シオラン
Emile Cioran の名前を試しに Youtube で検索してみたら、たくさんビデオが出てきたぞ〜。 びっくりした。フランス語でしゃべってて、英語の字幕付きで、 シオランがしゃべっているビデオも見つかった。「いつでも自殺ができるという 考えのおかげで私は救われた。いつでも自殺できるという自由があるからこそ、私は今まで生きてこられた」 というようなことを言ってる。日本語でシオランについて解説したビデオもあるかも。 http://www.youtube.com/watch?v=zmvRMVMrzA4 シオランについての日本語でのビデオは Youtube 上には見つからなかった。 フランス語だけでのビデオなら、1時間くらいのドキュメンタリーを初めとして、 たくさん見つかる。そして、フランス語やルーマニア語でしゃべっていて、それに イタリア語やスペイン語で字幕のついたものもけっこう見つかる。 でみ、日本語の字幕つきは見つからない。英語の字幕付きなら、 少ないけどいくらか見つかる。 1時間ほどの英語字幕付きのシオランについてのドキュメンタリー http://www.youtube.com/watch?v=78y06QkpnC8&feature=relmfu >>27 ほーい、どうも。 >>28 自殺志願者にはむしろシオランを読ませたほうがよい、と ガブリエル・マルセルはコメントしたとか。 シオランはエネルギーあふれる著述家であるとも、ときに いわれる。そのエネルギーの噴出する方向は、自己嫌悪 自己否定、自己破壊の方向であるにしても。 客体化されることで時間は歴史に、わたしたちが自己に反して召還した 怪物に、わたしたちにとって逃れられない運命に、変容をとげた。 受動的姿勢の公式に訴えても、叡智の処方に訴えても、これを 押しとどめることはできなかった。 (自己に反する考察より) >>35 他の人たちには、この文章の意味がわかるの? Emile Cioran は、いつ読んでも惹きつけられる。事情があって、僕の手元には 日本語版がなくて、どういうわけか英訳版だけがあるので、その本の最初の言葉を引用する。 Three in the morning. I realize this second, then this one, then the nexts: I draw up the balance sheet for each minute. And why all this? Because I was born. It is a special type of sleeplessness that produces the indictment of birth. "Ever since I was voren" -- that "since" has a resonance so dreadful to my ears it becomes unendurable. E. M. Cioran "The Trouble with Being Born" p.1 (生誕の災厄)の最初のページ 1行目の nexts ---> next 最後から2行目 I was voren --> born タイプミスして、ごめん。それから、日本語版じゃなくって、ごめん。 でもやっぱり、シオランは痛すぎる。シオランの思ってる通りのことを 俺は思ってるから。そして、そういう考えを持ったまま生きていくことは 不可能に近いから。自殺しないまでも、あらゆることが無意味で 馬鹿馬鹿しくなるじゃんか。人と話をするのも無意味になっちゃうし、 子供を作ることは最大の犯罪になるし。 子供を作るというこの恐ろしい犯罪に対して、 人はなぜ「おめでたい」などという大嘘をつくのか? >>36 そんなにわかりにくいか? まあ、シオランって元々そんなにわかりやすい 文筆家ではないにしても、シオランにしてはそれほどわかりにくくない アフォリズムだとおもうがな、>>35 は。「受動的姿勢」や「叡智の処方」が 何を意味するかあまりはっきりしないにしても、シオランにおいては有力な 題材、すなわち時間と歴史への攻撃、究極の歴史的目的論であるユートピア 思想への攻撃のバリエーションであるというのは、みやすいだろう。 世界の終わりに正義が勝利し悪が破滅するという歴史的目的論をシオランは ひっくりかえして、生まれてきたこと自体が間違いだったって言い出すんだな。 シオランは決してわかりやすくはないよ。続けて読むことができない 思想家といわれるくらいでね。 Cioran "Oeuvres" 1,700 pages もある例の有名な Pleiade 版。去年、刊行されたばかり。 日本、アメリカ、フランスのアマゾンで値段を比べたら、フランスのアマゾンで買うと 日本への送料を含めてもダントツに安いことがわかった。 http://www.amazon.fr/OEuvres-Cioran/dp/2070126250/ref=sr_1_2?ie=UTF8& ;qid=1353839964&sr=8-2 日本で買うと15,000円くらい。アメリカから買うと、10,000円から 16,000円くらい。 フランスから買うと、送料を含めても 7,600円くらい。 >>44 Emile Cioran って、邦訳や英訳で読もうとすると、2,000ページくらいの本を 何冊も買って並べないといけなくなり、お金もかさばるけど、 何よりも、たったの 200ページくらいの本を何冊も持っているのが うっとおしい。原書のフランス語だったら、彼の著作のほとんどが 一冊にまとまっていて、管理しやすいし割安になる。 ただ、Bibliotheque de Pleiade の叢書って、革で装丁してあるからきれいで 丈夫だけど、紙がすごく薄かったと記憶してる。書き込みしにくいだろうなあ。 でも、他に適当な版がないし、仕方ないか。 「歴史とユートピア」の冒頭で、シオランは祖国の言葉であるルーマニア語を 捨て去り、フランス語へと亡命した亡命者の苦渋について書いてるな。 故郷から自らを追放し、永遠の亡命者として生きることってのは、故郷が ある人間には理解しえないことだってね。シオランを読むことで、そういう 境遇がどんなものか、僅かに理解できるかもしれないとおもって、われわれは 彼の著述を手に取るわけだ。 亡命者の著述がもの珍しさから読まれるという のは、亡命者、異邦人であることを強いられたものからすれば、おそらくは 珍しいものへの好奇心、贅沢の一種というように思われてるのだろうきっと。 亡命者の境遇ってのは、日本人にはなかなか理解しがたいことかな。 >>35 やっとその言葉の意味がつかめたような気がする。翻訳文って、なかなか馴染めない。 元の訳文を僕なりにパラフレーズしてみた。 (1) 客体化されることで時間は歴史に、わたしたちが自己に反して召還した 怪物に、わたしたちにとって逃れられない運命に、変容をとげた。 ---> 人間は、時間というものを実体のあるものとして意識し始めたから、 時間が歴史や怪物や、逃れようのない運命に変化してしまったのだ。 受動的姿勢の公式に訴えても、叡智の処方に訴えても、これを 押しとどめることはできなかった。 ---> 時間に身を委ねても、知恵を振り絞っても、これはどうしようもなかった。 >>46 確かに故郷を捨てて別の場所と言葉と文化だけを受け入れて生きて行くことは、 大変だろうと思う。でも、 (1) ルーマニア語とフランス語との言語的な距離 (2) ルーマニアとフランスとの地理的な距離 (3) ルーマニアとフランスとの文化的、宗教的な距離 これら、日本人が想像するほど大きくはないと思う。日本人がもし日本を捨てて 中国や韓国で生き続けるとなると大変だろう。そもそも言語が根本的に違う。 言語や文化や散り的な距離を考え合わせると、ルーマニアとフランスは、 鹿児島と東京くらいの違いしかないと思う。 日本人は、沖縄から東北や北海道に至るいろいろな文化や言語を 単一の東京方言や東京の文化で統一してしまうことに違和感を感じなかった けど、ヨーロッパ人は、鹿児島弁と東京言葉との違いくらいしかないような 国々や民族や宗教の微妙な違いをどうしても統一するのを嫌がって、 数十カ国という国を作ってしまったと言えるんじゃないかな? わかりやすい例をあげると、スペイン語とポルトガル語とは、テレビのなかった 100年前の大阪弁と神戸弁との違いしかないはずなのに、二つの言語として扱われている。 イタリア語とスペイン語との違いは、もう少し大きいけど、それでも鹿児島弁と 東京方言との違いくらいだろう。フランス語とルーマニア語との違いと言っても、 テレビのなかった100年前の大阪弁と東京方言との違いくらいしかないはずだ。 Cioran の著作集のフランス語版で、1,700ページくらいある本が、Bibliotheque de Pleiade というシリーズの中で、去年あたりから出版されている。この本は日本では手に入らないみたい だったので、フランスのアマゾンで注文した。11月25日に注文したら、今日、Royal Mail で普通郵便として届いた。9日で届いたことになる。その本は、 http://www.amazon.fr/OEuvres-Cioran/dp/2070126250/ref=sr_1_1?ie=UTF8& ;qid=1354615365&sr=8-1 というページを通して注文した。 Eur 56,82 Eur 11,50 Total: Eur 68,32 (7,587 yen) 革で装丁された、実に美しい本だ。サイズは、岩波文庫よりも大きく、 Penguin Books よりも小さい。フランスのペーパーバック文庫である Folio classique ろ同じ大きさ。僕には少し宝の持ち腐れになるような高い本だけど、 Cioran の著作のほとんどを集めてあってこの値段だったら、むしろ安いと言っていいかも しれない。第一、著作を一つ一つ集めていこうとしても、 日本語版であれ英語版であれ、あるいはフランス語版であれ、なかなかうまくいかないはず。 だから今回は、思い切って買うことにした。 >>49 上に書いた値段のところで、書き忘れたことがある。 Eur 56,82 --- 書籍の値段 Eur 11,50 --- フランスから日本までの運送料 Pleiade 版のこの Cioran の著作集に入っている元の著作のタイトルを ここにリストアップします。たあし、アクセント記号は、すべて無視します。 Precis de decomposition -- p.3 からp.168あたり Syllogismes de d'amertume -- p.169から La tentation d'exister --- p.265から Histoire de utopie --- p.431から La chute dans le temps --- p.523から Le mauvais demiurge --- p.621から De l'inconvenient d'etre ne --- p.731から Ecartelement --- p.903から Aveux et anathemes --- p.1021 から Exercices d'admiration --- p.1131から Appendices --- p.1253から Notices et notes --- p.1299から Bilbiographie --- p.1609 Index --- p.1633から そして最後のページは、p.1658です。 届いたばかりの Cioran の著作集から、さっそく少しだけ引用してみます。 ただし、アクセント記号をタイプするのは面倒なだけでなく文字化けする 可能性が高いので、やめておきます。 Ne pas naitre est sans contredit la meilleure formule qui soit. Elle n'est malheureusement a la portee de personne. >>52 出典: "De l'inconvenient d'etre ne", 最後から三つ目の aphorisme Cioran の aphorismes を読んでると、最近は笑っちゃうことが多い。 馬鹿にした笑ではなく、あまりに真実を突いているときは、最近は笑って しまうのだ。 Avoir comma tous les crimes, hormis celui d'etre pere. --- De l'inconvenient d'etre ne, p.734, Pleiade すべての犯罪は犯した。父親になるという犯罪は別として。 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。 島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人同様になってしもうた僕が言うんやから、 まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。 教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。 誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。 島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな >島本町って町は、暴力といじめの町なんだな 子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない後遺症になるなあ このスレを読んでいると、(言論というより、)思想及びその発言の自由に対する意識は、 英米よりもフランスの方が段突に高いんだと実感する。 シオランは今が増刷時期ではないだろうか? 私はうんたら〜事件もあることだし・・・ シオラン 街に出て人間どもを目にすると、まっさきに思いつくのは「皆殺し」という言葉だ。(『四つ裂きの刑』) ジョーカーPGM シオランが聖者に熱狂してニーチェに敵対し、 ニーチェほど愚劣な存在はいないということがニーチェを讃えることにしかならないと自覚していたころはよかったのに あとの方になるとシオランは賤民の厚かましさをフランス風のニュアンスに解消してしまった。それだとパスカルの方が深いことになってしまう 2016年5月8日 カミュは不条理でシオランと同じ地点に着地する キリスト教徒というのは、どうしても原罪的な、生きること=罪を償うことという考えから脱しない 現代日本でよくみられる現象 良いところを真似するのでなく、悪いところに共鳴し過ぎる Labrad(らぶらど) ゼーバルト「空襲と文学」読了。 タイトルの通りドイツの空襲体験がドイツ文学に与えた影響の文学論なのだが、やっぱり何がテーマでも破壊の博物誌。 「拷問された者は拷問された者に留まる」と言いつつ抵抗をやめないアメリ―論が熱かった。 そこでシオランにも言及されていてシオランも気になってくる。 2016年5月17日 何かデジャヴを覚えると思ったら、ベーラ・バルトークだ 彼はフランスで評価されながらもフランス化はしなかった ジャン・アメリー バタイユやシオランのような掛け値なしの否定的思考の持ち主を、ドイツの戦後文学は輩出しなかった。 ためにアメリーは、心理的にも社会的にも歪んだ社会の猥褻さを指弾し、 何事も起こらなかったかのような顔をして平然と歴史が進行していく破廉恥に異を唱えたただひとりの作家となった。(ゼーバルト) アッバス・キアロスタミ ルーマニアの哲学者E.M.シオランの言葉“自殺の可能性がなかったら、私 はとうに自殺していただろう”があります。自殺の可能性がある(死はいつ でもすぐそこにある)からこそ人生が貴重なものになる。私は、自殺を人生 における出口であると考えます。出口がないと思うと人生は息苦しい。しか しいつでも出ていけるドアがあると考えるだけで、人生はより大切なものに なるのです。 (1997年10月30日・東京) http://www.asahi-net.or.jp/ ~we7n-hkt/kiarosutami.html 生は生きられるために私たちに与えられたのだという主張は馬鹿げている。 生は犠牲に供するために、いいかえれば、生の自然の条件が許容する以上のものを生から引き出すために、私たちに与えられているのだ。 私たちがひとつの行為を正当化することがなければ、それだけその行為はますます純粋で、高邁なものになる。 馬鹿げた行為とは、最高の自由の表現だ。馬鹿げたことが自由の限界でないとすれば…… 馬鹿げたこととは、この世界において自由を救うものではないか。 数千年来というもの、人間の精神は馬鹿げたものに抗して働いている。 数千年来というもの、人間は法則を崇めては自由の恐怖を押し隠している。あらゆる文化は、一種の怯懦にすぎないのではないか。 『欺瞞の書 叢書・ウニベルシタス 483』 バンジャマン・フォンダーヌ(Benjamin Fondane、1898年11月14日 - 1944年10月3日) は、ルーマニア生まれ、フランスに移住した詩人、哲学者、脚本家。 1944年 姉とともにフランス警察に連行され、一度は釈放のチャンスを得るが、 自分だけ助かることを拒絶し、姉とともにアウシュビッツに送られ死んだ。 シオラン - フォンダーヌと同様にルーマニア出身のフランス思想家。フォンダーヌのことを「気高い(noble)」と回想した。 レフ・シェストフ - ロシア出身の哲学者。フォンダーヌに多大な影響を与えた。 金井裕(1934年2月10日 - ) ミッシェル・カルージュ『カフカ対カフカ』審美社 1970 ロジェ・カイヨワ『夢について あるいは暗黒の島の虜人』思潮社 1971 のち改題『夢の現象学』 オルガ・ベルナール『ロブ=グリエ論 不在の小説』審美社 1971 マヤ・ゴート『シュルレアリスムとカフカ』審美社 1972 アルベール・チボーデ『内面の作家 ボードレール・フロマンタン・アミエル』梶野吉郎,川端康夫共訳 而立書房 1974 パーヴェル・アイスナー『カフカとプラハ』小林敏夫共訳 審美社 1975 ロジェ・カイヨワ『物語ポンス・ピラト』審美社 1975 『E.M.シオラン選集 4 時間への失墜』国文社 1976 ベルンハルト・グレトウイゼン『神話と肖像』国文社 1977 ロジェ・カイヨワ『旅路の果てに アルペイオスの流れ』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1982 E.M.シオラン『悪しき造物主』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1984 E.M.シオラン『四つ裂きの刑』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1986 E.M.シオラン『オマージュの試み』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1988 クレマン・ロセ『現実とその分身 錯覚にかんする試論』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1989 ミラン・クンデラ『小説の精神』浅野敏夫共訳 法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1990 E.M.シオラン『涙と聖者』紀伊国屋書店 1990 E.M.シオラン『絶望のきわみで』紀伊国屋書店 1991 E.M.シオラン『思想の黄昏』紀伊国屋書店 1993 E.M.シオラン『欺瞞の書』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1995 E.M.シオラン『敗者の祈祷書』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1996 シルヴィー・ジョドー『シオラン あるいは最後の人間』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1997 『シオラン対談集』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 1998 パトリス・ボロン『異端者シオラン』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 2002 E.M.シオラン『カイエ 1957-1972』法政大学出版局 2006 『ポンス・ピラト ほか カイヨワ幻想物語集』景文館書店 2013 E.M.シオラン『ルーマニアの変容』法政大学出版局 叢書・ウニベルシタス 2013 夢中夢/mutyumu ◾︎思想の黄昏 シオランのアフォリズムの魔力。 それは格別だ。 ただし、魅せられつつも、それを受け入れることはできないものも多い。 それに同意すると、創造行為に支障をきたすからだ。 そんな容赦ないシオランも音楽には好意的だ。 「私たちには魂がないなら、音楽が魂を創り出すだろう。」 結局、「絶望のきわみで」と「呪詛と告白」の2冊が、読んでおけばよいシオランだ。 10 Feb 2017 >>69 あれすんごい分厚いのな 嫌いじゃないがさすがにあれ全部読む気にはならんw 同工異曲の天才 >>70 うん、分厚い 暫くすれば絶版間違いないから、 どこかで踏ん切りつけて買わなければ 悪しき造物主〈新装版〉 (叢書・ウニベルシタス) E.M.シオラン (著), 金井 裕 (翻訳) 出版社: 法政大学出版局; 新装版 (2017/10/24) 著書:『涙と聖者』(1937)、『崩壊概論』(1949)、『苦渋の三段論法』(1952)、『時間への失墜』(1964)、『生誕の災厄』(1973)、 『告白と呪詛』(1987)ほか。 ηαυατο υοσηιδα(求職中!) 「出口裕弘とシオラン」なら日文でも通る可能性 ・翻訳多数 ・直接交遊のあった貴重な日本人(『辰野隆日仏の円形広場』『澁澤龍彦の手紙』他に回想あり) ・シオランをモデルにした人物の登場する小説『越境者の祭り』 ・三島、安吾、太宰などを論じた著書でもシオランを引き合いに出すこと多数 2016年6月8日 白北大輔 現代の反出生主義には3つの柱があります @提唱者のzapffeによる進化し過ぎた脳による苦痛の予防 Aシオランによる虚無主義的なもの Bベネターによる博愛主義かつ厭世主義的な生誕の害悪論 日本ではAが、海外ではBが人気。一度原点の@に帰り主義的なものから切り離す必要があります。 2016年12月11日 非おむろ これ、おもしろおそろしいのは、ショーペンハウアー、ハリ・シン・ガウル、 シオラン、ベネター、埴谷雄高といった反出生主義者の著書を読むどころか先人の存在すら知らず、 「反出生主義」の五文字も知らずに、 自らの経験則で反出生主義に実践を伴い£Hり着く人々が少なくない現状でしょでしょ? 2018年3月5日 「異端者シオラン」を読んで知ったんだけどこの人晩年アルツハイマーになってたんだ なんだかかなしいな "puede vencer el subjetivismo" "una persona triste tiene que dedicarse" 「どうせ人生を駄目にするに決まってるなら他所よりもパリがいい」対話集 20世紀の言葉はもう言葉の上でしか息をしてないですね 多くの人はみずから過去に遡る動機を持たないから、今の時代がつくった今の空気を楽しんで生きてる。おわり。 科学も医学も文学も古い物には価値がないです。 宗教も。 ブラックホール本なんか必死に買ったところで30年後にはなんの意味ももたないガラクタデス。 女性は新しい書きもの 男性は古い書きものを好むようです。概算。 思想の黄昏、何処か売っている店を知っていたら教えていただけませんか? 古書店を巡れど何処にも無くって…… amazonでたった3万だぞ! 急げ! 男を見せろ! >>84 いや〜高いですねぇw 書物復権で可能性があるのでちょっと待って見ます シオランの著作売れるんだから復刊したらいいのになあー この間シオランの評伝(?)みたいな本が出たみたいだし、反出生主義とかいうので名前がよく挙がってるらしいし、需要あるよ出版社さん 隣の市の図書館に「選集」が全部揃ってたんで、それを借りる為だけに図書カード作りに行ったw 「崩壊概論」めちゃくちゃ面白いね。シオランの著作で一番好きかも。 シオランがどこかで「哲学はもはやアフォリズムでしか語れない」という趣旨のことを書いてた覚えがあるんですけど、心当たりのある方いらっしゃいませんか 科学も医学も文学も古い物には価値がないです。 宗教も。 ブラックホール本なんか必死に買ったところで30年後にはなんの意味ももたないガラクタデス。 カイエも復刊して欲しいし異端者シオランも復刊して欲しい。というか持ってない本全部発刊して欲しい。 多分今が1番売れる時期だろうから発刊するなら今しかないと思うんだけどなあ。 最近の新装版ラッシュありがたい 需要あるんだなあやっぱ シオランが愛読してる作家が結構翻訳されてないのが残念 シャンフォール辺りは誰かが訳してくれないものか 生誕の災厄は面白かった 他に似たタイプの奴ってありますか? シオラン興味あるんだけど神秘体験から出発して思想を展開すると云うと バタイユを想起しましたが実際どんな感じですか?全然別物? 『歴史とは、単に非本質的な存在の様式、われわれ自身に対する われわれの不実のもっとも効率的な形、形而上的拒否に過ぎない』 >>101 ムダに抽象的過ぎません?「歴史みたいな大ボラ信じなさんな」でよくね? やっぱそこはかっこよく言いたいのかな? それとも原罪意識を歴史意識へと転化したものなんだろうか どっちにしても、なんかね… ニーチェからシオランへ至る筋道はいくら強調してもしすぎることはない。 両者にとって『真理』批判は『歴史』に対する態度と密接なつながりを持っている。 ニーチェが歴史的思考を排するのはそれが虚偽であるからではない。それどころかそれが真実であるが故にー人間の意識がもっと広い方向性を持つことができるために、 破棄されなければならない衰弱を誘う真実であるが故にーそれは拒否されなければならないのだ。 何言ってんの?頭大丈夫?そもそも一般人そんなに歴史的思考なんか持ち合わせて日常を生きてませんから〜 歴史的思考で頭が一杯になったバカにつけるクスリ―それが批判かな 手口は新興宗教と同じです 自分は賢いと思い込んでいるバカにもっと広い世界を見せてあげようと誘惑するんですね It's Magic!! そしてシオランがニーチェともっとも異なっているのは彼がニーチェのプラトニズム批判を真似ていないことである。 歴史を軽蔑し、しかしなお時間と死の観念に取りつかれて、それでもなおニーチェは時間と死を乗り越えるために プラトンが確立した修辞学に引き返すことを断固として拒否し、プラトン的知的超越の中に踏まれる本質的欺瞞、 不誠実と彼が考えたものを暴露することに腐心した。 シオランはどうやらニーチェの論証に説得されなかったようだ。由緒正しいプラトン的二元論は すべてシオランの著作にも現れ、論証をつなぐ本質的な環としてアイロニックな抑制をその都度暗示しつつ使われている。 時間対永遠、精神対肉体、霊対物質などのほかに、もっと近代的なものもあるー人生対<生>、存在対実存。 このような二元論がどの程度本気で意図されたものか決定は困難である。 シオランの思想におけるプラトン的機構を美学的掟としてみなすことができるであろうか?それとも、 逆に、道徳的療法の一種として。。しかしニーチェのプラトニズム批判は依然として有効であり、 依然として解答を与えられていないのではないだろうか? つまりニーチェとシオランは別人ですってことね はいはい 「涙と聖者」も新装版出るんだ! すげー求められてんなシオラン 涙と聖者良いよね 「私は、私の内なる非宇宙的なものを破壊したいという衝動に駆られずして風景を眺めることはできない」って言葉(うろ覚えだけど)にすごく共感した >>99 カイエ1962 「若者雑誌を捲る。文学的主題ばかりで直接的的体験、観察された事実、個人的ドラマに由来するものが何もない。 いつもの代りばえのない作家を廻るお話ばかりだ。ブランショ、バタイユである。深遠な事柄をブツブツ語る不明瞭 で冗漫、輝きもイロニーもない精神たち」 シオランがカイエでバルトを酷評してるって聞いたことあるんだけど カール・バルトとロラン・バルト、どっちのバルトを貶してのかたまに気になる シオランと関係ないかも知らんけど 数年前に読んだ天体による永遠ってのが面白かったよ 死人の話ってみんないいね貰えるから良かったね ウ 2022年12月26日 今回もはるしにゃんのTwitter垢が凍結されただとかで話題になってた。 なんかもうくだんねーや。 オーバードーズだのメンヘラだとか精神薬だの、もうお腹いっぱいっていうか。 ここの文章が詩的だとか、だからなんなんだよとしか思わない。 みっともなく生きるのはみんな嫌なんだと思う。 ハゲたり老いたりして、パートナーもおらずに、 たいした仕事もできずに、本当に誰からも好かれないのに生きてるのが。 どこかでみんな美しく散りたいのだと思う。 シオランとかあんなネガティブで根暗の癖にだらしなく80歳くらいまで生きてるから好きだ。 多分あの人嘘つきだと思う。 暗いことを言うのが好きなのであって、そこまで人生に絶望してないと思う。 現代思想2024年3月号 特集=人生の意味の哲学 【討議】 生きる意味を問うとき、私たちは何を考えているのか / 古田徹也+森岡正博 【人生の意味の哲学の輪郭】 人生の意味について語るときに私たちを語らせるもの/ 村山達也 人生の意味と物語 / 鈴木生郎 【無意味の意味】 意味があるもなにも、そもそも何をすればいいのか分からない――二つの無意味さの区別について / 吉沢文武 シュヴァルの情熱と「芝生を数える人」――それは無意味な人生なのか? / 長門裕介 シオランと「人生の意味」のなさ / 大谷崇 【応答可能性】 人生の意味への問いについてハイデガー『存在と時間』から何が言えるか――分析実存主義との対比 も含めて / 池田喬 「人生の意味」は誰のものか――人生の意味へのコミュニケーション的アプローチ / 鶴田想人 〈私〉を起こさないで――ディヴィッド・ベネターの「反出生主義」から / 脇坂真弥 生の相関主義――反出生主義と思弁的実在論 / 浅沼光樹 【それぞれの生のリアリティ】 死者倫理の視点から「人生の意味」を考える――遺された者に何ができるのか / 小松原織香 「生きる意味」が問われなくなるとき――植物状態患者のケアに携わる看護師との対話より / 西 村ユミ 人生の意味が社会の変化によって失われるとき / 玉手慎太郎 【問いの広がり】 AIの手を掴むくらいなら溺れて死ぬ / 松井哲也 スポーツの意味の哲学 / 竹村瑞穂 人生を謳う女――岡本かの子と仏教 / 大澤絢子 read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる