「意識の流れ」って結局なんだったの?
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有名どころで言うとジェイムス・ジョイスとかマルセル・プルーストが
使ってたみたいだけど結局、あれは連想ゲームみたいな人の意識の書き方って理解でいいのかな? 人間不信の意識の流れが喜劇、悲劇としては一番面白いと思うよ。
シェイクスピア―
ふるえる 焔。 意識の流れは卓袱台のようにひっくり返されることもあるよね
三島由紀夫なんかはそのあたり自覚的だったかもしれん 越境する小説文体―意識の流れ、魔術的リアリズム、ブラックユーモア (水声文庫)
橋本 陽介 (著)
出版社: 水声社 (2017/6/1)
第1章 ジョイス『ユリシーズ』の断片的形式と伊藤整、川端康成
第2章 中国における1920年代から40年代にかけての「意識の流れ」
第3章 新時期中国における「意識の流れ」と高行健の「言葉の流れ」
第4章 魔術的リアリズムの文体とその中国における変容
第5章 ブラックユーモア たとえば有名な作品を例にとると、作中人物がその作品自体を読んでいるというセルバンテスの『ドン・キホーテ』や、
射精から始まる自伝でページが真っ黒に塗られた『トリスタラム・シャンディ』や、
言葉遊び甚だしい『不思議の国のアリス』や、意識の流れをそのまま文章にしたプルーストやフォークナーやケルアック、
何の教訓を感じ取れば良いのかわからないそして誰も来ない不条理すぎるカフカやベケット、
文章をハサミで切ってつなぎ合わせたウィリアム・バロウズ『ソフトマシーン』、
メタファーや引用が細かすぎてストーリーそっちのけのナブコフ『ロリータ』、
普通の田舎ののほほんとした話なのに普通に人が空飛んだりするガルシア=マルケス、
生物と無生物の間を空想科学で書いたサイバーパンク、
博学で猥雑で荒唐無稽でストーリーぐちゃぐちゃだけどくそまじめなピンチョン、
あり得たかもしれない複数の歴史をパラレルに同時に描くエリクソン『黒い時計の旅』、
適当に言葉を並べただけのオートマティスム、全人類の歴史をひとつの家族に凝縮した多国語ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』、
何も起こらない探偵小説であるオースターの『幽霊たち』、
SFで自伝を書くヴォネガット『スローターハウス5』など、そういう作品に、なぜか特別に魅力を感じてきたように思う。
http://asahisism8.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html 結局 (ゆいてすと)
ペッペル仮説によれば、ヒトの意識はおよそ 3 秒ごとにリフレッシュされるという
2016年8月22日 山下達郎さん サンデーソングブック 2010年1月10日「新春放談 ゲスト大瀧詠一(2)」
大瀧氏:僕もそう思ってますね。だから、それが行き過ぎるとね、ずーっつと千本ノックやってるでしょ、
一日6本とかね、曲だって6時間聴きっぱなしとかさ、1曲ごと、いちいち考えてる暇ないんだよね。
聴いて終わったら次なんだよ。終わったら次。やっぱりね、次がいいよ。 意識の流れ 、真空 とか、真如 とかの方が進んだ世界だよ。 筒井康隆がSFでやったぐらいしか
日本では流行らなかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています