【風立ちぬ】堀辰雄【美しい村】
九月になると、すこし荒れ模様の雨が何度となく降ったり止んだりしていたが、そのうちにそれは殆んど小止みなしに降り続き出した。
(中略)
私はその看護婦が大きな花束を抱えたままバルコンの蔭に隠れてしまってからも、うつけたように窓硝子まどガラスに顔をくっつけていた。
「何をそんなに見ていらっしゃるの?」ベッドから病人が私に問うた。
「こんな雨の中で、さっきから花を採っている看護婦が居るんだけれど、あれは誰だろうかしら?」
私はそう独り言のようにつぶやきながら、やっとその窓から離れた。 一九三五年十月二七日
丁度サナトリウムの裏になった雑木林のはずれに、斜めになった日を浴びて、髪をまぶしいほど光らせながら立っている一人の背の高い若い女が遠く認められた。
「此処であなたをお待ちしていたの」彼女は顔を少し赧あかくして笑いながら答えた。
「そんな乱暴な事をしても好いのかなあ」私は彼女の顔を横から見た。
「一遍くらいなら構わないわ。……それにきょうはとても気分が好いのですもの」つとめて快活な声を出してそう言いながら、彼女はなおもじっと私の帰って来た山麓さんろくの方を見ていた。「あなたのいらっしゃるのが、ずっと遠くから見えていたわ」
彼女が再び快活そうに言った。「此処まで出ると、八ヶ岳がすっかり見えるのね」 1935年11月2日
夜、一つの明りが私達を近づけ合っている。
その明りの下で、ものを言い合わないことにも馴れて、私がせっせと私達の生の幸福を主題にした物語を書き続けていると、その笠の陰になった、薄暗いベッドの中に、
綾子は其処にいるのだかいないのだか分らないほど、物静かに寝ている。
ときどき私がそっちへ顔を上げると、さっきからじっと私を見つめつづけていたかのように私を見つめていることがある。 1935年11月28日
病人に喋舌しゃべらせることは一番好くないので、殆んどものを言わずにいることが多い。
看護婦のいない時にも、二人で黙って手を取り合って、お互になるたけ目も合わせないようにしている。
が、どうかして私達がふいと目を見合わせるようなことがあると、彼女はまるで私達の最初の日々に見せたような、一寸気まりの悪そうな微笑ほほえみ方を私にして見せる。
が、すぐ目を反らせて、空くうを見ながら、そんな状態に置かれていることに少しも不平を見せずに、落着いて寝ている。
彼女は一度私に仕事は捗はかどっているのかと訊いた。私は首を振った。
そのとき彼女は私を気の毒がるような見方をして見た。が、それきりもう私にそんなことは訊かなくなった。
そして一日は、他の日に似て、まるで何事もないかのように物静かに過ぎる。
そして彼女は私が代って彼女の父に手紙を出すことさえ拒んでいる。 1935年12月5日
綾子が不意に、「あら、お父様」とかすかに叫んだ。
私は綾子の目がいつになく赫かがやいているのを認めた。
「いま何か言ったかい?」と訊きいて見た。
綾子はしばらく返事をしないでいた。が、その目は一層赫き出しそうに見えた。
「あの低い山の左の端に、すこうし日のあたった所があるでしょう?」
綾子はやっと思い切ったようにベッドから手でその方をちょっと指して、
それから何んだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引出しでもするように、
その指先きを今度は自分の口へあてがいながら、
「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつも出来るのよ。
……ほら、丁度いま出来ているのが分らない?」
「もう消えて行くわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」
「お前、家へ帰りたいのだろう?」私はついと心に浮んだ最初の言葉を思わずも口に出した。
そのあとですぐ私は不安そうに綾子の目を求めた。
綾子は殆どすげないような目つきで私を見つめ返していたが、急にその目を反らせながら、
「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞えるか聞えない位な、かすれた声で言った。
私の背後で綾子が少し顫声で言った。
「御免なさいね。……だけど、いま一寸の間だけだわ。……こんな気持、じきに直るわ……」 風立ちぬはおもしろかったが菜穂子は退屈なだけだな
どう見てもこの作者は三人称小説は向いてない 1935年12月6日
綾子は死んでゆく前に、僕のいる前でね、お父さんに僕にいい人を持たせて上げて下さいと言い残していったのです。
それがもう最後の言葉になりはしないかと思うほど、死を前にして苦しんでいましたが、それから突然
「お父さんも本当に好い人だったし、辰ちゃんも本当に好い人だったし、私、本当に幸福だった」
となんだかそんな苦しみの中から一所懸命になって言って、それからそのまま最後の死苦のなかに入っていきました。 昭和10年12月
三好達治、富士見療養所に堀を訪ねる。ちょうど婚約者矢野綾子が臨終の時で、堀は「あとで逢うからあっちで待っててくれ」と静かな声で語ったという。 菜穂子の母親以外クズばかりだからな
メンヘラ―菜穂子
マザコン圭介
サイコパス都筑 >>70
それです!
長年の謎が解けました
ありがとうございます 「お父さんからお手紙だよ」
私は看護婦から渡された一束の手紙の中から、その一つを綾子に渡した。彼女はベッドに寝たままそれを受取ると、急に少女らしく目を赫かがやかせながら、それを読み出した。
「あら、お父様がいらっしゃるんですって」
旅行中の父は、その帰途を利用して近いうちにサナトリウムへ立ち寄るということを書いて寄こしたのだった。
それは或る十月のよく晴れた、しかし風のすこし強い日だった。近頃、寝たきりだったので食慾が衰え、やや痩やせの目立つようになった綾子は、
その日からつとめて食事をし、ときどきベッドの上に起きて居たり、腰かけたりしだした。彼女はまたときどき思い出し笑いのようなものを顔の上に漂わせた。
私はそれに彼女がいつも父の前でのみ浮べる少女らしい微笑の下描きのようなものを認めた。私はそういう彼女のするがままにさせていた。
それから数日立った或る午後、彼女の父はやって来た。 冬
一九三五年十月二十日
午後、いつものように病人を残して、私はサナトリウムを離れると、
収穫に忙しい農夫等の立ち働いている田畑の間を抜けながら、
雑木林を越えて、その山の窪みにある人けの絶えた狭い村に下りた後、
小さな谿流にかかった吊橋を渡って、
その村の対岸にある栗の木の多い低い山へ攀じのぼり、
その上方の斜面に腰を下ろした。
そこで私は何時間も、明るい、静かな気分で、これから手を着けようとしている物語の構想に耽ふけっていた。
ときおり私の足もとの方で、思い出したように、子供等が栗の木をゆすぶって一どきに栗の実を落す、その谿じゅうに響きわたるような大きな音に愕かされながら……
そういう自分のまわりに見聞きされるすべてのものが、私達の生の果実もすでに熟していることを告げ、
そしてそれを早く取り入れるようにと自分を促しでもしているかのように感ずるのが、私は好きであった。
ようやく日が傾いて、早くもその谿の村が向うの雑木山の影の中にすっかりはいってしまうのを認めると、
私は徐しずかに立ち上って、山を下り、再び吊橋をわたって、
あちらこちらに水車がごとごとと音を立てながら絶えず廻っている狭い村の中を何んということはなしに一まわりした後、
八ヶ岳の山麓一帯に拡がっている落葉松林の縁へりを、
もうそろそろ病人がもじもじしながら自分の帰りを待っているだろうと考えながら、
心もち足を早めてサナトリウムに戻るのだった。 一九三五年十一月二十六日
綾子はもう目を覚ましていた。しかし立ち戻った私を認めても、私の方へは物憂げにちらっと目を上げたきりだった。
そしてさっき寝ていたときよりも一層蒼いような顔色をしていた。
私が枕もとに近づいて、髪をいじりながら額に接吻しようとすると、彼女は弱々しく首を振った。
私はなんにも訊きかずに、悲しそうに彼女を見ていた。
が、彼女はそんな私をと云うよりも、寧ろ、そんな私の悲しみを見まいとするかのように、ぼんやりした目つきで空を見入っていた。
夜
何も知らずにいたのは私だけだったのだ。
午前の診察の済んだ後で、私は看護婦長に廊下へ呼び出された。
そして私ははじめて綾子がけさ私の知らない間に少量の喀血をしたことを聞かされた。
彼女は私にはそれを黙っていたのだ。喀血は危険と云う程度ではないが、用心のためにしばらく附添看護婦をつけて置くようにと、院長が言い付けて行ったというのだ。 一九三五年十二月五日
そのとき綾子が不意に、
「あら、お父様」とかすかに叫んだ。
私は綾子の目がいつになく赫いているのを認めた。
綾子はしばらく返事をしないでいた。が、その目は一層赫き出しそうに見えた。
「あの低い山の左の端に、すこうし日のあたった所があるでしょう?」綾子はやっと思い切ったようにベッドから手でその方をちょっと指して、
それから何んだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引出しでもするように、その指先きを今度は自分の口へあてがいながら、
「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつも出来るのよ。……ほら、丁度いま出来ているのが分らない?」
「もう消えて行くわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」
「お前、家へ帰りたいのだろう?」私はついと心に浮んだ最初の言葉を思わずも口に出した。
綾子は殆どすげないような目つきで私を見つめ返していたが、急にその目を反らせながら、
「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞えるか聞えない位な、かすれた声で言った。
私は、ベッドの側を離れて、窓ぎわの方へ歩み寄った。
私の背後で綾子が少し顫声で言った。「御免なさいね。……だけど、いま一寸の間だけだわ。……こんな気持、じきに直るわ……」
綾子は両手で顔を押さえていた。
私はベッドに駈けよって、その手を綾子の顔から無理に除けた。綾子は私に抗おうとしなかった。
高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、――何一ついつもと少しも変っていず、いつもよりかもっともっと犯し難いように私には思われた。
私はそれから急に力が抜けてしまったようになって、がっくりと膝を突いて、ベッドの縁に顔を埋めた。
そうしてそのままいつまでもぴったりとそれに顔を押しつけていた。綾子の手が私の髪の毛を軽く撫でているのを感じ出しながら…… 綾子さんはファザコンなんですね
お母さんのことが一度も出てこない? 風立ちぬ
読んだけどちっともいいと思わなかった
退屈極まる小説。いいのは題名だけ
なんでこれが名がのこってるのか
わかるひとおせーて >>97
そんな事、なぜ人に聞く?
あなたが、あの作品から何も享受できなかっただけでしょ。 おまえたちの脳味噌向けには「ラノベ」ってやつがいいよ!!
そうだ、「ラノベ」だけ読め!それがいい。 >>97
退屈か
ロマン性があってなかなかおもしろいだろ 「楡の家」の森於菟彦は芥川がモデルなんだろうが、北京で死ぬことにさせたのは何か象徴してるんだろうか?
まさか本当に自殺にするわけにも行かなかっただろうけど
森がやたら北京を気に入っていたというくだりがあるけど、堀って西洋と違って中国への興味はそこまでなさそうに思えるからちょっと異質に思える 九月の末の或る朝、私が廊下の北側の窓から何気なしに裏の雑木林の方へ目をやって見ると、その霧ぶかい林の中にいつになく人が出たり入ったりしているのが異様に感じられた。
看護婦達に訊いて見ても何も知らないような様子をしていた。それっきり私もつい忘れていたが、翌日もまた、早朝から二三人の人夫が来て、その丘の縁にある栗の木らしいものを伐り倒しはじめているのが霧の中に見えたり隠れたりしていた。
その日、私は患者達がまだ誰も知らずにいるらしいその前日の出来事を、ふとしたことから聞き知った。それはなんでも、例の気味のわるい神経衰弱の患者がその林の中で縊死していたと云う話だった。
そう云えば、どうかすると日に何度も見かけた、あの附添看護婦の腕にすがって廊下を往ったり来たりしていた大きな男が、昨日から急に姿を消してしまっていることに気がついた。 おそらく父親の矢野透さんが死期の近い綾子お嬢様のために巨額のサナトリウム代を出して書かせた小説 >>104
芥川が文人趣味で唐土文物好きだったからかな
毎日新聞の特派員として行って紙や硯を買い込んできた リアリティを無視した独特の美しい文に吸い込まれた
美しい村→風立ちぬ→ルウベンス→菜穂子を今読んでる離れられない
俺も軽井沢の隣で隠棲したいよ 一九三五年十二月五日
そのとき綾子が不意に、
「あら、お父様」とかすかに叫んだ。
私は綾子の目がいつになく赫いているのを認めた。
綾子はしばらく返事をしないでいた。が、その目は一層赫き出しそうに見えた。
「あの低い山の左の端に、すこうし日のあたった所があるでしょう?」綾子はやっと思い切ったようにベッドから手でその方をちょっと指して、
それから何んだか言いにくそうな言葉を無理にそこから引出しでもするように、その指先きを今度は自分の口へあてがいながら、
「あそこにお父様の横顔にそっくりな影が、いま時分になると、いつも出来るのよ。……ほら、丁度いま出来ているのが分らない?」
「もう消えて行くわ……ああ、まだ額のところだけ残っている……」
「お前、家へ帰りたいのだろう?」私はついと心に浮んだ最初の言葉を思わずも口に出した。
綾子は殆どすげないような目つきで私を見つめ返していたが、急にその目を反らせながら、
「ええ、なんだか帰りたくなっちゃったわ」と聞えるか聞えない位な、かすれた声で言った。
私は、ベッドの側を離れて、窓ぎわの方へ歩み寄った。
私の背後で綾子が少し顫声で言った。「御免なさいね。……だけど、いま一寸の間だけだわ。……こんな気持、じきに直るわ……」
綾子は両手で顔を押さえていた。
私はベッドに駈けよって、その手を綾子の顔から無理に除けた。綾子は私に抗おうとしなかった。
高いほどな額、もう静かな光さえ見せている目、引きしまった口もと、――何一ついつもと少しも変っていず、いつもよりかもっともっと犯し難いように私には思われた。
私はそれから急に力が抜けてしまったようになって、がっくりと膝を突いて、ベッドの縁に顔を埋めた。
そうしてそのままいつまでもぴったりとそれに顔を押しつけていた。綾子の手が私の髪の毛を軽く撫でているのを感じ出しながら……