トルストイ 9
トルストイは学生のころ、熱心に読んだけれども、またトルストイを読んでみようかなあ 一人の人間が戦争と平和やアンナカレーニナを書き上げることができるのは奇跡だと思います 【木村浩訳】はわりと解り難い日本語。 登場人物の名前は原文表記のまま。 ロシヤ語の知識がないときつい。 慣れれば美文であることが解る。 【米川正夫訳】は意味の取り違いが起きない配慮がある。 登場人物の名前も原文にとらわれず、解りやすい。 こなれた日本語。 天才的翻訳家である。 米川訳でも挫折しそうになるくらい第一部は苦痛 殆どが登場人物の紹介と時代背景の描写に費やされているから ジャンルは違うがHUNTER× HUNTER暗黒大陸篇のようなものであって 唯物論者で無神論者はトルストイは読まない傾向にある、と思いますけどね 読者がクリスチャンかどうかについては、トルストイは東洋思想にもかなりの関心をよせて、実際にとりいれている小説もあるくらいだからキリスト教が合わない人も読める作品は多いと思います 日本人は汎神論として、命は尊い、みたいに変換して読めばトルストイも結構いけると個人的には思います 正道ではないけどね 懺悔→わが信仰はいずれにありや→要約福音書の順で読むのがいいと思う 人生の道はトルストイの思想の最後の到達点を示すものだが格言集なのでどこからでも読めるね 信毎プレミアム 長野県内ニュース ◆トルストイの娘、上田に縁 市内カワイ薬局 写真や椅子初公開(5月9日09:11) 上田市中央2のカワイ薬局店主、河合良則さん(60)が、ロシアの文豪トルストイ(1828〜1910年)の娘アレクサンドラ・トルスタヤさん(故人)が河合家を訪れた際の写真などを店頭で初公開している。 先祖と親交のあった市ゆかりの洋画家山本鼎(かなえ)(1882〜1946年)がロシアのトルストイ邸を訪ねたともいわれ、彼女の訪問にどんな縁があるのか、関係者らは想像を膨らませている。 河合さんの曽祖父、操(みさお)さんは明治中期、現上田市大手の上田城跡前にあった旧宅で薬局を創業。河合家では「トルストイの娘が滞在していた」と伝えられ、資料を保管してきたが詳細は不明だった。 市民らでつくる「山本鼎の会」や上田小県近現代史研究会の村山隆さん(72)らがトルストイ関連の文献を調べ、4月までに写真に写っているのがトルストイの娘、アレクサンドラさんだと確認した。 アレクサンドラさんは1917年のロシア革命後、米国に亡命。その途上の29(昭和4)年〜31年、キリスト教やロシア文化を日本各地に紹介したとされる。 なぜ上田を訪れたのか。経緯は不明だが、操さんがクリスチャンで山本鼎と親交があったこと、アレクサンドラさんの通訳の日本人男性と操さんが知り合いだったことなどから河合家を訪れたのではないか―と村山さんらはみている。 カワイ薬局では、アレクサンドラさんが座ったという椅子や、旧河合家前で撮影した写真などを展示中。「曽祖父の出会いや心意気を受け継ぎたい」と河合さん。 村山さんも「鼎とアレクサンドラさんの交流があったかなど分からないことも多い」とし、情報提供を呼び掛けている。 日曜休業。問い合わせはカワイ薬局(電話0268・22・5338)へ。 「戦争と平和」で文壇を駆け上がり、 「アンナ・カレーニナ」で世界の文学史上揺るぎない地位を確立し、 その後の芸術家人生はまとめ方が難しかっただろう。 ノーベル文学賞で大団円となれば良かったのだけれど、あの頃のノーベル賞はそんな権威はなかった。 トルストイは自伝みたいな書き方をして変じゃないか?ドストエフスキーの方が。 信仰形態は良いけどな。 >>699 小林秀雄は野垂れ死にとバカにしてたが ああいう死に方はキリストが磔にされたのと同様に悪くないと思う いやこれがベストだったと思う >>701 「人生100年時代」とやらの今を思うと、トルストイの野垂死は理想のひとつだ ドストエフスキーのポックリ死もいいけど トルストイは結構読んだけどなぜかアンカレだけ残った そのアンカレを読み始めて60ページ すごく面白い、次が気になるけど寝なきゃ ロシアフォルマリズムのシクロフスキーの「異化」の典拠のもとになった トルストイの描写 日本ではドストエフスキーの方が人気があって、とりわけカラマーゾフに話題が集まるけれど、 欧米では総じて言えばカラマーゾフよりもアンナ・カレリーナの方が評価は上なんだろう >>688 レーニンの愛読書が「アンナ・カレーニナ」だったらしい 封建階級の没落、中産階級勃興の萌芽を予見した本だとのこと トルストイのロシア・フォルマリズムの典拠になった 描写を読んでたらいいんじゃね? >>710 北川景子のダンナが得意とする英文字3つでの心情コメントだが、元ネタはアンカレにあるんだよなあ トルストイの人生の道は生涯ベストの本だ 家を追い出されてもこの本だけは持ってく みんな人生の道を読もう トルストイって絶対巨乳好きだよね?このヒトのいいとこってものすごく性欲的なとこなんだな性欲に振り回されてるオトコの葛藤なんだな最後に家出しちゃうあたりもすごい人間的な爺さんだったんだなって思う マジに書くと、「アンナ・カレーニナ」だけ読めばいいと思う ここの人らは聖書読んでたりする? 俺 聖書読んでるけど理解できんわ みんなは理解できる? >>722 解説と一緒でないと、表面的にしか理解できないよ 共観福音書は同じことが少しずつ違って書いてあるから、それらを比較しながらとか、ユダヤ教からの引用を考慮しないといけないとか、論語と同じで訓詁学の世界だよ >>722 >俺 聖書読んでるけど理解できんわ >みんなは理解できる? 作中で福音書からの引用をしていた ドストエフスキーですらきちんと理解していたわけでもないから 普通に読むだけだと駄目だよ トルストイの聖書はイエスが死んだとこで終わる 復活は認めん >>711 あの家出死こそトルストイの完成なんだよね 戦争と平和でマリヤが大切にしたロシアの巡礼と同じ生き方 だけど家族が引き留めてずーっとできなかった ソフィア夫人には本当に気の毒だったけど、 そんなことも知らない日本の評論家のほうがよっぽど表面しか見ないバカだろって思う 要約福音書 わが信仰はいずれにありや 懺悔 宗教論 人生の道借りてきた 読むわ アンナカレーニナ 公爵が降霊術とヴロンスキー貶すところ大好き トルストイユーモアある おっぱい大好きなお爺さんが おっぱいにしか興味がない自分に悩み 都合が悪くなると愛人を始末したくなる自分に悩み 都市生活が自分を毒すると悩み 田園生活に救いを求め やっぱりときどき村娘のおっぱいを盗み見している オトコの普遍性である 『白痴』『アン・カレ』読んだが、無味乾燥な翻訳。 3大長編のうち2作品翻訳したことになるが、『復活』の翻訳はしないと思うよw 「露文和訳」じゃなくて「英文和訳」だと思う。 おれの言ってることは、解る人には解るはず。 『Anna Karenina』を読んでからびっくりしたのは冒頭でアンナさんの実兄を単なる凡俗のゴミとして語り続けていたのが実は鏡合わせで肉親である妹のアンナさんを裏側で物語っていることでもあるって気づいた際なんだ 姉ならすぐにピンとくるのに兄妹になるだけで鏡像だと感じずスルーしてしまう人間心理 Lev Tolstoyってすごい作家だったんだなあって思った アンナ・カレーニナが死の直前、鉄道駅に向かう馬車の中で 醜い小さな老人が「鉄を叩くんだ!」とか言ってるのを見た場面が記憶に残ってるのだけど 持ってる本(中村白葉訳)にはそんな描写はなかった 不気味な老人が出てくる夢はあったけど 馬車の中から見かけた描写もあった記憶がある そういう訳ないかな? 光文社古典新訳文庫も確認してみたけどそんな場面はなかった と、その瞬間に彼女は、自分のやったことにぞっとした。 『わたしはどこにいるのだろう? わたしは何をしているのだろう? なんのために?』 彼女は身を起こして、飛びすさろうとした。 が、なんとも知れぬ巨大な、無慈悲なものが、彼女の頭をがんと突いて、 その背をつかんでひきずった。 『神さま、何もかもお許しください!』と彼女は、抵抗のむなしさを感じながら口ばしった。 ひとりの小柄な百姓が、何やらぶつぶつつぶやきながら、鉄の上で何かしていた。 (中村白葉訳) そしてその瞬間、自分のしてしまったことにぞっとした。 「ここはどこ? わたしは何をしているの? なぜ?」 彼女は身を起こして飛びのこうとした。 だが何か巨大なもの、容赦ないものが彼女の頭をドンと突き、 背中をつかんで引きずっていった。 「主よ、すべてをお許しください!」抗うのは不可能だと感じて、彼女は言った。 あの百姓が何かを唱えながら、鉄を加工していた。 (望月哲男訳) ここの記憶が夢の描写の記憶と混じり合ったのかな >>738 これ自殺の直前だと思ってその辺りを探してたけど、第四編だった 「そうして、その何かが、くるりとこちらをふり返りましたの。 と、それは、ひげのぼうぼうと生えた、小さな、恐ろしい百姓なんです。 わたしは逃げようとしましたけれど、 その男は、ふくろの上へ身をかがめて、両手でしきりに何かごそごそやっているんですわ……」 彼女は、その男がふくろのなかをかきまわしている様子をまねてみせた。 彼女の顔には、恐怖の色があった。 と、ウロンスキイも、自分の夢を思いだしながら、心いっぱいにひろがってくるような、同じ恐怖を感じていた。 「その男はごそごそやりながら、とても早口のフランス語で、 何かとなえるように、しきりにしゃべってるのですよ。 Il faut le battre le fer, le broye, le petrir……(その鉄を打って、くだいて、練りあげなければいけない)って。 わたしはあまりの恐ろしさに、早く目をさましたいと思うと、すぐ目がさめました…… ところが、それがやっぱり、夢なんですのよ。 そしてわたしは、これはいったいどういう意味なんだろうと、自分にたずねはじめました。 するとコルネイが、わたしに、『あなたはお産でなくなるでしょうよ、お産でね、お産で、奥さま……』 こういうんですよ。そしてそこで、わたしはほんとうに目がさめたのですわ……」 ヴロンスキイも同じ百姓の夢を見ていたとか完全に忘れてた 『復活』読んだけど生涯ナンバーワンだ 感想気づいたテクニックは語ると長くなりそうなんで自重しときます 溝口健二『愛怨峡』の原作がトルストイの「復活」だとは、言われるまで気が付かなかった。 復活読んでる時今まで見た読んだいろんな映画や小説が浮かんだ ああ復活だったんだと 『カチューシャの唄』は、1914年(大正3年)に発表された日本の歌謡曲、 ならびに同楽曲を題材にした同年製作・公開の日本の短篇映画である。 楽曲の作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。 劇団芸術座の第3回目の公演である『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱した。 また、『復活唱歌』の題名で、松井の歌唱によるレコードが発売された。 歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は爆発的な流行語となった。 興行成績次第では一座を解散するとも噂されていたが、 4月以降に大阪や京都での公演には、観客が連日大挙し、人気を博した。 その後に行われた長野や富山や金沢や広島、横浜や東京の歌舞伎座・東京座などでの公演も成功を収め、 4年間で上演回数は440回を越えたが、この背景には、 当時世界中で注目を集めていたトルストイの思想を目にしようという目的の学生や、 新しく変わった大正時代を肌で感じようとした大衆の心理があった。 劇場公演から流行歌が生まれた前例としては、1910年(明治43年)に自由劇場で、 1913年(大正2年)10月に帝国劇場で公演されたゴーリキーの『夜の宿』挿入歌である「どん底の歌」 (ロシア民謡、作詞:ゴーリキー、訳詞:小山内薫)が流行したケースがあるが、 「カチューシャの唄」ほど大規模に流行した例はなかった。 さらに、この楽曲の大流行を目にした島村が、芸術座の舞台において劇中歌の挿入を決めたことにより、 後に公演するツルゲーネフ原作の舞台『その前夜』の挿入歌として、「ゴンドラの唄」を製作するに至った。 文読む月日、かつての愛読書だわ トルストイほどの天才ですら宗教の方に行ってしまうのか・・と若い頃は残念に思ってたけど 今じゃ宗教にもだいぶ詳しくなった アンドレイがナターシャに会ったとたん仕事ほっぽり出して笑った ワーテルローの戦いを活写しているユゴーのレ・ミゼラブル(既読)と ナポレオンのロシア侵攻を描いているトルストイの戦争と平和(未読)、 どちらが傑作ですか? 教育者レフ・トルストイ:彼の学校と児童教育の特長は? https://jp.rbth.com/education/83702-kyoikusha-tolstoy-kare-gakko-jido-kyoiku-tokucho トルストイが子ども用の民話を書いていたのは知っていたけど学校まで作っていたなんて知らなかった 「国民教育論」をぽちってみた 戦争と平和は宴会の飯のシーンを読んでるだけでも楽しいよ 本当に食べた気になる 「トルストイの『神の国は汝らのうちにあり』は、私を圧倒した。それは私に永続的な感銘を与えた。この書物の独立不羈の思考、深遠な道徳、および真実性の前には、私がかつて読んだ本はすべて…取るに足りないように思われた」。ガンジーはその自伝の中でこう書いている。 >>750 両方読んだけど、ユゴーは戦場(兵士)に焦点あててて、 トルストイは戦略(将軍)に焦点あててる印象 トルストイのほうが本筋に絡んでボリュームあるし切り口が多様だから単純に比べるのは難しい レ・ミゼラブル お涙頂戴の安物 戦争と平和 基地外おっさんの神作 今までトルストイを説教臭い、「戦争と平和」のタイトルに面白味を感じられない、 そしてもちろん作品が長すぎる、などの理由で読まず嫌いだったのですが、 ようやく戦争と平和を読んでみる気になりました。 そしてこのスレを見てみたら、 文読む月日と人生の道の方がさらに今は読んでみたくなり、 人生の道のほうが安いので、それでも中古で倍の値段になっていますがネットでポチりました。 読むのが楽しみです。 それにしても人生の道はトルストイの作品のなかでも重要な方であるようなのに、 現在新品では買えなかったり、住んでいる市の図書館で3冊所蔵のうち2冊書庫とか、 自分がいうのもなんですが目立たない存在になっているのが気になります。 戦争と平和をちょっとずつ(一日1章)よむトルストイ初心者 今日は1巻1部9章、伯爵夫人が客が帰ってホッとするところまで しかし下の子の方がどうしても伸び伸び育てられるよなー どう考えても、ナターシャはオードリーではない。 リュドミラ・サヴェーリエヴァだ。 以上・・・すれち。 『戦争と平和』は読まない人には戦争小説だと思われ、 読んだ人には至高の青春恋愛小説とわかる >>760 どこの社会にも自分は何もせずに、ラベルばかり貼り付ける人間はいる たちの悪い事に、我が国でも最近この種の人間が増えた事だ 読まなければ駄目。それから評価、何事も。 トルストイの場合絶対に避けるべき翻訳と言うのは特にないな 北御門氏のは少し読みづらいなというくらい 自分の愛着のある本で読めばよし >>760 高慢と偏見も初めて題名を見たときは難しい哲学書かと勘違いしてしばらく敬遠してた ド恋愛小説とは思いもしなかった >>757 みたいに、長いものを読むって言う文学的な耐性が組み込まれていない脳しか持ち合わせていない人間がどんどん増えている。 高校のとき図書室の棚にジャンクリストフと戦争と平和が並んであってなあ どちらも新潮文庫で同じくらいの字の細かさと分厚さで4巻あって 卒業までに両方は読めないなと思って迷って戦争と平和を選んだわけだが ジャンクリストフのほうは未だ読めずじまいだ >>767 今からでも頑張ろうぜ。魅せられたる魂とか失われた時を求めてとかも待ってるよ 『戦争と平和』は3回読んだら飽きてしまった。 『アンナ・カレーニナ』は4回読んだがまだ飽きていない。 769ではないけど、翻訳について答えると、 『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』とも工藤精一郎訳を勧める 前者は新潮文庫、後者は集英社ギャラリーに入っている >>770 「戦争と平和」 工藤精一郎(新潮文庫) 中村白葉(トルストイ全集、河出書房) 米川正夫(岩波文庫) 「アンナ・カレーニナ」 藤沼貴(講談社文庫) 中村融(岩波文庫) 中村白葉(トルストイ全集、河出書房) 木村浩(新潮文庫) >>771 ,772 ありがとう 『戦争と平和』は工藤訳で読んだ 『アンナ・カレーニナ』も工藤訳で読みたかったけど手に入らなかったので木村浩訳と望月訳で読んでる 個人的には辻邦生がエッセイで引用してた木村彰一訳が欲しい(同じ訳者の『クオ・ワディス』が良かったので) >>773 木村彰一訳は筑摩だから中古でも品薄 手に入れにくい 筑摩世界文学大系 84 幼年時代 北垣信行/訳 コサック 北垣信行/訳 ざんげ 木村彰一/訳 人はなにで生きるか 北垣信行/訳 愛あるところに神もいる 北垣信行/訳 イヴァン・イリイーチの死 木村彰一/訳 クロイツェル・ソナタ 木村彰一/訳 主人と下男 北垣信行/訳 神父セルギイ 木村彰一/訳 トルストイを讃えて の中から数編読んだが三段組だが読みやすかった 訳も良かった 三段組は読みづらくないですか? 二段組(見開きの四段組)は大好きだけど三段は字も小さいし、ちょっとあんまりだと思いました ぼくは乱視があるので目の上下動が少ないほうが見やすい 字の小ささはまだ老眼でないので苦にならない 木村彰一訳は岩波文庫のレスコフ『魅せられた旅人』を読んだことがある 読みやすく面白かった 岩波の中村融訳は挿絵と主要人物一覧があるだけでもポイント高い read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる