名翻訳家を挙げるスレ
>>293
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/obituaries/CK2014062202000145.html
https://archive.today/tuidI
東江 一紀氏 翻訳家
2014年6月22日
東江 一紀氏(あがりえ・かずき=翻訳家)21日、食道がんのため死去、62歳。長崎市出身。
葬儀・告別式は24日午後1時から東京都杉並区松庵1の12の29、聖マーガレット教会で。喪主は妻衿子(えりこ)さん。
北海道大卒。翻訳ミステリー大賞受賞作の「犬の力」など、多くの推理小説を訳した。
楡井(にれい)浩一の筆名で「文明崩壊」などノンフィクションの翻訳も手掛けた。 小笠原豊樹氏が亡くなったそうです。
ttp://www.yomiuri.co.jp/culture/20141204-OYT1T50066.html?from=tw コンラッドの「闇の奥」はだれの翻訳がおすすめですか >>299
初めて読むんだったら古典新訳文庫の黒原が読みやすいと思います
俺はこれで衝撃を受け藤永や中野も読んでみたが最初の衝撃を越えることはなかった 日本語に塗れてきた人が外国語を学び洋書英書を読んでも意味無し。何故なら自分の頭の中で日本語に訳してしまうからだ。
それでは原文を味わったことにはならない。 >>306
英語はもちろん、20才過ぎて学んだ外国語であっても外国語の文学を原文で
味わうことはできますよ。言語ってそういうものです。
まあ、キミ程度の語学力ではいちいち日本語に変換してしまうので意味なし、
ということになるんでしょうが、もっと勉強すればね。
自分のことを言っても説得力がないので、極端な例をあげると、作家の多和田葉子さんって
ふつうに日本で育って早稲田の露文科を卒業後、就職してからドイツに魅入られて
ドイツ語を勉強し、ドイツ語を味わうどころかドイツ語で書くプロの作家にまでなった。 >>ドイツ語を勉強し、ドイツ語を味わうどころかドイツ語で書くプロの作家にまでなった。
それの真偽を真底、俺は疑ってるんだが。 多和田葉子が単独でドイツ人の助けを借りずにドイツ語で小説を書いて
たら、もっと大きく取り上げられてるはずだ。
日本人で成人後に欧州言語を勉強して、その言語で創作活動をして成功した
日本人は過去に例がない。 >>308も>>309もなんら反証を示せてないよね〜 ドイツ語で小説を書いたって言ってるだけだから、あっそうですか、でどっちもいいじゃん。
別にドイツの雑誌に載せたとかドイツで出版したって言ってるわけじゃないんだから。
万年一次落ちのワナビーが「日本語で小説書いた」って言ったってムキになって否定する人はいないでしょ。 >>311
ドイツで出版されてドイツで評価され、文学賞までを受けてるんですが(笑 では是非出版社名・書名・賞名を。ついでに邦訳wの詳細を(お笑い 多和田葉子のドイツ語作品のきなみアマゾンの評価☆4-5やで ですから、出版社名・書名・賞名を。ついでに邦訳wの詳細を。
ご本人なんですから知らないわけありませんのですぐ言えますよね?多和田先生(お笑い 1990 Förderpreis für Literatur der Stadt Hamburg
1991 Gunzō-Nachwuchspreis (Gunzō Shinjin Bungakushō) der Literaturzeitschrift Gunzō für Fersenlos
1993 Akutagawa-Preis für Inu mukoiri (Der Hundebräutigam)
1993 Lessing-Preis der Freien und Hansestadt Hamburg (Stipendium)
1996 Adelbert-von-Chamisso-Preis
1997 Villa Aurora-Stipendium
2002 Bunkamura Prix des Deux Magots
2005 Goethe-Medaille
2011 Murasaki-Shikibu-Literaturpreis
2013 Erlanger Literaturpreis für Poesie als Übersetzung
出版社はKonkursbuchverlagやね > Gunzō-Nachwuchspreis (Gunzō Shinjin Bungakushō) der Literaturzeitschrift Gunzō für Fersenlos
群像文学新人賞ってドイツの文学賞なの? あとはジャネがツッコめ。オレはドイツ語なんて皆目わからん(笑 >>318
それと芥川と紫式部、ドゥマゴは違うね
ちなみに2005年のゲーテメダルの前後の受賞者はアドニスとケルテースイムレがいる。 >>309
そんなんいくらだっておるわい、
なんも知らんとえらそうに断言してなんやねん。
だいたい否定する根拠が「もっと大きく取り上げられてるはずだ。」って
小学生かおまえは。幼稚にもほどがあるわい。 >>321
>>そんなんいくらだっておるわい、
じゃあ、完全に条件の一致する例を挙げてみろ。 -1-
中国人作家の楊逸(初の日本語を母語としない芥川賞受賞者)の小説・『時が滲む朝』は、
日本に来て新しい生き方を模索する中国人学生を描いている。
楊自身も22歳で来日、日本語は全く話せなかった。彼女にとって日本語を学ぶことは楽しいことで、
授業はもちろん、授業後もできるだけ多くの日本人と会話することに勤しんだ。
「優しそうな人みんなに話しかけたんですよ。話さなきゃいけないことがないときだって、
駐輪場で働いている人に話しかけていました」と彼女は言う。また、彼女は他人の会話にも耳を傾けた。
「2、3語分かるだけでも嬉しかったんです。一日中どきどきしていました」
-2-
イラン出身のシリン・ネザマフィも日本語で書いた『白い紙』で文学賞を取っている。
イラン・イラク戦争のときの高校生の物語だが、彼女にとって日本語で小説を書くことは難しかった。
というのは、彼女の母語、ペルシャ語では漢字を使わないからだ。
ネザマフィは19歳の時に留学のため来日、現在は技師として働いている。
彼女は「1年間高校で日本語を学びましたが、来日当初は簡単な挨拶に2、30の漢字しか知らなかったのです」と言う。
医師伝たちは難しかったがクラスメイトと話をするのに勤しんだ。気付くと、そうすることがとても楽しくなっていた。
「教室に満ちる笑い声、とにかく毎日が楽しかった。日本語で小説を書くのは大変でしたが、
14歳から小説家になりたかったので、困難に挑むのはむしろ楽しかった」と彼女は言う。
-3-
では逆に、外国語で執筆する日本人はいるのか。多和田葉子は大学卒業後にドイツのハンブルグに移住した。
ドイツでの最初の1年、多和田はまったく新しい生活、ドイツ語習得の苦労で、1日9時間睡眠をとらなければやっていけなかった。
今でもドイツ語は難しいが、そ取り組むこと自体は楽しいのだという。「ドイツ語はもう私にとっては日常語ですし、
自分の気持ちは表現できますが、書く段になりますとまだきついです。とはいっても、言葉を学ぶのは新鮮な経験で楽しいです。
こうすることで自由な感じになります。もう一回子供を体験するようなものです」と彼女は述懐する。
http://blog.livedoor.jp/eigokyoukashoreview/archives/51845609.html ゲーテ・メダルってのは池田大作も貰ってるんだなあ。
となると授与の根拠はわからなくなるwがやっぱり大変なメダルなんだなあ。あはは。 >>324
それ、ワイマール・ゲーテ協会ってところが出してるパチモンです 1990リゲティ・ジェルジュ
1991エドゥアルド・パオロッツィ
ヤン・フート
1992カール・ポパー
1993ミシェル・トゥルニエ
パトリス・シェロー
1994サボー・イシュトヴァーン
ビリー・ワイルダー
1995尹伊桑
1996木村直司
1997ロルフ・リーバーマン
ナム・ジュン・パイク
1998ラルフ・ダーレンドルフ
1999ダニ・カラヴァン
2000ダニエル・リベスキンド
ジョージ・タボリ
2001アドニス (詩人)
ソフィア・グバイドゥーリナ
2002マイケル・ブルーメンソール
2004ケルテース・イムレ
2005多和田葉子
シモーネ・ヤング
2007ダニエル・バレンボイム
2011ジョン・ル・カレ
アリアンヌ・ムヌーシュキン
2014ジェラール・モルティエ 村上 博基(1936年3月24日 - 2016年4月30日)は、日本の翻訳家(主に英米文学)。
アリステア・マクリーン『女王陛下のユリシーズ号』早川書房 1967 のち文庫
エリア・カザン『アメリカの幻想』早川書房 1968 のち文庫
メアリイ・マッカーシイ『ハノイ 北ヴェトナムとの会話』早川書房(ハヤカワ・ノンフィクション)1969
『アイリッシュ短編集』3−6 創元推理文庫 1973-1977
『世界最強の男 ムハマッド・アリ自伝』早川書房 1976 「ムハマッド・アリ」文庫
ウィリアム・アイリッシュ『夜は千の目を持つ』創元推理文庫 1979
ジョン・ル・カレ『スクールボーイ閣下』早川書房 1979 のち文庫
J・G・バラード『ハイーライズ』ハヤカワ文庫 1980
ジョン・ル・カレ『スマイリーと仲間たち』早川書房 1981 のち文庫
トマス・ブロック『超音速漂流』文藝春秋 1982 のち文庫
ジェイン・ヨーレン『夢織り女』ハヤカワ文庫 1985
C・W・ニコル『勇魚』文藝春秋 1987 のち文庫
レイ・ブラッドベリ『瞬きよりも速く』伊藤典夫、風間賢二共訳 早川書房 1999 のち文庫
テリイ・サザーン『ブルー・ムーヴィー』早川書房 2006
スティーヴンスン『宝島』光文社古典新訳文庫 2008
スティーブンソン『ジーキル博士とハイド氏』光文社古典新訳文庫 2009
ジョン・ル・カレ『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ〔新訳版〕』ハヤカワ文庫 2012 篠原 慎(1934年 − )は、日本の翻訳家。青山学院大学英米文学科卒業。
フランス映画の字幕翻訳で有名な秘田余四郎に師事。字幕翻訳を学んだ後テレビの吹替翻訳に転向。
『バークにまかせろ』『ナポレオン・ソロ』などのヒット作を手がける。
のち、文芸翻訳家となり、フレデリック・フォーサイスを一貫して翻訳、ほかにサスペンス小説を主として翻訳している。
ジャッカルの日 (1973年)
オデッサ・ファイル (1974年)
戦争の犬たち (1975年)
シェパード (1975年)
悪魔の選択 (1979年)
ビアフラ物語 飢えと血と死の淵から (角川選書 1981年)
帝王 (1982年)
第四の核 (1984年)
ネゴシエイター (1989年)
騙し屋 (1991年)
売国奴の持参金 (1991年)
戦争の犠牲者 (1991年)
カリブの失楽園 (1991年)
神の拳 (1994年)
イコン (1996年)
マンハッタンの怪人 (2000年)
戦士たちの挽歌 (2002年)
アヴェンジャー (2004年)
囮たちの掟 (2004年)
アフガンの男 (2008年) 古いけど、神西清、に小笠原豊樹!神西はほんと凄い!三島が褒めたのは
当然やと思うわ 多和田がドイツ語で小説を書いたとしても、相当量の添削をドイツ人から受けてきたことを何故隠してきてのか。
あるいは何故公表しなかったのか。 >>341
くだらん人間で構わんが。
成人後に学んだ外国語で作品を書くには、必ずネイティブのパートナーの助けが要るはずだ、と俺は言いたい。 もし、リービ英雄と多和田が同様に母語以外の言語で作品を書いてるとすれば、世界的に見ても稀有な存在である二人の対談をとっくの昔に実現化していそうなものではないか?
特に多和田のように日本人が22歳になってから本格的に欧州言語のドイツ語に触れ、数年後から作品を書き始めたというのは世界的にも驚きのはずなんだが。
こく幼い頃から英語の読み書きが出来たというナボコフですら、最初に英語で小説を書いた時は大変な苦しみを味わったことと言ってる。
あのマルチリンガリストで有名な彼がだ。
ある 名翻訳家についてはもうたくさん挙がってるのでいうことないけど、逆に最悪翻訳家のスレってないんでしょうか。
そういうのだったらアメリカ文学の斉藤英治(自認:フェミニズム文学専門とやら)とか、瀬田貞二(指輪物語、ナルニア国などイギリス児童文学)とか
あるんですけど…
歯切れ悪くてムズムズするんでどうしてもすぐ投げてしまって読み通せない、というような。
もしそういうスレが独立してあったら、すみません。 そもそも、同じ作品を訳者違いで読み比べとかするものなの? 三島とか太宰も外国語に翻訳したものを読むと、新たな発見がある。 どうしようもない翻訳家もあげてくれ。最初から外すことを考える。 昔中公文庫で出てた富岡多恵子訳のガートルード・スタインの『三人の女』がひどかった。あれのおかげで英語作品ぐらいは原語で読もうと決心した。 河野一郎が訳したカポーティの「遠い声 遠い部屋」はどうしようもなくダメだった。そもそもなぜ「OTHER VOICES, OTHER ROOMS」が
「遠い声 遠い部屋」となるのか。とにかく日本語としてひどい。原文と照らし合わせて読んだわけではないが、比喩、文章のリズムが伝わってこない。
読み進めるのが非常に苦痛だった。このカポーティの傑作をちゃんとした訳で読みたい。村上春樹でいいんで、改訳を望む。 平川祐弘
後書きの癖の強さが珠に傷だが『神曲』『デカメロン』そして復刊した『いいなづけ』とイタリア文学の巨峰を平易に読めるのはこの人のおかげ >>137
同意する
圓子は『魔の山』『特性のない男』
菅野は『不滅』『スへヴェニンゲンの浜辺』
工藤(精)は『戦争と平和』
谷口は『日はまた昇る』『夜はやさし』『怒りの葡萄』
工藤(好)は『フロス河の水車場』 >>363
どうしても新本がいいなら、岩波文庫がいいと思う
古本でも構わなければ、集英社の圓子修平訳がベスト
自分はドイツ文学の翻訳では、圓子と川村二郎を信頼している
『ブッデンブローク家の人々』は川村訳、
『魔の山』『ファウストゥス博士』は圓子訳を選んだ
新潮文庫の高橋義孝訳は硬い訳語が多くて好きではない 川村二郎と圓子修平はともに都立大教授だったから、仲がよかった
新潮社版『特性のない男』では第1巻を圓子、第5巻を川村が訳し、
他の巻の訳者とのレベルの違いを見せつけた
『カフカ全集』の第1巻では二人で半分ずつ分け合って短編を訳している
川村が訳した『ウェルギリウスの死』も見事だった 川村二郎は良いですね。ムージルの翻訳も見事でした。 >>364
ありがとう。新本がいいんで(結構潔癖症)、岩波文庫にしてみる。高橋義孝は昔、「若きウエルテルの悩み」が読みづらかった記憶がある。
話変わるけど、高橋健二の「車輪の下」も変な日本語のリズムで読みづらかった。ドイツ文学にどうも馴染みが薄いのは、この二人のせいだと
勝手に思っている。 そう、翻訳の場合、誤訳でなくても、日本語のリズムの有無でかなり印象が異なる 一人称の訳仕方でガラッと印象が変わる
わたし、ぼく(昭和時代に多い)、おれ、など
漢字か平仮名でまた違う フランス語の翻訳者はどうなの? 結構年寄りが多いような気がするし、ずいぶん古い訳もまだ現役で生きている。 古くてもいまだにきちんと読める翻訳もある
新庄嘉章や青柳瑞穂は読める
堀口大学なんかはダメだから新訳にした方がいい >>371
新庄の『女の一生』なんかきついところもあったけど。でもどうしようもないのは、堀口。『山師トマ』は苦痛だった記憶しかない。 堀口のアルセーヌ・ルパンものがひどい
「相手」を「対手」と表記している
ケッセルバック夫人のセリフ
「明日も参らなければいけますまいか?」
誰かフランス語と日本語のうまい人に新訳をやってもらいたい 岩波文庫『モンテ・クリスト伯』の翻訳も古すぎるから変えるべきだ >>373
ごもっともで、その通りなんだけど、じゃ誰がいいということになると、適任者は? あまり人材がいないような気がする。 手塚富雄
ゲーテ『ファウスト』
ニーチェ『ツァラトゥストラ』『この人を見よ』
ヘッセ『シッダルタ』
『ゲオルゲ詩集』
シャミッソー『影を見た男』
漢語まじりの硬質な訳文で今の読者からすれば読みにくい面もあるだろうが数々の名訳をものしたのは否定しがたい
『荒野の狼』も手塚訳を復刊させるべき 手塚富雄なら、他にリルケ『ドゥイノの悲歌』、カロッサ『美しき惑いの年』もいい
彼が訳した『ファウスト』はあまたある日本語訳中最高のものだと思う 手塚先生、『ツァラスゥストラ』ではお世話になりました。人生三冊の中の一冊です。ちなみにあとの二冊は、バルトの『恋愛のディスクール・断章』と『若きウェルテルの悩み』です。 『若きウェルテルの悩み』は新潮文庫の高橋訳だったので、機会があれば別の人の訳で読み直したいと思っている。 新潮文庫、ドイツ文学のW高橋(義孝&健二)の翻訳はできれば避けた方がよい
カフカ『変身』高橋義孝訳をカフカ全集の川村二郎訳に変えればいいのに >>381
そうなんだよ。W高橋のせいでドイツ文学はやったら堅いとのイメージを持つようになってしまった。 田村義進(ジェイムズ・エルロイ、ジム・トンプスン他) 評伝「吉田健一」(大佛次郎賞)の著者、長谷川郁夫さん逝去
ご冥福をお祈りいたします 今更ながらですが『白鯨』を読もうと思っていますが、誰の翻訳がお勧めですか。諸事情により、文庫で読む予定です。 柴田元幸
白鯨 モービィ・ディック 上・下
著:ハ−マン・メルヴィル,訳:千石 英世
励まされる翻訳
> 少し前に、学生と『白鯨』読書会をやって、いくつかの訳を参照したが、やはり千石訳が一番だと思った。
http://bungei-bunko.kodansha.co.jp/recommendations/14.html >>389
早速、ありがとう。文庫本とは思えない値段だが、頑張って金貯めて買うよ。 新訳がいいとは限らないように思うのだがどうだろうね
18、19世紀な古典名作は昔の言葉で書かれているからあまりに現代語的な訳文はかえって損なうような気もするけど 森鴎外の『みれん』読んで驚いた
タイトルの訳はちょっと疑問だが
こんな昔にこんなすばらしい翻訳が出来るとは、ドイツ語能力、日本語能力、物語を読み取る能力ともに相当なものである
普通、「彼は、彼女は、」と訳すところを、「男は、女は、」と訳すなんぞは、すごくかっこいい