>>186
昔Wikipediaにもそのようなことが書かれていたが、いまだこのような誤解があるのは残念
『分析批評入門』等にも書かれているように川崎は文献学派・歴史主義者として学生時代に批評活動を開始した
だがその後さまざまな批評の方法を彼は自家薬籠中の物とし、様々な作品の様々な局面でそれらを自然に駆使することになる

『森のイングランド』や「文学史とは、書き変えるものであるのだ」で擱筆された成美堂版『イギリス文学史』等は脱構築の視点が色濃く反映されている
『マーヴェルの庭』ではマーヴェルの心理説明の核心部ではユング派心理学の発想が取り込まれている
川崎が好んで使う「アーキタイプ」という考えもユング派心理学や構造主義との関連があろう、勿論彼はフロイト心理学にも通暁していた
金星堂刊のWaldo Clarkeの英文学史の各章の解説ではマルクス主義社会構造論的な見事な構造説明が歴史的・社会的・文化的に展開される
この説明にあたってはおそらくラッセルが『西洋哲学史』で展開した方法も念頭にもあったのであろう
『庭のイングランド』は現象学的な考察抜きには成り立ちえなかった名著だろう
つまり彼の批評の方法はいわゆる主義とか方法とかというものを超越していたのである

さて〈ニュークリティシズム〉だが、これは学校での文学教育を有効で可能なものにするために彼が特に焦点を定めて積極的に紹介したものにすぎない
そこには太平洋戦争で国民が情報の埒外に置かれ悲惨を経験したことへの深い反省と文学者の責任の痛感があったものと思われるし
その悲惨にも関わらず依然として価値基準のはっきりしない印象批評が戦後横行していた戦後日本の文化現象への危惧の念も働いたことだろう

「本質的にはアマチュア批評であった」〈ニュークリティシズム〉、アメリカでそれが運動として発展した背景には
「文明社会の現状を憂慮し、一般的知性の持ち主に真の文学を教えることによって、それを救済しよう」という願いがあった
小西甚一や川崎等による日本へのこの運動の移植にも同様の背景があったことは既にのべた
さてそれから50年、その成果はどんなであろうか