ssl-images-amazon.com/ images /l/51G8uqogqL.jpg >>438
今は評価低いからね
サブカル大学生すら読んでない >>441
ちゃんとその本の説明文を見れば書いてある 高丘親王航海記 (文春文庫)
澁澤 龍彦 (著)
出版社: 文藝春秋; 新装版 (2017/9/5) 澁澤龍彦の記憶
菅野 昭正 (編集), 巖谷 國士 (著), 養老 孟司 (著), 池内 紀 (著), 中沢 けい (著), 酒井 忠康 (著)
出版社: 河出書房新社 (2018/4/12)
没後30年を記念して開催された「連続講演」から生まれたエッセイ集。
記憶から甦る澁澤さんの生きた姿がわかるとっておきの一冊。 分家の人間がお札になったし、この次の改鋳では本家の龍彦がお札の顔になるかな(無理) 少女達と無敵の人による或る秘めやかな「性的儀式」
無敵の人3.0 POST HUMAN SEXと
量子的シンギュラリティに関する最終報告
https://ncode.syosetu.com/novelview/infotop/ncode/n3344fs/ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be20a4887bc3d3353f527d3636c44e3) 『サド侯爵の生涯』新版が売られていたから買ったぞ
1540円だったが、なかなか高いな 高校の図書館に希望図書としてソドム百二十日を出したら、すぐ入れてくださると言われた。誰の訳がいいかまで聞かれたので澁澤を希望した。
序章しか読めないなんてその時は知らなかった......。
ともあれ、こういう本も図書館に置けるとはいい学校だと思った。 ソドム百二十日はサドが原稿無くしたんだけど後で発見されたってことかな
例の精神科医訳版では全訳だった気がする 数研出版「語彙力と読解力をつける現代文単語」で
高丘親王航海記が引用されている。
高校生向けの教材で澁澤龍彦が引用されるのはめずらしいね。 犬狼都市のファキールって、ガンディーのことかよ、、? 主人公の女性とセックスする感じの犬の名前がファキール(行者)。 最近嫌になった宮内勝典の小説で読んだけど
ガンディーはセックス好きだったっぽいから
あと、澁澤ってウソついて三島由紀夫の友達になったのかな?とかも思ってしまった
失礼だけど、三島由紀夫はちょっとバカっぽい感じするから
漢ってか、きちんとした戦いみたいなのをしたかった人、みたいな感じする 親戚の渋沢栄一は、パリ万博に行っている。
エリファス・レヴィが生きていた頃だけれど、なにかあるのかな? マンガとか、澁澤とかが用意してたとこあるんじゃないかと、最近疑ってる。 どんな著者かは知らないけれど、龍彦という名前までオマージュしてるくらいだから
当然サングラス、或いはパイプくらいは燻らせているに違いないw あまり頭は良くない人だが、元妻には愛されていたが、彼女を虐待していた。
こんな馬鹿男のどこが良かったのかと思うが、初印象が「物凄い美少年」なんだから、しょうがないかw >>478
浅田は自分の意思で芸術批評から身を退いたんだろ。
彼が本をずっと出してない件については、最近の柄谷の承認欲求の強さを皮肉った文に見る
虚無感が影響してるような。浅田より少し上の世代のスガ秀実や千坂恭二らを見ても、本を
出すことが虚栄や売名でしかない。 >>439
渋沢の唐草物語に登場する、秦の始皇帝の博山炉(boshan-lu)について中国文学研究家の中野美代子が
エッセイを書いてるが、面白い。博山炉は即ち、香炉の一種なんだが、香炉は考古学的には
世界的に共通性の高い品種で、日本の縄文時代の出土品にも香炉は多く出る。中野はエッセイの中で博山炉の
造形デザインの西方の起源や、そのデザインがどのように東に伝わり、アレンジされ、さらに西に逆輸入され
過程を想像している。
異端の文学というか、異端の絵画でも良いけど、異端の良い所は主役あるいは正統への注目を幾分かは弱めてみせる
効果ではないか?それだけでは多分ないが。
酒井抱一や彼の私淑した尾形光琳などの琳派の絵の構成には明確に中心を空白にしようという意図や、華やかで無意味な
装飾で主題をぼかす意思が伺えるような。それは対極に狩野派がいたからこそ、出来たことなのかもしれないが。 渋沢の紹介した中国・漢時代の博山炉は遠くはギリシャあたりのmelqartメルカートのコインに見る浮島伝説に起源があるんだろうが、その浮島が
現代の洋上風力発電や浮体式LNG基地などの浮体式エネルギー生産や貯蔵、エネルギー形態の転換の拠点になって、その技術がますます
発展する可能性を秘めてるのが面白い。 菅野和明
#今日買った本・届いた本
昭和62年の今日は奇才又は鬼才澁澤龍彦の命日。
24冊3万7千円で昨日ヤフオクにて落としたのが夜届く。
調べると今日は澁澤龍彦の忌日。
当初の計画より別巻が一冊多いらしい。
さて、猛暑の中、本の整理がつかない
今夜は彼の靈と語り明かすか
#読書好きさんと繋がりたい
2023年8月5日
澁澤龍彥全集(全22巻・別巻2) 河出書房新社 マグナが御執心の津原が澁澤の愛読者で「自分は澁澤龍彦の息子と思われたことがあった」と自慢してたような。
津原はああいうのがカッコイイと思っていたようだ。
現実的には、澁澤らの幻想世界はその後の考古学の進歩で消滅してしまった。
俺的な幻想的世界としてはプロスペル・メリメの「エトルリアの壷」みたいなのは何時までも古びない。
メリメ自身が知られた考古学者だった。 澁澤龍彦の時代 幼年皇帝と昭和の精神史
浅羽通明 著 青弓社 刊
1993年8月9日 第1版第1刷発行
https://jp.mercari.com/item/m18902626371