「意識の流れ」は当初はモダニズムと相まって前衛的手法・実験的手法と
して現れたけど、現在では内的世界を描く一技法として定着し、陳腐化
している面がある。
1954年の時点で、ハンフリーはすでに次のように言っている。
「現代の小説と意識の流れ」p189−190

>意識の流れは今ではもはや陳腐な技法にすぎない。
>性格描写の方法としての意識の流れは、新しく公認された実在となった。
芸術は常に人間の〈内的生活〉を動態的に表現し、対象化しようと努めて
きた。意識の流れが摘出した〈内的生活〉がすでにしてひとつの実在であって、
いかなる意識にも通用することをわれわれは認めているのだし、この実在を
伝達するための技法、趣向、形式も確立されている以上、小説芸術は従来に
なくその目的達成に接近していることになろう。
 しかしながら人間の内的生活、つまり前言語段階の意識が小説の主題として
妥当であるということが受け入れられた事実は注目してみる必要がある。