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go(進行)からstreamないしflow(流れ)へと論旨は展開する。前掲p455−456

>思いは、どのように進行するのか?……
(1)すべての思いは、個人意識の一部分になる傾向がある。
(2)各人の個人意識のなかで、思いは常に変化する。
(3)各人の個人意識のなかで、思いは連続として感じられる。
(4)それは、常に、それとは、独立な諸対象をあつかうようにみえる。
(5)それは、諸対象のある部分に関心を持ち、その他の部分を排除
する。そうして、たえず、どの部分かを受け入れ、または斥ける。 つまり、
選択をこころみるのである。
 意識は、断片に分れてあらわれるのではない。《連鎖》や《連結》は、意識が
まずあらわれる最初から、それを記述するのに適当なことばではない。それは、
つなぎ合わせたものではなく、流れるのである。《川》あるいは《流れ》というたと
えが、一番自然な記述である。
 以下、われわれは、思いの流れ、意識の流れ、主観的な生の流れとよぶこと
にしよう。