【小説】サルトル【戯曲】
『出口なし』だげどよう、
女が二人居んだぞ、あーじゃこーじゃ言わんと、俺ならまずはセックスセックスしまくるけどな、
おまーらだってそーだろ、チンコ付いた男だろが、あーっ!? 名著37 「枕草子」清少納言
名著38 「菜根譚」洪自誠
名著39 「ハムレット」シェークスピア
【スペシャル】日本人論 「『いき』の構造」九鬼周造、「死者の書」折口信夫、「中空構造日本の深層」
河合隼雄、「日本的霊性」鈴木大拙
名著40 「茶の本」岡倉天心
名著41 「フランケンシュタイン」メアリー・ジェリー
名著42 ブッダ最期のことば
名著43 「荘子」
名著44 「オイディプス王」ソポクレス
名著45 「日本の面影」小泉八雲
名著46 「種の起源」ダーウィン
名著47 「斜陽」太宰治
名著48 「実存主義とは何か」サルトル この人とマルクス主義との関係で日本の戦後左翼運動の核心は語れる。と言える
ほどにその関係は濃密だったはず。『存在と無』からして世界の状況すべからく
〈私〉は責任がある、だから。政治に参加するしかない。実際は、状況と〈私〉
といっても媒介があり、関係性にも段階や層がある。そこをほぐしてくれたのが
吉本で、個人幻想ー対幻想ー共同幻想の3つだったわけでしょう。サルトル哲学
の強迫性を解毒するのが吉本の思想。だからスガ秀実が自著でサルトルと
吉本を並べてるらしいけど、実際はサルトルの強迫性を解毒するのが吉本思想で
、どっちも政治の季節のカリスマだと同じように並べることはできない。実際
新左翼党派からは吉本は目の仇にされて講演で大揉めにもなってる記録があるし
ね。 文学の次の課題が政治だとしたらな。哲人政治、文人政治。文民統治。 サルトルは血統古いな源氏平家ボボワールは言論など暴力に苦しんだだろう。 超越的能力自体が暴力なんじゃ。人種間でもあるけど。
黒人男性が白人女性と付き合って時間が違うから子供が成功しないで力落として滅んでいったり、
白人男性が黒人女性と付き合って、時間など敷居こえれずに子供が成功しないで沈んでいくこともよくある。 kemofure
ちなみに実存哲学五人衆(キルケゴール、ショーペンハウアー、ニーチ
ェ、ハイデガー、サルトル)で、音楽を実存と結びつけて重視したのはシ
ョーペンハウアーとニーチェ。ただ、ショーペンハウアーと後期ニーチェ
は音楽の捉え方が正反対だけど(前者は生の苦痛を癒す鎮痛剤、後者は生
を高揚する興奮剤)
2024年3月31日 読売新聞オンライン
『竹内芳郎 その思想と時代』鈴木道彦/海老坂武監修
/池上聡一編
2024/01/12
評・郷原佳以
竹内は、流行としての実存主義とは別の文脈で、また、ポストモダンによって実存主
義が死んだとみなされた後もサルトルの可能性に拘った。それはあくまで、サルトル思
想が、「この日本的現実のなかにあってその愚劣さと闘うための武器としてそれを生き
る以外にはない」存在だったからである。「日本的現実」とは、戦争体験を思想形成の
原点とした竹内にとって、集団同調主義のことであり、それを竹内は「天皇教」、「神
道的精神風土」と呼んだ。ここには、京都学派の哲学者が自ら戦争を肯定したように、
哲学が戦争を明確に否定することができなかったという現実に対する哲学としての闘い
がある。その意味において竹内は、自分は「いちども実存主義者たることをやめたこと
はない」と言う。
竹内の「実存主義」とは、「生活と思索の結合」である。しかしそれは、思索が生活
に役立つ便利な道具だなどということでは断じてない。「生活を単に追認するだけの思
想なぞ、思想の名に価しない」という竹内の警句は耳に痛い。 温泉マーク ♨オートチューンがかかるゆるキャラ/マスコットVTuber🍉
今日買った本だぜ
西村紗知『女は見えない』
中村達『私が諸島である カリブ海思想入門』
黒柳徹子『窓ぎわのトットちゃん』
赤阪辰太郎『サルトル 風通しのよい哲学』
松井理恵『大邱の敵産家屋 地域コミュニティと市民運動』
https://pbs.twimg.com/media/GK-BKUMbMAAs1xS.jpg
2024年4月12日 「昭和二十一年に織田作之助は、サルトルに熱狂して、日本文学の前途は
秋声かサルトルかいづれかをとらねばならぬと叫び、スタンダアルについ
ての感想を発表したりした」
中村光夫「フランス文学の影響」(『日本文学大辞典』別巻、新潮社、昭
和27年4月) この人物とマルクス主義の関係は、日本の戦後左翼運動の核心を語るほど濃密だったと言えるでしょう。 『存在と無』から、「私は世界の状況すべてに責任を持つ」というサルトルの思想に影響を受けた彼は、政治参加の重要性を強く主張しました。しかし、現実には、状況と「私」の間には様々な媒介が存在し、関係性にも段階や層があります。
その複雑さを解きほぐしてくれたのが、吉本隆三の思想でした。 吉本は、個人幻想、対幻想、共同幻想という三つの幻想を提示することで、サルトル哲学の強迫性を解毒しました。
スガ秀実が自著でサルトルと吉本を並べているのは事実ですが、両者を同列に扱うことはできません。 吉本思想はサルトルの強迫性を解毒するものであり、政治の季節におけるカリスマ性という点においても、両者は異なる存在です。
実際、新左翼党派の中には吉本を目の仇にし、講演で大揉めになったという記録もあります。
このように、この人物とマルクス主義、そして吉本思想の関係は、戦後の左翼運動における複雑な思想潮流を理解する上で重要な鍵となるものです。 サルトルは周囲に女性を惹きつける魅力的な人物だったようですね。彼の才能やカリスマ性、そして自由奔放な生き方は、多くの女性を虜にしたのでしょう。一方で、生涯のパートナーであるボーヴォワールは、そんなサルトルの女性遍歴に複雑な感情を抱いていたようです。