保坂和志
>>608
ツイッターを見たら自意識だけが異常なまでに肥大化した俗物でびっくりした。
ツイッターを何よりきまじめに使っているとも言えるけど。
保坂に群がる奴らの中にこの手の人って妙に多いね。 今更「書きあぐねている人のための小説入門」読んだ
保坂がいじめに加担していた事をさらっと書いてたり、「モード奏法」で小説を書く(鼻につく喩え)、なぜ一気読みできる小説はつまらないのか、ネガティブな人間を描かない等…
自分が絶対に正しいものとして語るスタンスが癪に障る
こういう考えもある、って説明の方が良かったんじゃないですかね
あと批評とごっちゃになってて見辛い
今は鍋敷きに使ってます 中沢忠之
小説における現実とフィクションの関わりでいえば、
作家には現実をフィクションに呼び込む接点に独自の象徴形式があるもので、
大江は樹木や塔(→原爆・天皇など)、中上は路地(→差別など)、村上春樹は地下(→地震・植民地など)等々となるのだが、
90年代以降例えば阿部あたりからそれが絶えた
2017年3月28日
moisi
この観点から改めて考えると保坂和志は徹底して現実を呼び込んでないなあ。
そんな作家とそのフォロワーが覇権を握ってしまったゼロ年代以降の純文学ってやっぱり異常なのかもしれない。
中沢忠之
中上の「路地」から阿部・神町サーガへの、フィクションにおける土地問題については2008年10月のユリイカに書いたのでよろしければ。
保坂のゼロ年代の覇権は純文学だけでは紐解けないのでは。
去年の岩波「文学」に書きましたが、ジャンル小説とラノベの攻勢の中で純文学の縮み志向の結果だと思う
2017年3月30日
Yoshiharu ISHIOKA
文学史や文芸批評に疎いながらも、ここに「象徴形式のコード化」そのものの変容をみるとするならば、
興味深い論点が出てくるように思う。
続けて語られている保坂和志流小説作法が拒絶/構築しているものについては、
まさにそれこそが説明されるべきもののように思うがゆえに。
2017年3月31日 この人ほどインチキで生きてきた作家も珍しいかな
日本文壇3大インチキ作家は
高橋源一郎
村上春樹
保坂和志
だろうな ストーリーがないから駄目なんじゃない
そんな小説いくらでもある
内容がくだらないから駄目なんだ たとえば保坂チルドレン(笑)とかいわれるのに
ろくな小説家なんかいないだろ ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844年10月15日 - 1900年8月25日)
ミシェル・フーコー(Michel Foucault、1926年10月15日 - 1984年6月25日)
保坂和志(1956年10月15日 - ) 今回BOOKSTANDでは、せきしろさんが自身の作風に影響を与えた3冊を紹介してくれます。
今夜はその1冊目です。
●音楽のように読む物語
今夜紹介するのは保坂和志さんの「プレーンソング」です。
これは保坂和志さんという小説家の方が書いた本なんですけど、ルームシェアをテーマにした本で、
当時まだそんなシェアハウスとかいう言葉がない時代に読んだ本なんですけど、
4人の男女が一緒に暮らすんですけど、とにかく、驚くほど何も起こんないんですよ。
そのなんも起こんないことが、これだけ作品になっていることが衝撃的で。
それからすごく影響を受けましたね、僕は。何か起こりそうで怒らなかったんで単純に笑っちゃいましたね。
当時の僕の中ですと、振りがあって、オチがあって、っていうのがみなさんそうだと思っていたんですよ、本っていうのは。
それが何も起こらなかったんで、「あ、こういう方法もあるんだ」っていうのを気付かせてくれたっていうか、
僕が書く話が割と何も起こんないって言われがちで、カタルシスがないって言わるんですけど、それが悪い方でいわれるんですけど、
でも好きなんでしょうがないですね。何も起こらないのが。
これは本当に、いまだに読み返すことがあって、僕そんなに本は新しいの読むわけじゃなくて、
古い本を、昔読んだ本を何回もってことが多いかもしれないですね。
・・・音楽に近いかもしれないですね。
次は何を書こうって思った時に読み返して、「ああ、何も起こんなくていいんだ」っていう自信はいただきますね。
こんなこと言うと怒られるかもしれないですけど(笑)
http://www.j-wave.co.jp/blog/bookbar/2017/10/book_stand_296.html 2017 08/02 [Wed] 19:30 〜 23:00ゲンロンスクール
保坂和志 × 佐々木敦
ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第3期#4
保坂和志についての評論を執筆せよ
保坂「批評家の仕事は分からないものを前に、先頭に立って困ってみせること。
思想家や著者の解説を引いて、答え合わせすることではない。」
保坂「自分の小説は、何かを目標に書くのではなく、楽器の演奏のように、手持ちの道具でしたいことをする。
だから『作品の真の意味』なんて無い」
保坂「『その後の不自由』という本に、自分を不安定な状態に置かないと安心できない人がいると書いてある。
僕は完全にそれ。」
保坂「ある時期以降、先のことを考えて書く、ということ自体がつまらなくなった。
その切断線は『カンバセイション・ピース』」
保坂「『カンバセイション・ピース』のある場面は、『秋刀魚の味』の娘が嫁いだあとのシーンをイメージし、
視点を無人にした。僕がそこで研究したことを呆気なくやったのが岡田利樹と山下澄人」
保坂「創作について「もう先はない」というのは、物理法則とは違う。「もう先はない」と思わない限り先はない。
職業にするというのは、毎回出し尽くす苦しみに耐えること。」
保坂「小説は書くほどに確かさが失くなるもの。批評は確かさを求めるもの。
小説は信じる人にしか伝わらない、宗教みたいなもの。」
保坂「タイムマシンが一番関心がある。(自身の小説で)やりたいことはすべてタイムマシン」
保坂「SFと思わなくても宇宙人が出てきてOKな枠組みを作ったデヴィッド・リンチ
(魔法の中にいる人は、それを魔法と気づかない)」
保坂「批評の中でキャラを出したほうがいい。批評は文だけだと上から目線っぽくなってしまう」 山下晴代の『そして世界は泥である』
『新潮』(2018.4)──「あげ底作家」タカハシは、いまさら、どんなヒロヒトを描こうというのか?
同じく二番手と思われる、保坂和志の短編「ハレルヤ」(推定五十八枚程度)。
このヒトは、「師」の小島信夫と同様のスタイルをとって、日常の些事をだらだら、だらだら書いていくが、
しかしそれが意味があるのは、その些事を見つめることによって、哲学的な思念がなされなければならないが、
このヒトのバヤイ、つきあって読んでいくと、ただの些事のままで終わって、「え?」となる(笑)。
このヒトの頭のなかを占めているのは、この小説(?)の書かれた時点なら、
引っ越し先の家を、数百万年安く買えたらなー、である。
そして、テーマは、愛猫「花ちゃん」で、この猫は、生まれたての頃、片目の見えない状態で拾われ、
十八年と何ヶ月か生きて死んだ。「猫には一匹一匹、神さまがついている」というのが、作者夫妻の思いであるが、
それなら、なぜ、年間何万匹、何十万匹の殺処分が行われるのか? これらの猫たちの神さまはどうなっているのか?
作者は、そんなことにはまったく思い至らず、ただただ、自分が保護し、育てた猫「花ちゃん」だけが問題なのである。
ああ、そうですか(笑)。 実際のところ、プロの作家ではない人たちが小島信夫を面白いというときのその「面白さ」
には、なかなか共感できないことが多い。つまり、ブログやらアマゾンのレビューやらにま
とまった文章に書いてあるその「面白さ」は私には、本当に面白いと思っているというより
は、面白がっている、あるいは面白がっているふりをしている、というように映る。
そんなことをわざわざするのは、小島信夫を理解することが、現代文学を理解している試
金石になっているような雰囲気があるからではないかと思う。すごく雑に言えば、「小島信
夫をわかっているおれ/わたしは、現代文学わかっているよ」みたいなノリがあるのだ。主
にそれは保坂和志が作り上げたものだ、と私は現代日本文学的状況に疎いながらもそん
なふうに考えている。
ちょっと脱線をすると、保坂和志『小説の自由』再読はのろのろと進んでいたのだが、六章
にあたる「桜の開花は目前に迫っていた」を読んで、そのつまらなさに愕然とし、少し停滞し
てしまっている。
この章だけは、評論ではなく雑誌「新潮*2」に掲載された短篇なのだが、それまでに展開さ
れていた非常に含蓄のある評論を書いていた人間が書いたとは思えないほどの駄作であ
って、その「わざとこういうつまらないものを書いているんだよ」というあざとさが当該短篇の
至るところに芬々としていて、こんなのが「面白い小説」とか「優れた小説」とされるのであ
れば、それならばおれには「面白い小説」なんて必要ない、と思えるほどだ。
http://doteki2.blog.jp/20120616小島信夫の小説.html 保坂の小説は猫頼り。猫の出て来ない小説ってあるんだろうね? >>625
『コーリング』には出てこなかったと思う、多分 多和田葉子の小説および彼女が訳したカフカ作品について保坂がどんな感想を持っているか気になるんだがなんかで言及したりしてないかな
何か知ってる人がいたら教えてください カフカ「城」ノートってどこで読めるの?
小説〜は全部読んだ >>632
ありがとうございます
さっそく読もうと思います hosakakazushi.official
千葉雅也さんとのトークのノート、作った。
#千葉雅也
#デッドライン
#保坂和志
#小説的思考塾
#書きあぐねている人へのアドバイス
https://pbs.twimg.com/media/EL2P5MjVAAARAHP.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EL2P5M2UwAEHqE8.jpg
2019年12月15日 てとぽ
加藤茶の悼辞もだがその後の高木の「志村は死なないよ」で心に来た。
そのあとアナウンサーが「みんなの心の中で?」って言って台無しにしたかなと。
そういうことじゃなくて、たぶん高木ブーにとって志村は死なないんだよ。文字通りだ。
2020年4月2日
アオウミ
志村けんの追悼番組見た。
高木ブーが「決めました。志村は死なないの、ずっと生きてる」って言ったあと
アナウンサーが我々の心の中にって余計な言葉付け加えたけどこれ絶対違うよね。
そんなレトリックじゃなくもっと強い意味で高木ブーは喋ったように聞こえた。
2020年4月2日
懲〆兎
高木ブーの「志村は死なないの、ずっと生きてる」って言葉にアナウンサーが
「我々の心の中に」とか安っぽい言葉足してたけど、そうじゃないんだよ。
それじゃ普通の人と同じじゃないの。我々が死んだら志村けんも死ぬじゃないの。
高木ブーの確信はそんなものではない。全くどこまで鈍いんだよ。
2020年4月2日 小谷野敦とちおとめのババ・バロネッタ
ああ、みんなで乗代雄介作を絶賛するがいいさ、俺は最後の一人になっても批判するぞという悲壮な気分になってきた。
2020年1月13日 新刊出たのに過疎ってるのね…
ここ初めて見つけたけど
新刊もトークライブも良かった 保坂和志って新人賞とってないんだね。
それで群像にプレーンソングを載せて名前を売ったわけだけど
どうやって掲載して貰ったんだろう?
持ち込みか?
知ってる人いる? >>640
経緯は『プレーンソング』の中に書かれてるよ 世間の潮目が変わったのか急速に存在感なくなったね
そろそろ老大家扱いかな? 猫がこなくなった
おもしろいんだかおもしろくないんだかわかんない。 「遠い触覚」のある章で
アメリカやソ連の核実験の回数を挙げてそれに比べたらフクシマなんて大したことないんじゃないの?とか書いててドン引きした けっこうなことを告白とか懺悔とかそういうテンションではなくしれーと文脈に溶かすように書くよね
入門のいじめの件然りルゴーネスの無断掲載しかり 中上健次やその周辺に対して
反撥心持って出て来たのは意義があったかもしれないけど
中上が40代で死んでその周辺の批評家たちの威圧的な態度も大して影響力持たなくなって久しいことを思えば
保坂とそのフォロワーたちの方が小さい小さい純文学畑とはいえよっぽど長く影響力を保持してきたし
もはやこちらの方が悪影響は大きかったと
少なくとも30年単位で振り返ると言える 「プレーンソング」
一度我慢して読み終えたのだけれど、10年ぶりに再読してみてやっぱり苦痛だったのだけれど 関係ないけどヘンリーミラー今更読んだ 不真面目で素晴らしいっすね あのだらっとした書き方を素人が真似しているのなんか目も当てられないと思うことがある きのこ
うーん面白いな 以下は引用より
く映画の敵は「アンチ人間」「アンチ物語」「アンチ感情」だよ。人間や物語から離れるために散歩する人達…
つまり、人間からも物語からも感情を動かされることを望まない人達。
「嬉しくもないが悲しくもない」状態を実現するために歩く人達
堀井義博
これはおもしろい観点
オレは映画好きのつもりなのだが、釣りがこれまた大好きで、
この二つを自分の中に同居させることの困難を感じてる
どうそく氏が挙げた保坂和志氏の引用によれば、オレにとっての釣りは、
この「アンチ人間」「アンチ物語」「アンチ感情」にまんま該当してる
モノオキソウコ
フィクションの登場人物のことなんて読んでるとき以外はどうでもよくて、
キャラクターのファンダムができることがよくわからないんだけど、
保坂和志『草の上の朝食』の工藤さんはすごいすき。
2023年6月1日
AI
保坂和志って『季節の記憶』に顕著だけど、
大好きになっちゃうキャラをささっと一筆書きで書くのがメチャクチャうまいと思うんだけど、
なんかその辺ってあんま言われてないよな
2023年6月2日 縁もゆかりもないはずの川本三郎、村上春樹、保坂らの顔が似すぎ。
というか、この手の顔は日本中にありふれてるんだろうな。 保坂は小島信夫を持ち上げている時点で終わっている
50年後はこの2人は読まれていないし、忘れられている 未定
群ようこ「老いとお金」(角川文庫)
私が群ようこさんの作品を読んだのは「アメリカ居すわり一人旅」に続いて2冊目。
文章がサバサバしていて好きです。老いはどんな人にでもやってくるから、
不安だ不安だと言ってばかりいないで、ドンと構えていられる人でありたいと思った。
2023年5月27日
保坂和志「プレーンソング」(中公文庫)
登場人物全員心の余裕があって羨ましい。主人公は金銭的にも余裕がある。
この小説が発表された時期はバブル景気なので登場人物達の価値観は今と大きく違うのではと考えた。
作品の内容がバブル期の日常なのか、バブル期でも特殊な日常なのか気になった。
2023年6月3日
Shun Fushimi 伏見 瞬
山本浩貴『言語表現を酷使する(ための)レイアウト
――或るワークショップの記録 第0部 生にとって言語表現とはなにか』
素晴らしかった…😭保坂和志の、テクストの手前にある生の「そのまま」性の肯定が、
当事者性優位の議論にすり替えられてしまう現状をどのように越えていくか。めちゃハッとする。
批評においても、その他の言語表現においても、
その他の表現手法においても、あるいは労働においても、
つまり自分の生存と享楽の手段のほとんどにおいて役にたつ。
具体的に、保坂和志と蓮實重彦をどう折衷しつつ組み替え、
それを音楽の記述にどう活かすかという自分の(ひとまずの)目標に強く活きる。
2023年6月13日 MAKE SOME NOISE
関係あると言えばあるし、ないと言えばない、厄介な中
間地帯にいる《私》を見つめる/矢野利裕『今日よりも
マシな明日 文学芸能論』(講談社、2022年)
2022年05月05日
本書は非常に慎重に描かれており、常に革新と、革新が陥りうる目の粗さへ
の批判、その二極を往還しているような印象を受けた。革新的な声に共感しつ
つも、序論では「《知識人》然とした文学の言葉において、聞こえにくい言葉
があるとすれば、この社会を生きる葛藤だらけで移ろいやすい、ねじれをとも
なった《私》の声である」(22頁)と知識人の言説を批判し、「前衛的かつ先
鋭的な《知識人》よりも、間違いのともなった《大衆》のグズグズしたありか
たに粘り強く向き合うことを選ぶ」(23頁)と生活する人間の立場から文学を
読むことを宣言する。
このような姿勢で書かれたもので言えば、おそらく前述の加藤典洋の批評以
外には、保坂和志の文章に同じような空気を感じる。加藤は、自らが戦争を始
めて敗戦したという感覚を持たない戦後民主主義者、平和主義者を批判した
し、保坂は、「不条理」や「不安」というタームに還元して思考停止してカフ
カの小説を読むことを繰り返し諫めている。両者が大切にしていることは、本
書と共通しているように思える。それは、はっきりとは言語化されていないノ
イズであり、声にならない声であり、理念に還元されない被害と加害の絡まり
合いに対して敏感でい続けることだ。
荒木優太(新しい本がでたよ)
これは余談。東浩紀/矢野利裕ラインでもそうだが、戦争(政治)と文学
で立項したとき、加藤典洋が本当に容易く文学の聖域を護持するための召
喚獣になっていることに戸惑いというか、控え目にいえば驚きを覚える。
加藤再評価はいいとして、私は高橋哲哉が別段文学的でなかったとは思わ
ない。
2022年11月9日 新たな距離―言語表現を酷使する(ための)レイアウト
山本 浩貴【著】
フィルムアート社(2024/03発売)
1 イントロダクション 生にとって言語表現とはなにか―保坂和志と表層の手前側のリテラリズム
2 私の所有、宇宙の配置 新たな距離―大江健三郎における制作と思考
3 物と空
4 喩と遍在 制作的空間と言語―「あそこに私がいる」で編まれた共同体の設計にむけて
5 紙面という舞台
6 掛け合わされた孤絶の距離
山本浩貴[ヤマモトヒロキ]
1992年生 ele-king
WDsounds発、2021年いろんなベスト
Feb 15,2022
・RIVERSIDE READING CLUB
* 保坂和志『残響』
去年いちばん繰り返し読んだ一冊。これは世界を小説にしか出来ないやり方で
描いた作品だ。という考えに2回目の途中くらいでたどり着いたのだけど、その
後に読んだ作者の“創作ノート”には全然そんなことは書かれていなくて、ぶちあ
がると同時に、別の文脈で書かれていた「だって、世界ってそういうものだから
だ」という一文に完全に納得した。そこまで含めて、Best読書2021。 ( ikm )