トルストイ 9
>>688 レーニンの愛読書が「アンナ・カレーニナ」だったらしい 封建階級の没落、中産階級勃興の萌芽を予見した本だとのこと トルストイのロシア・フォルマリズムの典拠になった 描写を読んでたらいいんじゃね? >>710 北川景子のダンナが得意とする英文字3つでの心情コメントだが、元ネタはアンカレにあるんだよなあ トルストイの人生の道は生涯ベストの本だ 家を追い出されてもこの本だけは持ってく みんな人生の道を読もう トルストイって絶対巨乳好きだよね?このヒトのいいとこってものすごく性欲的なとこなんだな性欲に振り回されてるオトコの葛藤なんだな最後に家出しちゃうあたりもすごい人間的な爺さんだったんだなって思う マジに書くと、「アンナ・カレーニナ」だけ読めばいいと思う ここの人らは聖書読んでたりする? 俺 聖書読んでるけど理解できんわ みんなは理解できる? >>722 解説と一緒でないと、表面的にしか理解できないよ 共観福音書は同じことが少しずつ違って書いてあるから、それらを比較しながらとか、ユダヤ教からの引用を考慮しないといけないとか、論語と同じで訓詁学の世界だよ >>722 >俺 聖書読んでるけど理解できんわ >みんなは理解できる? 作中で福音書からの引用をしていた ドストエフスキーですらきちんと理解していたわけでもないから 普通に読むだけだと駄目だよ トルストイの聖書はイエスが死んだとこで終わる 復活は認めん >>711 あの家出死こそトルストイの完成なんだよね 戦争と平和でマリヤが大切にしたロシアの巡礼と同じ生き方 だけど家族が引き留めてずーっとできなかった ソフィア夫人には本当に気の毒だったけど、 そんなことも知らない日本の評論家のほうがよっぽど表面しか見ないバカだろって思う 要約福音書 わが信仰はいずれにありや 懺悔 宗教論 人生の道借りてきた 読むわ アンナカレーニナ 公爵が降霊術とヴロンスキー貶すところ大好き トルストイユーモアある おっぱい大好きなお爺さんが おっぱいにしか興味がない自分に悩み 都合が悪くなると愛人を始末したくなる自分に悩み 都市生活が自分を毒すると悩み 田園生活に救いを求め やっぱりときどき村娘のおっぱいを盗み見している オトコの普遍性である 『白痴』『アン・カレ』読んだが、無味乾燥な翻訳。 3大長編のうち2作品翻訳したことになるが、『復活』の翻訳はしないと思うよw 「露文和訳」じゃなくて「英文和訳」だと思う。 おれの言ってることは、解る人には解るはず。 『Anna Karenina』を読んでからびっくりしたのは冒頭でアンナさんの実兄を単なる凡俗のゴミとして語り続けていたのが実は鏡合わせで肉親である妹のアンナさんを裏側で物語っていることでもあるって気づいた際なんだ 姉ならすぐにピンとくるのに兄妹になるだけで鏡像だと感じずスルーしてしまう人間心理 Lev Tolstoyってすごい作家だったんだなあって思った アンナ・カレーニナが死の直前、鉄道駅に向かう馬車の中で 醜い小さな老人が「鉄を叩くんだ!」とか言ってるのを見た場面が記憶に残ってるのだけど 持ってる本(中村白葉訳)にはそんな描写はなかった 不気味な老人が出てくる夢はあったけど 馬車の中から見かけた描写もあった記憶がある そういう訳ないかな? 光文社古典新訳文庫も確認してみたけどそんな場面はなかった と、その瞬間に彼女は、自分のやったことにぞっとした。 『わたしはどこにいるのだろう? わたしは何をしているのだろう? なんのために?』 彼女は身を起こして、飛びすさろうとした。 が、なんとも知れぬ巨大な、無慈悲なものが、彼女の頭をがんと突いて、 その背をつかんでひきずった。 『神さま、何もかもお許しください!』と彼女は、抵抗のむなしさを感じながら口ばしった。 ひとりの小柄な百姓が、何やらぶつぶつつぶやきながら、鉄の上で何かしていた。 (中村白葉訳) そしてその瞬間、自分のしてしまったことにぞっとした。 「ここはどこ? わたしは何をしているの? なぜ?」 彼女は身を起こして飛びのこうとした。 だが何か巨大なもの、容赦ないものが彼女の頭をドンと突き、 背中をつかんで引きずっていった。 「主よ、すべてをお許しください!」抗うのは不可能だと感じて、彼女は言った。 あの百姓が何かを唱えながら、鉄を加工していた。 (望月哲男訳) ここの記憶が夢の描写の記憶と混じり合ったのかな >>738 これ自殺の直前だと思ってその辺りを探してたけど、第四編だった 「そうして、その何かが、くるりとこちらをふり返りましたの。 と、それは、ひげのぼうぼうと生えた、小さな、恐ろしい百姓なんです。 わたしは逃げようとしましたけれど、 その男は、ふくろの上へ身をかがめて、両手でしきりに何かごそごそやっているんですわ……」 彼女は、その男がふくろのなかをかきまわしている様子をまねてみせた。 彼女の顔には、恐怖の色があった。 と、ウロンスキイも、自分の夢を思いだしながら、心いっぱいにひろがってくるような、同じ恐怖を感じていた。 「その男はごそごそやりながら、とても早口のフランス語で、 何かとなえるように、しきりにしゃべってるのですよ。 Il faut le battre le fer, le broye, le petrir……(その鉄を打って、くだいて、練りあげなければいけない)って。 わたしはあまりの恐ろしさに、早く目をさましたいと思うと、すぐ目がさめました…… ところが、それがやっぱり、夢なんですのよ。 そしてわたしは、これはいったいどういう意味なんだろうと、自分にたずねはじめました。 するとコルネイが、わたしに、『あなたはお産でなくなるでしょうよ、お産でね、お産で、奥さま……』 こういうんですよ。そしてそこで、わたしはほんとうに目がさめたのですわ……」 ヴロンスキイも同じ百姓の夢を見ていたとか完全に忘れてた 『復活』読んだけど生涯ナンバーワンだ 感想気づいたテクニックは語ると長くなりそうなんで自重しときます 溝口健二『愛怨峡』の原作がトルストイの「復活」だとは、言われるまで気が付かなかった。 復活読んでる時今まで見た読んだいろんな映画や小説が浮かんだ ああ復活だったんだと 『カチューシャの唄』は、1914年(大正3年)に発表された日本の歌謡曲、 ならびに同楽曲を題材にした同年製作・公開の日本の短篇映画である。 楽曲の作詞は島村抱月と相馬御風、作曲は中山晋平。 劇団芸術座の第3回目の公演である『復活』の劇中歌として、主演女優の松井須磨子などが歌唱した。 また、『復活唱歌』の題名で、松井の歌唱によるレコードが発売された。 歌詞の「カチューシャかわいや わかれのつらさ」は爆発的な流行語となった。 興行成績次第では一座を解散するとも噂されていたが、 4月以降に大阪や京都での公演には、観客が連日大挙し、人気を博した。 その後に行われた長野や富山や金沢や広島、横浜や東京の歌舞伎座・東京座などでの公演も成功を収め、 4年間で上演回数は440回を越えたが、この背景には、 当時世界中で注目を集めていたトルストイの思想を目にしようという目的の学生や、 新しく変わった大正時代を肌で感じようとした大衆の心理があった。 劇場公演から流行歌が生まれた前例としては、1910年(明治43年)に自由劇場で、 1913年(大正2年)10月に帝国劇場で公演されたゴーリキーの『夜の宿』挿入歌である「どん底の歌」 (ロシア民謡、作詞:ゴーリキー、訳詞:小山内薫)が流行したケースがあるが、 「カチューシャの唄」ほど大規模に流行した例はなかった。 さらに、この楽曲の大流行を目にした島村が、芸術座の舞台において劇中歌の挿入を決めたことにより、 後に公演するツルゲーネフ原作の舞台『その前夜』の挿入歌として、「ゴンドラの唄」を製作するに至った。 文読む月日、かつての愛読書だわ トルストイほどの天才ですら宗教の方に行ってしまうのか・・と若い頃は残念に思ってたけど 今じゃ宗教にもだいぶ詳しくなった アンドレイがナターシャに会ったとたん仕事ほっぽり出して笑った ワーテルローの戦いを活写しているユゴーのレ・ミゼラブル(既読)と ナポレオンのロシア侵攻を描いているトルストイの戦争と平和(未読)、 どちらが傑作ですか? 教育者レフ・トルストイ:彼の学校と児童教育の特長は? https://jp.rbth.com/education/83702-kyoikusha-tolstoy-kare-gakko-jido-kyoiku-tokucho トルストイが子ども用の民話を書いていたのは知っていたけど学校まで作っていたなんて知らなかった 「国民教育論」をぽちってみた 戦争と平和は宴会の飯のシーンを読んでるだけでも楽しいよ 本当に食べた気になる 「トルストイの『神の国は汝らのうちにあり』は、私を圧倒した。それは私に永続的な感銘を与えた。この書物の独立不羈の思考、深遠な道徳、および真実性の前には、私がかつて読んだ本はすべて…取るに足りないように思われた」。ガンジーはその自伝の中でこう書いている。 >>750 両方読んだけど、ユゴーは戦場(兵士)に焦点あててて、 トルストイは戦略(将軍)に焦点あててる印象 トルストイのほうが本筋に絡んでボリュームあるし切り口が多様だから単純に比べるのは難しい レ・ミゼラブル お涙頂戴の安物 戦争と平和 基地外おっさんの神作 今までトルストイを説教臭い、「戦争と平和」のタイトルに面白味を感じられない、 そしてもちろん作品が長すぎる、などの理由で読まず嫌いだったのですが、 ようやく戦争と平和を読んでみる気になりました。 そしてこのスレを見てみたら、 文読む月日と人生の道の方がさらに今は読んでみたくなり、 人生の道のほうが安いので、それでも中古で倍の値段になっていますがネットでポチりました。 読むのが楽しみです。 それにしても人生の道はトルストイの作品のなかでも重要な方であるようなのに、 現在新品では買えなかったり、住んでいる市の図書館で3冊所蔵のうち2冊書庫とか、 自分がいうのもなんですが目立たない存在になっているのが気になります。 戦争と平和をちょっとずつ(一日1章)よむトルストイ初心者 今日は1巻1部9章、伯爵夫人が客が帰ってホッとするところまで しかし下の子の方がどうしても伸び伸び育てられるよなー どう考えても、ナターシャはオードリーではない。 リュドミラ・サヴェーリエヴァだ。 以上・・・すれち。 『戦争と平和』は読まない人には戦争小説だと思われ、 読んだ人には至高の青春恋愛小説とわかる >>760 どこの社会にも自分は何もせずに、ラベルばかり貼り付ける人間はいる たちの悪い事に、我が国でも最近この種の人間が増えた事だ 読まなければ駄目。それから評価、何事も。 トルストイの場合絶対に避けるべき翻訳と言うのは特にないな 北御門氏のは少し読みづらいなというくらい 自分の愛着のある本で読めばよし >>760 高慢と偏見も初めて題名を見たときは難しい哲学書かと勘違いしてしばらく敬遠してた ド恋愛小説とは思いもしなかった >>757 みたいに、長いものを読むって言う文学的な耐性が組み込まれていない脳しか持ち合わせていない人間がどんどん増えている。 高校のとき図書室の棚にジャンクリストフと戦争と平和が並んであってなあ どちらも新潮文庫で同じくらいの字の細かさと分厚さで4巻あって 卒業までに両方は読めないなと思って迷って戦争と平和を選んだわけだが ジャンクリストフのほうは未だ読めずじまいだ >>767 今からでも頑張ろうぜ。魅せられたる魂とか失われた時を求めてとかも待ってるよ 『戦争と平和』は3回読んだら飽きてしまった。 『アンナ・カレーニナ』は4回読んだがまだ飽きていない。 769ではないけど、翻訳について答えると、 『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』とも工藤精一郎訳を勧める 前者は新潮文庫、後者は集英社ギャラリーに入っている >>770 「戦争と平和」 工藤精一郎(新潮文庫) 中村白葉(トルストイ全集、河出書房) 米川正夫(岩波文庫) 「アンナ・カレーニナ」 藤沼貴(講談社文庫) 中村融(岩波文庫) 中村白葉(トルストイ全集、河出書房) 木村浩(新潮文庫) >>771 ,772 ありがとう 『戦争と平和』は工藤訳で読んだ 『アンナ・カレーニナ』も工藤訳で読みたかったけど手に入らなかったので木村浩訳と望月訳で読んでる 個人的には辻邦生がエッセイで引用してた木村彰一訳が欲しい(同じ訳者の『クオ・ワディス』が良かったので) >>773 木村彰一訳は筑摩だから中古でも品薄 手に入れにくい 筑摩世界文学大系 84 幼年時代 北垣信行/訳 コサック 北垣信行/訳 ざんげ 木村彰一/訳 人はなにで生きるか 北垣信行/訳 愛あるところに神もいる 北垣信行/訳 イヴァン・イリイーチの死 木村彰一/訳 クロイツェル・ソナタ 木村彰一/訳 主人と下男 北垣信行/訳 神父セルギイ 木村彰一/訳 トルストイを讃えて の中から数編読んだが三段組だが読みやすかった 訳も良かった 三段組は読みづらくないですか? 二段組(見開きの四段組)は大好きだけど三段は字も小さいし、ちょっとあんまりだと思いました ぼくは乱視があるので目の上下動が少ないほうが見やすい 字の小ささはまだ老眼でないので苦にならない 木村彰一訳は岩波文庫のレスコフ『魅せられた旅人』を読んだことがある 読みやすく面白かった 岩波の中村融訳は挿絵と主要人物一覧があるだけでもポイント高い 『アンナ・カレーニナ』 筑摩書房の木村彰一訳と集英社の工藤精一郎訳を持っている どちらも文庫でない、ばかでかい本だが、翻訳は甲乙つけがたい上質なもの 集英社の方にはカラーの見事な挿し絵がところどころに入っている 挿し絵が欲しいとか言ってるやつはラノベでも読んでろ 私も、挿絵には意味があると思います。 特に、作家生存時の版から載っていたもの などは、むしろ省かれない方が良いと思う。 ドンキホーテとか白鯨なんかは挿絵ないと挫折する率高いだろ 失われた時を求めてやユリシーズも挿絵入れるべきだと思うわ 当時のファッションとか自然描写とかは調べないとわかりにくいし トルストイの場合映画で観るって手も使えるが トルストイもドストエフスキーも、全集を手に取って隅から隅まで読まなければ、語ってはいけないような気がして辛い。他の文学者もそうだけど、特にロシアはその傾向が自分的に強いんだよなぁ。 なお、最終的に原文で読まないやつは、何も語れないし理解できないということに苦悩する模様 >>786 研究者でない限り、そこまでこだわることはない 文学愛好家は翻訳で楽しめばよい 読書の秋、いろいろ読みたいねえ >>786 そう言う風に、一つのハードルを設けて、 これを超えないヤツは云々とか言うと 文化の伝播を阻害しますぞ。 偏狭な考えは、早めにお捨てなさい。 それ突き詰めると、トルストイでないならトルストイは理解できないってことになるよ たしかに偏狭な考えだし、ひとつ気に入った作品があれば多いに語るのはいいとは思うよ。 でも理解するという点においては、不可能なんだけども、ぎりぎりまで作者の作品を読み切らないといけないと思う。ある意味、傲慢なんだな自分は。 または、読書を楽しむってよりかは、作者の考え方を自分の中に入れ込みたい方が強いのかもしれん。 現状、トルストイの文庫で挿画があるのってあったっけ。新潮は確実にないよね 岩波と光文社は作家によっては入っていたりするけどトルストイはどうだったかな >>790 「作者の考え方を自分の中に入れ込みたい」これは良くわかる! 自分も、その思いで結構一生懸命だな。どの国のどの作家に対しても。 挿絵入りの文庫、めずらしいですね最近ではね。 復活には元々挿絵があったはず レオニード・パステルナーク(ドクトルジバゴで有名なパステルナークの父親)が トルストイが復活を新聞に連載する際に挿絵を書いている 新潮の復活は挿絵なしだったが、中公文庫のには確か挿絵があった https://jp.rbth.com/arts/2013/05/31/43269 中公文庫はオースティンの『高慢と偏見』も19世紀の挿し絵を載せていてエライ 他にポー名作集にも有名な挿し絵が載ってる 岩波文庫はドン・キホーテやレ・ミゼラブルにもたくさん載せててやっぱりエライ >中公文庫はオースティンの『高慢と偏見』 翻訳はよくない 学生の英文和訳みたいだ 新潮文庫の新訳のほうがよい ごめん 河出文庫の阿部訳と勘違いした 中公文庫のはもっているが読んでいない >>793 この挿し絵はすばらしいね。日本でこれを使ったものは出版されているのだろうか >>796 阿部知二だから古くさいけど悪くはないんじゃないの 阿部知二の翻訳は古典的格調のある名訳(特に『白鯨』)だが、読む側が無教養だとついていけない つか、オースティンとか白鯨とかは、どっちかっつうと すれ違いじゃね?ま、適当な所でやめてね。 幼年時代少年時代青年時代は合本で文庫化すべき コザック新訳した乗松さんとかで出さないかな 新潮の復刊とかでもいいが カロッサの自伝3部作『幼年時代』『青春変転』『美しき惑いの年』は読んだが、 トルストイの3部作はまだ読んでない 押し入れの段ボールのなかにトルストイ全集の古本が入ったままなんだが、 そんなにいいのかね? 幼年時代 美しい 少年時代 恐ろしい 青年時代 恥ずかしい こんな感じ 大人っぽく新聞を読もうと喫茶店に入ったのに おいしそうなケーキが目に付いて気づいたら6皿くらい食べてた話とかね 段ボールからトルストイ全集本を取り出してきた 1960年河出書房発行、白とグレーの函から取り出すと、鮮やかな赤の装丁が美しい 中村白葉訳で、幼年・少年・青年時代の他に、地主の朝、最初の記憶、 幼年時代の記憶が収録されている 新潮文庫の幼年・少年・青年時代は確か原卓也訳だったね >>805 中村白葉訳と、中村白葉が訳していない作品は娘婿の中村融が訳した全集ですね。 トルストイは、今でも露文の代名詞ですよね!みなさん! うむ 全ての作品を読みたいと思う作家はトルストイくらいだ あまり知られてないのだと「吹雪」っていう 吹雪の夜に馬車で道に迷うってだけの話なのに面白い とりあえず『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』だけは読んどけば何とかなる read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる