「意識の流れ」って結局なんだったの?
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有名どころで言うとジェイムス・ジョイスとかマルセル・プルーストが
使ってたみたいだけど結局、あれは連想ゲームみたいな人の意識の書き方って理解でいいのかな? 陽の当たる側に渡り、七五番地のゆるんだ揚げ蓋をよけて歩く。太陽はジョージ協会の尖塔に近づいている。
今日は暑くなりそうだ。とくにこんな黒服を着ていちゃなおさら。黒は熱を伝導し、反射する(屈折するだっけ?)。
かといってあの明るいスーツを着ていくわけにもいくまい...
なんだか若者気分になってきた。どこか東方の地、朝まだき、夜明けとともに出立。太陽より一足先にぐるりと一周、一日分先回りする。
それをいつまでも続ければ、理論上は一日も年を取らない。砂浜を、異国の地を歩いていき、市の城門へ着くと、そこに歩哨がいる。...
ラーリー・オロークの店まで来た。地下の酒蔵の格子から黒ビールのぶよんとした余臭が漂う。
開け放った戸口の奥から酒場が生姜や茶がらやふやけビスケットのにおいをぷんぷん吐き出す。
繁盛してるんだ、とにかく。市の交通のちょうど終点だからな。たとえばこの先のマッコーリーの店なんかは、場所がダメ。
もちろん北環状線沿いに家畜市場から河岸まで電車が走ることにでもなれば値は一気に跳ね上がるだろうが。
http://finnegans-tavern.com/hce/bb/042-/ 意識は連想によって流れ作られている その流れの中に無意識も見え隠れする
このような発見を小説作成上の方法として取り入れる流行があった
自分の意識を鏡で見せられるような驚きがあった
しかしあくまで方法なので、後発は物真似感が強くて廃れた ウルフの『ダロウェイ夫人』を原書で再読したがハマると気持ちがいい
ただし文脈を取り違えると???になってしまう
読みやすさと芸術的効果と、やはり相反する部分がある。難しいところ すげえな 小説を原書で それもウルフって 何者なの?
専門の論文とかは何とか読めるが 小説とかほとんど無理だ あと、消しゴム頭みたいな。映画だけど
意識とか知覚とか、そんなもんflowsで書いたらもっと目茶苦茶になる
ヴァージニア・ウルフ他成功例といわれる作品がおかしくならないのは、少なくとも書き手が、美しく書こうという読者との共通認識を保っていたから
完全に個人的、内的な知覚や意識のタレ流しなぞ気色悪いばかり デイヴィッド・チャーマーズ
あなたは意識をどう説明しますか?
https://www.ted.com/talks/david_chalmers_how_do_you_explain_consciousness/transcript?language=ja
今 この瞬間 あなたは頭の中で映画を見ています マルチトラックのすごい映画です
あなたが今 見聞きしていることを 3Dやサラウンド音響で再生します これはほんの序の口です
映画なのに匂いや味があり 触れることもできます 身体の感覚があるので
痛みもあるし お腹もすくし オルガスムもあります さらに 感情があり 怒りや幸福を感じます
記憶もあり 子どもの頃の場面が 目の前で再生されるのです
そして 常に意識の流れの ナレーションが流れています
この映画の主人公は これらすべてを 直接経験するあなた自身なのです
この映画はあなたの 意識の流れそのものであり つまり 心の中と世界における経験の主体なのです
意識とは人間の実存における 基本要素の1つです 誰でも意識があります
私たちは皆 内なる映画を持っているのです あなたも あなたも あなたもです
私たちがこれより直接的に 知っているものは他にありません
少なくとも 私は自分の意識については 直接的に知っています あなた方に意識があるかについては はっきり分かりませんが ウルフは意識の流れという手法で作品を書いたのではなく、作品をあるべき形で書き、
それを後に説明する時に、意識の流れという手法によって説明したというようなことを言っていた
手法→作品ではなく、作品→手法 意識の流れなんか蘊蓄するよりも、こっちの読み方のほうがただしい。何より健全だ
>45
ユリシーズ
>アイルランドのこどもたちは爆笑しながら読むみたい くわばたおはらやすなり公の意識の流れもよく分かりません。 プルーストは面白かったがジョイスはさっぱり入って行けなかった
フォークナーは好きでだいたい読んだが、マルカム・ラウリーの火山の下は
何度読もうとしても100ページ以上読めない 源氏物語って、意識の流れそのもんだろう?
草子地と会話文と心中思惟が混然一体化(未分化?)し、ウルフやジョイスが
読めばビックリするよ。
わざわざ外国文学を読まなくても、立派な見本が手近にあるじゃねえか。 作品が長持ちしそうなのはプルーストだよな
ジョイスも覚悟の上でのあれだろうが ねじの回転、あとがき解説よんでたら、カフカもこれだと
相性悪いな〜 それだけで最終形態として成立するものではないことはわかった どうでもいいけど、ねじの回転、そんなにいいかね
なんか冗長でかったるいうえに尻切れトンボだし、無垢のアメリカ経験のヨーロッパがどうのというヘンリー・ジェイムズ問題もあまり関係ない
ヨーロピアンゴシックでも書いたつもりなんだろうか・・・ 西鶴が42才の時、速吟で一日に24000の俳句を作ったという話は、言葉が自然に溢れ出して来るような状態が長時間持続するということで、「意識の流れ」とのアナロジーが存在するかに俺にはおもえるんだが。 1日に100回以上ツイートをする人が日本に2000人はいる BDSMと意識の流れの関係なら、catyherine robbe=grilletや赤坂真理を見るも良し。
Alain robbe=grilletとセックスレスでハードなサドマゾごっこに勤しんでたらしいが。 鈴木大拙著 : 日本的霊性
http://culturemk.exblog.jp/25218111/
鈴木の伴侶は、ベアトリス・レイン (Beatrice Lane) という米国人女性であった。
彼女は神智学者であり、禅の研究のために日本に来ていて、鈴木とも若き日に円覚寺で出会ったが、
結婚したのは 1911年、鈴木 41歳のとき。これは 1925年頃の写真で、左に見えるのは養子のヴィクターである。
このベアトリスについて、日本語でネット検索してもあまり情報は出てこないが、英文サイトならいろいろと情報を得ることができる。
1878年ニュージャージー生まれだから、鈴木よりも 8歳下。あのガートルード・スタインと大学で同級生であったらしい。
彼女らが学んでいたのはラドクリフ・カレッジというところで、講師は心理学者のウィリアム・ジェイムズ。
この人の名前は知らなかったが、調べてみると、「意識の流れ」理論を提唱したという。 ビートたけし「あああん!あべぴょん、らめえええええええ!ひぎぃ!アナルが裂けちゃううううううっ!んぐっ!あっあん!」 人間不信の意識の流れが喜劇、悲劇としては一番面白いと思うよ。
シェイクスピア―
ふるえる 焔。 意識の流れは卓袱台のようにひっくり返されることもあるよね
三島由紀夫なんかはそのあたり自覚的だったかもしれん 越境する小説文体―意識の流れ、魔術的リアリズム、ブラックユーモア (水声文庫)
橋本 陽介 (著)
出版社: 水声社 (2017/6/1)
第1章 ジョイス『ユリシーズ』の断片的形式と伊藤整、川端康成
第2章 中国における1920年代から40年代にかけての「意識の流れ」
第3章 新時期中国における「意識の流れ」と高行健の「言葉の流れ」
第4章 魔術的リアリズムの文体とその中国における変容
第5章 ブラックユーモア たとえば有名な作品を例にとると、作中人物がその作品自体を読んでいるというセルバンテスの『ドン・キホーテ』や、
射精から始まる自伝でページが真っ黒に塗られた『トリスタラム・シャンディ』や、
言葉遊び甚だしい『不思議の国のアリス』や、意識の流れをそのまま文章にしたプルーストやフォークナーやケルアック、
何の教訓を感じ取れば良いのかわからないそして誰も来ない不条理すぎるカフカやベケット、
文章をハサミで切ってつなぎ合わせたウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』、
メタファーや引用が細かすぎてストーリーそっちのけのナブコフ『ロリータ』、
普通の田舎ののほほんとした話なのに普通に人が空飛んだりするガルシア=マルケス、
生物と無生物の間を空想科学で書いたサイバーパンク、
博学で猥雑で荒唐無稽でストーリーぐちゃぐちゃだけどくそまじめなピンチョン、
あり得たかもしれない複数の歴史をパラレルに同時に描くエリクソン『黒い時計の旅』、
適当に言葉を並べただけのオートマティスム、全人類の歴史をひとつの家族に凝縮した多国語ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』、
何も起こらない探偵小説であるオースターの『幽霊たち』、
SFで自伝を書くヴォネガット『スローターハウス5』など、そういう作品に、なぜか特別に魅力を感じてきたように思う。
http://asahisism8.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html 結局 (ゆいてすと)
ペッペル仮説によれば、ヒトの意識はおよそ 3 秒ごとにリフレッシュされるという
2016年8月22日 山下達郎さん サンデーソングブック 2010年1月10日「新春放談 ゲスト大瀧詠一(2)」
大瀧氏:僕もそう思ってますね。だから、それが行き過ぎるとね、ずーっつと千本ノックやってるでしょ、
一日6本とかね、曲だって6時間聴きっぱなしとかさ、1曲ごと、いちいち考えてる暇ないんだよね。
聴いて終わったら次なんだよ。終わったら次。やっぱりね、次がいいよ。 意識の流れ 、真空 とか、真如 とかの方が進んだ世界だよ。 筒井康隆がSFでやったぐらいしか
日本では流行らなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています