19世紀までのヨーロッパの文学者達は旧約に出て来るphilistineを
元にしてphilistinismを批判してるんだが、これは和魂漢才の和魂を
取り巻いた日本の状況と似ているのではないか?
つまり、「語源を良く知りもしないで」批判している。
ナボコフの定義もあやふやに過ぎんが、フローベルが描くブルジョワを
philistineのモデルとして提起したのは、他よりも優っていた。所詮は
アナログでしかないのだが。
philistinismは私の総括では、実用的な世渡り術みたいなものだと思う。
philistine自体が文化の創造者でなかった伝統はあったかもしれない。
それは彼等が常に独立した文化の間の「通訳=翻訳=仲介者」だったから
ではないか?
(無論、彼等はsemiteのひしめく近東にあってアウトサイダーであり、
彼等が異質な言語の渦の中で翻訳、通訳の必要性を最も深刻に身に感じ、
自らがその役にあたったとしても何の不思議もない。)

そして、和魂漢才の場合は明らかに翻訳者の気持ちの持ち方について
言っていたのが始まりではなかったか?
少なくとも日本では平安時代からポストモダニズムまでは
インテリ=知識人とは、本質的には「翻訳者」のことと言っても
構わなかったのだから。