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「意識の流れ」って結局なんだったの?
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0001吾輩は名無しである
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2012/12/24(月) 20:24:24.13
有名どころで言うとジェイムス・ジョイスとかマルセル・プルーストが
使ってたみたいだけど結局、あれは連想ゲームみたいな人の意識の書き方って理解でいいのかな?
0042吾輩は名無しである
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2013/01/11(金) 05:49:20.92
>>41
今見てきた。意識の流れの「流れ」は川の流れを例えたことから
詩的な感じで流れるように描写する作家は多いけど、
この人のは轟々と力強く流れてく雨上がりの川みたいw
すごくおもしろかったw
立川談志のおすすめの落語とかある?聞いてみたいw
0044吾輩は名無しである
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2013/01/13(日) 23:43:49.80
面白くないよね、人生短いのだから高貴で退屈なインテリ風情に付き合う必要は無い

でも、トリストラムシャンディは面白いよ、斬新w
0045吾輩は名無しである
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2013/01/14(月) 00:06:09.27
>>43
ありがとう!

>>44
>面白くないよね、人生短いのだから高貴で退屈なインテリ風情に付き合う必要は無い
おぉ、同意だぜ〜
意識の流れは泥臭いし、生々しいから高貴とはかけ離れてるイメージあるわw
実際でも、ユリシーズとかインテリ向けとか言われてるけど、アイルランドの子供達は
爆笑しながら読むみたいねwwwインテリ向けとは俺は思わんw
みんな、トリストラムシャンディおすなーww
0046吾輩は名無しである
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2013/01/14(月) 07:01:33.46
エジプトの古代神話に巨大な河を移動するsun-boatがあり、それを
受け継いだのが古代インド・ヨーロッパ文明のsun-chariotであり、
古代ギリシャ人は海は巨大な河だと思っていたことからすれば、
近東や欧州人の発想の中に「流れ」というものがいかに大きな要素を
占めているかが分かる。
sunを自己の意識と置き換えることは誰にでも日常に起こりうること
だしw

日本人が「意識の流れ」という表現にピンと来ないのは当然だ。
おまけにモダニズムも。
0047吾輩は名無しである
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2013/01/14(月) 07:07:13.30
37みたいなレスに何か意味あるの?w
0048◆Y.6.rbvT92
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2013/01/14(月) 08:32:02.42
一見単なるチラ裏書き込みのように見せかけて
ロッジの本に「トリストラム・シャンディ」について
書かれた項目があるという情報を提供している
ことが君のような思慮の足りないやつにはわから
ないようだね

まあ、俺が某スレに書き込まないのが淋しくて、
俺にかまってほしいからそのような憎まれ口を
叩いて俺を召喚しようとしているくことはわかっ
ている
ご希望どおりにしてあげたよ

今度はほんとに意味のない書き込みをしてしまった
他の方にはすまぬ
0049吾輩は名無しである
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2013/01/14(月) 10:34:48.81
>>48
君のは、ただのコテハンの甘えた馴れ合い以外の何物でもないだろうw
何も分かってない君はできるだけ出番を少なくしてくれたまえw
0051◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/14(月) 14:25:08.47
と言って、ほんとははじめから何も語れないやつw

っていうか、わざわざこんな書き込みする時点でみえみえなんだよね
頭悪過ぎ  
>>47>>49と同じ手合い  >>33についても同じ。

折角だから「意識の流れ」ないし「思いの流れ」について

>ジェームズは、心理学者にとって第一の事実は、「ある種の思いが進行することである」
と考える。そこから、彼は、英語で‘It rains’や‘It blows’と表現するように、'It thinks’と
するのが、一番ふさわしいが、そうはいかないから、「思いが進行する」'thought goes'で
いいとした。
(南博「原典による心理学入門」講談社学術文庫、1993より、『心理学原理』第9章の
紹介、p433))
0052吾輩は名無しである
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2013/01/14(月) 18:45:44.18
>>46
なるほど、生まれた時から流れと共に生きてきたから考え方も根っから違うってことねw
sun-boatってどんなのか気になって調べた。
http://sora.ishikami.jp/image_dir/images/20071105190548.jpg
sun-boatの長い舳先を巨人が引っ張ったって書いてるけど、もしかして彼らにとって意識ってのは
自発的なもんじゃなくて、他人に引っ張られるような受動的なもんだったのかねw
そう考えると確かに全然違うなぁ。

>>50
そう言わず書き込んでくれるとうれしいんだが…まぁ無理にとは言わないw

>>51
おぉ、参考文献までw
Iとか、HeとかWeじゃなくて、Itって表現したかったのかw
「ある種の思い」ってのが意識的に浮かぶものじゃないってのを示したかったってことかな?
0053吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 19:15:37.64
>>51
お前らしいよな、蘊蓄おじさんw
0054吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 19:28:48.56
>>51
何故、thought goes じゃなくて
thought flowsじゃないんだ?
0055吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 19:43:29.90
>>51
いくらなんでも、南博ごときでジョイスが間に合うかよw
0056◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/14(月) 20:00:36.57
>>55
go(進行)からstreamないしflow(流れ)へと論旨は展開する。前掲p455−456

>思いは、どのように進行するのか?……
(1)すべての思いは、個人意識の一部分になる傾向がある。
(2)各人の個人意識のなかで、思いは常に変化する。
(3)各人の個人意識のなかで、思いは連続として感じられる。
(4)それは、常に、それとは、独立な諸対象をあつかうようにみえる。
(5)それは、諸対象のある部分に関心を持ち、その他の部分を排除
する。そうして、たえず、どの部分かを受け入れ、または斥ける。 つまり、
選択をこころみるのである。
 意識は、断片に分れてあらわれるのではない。《連鎖》や《連結》は、意識が
まずあらわれる最初から、それを記述するのに適当なことばではない。それは、
つなぎ合わせたものではなく、流れるのである。《川》あるいは《流れ》というたと
えが、一番自然な記述である。
 以下、われわれは、思いの流れ、意識の流れ、主観的な生の流れとよぶこと
にしよう。
0057◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/14(月) 20:04:41.07
>>54のアンカーミス

>>55
南博は、俺もあんまし好きじゃなかったな。マスコミ向けに
もっともらしいけど、陳腐なコメントをする心理学者の走り
みたいに感じていた。
この本は、タイトルのとおり、素直に原典の一部を訳したり、
要約し、紹介しているにすぎない。

ところで、誰がこれでジョイスの魅力を解明できるとか言った?
君、ほんと思い込みだけでものを言う、典型的な人格障害系だねw
相変わらず、「w」つけてるし
0058吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 20:08:11.82
>>56
これは駄目だ。南博の言葉の言い換え(しかも段階を経たw)に過ぎんw
「意識の流れ」という表現が先ず、訴えかけて来る時の直接性と
懸け離れてるw
じゃなw
死ぬまで高尚文学にぶら下がってろw
0059◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/14(月) 20:16:35.52
>>58
それ、ジェームズの原典の訳で、南博の言い換えじゃないんだけど

君、本当に読解力もなく、思い込みでしかものを見られないようだね
「高尚文学」とか変な言葉使っちゃってさ
「訴えかけて来る時の直接性と懸け離れてる」って、頭悪そうw
0060吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 20:26:16.75
>>59
誤解してもしょうがないだろう。
お前の引用がまずいから。
お前はド阿呆なんだから、おとなしくすっこんでなw
0062吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 20:34:56.56
確認なんだけどまず>>51の言ってるジェームズっていうのは
ジョイスのことじゃなくて、心理学者って言ってるしウィリアムジェイムズのこと
だよな?
>>55でジョイスと言ってるので理解の齟齬が起きてるのかなと思って一応確認。
んで>>54の疑問のところは>>56で言ってるように
「流れ」というのは一般的にわかりやすいジェームズが考えた例え、比喩だと思われる。
こっからは推測↓
ただし、学問上安易な比喩表現ができないため、
goesつまり進行と原典ではそう表現するしかなかったんじゃないかなぁ。
ほんとはflowsにしたかったんじゃないかと思うんだが、
どうだろ?
0063吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 20:35:37.23
>>61
事実、お前の引用の仕方はまずい。
0064吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 20:38:15.79
>>61
事実、お前の引用の仕方はまずい。
0065吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 20:43:17.77
>>62
交通整理サンクス
0066◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/14(月) 20:49:24.87
>>62
「進行する」の一態様としての、「思い」「意識」の進行の特色を列挙し、「流れ」という比喩がふさわしい
と結論づけたということでよいのではないかと。
(他に、数珠のように個々の珠、断片的思考が断続的に連なるといった進行なども考えられる)

ゆく(go)川の流れ(flow)は絶えずして(連続性)、しかももとの水にあらず(常に変化)

ジョイス云々は相手にしない方がよいかと
プルーストスレで誰にでも噛みつく荒らしが
私を追ってやって来ただけですから
まともな読解・理解を彼に期待するだけ無駄。
俺にケチをつけるのが彼の至上目的で「意識の流れ」など彼にとってどうでもいい。
ジェームズから、脊髄反射的にジョイスのことを話していると勘ちがいしたのかも
0067◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/14(月) 20:54:56.46
>「進行する」の一態様としての、「思い」「意識」の進行の特色を列挙し、「流れ」という比喩がふさわしい
と結論づけたということでよいのではないかと。

1、「進行する」といっても「思い」はどのように進行するのか?
2 「思い」「意識」の5つの特色を列挙
3 2の5つの特色を包括的に一言で表現するのに、「流れる」という言葉がぴったりくる

とこんな流れです。
0068吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 21:00:55.32
>>66
お前の言い訳はほんと見苦しいW
俺の書いた46の方がはるかに価値あるレスだよW
0069吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 21:01:02.04
フランスの哲学者であるベルクソンは、ジェイムズ心理学では
各個人の身体を起点とした知覚が心理へと転換する際の説明が曖昧になっているので
結果として人間的諸個人の心理を超えた“精神”という問題が発生する、としている。
まあ、実際ジェイムズは心霊研究なんかにも関与しているわけです。
西田幾多郎などはこのようなジェイムズの弱点(とベルクソンに思われた)を
場の哲学への補強財として積極的に利用したようなところがある。
0070◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/14(月) 21:08:21.13
>>68
君の負け惜しみの方が見苦しいと傍目には見えると思うけどねw

47だけじゃなく、46も君が書いたのかい?
そうだとしても自画自賛はみっともないねえ
0071吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 21:11:53.58
>>66,67
なるほど、プルーストのスレでやり取りしてたんですね。

(2)各人の個人意識のなかで、思いは常に変化する。
(3)各人の個人意識のなかで、思いは連続として感じられる。

ここがおもしろいですね。個人意識の中では連続しているものと感じられるかも
しれんが、それを他者に伝わるよう文学に昇華させたのが
ヘンリージェイムズなのかなと考えるとますます興味深い…。

>>68
46のエジプトの意見の人か。
あの観点は見たことがなかったので新鮮だった!

>>69
ジェイムズとベルクソンは交流も深かったみたいね。
でもベルクソンがジェイムズと批判しているのは知らなかった。
ある程度、同調しているのは知ってたけどw
西田幾太郎か。ちょっと図書館行って借りてきたいところw
0072吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/14(月) 21:13:09.69
>>70
お前から引用の「丁寧さ」を除いたら何も残らないW
0073吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 00:07:01.82
トリストラム・シャンディ 上 (岩波文庫 赤 212-1) adhvanyaさんの感想 ...



本来のタイトルは『紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見』。
しかし上巻終了時点でもまだトリストラムが産まれた日のエピソード周辺をうろうろしてる。
まあ完全なる「ネタ」 ... 訳も軽妙。
昔の作品(って16世紀英国かぁ)ってユーモアがすごいなぁ! ナイス!



↑こいつ馬鹿だな。トリストラム・シャンディが16世紀だってよ



バカには、トリストラム・シャンディは読んでもらいたくないね。
0074◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 00:12:48.88
ありゃ、病んで八つ当たりする人、発見。
病気とはいえ、性格悪過ぎw
0075吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 01:23:55.70
性格は悪いが、別に病んでないだろ
0076◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 03:15:11.74
読書メーター確認したら、名前出された人は
18世紀って、正しく書いてるんだよね。
引用している感想は別人のだった。
とんだ濡れ衣なわけ

もちろん、合っていてもひどい書き込みだが、
普通間違えるかなあ
0077G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 07:15:56.18
補足しておくと、普通の人ならまずしない読み間違いを
こう立て続けにするのは変だということ
(このスレに何人も、ここまで攻撃的な人格の持主が
来るとは思えないという前提で書いている)
0078吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 07:35:39.78
>>76
心理学者ジェイムズのSTREAM OF CONSCIOUSNESSは1980年に出来たのなら、
「意識の流れ」のニ大巨頭で、1でも言及されたジョイス、プルーストの
作品が登場する以前であり、しかも、作品との関連を強調する者はないと
言って良い。
ジェイムズ自身が文学作品において、この用語を適用した例さえないだろう。
単に最初に「意識の流れ」を定義したというだけで、ジェイムズの定義など
たいした問題ではない。

「意識の流れ」というなら、ジョイス、プルーストの作品において言うべきか、
あるいはお前自身が自分で考えたことを口にするべきなんだよ。あるいは、
先行者の具体的な作者、作品として例えばポーの例を挙げるとか。
お前の杓子定規な引用は文学とは無縁だW
それも誤解を排する丁寧さを失ってはな。
お前のプルーストスレでの話の進め方も杓子定規だしW

だが、お前の姑息さには本当に呆れるW
0079吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 07:40:45.51
>>78
訂正
1980年→1890年
0080G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 07:50:04.35
自分の優位を保とうと必死の狂人が
自分に都合のよいドグマを建てるため
にこじつけているだけじゃないか
論理になってない。

君が押し付ける規範めいたものは
杓子定規どころか、歪んでいて使い物
にならない定規ってとこ。
それで人や人の書いたものを判断する
から、君の言うことは全く参考にならない。

そもそもジェームズの定義に何か意味
があると思って書いたわけじゃないしな。

俺が言えるのは「意識の流れ」自体は
どの作品においても作品自体の魅力
と無関係っぽいということだ。
プルーストしかり、フォークナーしかり。
0081吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 08:01:37.05
>>80
>>君が押し付ける規範めいたものは
杓子定規どころか、歪んでいて使い物
にならない定規ってとこ。

以下の提案は1の趣旨に概ね沿ってるはずだが。

「意識の流れ」というなら、ジョイス、プルーストの作品において言うべきか、
あるいはお前自身が自分で考えたことを口にするべきなんだよ。あるいは、
先行者の具体的な作者、作品として例えばポーの例を挙げるとか。


>>そもそもジェームズの定義に何か意味
があると思って書いたわけじゃないしな

なるほどW
姑息な言い訳だなW
0082G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 08:14:02.04
この狂人と話している、何を話しても脱線していく感覚がキモいんだよね。
はじめに攻撃衝動ありきって感じで、疑似論理があとからついてくる。
このスレはこう書かなきゃって押しつけてる時点ですでに十分に変なわけ
(彼はプルーストスレで散々やってきている)

粘着と呼ばれる人種に共通のパターンだが。
0083吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 08:29:19.47
>>82
>>彼はプルーストスレで散々やってきている

お前の妄想W
どっちが狂人だかW
0084G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 08:30:08.85
彼の言ってることのどこが変かを指摘しても詮無いのかも知れんが

>>1からはどうみたってこう書かなきゃって、帰結は導けんし、
ジェームズがジョイス、プルーストより時代的に先行している
から、ジェームズについて言うなら、ポーなどそれより前の作品を
持ち出さなきゃいかんというのも理屈になってないんだよね。

現代にジェームズのテキストもプルーストのテキストも同時に
存在している以上、現代に生きる我々はその双方を比較して、
何か言うことは自由に決まってる。
フロイトの精神分析理論をフォークナーやもっと最近の作家に
適用して一向に構わないのと同じこと。

「意識の流れ」というタームの言いだしっぺがジェームズである
ことは間違いないわけだし、それを紹介することはこのスレで
意味がないわけがない。

すべて、俺を否定するための「ためにする」論理もどきなんだよね。
0085吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 08:37:20.91
>>84
>>現代にジェームズのテキストもプルーストのテキストも同時に
存在している以上、現代に生きる我々はその双方を比較して、
何か言うことは自由に決まってる。

お前は引用以外に何か言ってたっけ?
0086G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 08:46:34.93
まあ、本来、「意識の流れ」については最初の10数スレくらいでもう
言うこともなかったのだけど(作品の魅力とあまり相関関係がない)、
>>47に召喚されたので来てみたら、こんなことになったw

>>85
別に材料提供だけでいいでしょw
ほんと、屁理屈ばかり。

だったら、>>18,>>26等もジェームズの単なる紹介と訳だから同じ批判があては
まるけど俺にしか言わない。
そもそも、>>47で何の意味があるのと言われた>>37にしても、本を買ったけど
まだ読んでない的な書き込みは直前の>>36>>34にしてもそうなわけ、でも
俺だけを狙い撃ちにしている。
まあ、よほど俺のことが好きなようだなw
0087G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 08:47:51.35
あ、もちろん、私は単なる引用であっても、買ったけど、まだ読んでない
いつ読もうか的な書き込みも全然OKだと思ってます。
0088吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 08:51:03.05
こうやって口汚く罵り合うような人たちが我が物顔で書き込むから
文学板はどんどん衰退していくんだろうな
それではごきげんよう、存分にやってください
0089吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 09:01:22.41
>>85
>>現代に生きる我々はその双方を比較して、
何か言うことは自由に決まってる。

それで、材料提供だけかよW
ま、お前はほとんど常にそれだけだがW
0090G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/15(火) 09:20:53.61
>>88
まあ、スルーのケースが多いが、ふと存分にやってみることがある。
それで際限のないことになるわけだけど。
屁理屈やいちゃもんに対し、言葉でやりあったら相手がどう出てくるか、
多分、平均よりも興味があるのだろう。
0091吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 10:05:39.39
>>90
粘着のチンカスどもと、好きなだけやりあってくれてもいいのですよ。
Gさんは、自分の思い通りにやればいいんです。
「そのせいで俺たちは書き込む気が失せてしまった」なんていうのは、
すべて言い訳です。初めから大したこともかけないクズどもに限って、
そういうことを言う。
0092吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 10:31:12.68
>「そのせいで俺たちは書き込む気が失せてしまった」なんていうのは、
すべて言い訳です。初めから大したこともかけないクズどもに限って、
そういうことを言う。

Gってのはひまで粘着質なんでしょうね。
キモイ。
普通の感覚を持っている人なら書き込む気が失せる。
2ちゃんに書いている人の方がクズだと思う。
私はもう2ちゃんに書くことも読むこともやめる。
2ちゃんはためにならないと思うから。
さようなら。
0093吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 14:07:32.79
>>76
あははははは
0095吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 14:44:52.96
>>92
ケチをつけるしか能のないあんたは、
最初から来なければいいのよ。
そういうことを言いながらも、
これからもネガティブキャンペーンを続けるくせに。
いつもの元祖キモネンさん。
0096吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/15(火) 15:35:19.68
どもw>>1ですw
賑わってる?ようで何よりです。
>>78
そうですね。過去の文学作品からどこに「意識の流れ」、あるいは
内的独白が見受けられ、どのように思ったかなど書きこむ人がいれば
うれしいですね。
しかし、意識の流れを哲学、あるいは心理学の方面から
理解することと、文学においてのその適用性というのは
指摘してもらった通り、議論してなかったと思います。
どの方向にスレを持っていきたいか深く考えておくべきでした。
反省してます。

>>80のコメントに心理学、哲学方面でできた「意識の流れ」が
文学的な魅力とは一切関係ないと書いてあるが、この主張は
よく考えればそれまでの引用から考えられたことでした。
引用による主張を見逃したのは反省です。
0097◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/16(水) 04:10:09.07
気がついたけど、>>27の原文は、>>56で紹介したウィリアム・ジェイムズ
自身の文章の後半部分なんですね。

Principles of Psychologyの英文wikiのリンクからテキスト全文は簡単に見ることができる。
前半の「思い」の5つの特徴FIVE CHARACTERS IN THOUGHTの箇所の原文

How does it go on? We notice immediately five important characters in the process,
of which it shall be the duty of the present chapter to treat in a general way:
1) Every thought tends to be part of a personal consciousness.
2) Within each personal consciousness thought is always changing.
3) Within each personal consciousness thought is sensibly continuous.
4) It always appears to deal with objects independent of itself.
5) It is interested in some parts of these objects to the exclusion of others, and
welcomes or rejects - chooses from among them, in a word - all the while.
0098◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/16(水) 04:21:31.53
>>91>>95
感謝。やはり、ほっとします。
>>92みたいな粘着の良識派演技にはほんと
辟易します。みえみえなんですが。
ほんとに成仏して、さよならしてくれたらどんなに
この板のためになることかw

>>94
「荒らし」を呼ぶ男と言われたこともあるからね。
呼ぶというより、君みたいな寄生虫がくっついて
来ちゃうw
でも、文学板のスレはその程度で死んだりはしないさ

>>93
ばつの悪さをごまかして笑ってるわけだね
おとといの晩の錯乱状態から少しは回復したかい?
0099◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/16(水) 04:34:48.10
>>96 お騒がせしましたw

「意識の流れ」が作品の魅力と関係ないと言ったら言い過ぎかもしれない。
しかし、それは翻訳によって大部分が失われてしまう魅力のように思う。
語順自体が大きな意味を持ってくるからです。
ある語の次になぜあの語でなくてこの語が来るのか、それがずっと連なって来る。
>>12で触れた印象主義についても同じ。翻訳は、知覚した順序に並べられた語を
日本語の統語法によって崩してしまうことになる。

まあ、そこまで味わいつくせる他国語もないし、日本語で「意識の流れ」の手法を
用いた傑作でもあれば、話は変わってくるのですが、なぜか漱石の小説では「坑夫」
(中村真一郎が「意識の流れ」小説と評価している)だけ読み切ったことがないのは
>>11で述べたとおり。

ちなみに中村が、『「意識の流れ」小説の伝統』の副題に挙げているあと2作は、
長與善郎『盲目の川』、佐藤春夫『この三つのもの』
>>11でリンク貼った論文の参考文献に挙がっています。
>>41->>43で立川談志の落語の話がでてきましたが、この論文でも『坑夫』におけ
る落語の影響に触れている。
そもそも近現代の言文一致体自体、落語(の速記録)に多くを負っているとも言われ
ている(初代三遊亭圓朝のwiki)

ジョイス、ヴァージニア・ウルフ、もしかしてローレンス・スターンをある程度、原語で
読むことができれば、かなり「意識の流れ」に対する評価も変わってくるかもしれない。
フォークナーも日本語だけで読んだときは凄さがわからなかった。フォークナースレ
の読書会で原文を対照することによってようやく凄さの片鱗に触れた気がする。
0100◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/16(水) 05:28:12.12
同じ白痴の一人称語りという手法が使われていても、ダニエル・キイス
『アルジャーノンに花束を』は、フォークナー『響きと怒り』のように「意識
の流れ」小説とは言われない。
どうも違いは、一言でいうとモダニズム的な時系列のシャッフルの有無
にあるように思う。
「意識の流れ」の手法を用いたと言われる代表的な作品、『響きと怒り』、
ジョイス『ユリシーズ』、ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』がいずれも
ある主体の特定の1日の内的独白に過去の一連の出来事を押し込んでいる。
『響きと怒り』なら、各部ごとに独白主体が変わり、第一部なら「1928年
4月7日」(ベンジーの独白)といった標題がつけられている。

著者の頭の中は本当は時系列順の出来事のストーリーみたいなものが
あるわけで、読者は時系列がシャッフルされた内的独白からそれを聴き
取って、ある程度、時系列順に組み立て直さないとわけわからんということ
になっちゃう。当然、1回目にはそんな作業をしながら読むのは不可能。
本当は小説のどこかでこの手法をやめ、最低限抑えておくべき時系列順
の出来事がでてきた方が読者には親切。
モームが、この手法を全編に渡ってやられるとウザいと言っていたというが
>>13)もっともだと思う。
0101◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/16(水) 05:36:12.04
シャッフルされた時系列を並べ直すと、結局、そこには原因結果の
因果の流れみたいなものが出て来てしまうことが多い。
「意識の流れ」の手法はもしかして、そういった因果律からの解放も
目指している面があるのかもしれないけど、人間ってのは、そういった
因果はめぐるといった物語的思考(神話・悲劇、近くは欠損家庭から
アダルトチャイルドが生まれるといった物語なんかが典型)から逃れ
られないんだと思う。
時間を空間のアナロジーで把握する思考から逃れられないように。
0102◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/16(水) 05:44:20.18
人類って裸のままでは脆弱な生き物は、そういった原因結果の関係を発見
することにより、将来を予測し、危険を回避し、食糧を確保し、生き延び、
繁殖し発展してきたわけだから。
原因結果思考、時間の空間的把握は有用不可欠なものだったし、染みついている。

話が脱線してきましたがw
0103吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/16(水) 22:23:17.63
そういえば漱石がウイリアム・ジェイムズの影響下で『坑夫』を書き上げたというのは聞いたことがありますね。
漱石作品では『こころ』を第一等に掲げるスティーブ・エリクソンは
フランス心理小説などは及びもつかない心理小説の傑作だとしています。
0104◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/17(木) 05:07:32.12
エリクソンという作家、読んだことありませんが、彼の愛読書リストを見ると、
『『失われた時を求めて』、『響きと怒り』、『百年の孤独』等多彩で錚々たる
作品の中に『こころ』が入ってるのですね。
ジョイスは『ユリシーズ』でなく、『ダブリナーズ』が選ばれている。
http://www.geocities.co.jp/Bookend/9986/culture.html
http://d.hatena.ne.jp/kiraoh/touch/20070613

漱石はおそらく英訳で読んでいるのでしょうけど、漱石の他の作品も読んでの
選択なのかなあ。
>漱石作品では『こころ』を第一等に掲げる
となると漱石の他の作品を比べて傑出しているということのようですね。
0105G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/17(木) 08:15:46.41
最近、河出文庫から再刊された「ナボコフの文学講義」のジョイスの講。
『ユリシーズ』第三部第三章のモリーの意識の流れが引用される。
(訳は、ひらがなとカタカナのみで句読点がない)
これに対するナボコフの次のコメントはおそらくこのスレの今までの
流れからして、共感される方が多いのでは。
「意識の流れ」が本当に自然なのか、思考は言葉だけでなくイメージ
によってもなされるのではないか等。
http://moneyhelper.seesaa.net/article/1552771.html


>読者たちはこういう意識の流れの技法に不当にも感銘を受けている。
わたしは次のようなことをよく考えるよう提案したい。まず第一に、
この技法は他の技法にくらべてより「写実的」であるわけでも、より
「科学的」であるわけでもないのだ。現に、モリーの思考の全てを
記録するかわりに、そのうちのあるものだけ描写すれば、その表現は
いっそう「写実的」、いっそう自然なものとして、人の心を打つこと
だろう。問題は、意識の流れというのも文体上の約束事であるという
ことだ。なぜならわたしたちは不断に言葉で考えているわけではない
からであるーーわたしたちはイメージによっても考える。だがこの場
合のように、描写が排除されているときには、言葉からイメージへの
切り換えが記録されうるとしても、やはりそれは直接的な言葉による
しか術はない。もう一つーーわれわれの回想のあるものは来たっては
去ってゆき、あるものはとどまる。それはいわば無定形のナメクジのよ
うにじっととどまり、大小さまざまの思考の流れがこれら岩のように
凝然としている思考のまわりを廻って流れてゆくには、多少の時間が
かかる。思考をあるがままに記録する振りをする文体の欠点は、時間
の要素をぼかしてしまい、あまりにも印刷術に頼りすぎるということだ。
0106G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/17(木) 08:18:36.55
承前

>ジョイスが実現したような意識の流れのなかに、自然な事件を見ては
ならない。それがひとつの現実であるとしても、それはジョイスの脳髄
作用、この小説の心を反映しているかぎりにおいてのみのことなので
ある。この小説はジョイスが発明した一つの新世界である。その世界で
は、ひとびとは言葉、文章によって考える。彼らの連想はもっぱらこの
小説の構造上の要請、作者の芸術的目的と意図によって左右される。
つけ加えておこう、もし編集者が本文(テクスト)に句読点を挿入した
としても、モリーの物思いはいささかもその楽しさ、音楽性を減じる
ことはないだろう。
(下p357−359)

つけ加えると、日本語訳で、適宜、漢字を用いても同じだと思う。
日本語にしちゃったら、ほとんど音楽性もへちまもないけど。
『ユリシーズ』やフォークナー『アブサロム、アブサロム』の訳で
ひらがなどころかカタカナにして原文の文体の変化を伝えようと
いった試みがなされているけど、やめてほしいなあと思う。
ある世代以降の人にとっては(現在生きている人の多分ほとんど)、
カタカナはほんとに読みづらいはず。
単に読みづらいだけでそれを上回るメリットがあるとは思えない。
(この講義の翻訳は、引用もふくめて、日本語として読みやすい)
0107G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/17(木) 08:22:22.41
表音文字であるアルファベットの場合は、ピリオドやカンマを加える
だけでよいが、全部ひらがなにされてしまうと同音異字語の極端に
多い日本語では、いちいち漢字に変換して読まなきゃいけない。

『アルジャーノンに花束を』の翻訳ですら、それで挫折しちゃったw
0108G ◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/17(木) 08:31:44.53
思いついたから連投してしまうけど
ナボコフが、フォークナーの文学を認めなかったの理由ってのも
気になる(あとトーマス・マン嫌いも有名)

河出文庫上の解説で、池澤夏樹は、ナボコフは都会人なので、
フォークナーの南部の田舎・辺境の文学へのとっかかりを見い
だせなかったのではと推察している。

池澤は彼が全作品を選ぶという企画の文学全集で、フォークナー
については「アブサロム、アブサロム」の篠田一士訳で1巻を編んで
いる。
ナボコフについては、英語でなくロシア語で書かれた「賜物」を選んで
いる。
訳者の沼野充義は、文庫版文学講義下巻の解説者。
0109吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/17(木) 21:29:11.28
意識の流れ」と言っても、
流れのずるずる感から、滔々と、さらには奔騰など、流れの勢いには差が
あるけれども、いずれも途切れないことが重要ではあるが、日本人には
「奔騰」というのは違和感がアルと思う。
高低差の激しい地域に生まれたメソポタミア文明には地獄(無意識世界)の
思想は多く生じた。ギリシャ本土、クレタ、その他のギリシャの島々なども。日本の四国も日本では最も高低差の激しい地形だろうが、小説の『死国』という題名にもなっている。和歌山の熊野も同様の地形である。熊野は神話や説経節の現世と地獄の往還の地に相応しい。
だが、日本では神話創世の後、穢れの思想の発達により、現世と地獄との
往還には障害が伴うようになった。
日本、その他の東洋の地獄との往還には、「浦島物語」や「夢応の鯉魚」、
あるいはヒルトンの書いたチベットを舞台にした「失われた地平線」の
ごとく、時間のギャップを生じたり、入眠や目覚めがパンクチュエイティヴ
(断裂的)である。
0110吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/17(木) 21:33:42.35
意識の流れ」というのは、下世話に「意識と無意識の切れ目ない
ずるずる引きずる感じ」ではないか?
津原泰水の「黄昏抜歯」も、そのようなずるずる感をモチーフにした
短編だろう。「黄昏」という風景自体が明と暗の中間的な相であり、
明暗、二極の相の融合状態を象徴している。明暗二極とは意識、
無意識に対応させて構わないだろう。つまり、ここでは「黄昏」とは
意識と無意識の切れ目なさを暗示している。歯医者の診察室において
流れる音楽と薬品の匂い、歯に対する主人公の思い込みが相まって
不条理な「意識の流れ」が展開する。薬をきっかけとしてか、主人公は
「半ば落ちて」ゆく。そして、帰路につく主人公は心の黄昏状態を
引きずったまま、タクシーを止めるに至るが、それへ乗り込む瞬間に
心の黄昏状態は消滅する。
津原自身が「黄昏」を「意識の流れ」のアナロジーと見なしていた
可能性も高い。  
意識・無意識の融合感で言えば、プルーストのスワンでの、紅茶と
マドレーヌの香のフレーバーの融合が記憶を呼び覚ます。
世阿弥の夢幻能で夢と現実が場面で分けられているのは無論だが、
日本では落語においても夢と現実はnarraitive(語り)のcontinuity
(連続性)を伴わず、多くは「落ち」に使われ、劇的である。落語の
「落」は下界(無意識)に落ちることからも来ている可能性が大きいと
思う。「らくだ」、「地獄八景」、「粗忽長屋」などは、意識と
無意識の不連続性を表現していると思う。また、「落ちる」には
意識を失うという意味もある。
つまり、日本の文化においては 、「意識の流れ」ではなく、意識の
断裂や覚醒が強調されている面が大きいのではないか?
このことが「意識の流れ」文学の日本における受容に影響している
ように思う。
0113吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/17(木) 23:31:17.47
オルテガだったのかルカーチだったのかは判然としないのですが、
例えばドン・キホーテに代表される近代小説の特性は
理想と現実というギャップから生じる批判意識を駆動因として物語を牽引していくことなのだそうです。
このギャップは個人意識の段階においては時間となり、これが共同主観的に総合化されと歴史(物語)となる。

ただ、日本の場合はこのような遠心力が言語構造などの事情から機能しないので
“場”の求心力によって時間性が消滅してしまう。
日本のいわゆる物語とは欧米の小説とは違ったものである。
まあ、こんなことをボルヘスは指摘しています。
確かに漱石の夢十夜なんかだと回帰してしまうんですよね。

しかし、ジェイムズの強い影響下で書かれたとされる『坑夫』はどうなんだろうか?
それとジョイスは社会主義リアリズムの作家として出発しながらも
ヴィーコの循環史観(と詩学)を利用して『ユリシーズ』を発表した。
つまり転向文学者による回帰思想でもあるわけです。
では、この“回帰”とは日本的回帰(とボルヘスが想定する)とどう違うのか?
0115◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/19(土) 05:32:00.26
>>114
阪急コミュニケーション版、プレミアついてたので、数年前、原書で
買ったが、序文で挫折。ナボコフって、すごいリア充だったんだな
という印象が残った。

文庫版は待望ってことで、刊行されるや取寄せて、すぐ読んだ。
といっても丁寧に読んだのは『失われた時を求めて』と『ユリシーズ』
の講義。この2つは、編者が引用を充実させたりして、かなり補われ
てるらしいけど、それが見事に嵌ってると思う。
『ユリシーズ』を読むとっかかりとして秀逸じゃないかなあ。どこを
どう楽しみながら読んだらよいかがイメージできた。
0116◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/19(土) 05:35:28.47
川端康成の小説に「意識の流れ」手法を見出そうとする次の
論文を見ると、「意識の流れ」は「自由連想」とあまり違わ
ないような捉え方をされている。

>フロイトは人間の無意識を明確にするために、自由連想」という方法を発展
させた。フロイトは「自由連想」で患者に思い浮かぶことをそのまま直接に話
させる。そうすることで無意識の中にある患者の想念や悩みなどが湧き上がる
と考えていたようである。

この外人、ジョイスを知る前から川端が意識の流れ的小説を
書いていたと言っているが、自由連想≒意識の流れと考えると
連歌や連句がすでに自由連想に通じる面を持ってわけだから、
ジョイスを待つまでもない。フロイトすらも。
(つきすぎず離れすぎずの連想。月並でなくしかもずれていないことが
必要。メタファーともつながりそう)
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/4/4-01.pdf
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/issue/pdf/3/3-17.pdf

ちなみに、ナボコフのジョイス講義でも、自由連想的なものを「意識
の流れ」と呼ぶ箇所が多いように感じた。
0117◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/19(土) 05:35:47.77
文学研究における意識の流れ小説の古典的著書はこれのようだ。
Robert Humphrey;Stream of Consciousness in the Modern Novel(1954)
ロバート・ハンフリー『現代の小説と意識の流れ』(英宝社、1970)

手持ちの松柏社フォークナー事典の「意識の流れ」手法の項目をみると
ハンフリーは「主として作中人物たちの意識の姿を描き出すために、言語
表現以前の彼らの意識の究明に重点を置く方の小説」と定義づけ、この
型の小説の作者としては、ドロシー・M・リチャードソン、プルースト、ジョイス、
ヴァージニア・ウルフ、フォークナーの名を挙げているようだ。

言語表現以前の意識と無意識との関係いかん?
とりあえず、ハンフリーの邦訳注文してみた。

英文だけど、概説的な記事
http://engl352.pbworks.com/w/page/18970054/Stream%20of%20Consciousnes
0118◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/19(土) 08:08:55.82
>>103>>104

リテレールの1992冬号入手しました。
スティーヴ・エリクソンの「こころ」評は以下のとおり(訳は柴田元幸)

>日本の古い小説『こゝろ』の感情の精密な描きぶりにも驚いた
(翻訳でもはっきり伝わってくる!)。三十年後のフランス小説の
実存的傾向を先取りしている点も凄い。『こゝろ』に較べると、
フランス小説など、ほとんど浅薄でもお目出たいといってもいい
くらいだ。
0119吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/24(木) 19:43:29.28
結局、Gには何も分かりませんw
0120◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/25(金) 03:56:30.74
もともと「意識の流れ」ってタームが曖昧なんだよね。

>>119
低級な煽り、さすがトンデモなピント外れの妄言しか
書けないやつだけあるw
0121◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/25(金) 04:27:17.51
ようやく、kindleで『坑夫』落として読み始めた。
非常に実験小説的な作品。だから昔、最後まで読みとおせなかった
ようだ。実験小説は古びやすい。
現在の時点から、19歳の自分を顧みながら、19歳の自分のそのとき
の心理を分析的にときには混沌としたままに再現しようとしている。
「意識の流れ」だとか当時の心理学を意識したようなところがありそう。
0122吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/25(金) 20:14:04.13
「意識の流れ」を理解する上でGのレスは何の役にも立たないだろうな。
0123◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/25(金) 21:44:37.30
役に立つことなど期待してないしね
君は自分のトンデモ書き込みが有害無益だって
ことに気づいてないようだね
つくづくお目出度い人だw
0124吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/26(土) 05:59:08.06
>>122

おい、本スレ主、お前が研究者になれなかったのはお前の根性が腐ってて、
しかも creativity が完全に欠落してるからであることは明らかであることを
いまだに自覚してないみたいだな。

「零細」出版社からさえリストラされ、さらには人生からリストラされたお前の、
Gさんに対するプルーストスレでの嫌がらせが失敗し続けているからといって、
この「意識の流れ」スレにまで遠征してくるのは、いい加減にやめろ。

見苦しくってたまらぬ。「人生リストラ」野郎。
0125吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/26(土) 06:10:31.01
>>124

うっかりと、一行目に「本スレ主」と書いてしまったけど、これはこのスレ「意識の流れスレ」を
立てた人という意味ではありません。この「本スレ主」は、「マルセルプルースト本スレ」を
立てた人という意味です。このプルースト本スレの主(通称「本スレ主」)は、「マルセルプルーストのスレ」に
おいて、実に陰湿にGさんを数年にわたって執拗に攻撃し続けているのです。
0126◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 06:58:17.23
>>124 d

ロバート・ハンフリー「現代小説と意識の流れ」一応読んだけど
作品読まないことにははじまらなさそうだ。
次の作品あたりは目を通しておきたいと読みつつあるところです。


ジョイス(「若き芸術家の肖像」)「ユリシーズ」
フォークナー「響きと怒り」「死の床に横たわりて」(「アブサロム、アブサロム!」)
ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人」「灯台へ」「波」

括弧はWilliam Faulkner Encyclopediaで言及のあった作品
その他はハンフリーの著書で引用が出て来る。

フォークナーは一応読んだことあり。
ウルフは「ダロウェイ夫人」は光文社文庫の訳で2回読んでみた。
「ユリシーズ」はまだ文庫の1巻目の途中。
0127◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 06:59:29.29
ハンフリーの著書より。前意識と無意識との関係等

p6
意識とは、心意の動きの全領域を示す言葉で、そこには前意識から、心のさまざまな段階を経て、
合理的で伝達可能の知識という高次の段階までが含まれる。
Consciousuness indicates the entire area of mental attention, from preconsciousness on
through the levels of the mind up to and including the highest one of rational,
communicable awareness.

*前意識とは無意識的精神過程のうち、思いだそうと努力すれば、意識にのぼらせ得るものをいう(訳注)。

p7
意識には明瞭に区別されるふたつの段階がある。すなわち、〈言語表現の段階〉と〈言語表現以前の
段階〉と。
There are two levels of consciousness which can be rather simply distinguished: the“speech
level”and the“prespeech level.”

p7
約言すれば、言語表現以前の意識は抑制することもできねば、理性的な規制も受けつけず、論理的な
秩序も持たないのである。そこで今後は、〈意識〉は、特に言語表現以前の段階を含む、心的過程の
前領域をさすということにしよう。
In short, the prespeech levels of consciousness are not censored, rationally controlled,
or logically ordered. By“consciousness,”then, I shall mean the whole area of mental
process, including especially the prespeech levels.

p8
以上のように意識の概念をたどったところで、われわれは意識の流れの小説を次のように定義すること
ができよう。すなわち、主として作中人物たちの意識の姿を描き出すために、言語表現以前の彼らの
意識の究明に重点を置く型の小説であると。
With such a concept of consciousness, we may define stream-of-consciousness fiction as a type
of fiction in which the basic emphasis is placed on exploration of the prespeech levels of
consciousness for the purpose, primarily, of revealing the psychic being of the characters.
0128◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 07:02:03.62
「流れ」にはあまり拘泥しない方がいい

p12
〈流れ〉という言葉は、さしあたり問題とすることはない、というのは意識が流れるものだとわかって
いたら、それをどう呼んでもいいわけで、たんに呼び方の問題にすぎないのだから。
The word“sream”need not concern us immediately, for representation of the flow of consciousness
is, provided one is convinced that consciousness flows, entirely a matter of technique.

p71
しかしこの〈流れ動く〉という言葉はかならずしも滑るような流れを意味しない。意識の流れは無意識
の状態に近い段階で見られるかもしれないが、表面に近い前言語段階がおよその意識の流れの小説の主題
なので、外界から流れにむかって投じられる制止や妨害が、われわれの重要な研究対象となる。つまり、
〈流れ〉なる言葉自体が正鵠を射ていないのである。持続する性質や妨害にたいして瞬時は乱れても
すぐにそれを呑み込んでしまう性質、ひとつの段階から別な段階に自在に移行できる性質を示すためには、
流動の観念に綜合の観念を加えねばならない。
“Fluid”does not mean a smooth flow necessarily. The flow of consciousness, it might be admitted,
is found on levels nearing the state of unconsciousness, but as the prespeech levels nearer the
surfice are the subject of most stream-of-consciousness fiction, the checks and interferences to
the flow from the outer world become an important consideration. In short, the term“stream”is
not fully descriptive. The notion of synthesis must be added to that of flux to indicate the
quality of being sustained, of being able to absorb interferences after the flow is momentarily
broken, and of being able to pass freely from one level of consciousness to another.
0129◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 07:03:05.08
p72
意識の動きのもうひとつの重要な特徴は、時間のなかを自由に移動する能力――それ自身の感覚的時間を
見出そうとする傾向である。そこには、伝達を目的として心的経過が合理的に制御されるまでは、かなら
ずしも生活時間的な順序には従わないという前提がある。さらには、この〈時点〉にあっては、現実には
時計の上で、どれだけの時間を占める事件であろうと、意識の中では、細分化されることで際限なく拡大
もされるし、逆に、認知の一瞬に凝集することもある。
The other important characteristic of the movement of consciousness is its ability to move
freely in time――its tendency to find its own time sense, The premise it that the psychic
processes, before they are rationally controlled for communication pruposes, do not follow
a calendar continuity. Everthing that enters consciousness is there at the“present moment”;
furthermore, the event of this “moment,”no matter how much clock time it occupies, may be
infinitely extended by being broken up into its parts, or it may be highly compressed into
a flash of recognition.
0130◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 07:04:08.20
自由連想の原理の応用という技法

p72
小説の中で、意識の流れの動きを制御するおもな技法は、心理学上の自由連想の原理を応用することであった。
The chief technique in controlling of stream of consciousness in fiction has been an application
of the principles of psychological free assosiation.

p73
自由連想の重要性や、それを巧妙に駆使することによって心的経過の中での動きの性質も描出できる経緯は、
ジョイスの作品中の内的独白の技法の中にあますところなく看取される。モリー・ブルームの意識の本質的
内容を分析してみると有益である。
The importance of free association and the skill with which it can be used to represent the
quality of movement in the psychic precesses is most clearly represented by the interior
monologue technique in Joyce's work.The elemental content of Molly Bloom's psyche lends itself
to informative analysis.

その他、映画のMontageの技法の適用、メタファーmetaphorやシンボルsymbolの趣向、さらには句読点の
約束the convention of punctuationの改変(p201)
0131◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 07:07:03.97
リーダビリティのためのプロットに代わるパターンの必要性

p142
芸術、とりわけ小説という芸術は、パターンと拘束と、それに明確さとを要求する。小説の読者がそれを
要求するのだ、読者はそれらを手がかりに、自分たちの無拘束の意識を集中し、作品を理解し、解釈しよう
とするのである。したがって作家をその素材に何らかの形でパターンを、あるいは形式を課さねばならない。
Art, the art of fiction, demands pattern, discipline, and clarity. The reader of fiction demands
these things, and he must have them in order to have his own undisciplined consciousness focused
and in order to be able to understand and interpret. Consequently, the writer must somehow impose
pattern, or form, on his material.
0132◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 07:08:27.18
承前(本書の最後の部分)

p202 
意識は前言語段階にあってはパターンをなしていない。意識はその本性から、行為とは離れて存在するので
ある。つまりこれではプロットは意識と平行線をたどって、まじわることがなかった。したがって意識という
混迷の素材には、或る種のパターンが重ねられなければならなかった。うまく仕組まれたプロットの代りに
作家たちは、あらゆる種類の統一の趣向を案出した。彼らは小説がこれまでに創始してきた古典的な統一
手段の数々に密着しようとした。彼らは文学上の雛型や、歴史の循環、音楽の構成などに倣って自己の作品
にパターンを与えた。彼らはまた、複雑な象徴的構成を使い、ついには外面的プロットを意識の流れと融合
させるところまで行きついたのだ!
Consciousness is in its prespeech levels umpatterned; a consciousness by its nature exists independent of action. In short, plot had to go by the wayside. Yet some kind of pattern had to
be superimposed on the chaotic materials of consciousness. In lieu of a well-made plot, the
writers devised all sorts of unities. They managed the closest adherence to the classical unities
that the novel had ever produced; they patterned thier work after literary models, historical
cycles, and musical structure; they even managed to fuse external plot with sream of consciousness!


歴史の循環は、>>113さんの触れているヴィーコ、音楽の構成は、ソナタ形式、ワーグナーの楽劇のライト
モチーフ等。
0135吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/27(日) 11:06:20.93
>>133
根性が腐ってて自分の意見も言えないくせにつまらない挑発はいい加減にやめろ。
0137吾輩は名無しである
垢版 |
2013/01/27(日) 12:32:38.40
確かポール・ド・マンあたりが述べていたことだと思いますが
ロマン派以前の作家にとって先行テキストを形式的に抽出して
再構成することに対して疚しさはなかったが
ロマン派以降はオリジナリティという点で疚しさが生じることになり
これが伝統(と作者には思われるもの)との断絶という自意識の発見と
その克服という傾向につながった、と。
あと、基本パターンの再構成による言語化(あるいは明瞭化)という点では
カッシーラーに似ていますね。

普通は意識の流れといえば英米系文心理主義の流れで考えられますが
ハンフリーの捉え方はドイツ思想やその傍流に似通ったところがありますね。
0138◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 15:47:44.54
>>134->>136
d でも、本スレ主は、コテは名乗らないんじゃないかと。
>>133の人は必ずしも悪い意味で「ちがうなあ」と書いているのではないかも
しれませんね。
検索したら、2年以上前からこのコテ名とトリップでかなり書き込みをしている。
ちょっと見た限り、むしろ、粘着される側っぽい。
芸術デザイン板と哲学板への書き込みが中心でえびね(つくだに)さんとのやり
とりもありますね。
0139catt ◆.catt24qAw
垢版 |
2013/01/27(日) 15:51:42.70
>>138
べつに悪いいみじゃないですよ。
「意識」が流れるというのは自己あるいは読者から見て「川のように」ではなくて
自己あるいは読者「から」、まはた「に向かって」流れるのだということです。
0140◆Y.6.rbvT92
垢版 |
2013/01/27(日) 15:56:15.18
>>139
>べつに悪いいみじゃないですよ。

やはり、そうでしたか。
0141catt ◆.catt24qAw
垢版 |
2013/01/27(日) 15:59:41.36
>>140
Gさんはプルーストよく読んでると思います。
プルーストは、モンテーニュやパスカル以降のフランス文学の身体的な「繊細」を持ってますよね。
ゾラやユゴーが省略してしまったそれが生き生きと楽しめるので私も一愛好者です。
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