文学と自閉症 6
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文学において重要なモチーフとして「狂気」が使われてきた一方、自閉症はごく近年発見された障害であり、文学ではいまだあまりモチーフとして定着していません。
自閉症の中でも特に、知能のある高機能自閉症・アスペルガー症候群はモチーフとして、あるいは読者として、はたして文学文芸にどのような影響を与えるのか、または与えないのか。
そんなことを考えていきたいと思います。
「狂気」という文学のモチーフの中の新しいモチーフの一つとして自閉症を考えるのが目的なので、精神障害者に対する感情的な批判、煽りはご遠慮ください。
そのような煽りがあってもスルー願います。
【過去スレ】
文学と自閉症 5
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1349884514/
文学と自閉症 4
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1339406973/
文学と自閉症 3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1332061176/
文学と自閉症 2
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1328504722/
文学と自閉症
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1327202156/ 記憶さん乙です。
しかしこのスレの活用法がいまいちわからんね ttp://blog.tatsuru.com/2013/12/29_1149.php
とか”私”とミニハン(その他でもいいが)的にはどう思う? >>6
この内田の論にはひとつ重要な点が欠けているかと
人間には意味をわかっていると妄想する習性する点
その外国のスーパーのレジの話とかは、それこそ外国だから「意味がわからない」と認識できたのであろう
そうでなければ、大体の場合、人間は「意味がわからない」と思うことが少ない
そもそも人間の言語的コミュニケーションとは、個々人が「意味を理解できた」と妄想することだ
意味自体が妄想なわけだが
この点があるからこそ、ラカンはデリダと「手紙は宛先に届くか」という議論で「手紙は必ず宛先に届く」とし、
その理由を「私は臨床家で、彼(デリダ)は哲学者だからだ」と答えたわけだ
つまり、人間の習性である「意味をわかる」という妄想から抜け出す難しさが考慮されてない
内田はそれを「ルール」「文脈」とか具体的に述べているとも言えるけどなー
ラカン理論のラディカルさをオブラートでくるんだみたいな文章だな、とオモタt むしろ精神分析の実践とは、その外国のスーパーのレジで「意味がわからない」状態になることなんだな
そこから抜け出すよりそういった状態に陥ることが、人間という動物には困難なのだ 単純にたっちゃんの言語ゲーム・ルールブック(レジ篇)に
フランスバージョンがセットアップされていなかったということですね。
で、たっちゃんの弁によるとルール一般や固定的なルール観を想定することはやめたまえ、と。
ただし、たっちゃんがフランスで経験したルールの不能性は
実際のゲームプレーを通して感得しえたことであり、ニューバージョンのセットアップには
やはりオールドバージョンが必要なんですね。
で、ニューバージョンとオールドバージョンの差異はそれが実際のゲームにおいて有効かどうかであって
別に日本においてオールドバージョンが有効ならそれはローカルルールとして有効ということ。
ルール自体に内実はないの。 そうだな、(言語コミュニケーションの)ルール自体に内実はないんだよね
だけど言語構造自体を擬人化してるっつうかなあ、擬人化して感情移入してしまってるというか
それが上で書いた「人間という動物の言語という習性」の特徴なんだよね
大文字の他者を欲望し転移すること
この習性は人間という動物のみに見られることだろう なので、「ルール自体に内実はない」というのは同意だが、
大体の人は、そのルールに対し無意識的な感情的な何かがあると思うのだよ
だからルールを破るのは難しいんだな
自分でも気付いてない感情論的な思考傾向があるから 人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ、というラッセルの言葉を更に推し進めるのなら、
人間は悲しいとされることを共同するために泣かなければならないのであり、
感情もまたゲームの一つなの。
そしてこのゲームにうまく適合できなければ最悪の場合、社会から抹殺される。
だから例えば韓国のように泣き屋という職業が存在するわけで。
ゲームルールの一つとして演技(あるいは振る舞い)というのは重要なんですよ。
これがうまくできないとコミュ障と言われる。
たっちゃんはこの種の問題をゲームプレーを離れたところに
存する(と夢想する)ルールブックの構造や階層化だけで論じようとするからうまくいかない。 悲しいかな自閉症の独りよがりの論でしかないのな
思考が浅い
というかその程度なのな
それが2ちゃんではある お、書けた。
8日から全サーバーだったらしいから年末番組実況したい人がたくさんお願いしたのかなどと想像。 ゲームという用語がいまいち体感できないのは機械のゲームも試合のゲームもあまりやらないからだろうか。
エンダーのゲームのゲームは真剣試合に近いほうなのかしらね。とアマゾンのレビューをうっかりちらっとみて考える。
本のほうをまだ読んでいない。
船戸明里が「星の砂漠」を刊行したあとにタニス•リーとこれをあげていた気がするんだけどあまりに昔のことでよく覚えていない。 勝ち負けがあるもの、みたいな意味に考えるかなあ>ゲーム
>>16のゲームはただのオウム返しだったけど ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論というのは言語を介して行われるコミュニケーションぐらいの意味ですよ。
そこから考えると感情もまた社会的なものに過ぎない。
だから社会表象の一つである言語とは分離できない。
そして当然のことながら自己改定も不可能。
まあ、操作はできますけどね。
また、コミュニケーションだから勝ち負けはない。
コミュニケーションが不能な場合、大勢に応じえないものが排除されるだけの話。 2010年の夏あたりまで全文読んで(コメントはOperaブラウザのユーザー定義で読んでたのでリンクが見えづらく飛ばしていたが、
8/11の記事や7/6のコメントを見ていると人間のふりしなくてよいという気分になっている。
他人と上手く関わる方法よりも、関わらない方法も含めた自分のやり方を知るというほうに傾かないと
今なんか特に環境的に不確定要素多いからな)
書いているうちから内容がスライドしてるが(笑)
ここ何日かずっと、言葉だけ回るんだが(自分自身の言葉だとわかっているが感情や感覚ではなく言葉だ)
苦しい悲しい→苦しい悲しい寂しい恐い
というように。
ただこれは私の苦しさなのか、周りの入居者のことを勝手にそう感じているのかわからんけど。
意味する人間の数だけの自分に激しく戸惑っているのはまさに今だなあ。 私もそうだし、ミニハンもそうやもしれないし、木地さんなんかもそうかもしれないけど、わかるから言語化できるから
翻訳者としての役割を期待されることがまるで良いことのように無意識にも意識的にも望まれることがたまにあるが、
これはおそらく、自閉圏の人間にとっては寿命を短くすること、忘れ難い苦しい記憶をみるみる増やして行くことのほうが、
それによって得られる報酬よりも大きいものだと思う。
そしてそれは気分や気持ちの問題ではなく途方もなく物理的な圧倒的な量なんだと思うんだよな。
私は二年くらい前から生活上の安全圏から(心理的には全く安全でないがゆえに)自分で決めて出てきたわけだが、
だから好きなように生きることができているかと言えば、
不確定要素とさえ気がついていなかった不確定要素をどう飼いならしていくかの山と対面するわけで、
圧倒的に技術も足りないし知識も足りないし何を聞けばよいのかも足りない。
主治医がアスペでも役に立てられない。
そういう問答を作り理解するための時間を作るより好きな本読んでることに時間を割くからもあるけれど、←ここは工夫の余地はあるのかもな。
なんだろう、
守るべき他人という関係する病気をこれ以上生まないで、
(今が休止の時期だという保留として捉えることも可能だが)
ゲームをクリアすることや(私はゲームをしないが、最近読んだ本で病気の男の子が死ぬ前にゲームクリアして
嬉しくて泣く場面があって、私にとっては本を読むことは他人の言うような逃避とか仮想現実ではなくて
体験そのものなんだよなーとか)
うん、ちょっと落ち着こう。 まず今使っているレノボのノートが死ぬほどディスプレイがちゃちなので文字が見えにくい。プリンターを買ったほうがいい。
あるいはペーパーインクのAndroid化したリーダーくんを出してくるか……。
ちょっと休憩をして散歩でもするべき。
リセット有効。 画面の解像度を落としたらましになった。
ディスプレイの解像度よりも画面の解像度のほうが大きいんだと思う。 言葉がまわることについて、こういう自動的に頭を回る言葉は
アニメなんかの誇張的な声優さんの演技込みの言葉とか、漫画で
読んだモノローグの記憶とか、そういったものが、自分の今の「感じ」
に応じて癖のように再生される(チックみたいに)、と言えば近いかも。
今の「苦しい、悲しい」というのは「まどか☆マギカ」の映画の予告の
ほむらちゃんの台詞だな。
こういうのは感情移入がきっかけなんだろうか。
それともそれに強調され、ひきずられた結果の"感情"のラベルとして
わかりやすいから回るんだろうか。
言葉がまわると書くときには、私の感情である、と書いていいものか
時々迷う。 私がよく電車に乗っている時にも普段にも、金属やガラスに映った影越しに人間の気配を
読み取ろうとする(直接見たほうが早い場合にも)のは、抽象的なクッションの代わりなのかな、
などと考える。 ばらばらな矢印の話を(コメントからさらにリンク先のブログのコメントを見ている)
改めて読んでいてなんというか風力の矢印思い出したな。
気象図のなかにある奴。
束ねられた矢印とその引き立ての小文字の倒錯は、発達した台風、とか空想中。 ttp://podcast.tbsradio.jp/dc/files/miyadai20131227.mp3
またネタ投下。宮台だが、多くの女と寝て、尚且つ相手を「物格化」してる男はいると思うが……。 宮台のいい方の最大の問題点はだな。「物格化」の主語が常に男視点な事。
女が男を「物格化」することはないと言うような言い草だが、そんなことはあり得ないし、また男に比べて稀な事例でもないだろう。
それでは相手を「物格化」する男女が性愛関係に陥ったとすればどうだろう。世間ではこれを恋愛という。
だが宮台的なディシプリンとしての相互理解関係ではない訳だ。
また相手と宮台の言ってるような相互理解関係を築こうとしてる途中に、その相手が「物格化」した相手と性愛関係になった場合、
それは相互理解関係が負けたと言えるのか。また「物格化」した後性愛関係が薄れた後に相互理解に到達した場合はどうなるのか、というのもある。
むしろミニハンがいってたように相手を理解するよりも適度に相手に構わない方が、有利な関係を作れるのではないか。 自閉症の独りよがりの書くもの方が文学には適応性が高い
文壇もできた当初は自閉コミュニティみたいなもんだった だろ。にも関わらずミニハンは俺に「小説は止めとけ」だとよ。 >>35の「だろ。」が>>33に言ってるのか>>34に言ってるのかで意味が変わるのだがどっちだろう であればマグナはわたしのそのレスをもうちょっと正確に思い出してみるとよい こんなことをあーだこーだと論じってるうちに
いつか寿命が来てこの世界から我が意識は消え去る
その連なりが人類の歴史
我々にとっていつまでたってもこの世界は謎のままだ
どこまで論理を延長しようが
分析を細分化しようが
巨大に総合しようが
いつまでたっても我々にとってこの世界はなぞのままだし
死んだら意識は消え去る
こんなこと考えたり書いたりできるのも生きてるあいだだけで
死んだ瞬間に全て消え去る
そして、あたかもこの世界と以前もこれからも実は無関係であるかのように
消え去る つまりおそらく、今この瞬間も
私はこの世界とは無関係なのだ
関係しているというのは
幻想である
死んだ瞬間にこの世界と切り離されるのではない
死とは、我々はそもそもこの世界に属していないということの暗喩なのだ 最後の行しか読んでないけど同意だな
人が語る「死」とはすべて隠喩でしかない
なぜならその人が語っているならその人は生きているのであり、死んだ経験がないから ほとんどの精神病は権力者が体制を維持するために作り出したものでしょう
現代においては製薬会社、病院経営とも結びついている問題だと思われます
例えば誇大妄想にとらわれている人がいたとしてそのきっかけは政権の守り
人が撒き散らすデマだったりします。 DSM-Xではアスペルガー症候群は自閉症からはずれるらしいぞ。
ほんとくだらないレッテル張り。こないだ見たTVでは
自閉症って6.5%もいるらしいじゃん。そんなのただの性格だろ。
社会に許容性がない! ttps://www.youtube.com/watch?v=u3kW7GiGuDs
電磁波を悪用すれば患者はいくらでも作れる
医薬業界もぐるになった凶悪犯罪の基盤がこれだ 浅田真央はSPで電磁波攻撃うけたとおもうよ。
あれやられるど呆然としちゃうもん。
そんな感じの演技だったしインタビューだった。
かわいそう。 スレタイに引かれてきましたが
『変光星』などは文学なんでしょうか いろんな当事者本があるんだなあ。
でもほとんどはいかにしんどかったかの中にその人の独特の体験があるから読むのがしんどいことのほうが多い。
フラッシュバックというか連想想起つらい。 絵に描いたような解離状態に突入したけど騒いでみてもあとで恥ずかしくなるくらいよくあることだという気もする。
自分の額のあたりをコンコン、生きてますかーって内側から叩いてみたいんだが。 精神の疲れだなあ。
昨日まで何にも問題なかったような私だったのに。
おとといくらいから予兆はあったけど。 薬を飲んでよく眠るべきだろう。
面白がっていないで。
なむらばなとるで。←眠れば治るで。
(打ち間違う)
こういう時ってどうして面白いような気がするのかね。 予兆として過敏さが何割か普段より増す。境界線というか防御壁がなくなったような感じがする。→気づかれたくないのでむしろ元気な(外から見た普通の人間の)ふりをする。→疲れがわからなくなって一気にどーんと逆方向へ鈍化(自分の中に退却、縮小)する。←駄洒落
←うわーつまんないうえに今全然笑わないし。 でも予兆の時よりも鈍化しているのでむしろ瑣末なことが気にならずに元気に見えるようになるのですねー。
そうだ、まだ深呼吸してなかった。
♪おくすりきれたね!
的ななにかなのかな。
そうかもそうかも。 仕方がないので左手で額をノックしながら右手で目の前のクッションをノックする真似をしてみた。
あんまり気が済まない。
何分か止まって戸惑っているけどそのうち直る。 桜の花の満開のころはさらなり。
花びらころころ転がってくのが好き。 調子が悪い。
ような気がしているだけかもしれないが調子が悪い。 春は調子が悪くなるという暗示にかかったのか周りの空気がそうなのか、春はいつもは風邪ひくくらいで元気なのにだめだわー。
重力つらい。 寒いので相変わらず調子は悪い。
物事のほうは順調に進んでいるから特に悲観することはないが、調子は悪い。
まあいつものことである。 昔テレビで見た海外の誘拐事件でさー
目が内出血しててさー
白黒(というかセピア)写真だったけど
内腿傷だらけでその爪痕だか噛み跡だかが証拠になって逮捕されたんだけどさー
帰ってきてピアノは弾くようになったけど
あんまりしゃべらないとかそういうの思い出して検索かけてフラッシュバックほいほいみたいなことになった。
昔テレビで見たグリーンレディとかいう怖い洋館の話も今やたどり着けないなあ。 こういう馬鹿な検索したの久しぶりだわ。
気をつけよう。 あったあった。うぃきぺにも載ってた。
ttp://m.blogs.yahoo.co.jp/yfujita_mystery/18564072.html
スターリング城のグリーン・レディだって。 中学か高校ん時殺人事件マニアな友達がいて主に海外事件だけど本とかしばらくのあいだにちょいちょい貸されてたから(私は覚えてないが興味はあったんだろう借りてるのだからたぶん)
無駄にそういうのの記憶が出てくることある。
旦那のベッドが血だらけで奥さんが、彼はそういうセックスが好きだと思っていた(誘拐してきてるとは知らなかった)とかなんとかちょっと思い返すとよくわからんこと言ってるなーとか。 無感動で、好奇心だけが稼働していると、避けて通れるはずのものを避けて通らないとこあるよな。
で、感動的にそういうものが好きな人に好かれてしまったりする。
仲間だと思われるのね。
んで彼らはもう今の歳にはそんなことは覚えていないだろう。
いいなあ。時間が順当に去って行く人たちは。
と思わなくもないけど。 口腔セックスとか書いてある殺人事件のほんであるよ。
まあ今もそんな本あふれてるしそんな本好きを気取る人もあふれてるし。
あと誘拐した人たちを調教してるカルト集団の本とか。蝶、モナークとかいうやつとか借りた。
たぶんその本借りた時の図書館に似たとこ行ったから思い出したんだな。
すんごい日本的なお拍子的なべらんめえ調の歌を聴かせたら怖がられてひかれた覚えあるけど同じ日の記憶だな。 グリーンレディがわかったので満足感があるので全部ご破算しよう。 外傷体験って被害者に限られないから(加害者にも傍観者にもある)、外傷体験になっている記憶があるとして自分が被害者ぶってるとか思って辛くなることはないよな、という抜け道を考え中。
また、それを思い出し続けることも誰かを責め続けることと直結しない(ので頼むから他人がそれをしているのだとか言ってくるのはやめてほしいけどそれも現在ではない)、のだからフラッシュバックが起きても罪悪感を覚えることはないのだが、
どうして罪悪感罪悪感なのかなあ。。
は、とりあえず棚にあげる。 忘れることに対するある種の潔癖さは、その人の記憶が強度を持っていることの裏返しでもある。
つまりはそのままの記憶を思い出すから、その私、とは違う今の私、に戸惑う、という仮説。 進化が不可逆で痕跡が身体の上に残らなくてもなんらかの「かたち」として(それは自分の意識しないありようでもいいけど)残るのなら忘れてもよいのだと私は誰かに言うことはできる。
忘れてもよい。
忘れられなくてもよい。
バラバラの私で都度都度まとまりながら生きている時間が何年続いてもそれが異質であると誰に責められるだろうね。
たんにそれができる人は自分自身のなかの異質さについて目を向けることがないだけではないのだろうか。 読むべき本は途中で返却してきたし、やるべきことは半隠居しているし、仕事につながることはスタート待ちだから、無理せず行きたいところなんだが、耐久力試験テストみたいな場所に迷い込んでしまった。
(人間関係を仲裁もせず、私の態度も変えず、変えたがっている人と変えたがっていないかどうかわからない人を見守るお仕事)
それよか全然知らない人とご飯食べたほうが私は無意識領域で一日稼働している類推地獄から抜けられて楽だけどね。
うーーーん。
息をするようにしにたいという言葉がぽろっと頭の中に出てくるので自分のことなのに困っている。
お薬は増えたまんまだしなあ。
眠くなる前に本読んで眠ることにするであるよ。 眠る。しか最近していない。あとは飛ぶようにすぎる。
眠る。 解離していると楽なのは、自分が今ごまかしていることを俯瞰して察知できることだなどと思うなう。
気がついたんなら納得できるならスライドできる。 誰でも主体をきちんと持つべきだなんて傲慢だよなあ。
単に私は主語をはっきりしてほしいだけなんだが、主語を無視されてきた人たちに対してそれは酷かなーと思うこともあるんだよな。
手心加えてるから変にあちらの都合のよい解釈で信頼されてしまったりするんだろうに私もバカだなあ。
いや、それはまぬがれ得ないし、そういう誤解を含めての距離で遠目に関わっていることが、身体的な距離の近い共同施設での関わりでは必要なことなんだよな。私にとってだが。
私はあなたと同じ人間ではないのだから、望まれなければ何を代弁することもできず、うまい方法を知っているわけでもない。
偶々今までの人間関係の中から導き出した答えで綱渡りしているにすぎないんだよ。
他人を馬鹿にできるほど世渡りうまかったら出世してるわ。 と、一時避難所てきなものをあえて少し作っておいた相手が答えを出すまで待てずにバランスから一抜けしましたとさ。
単純に今日は本当に具合悪いんだよね。
それだけなんだけど、一人でご飯食べたでしょーとか言われても、君もそうしてもよいのだよとしか言えません。
そうすることで起こることから誰も守ってくれないのだとか、そうすることで起こること自体に耐えられないのなら気の毒だと思うけど、私自身、無言の食卓で誰かが誰かを無言で責めている状況というのはあんまり。
それは私が捨ててきた家族の姿そのままであるし、本人が言葉にしていないものを私がとりなすことができない限り膠着状態だし、その過程自体が私の問題ではない。
あー、冷たい言葉だけどね。 代わりに何かをしてしまうことも、代わりに何もしないでそこに居続けるだけのことも、私にはできません。
なんとかそれだけは続けてみたけど、QOLとります。
ぼっちは二人ではなく私なんだぜ?
君らは他の人たちとコミュニケーションできるでしょうが。
私は親代わりはできません。 あー書いた。
優しさってなんだろー?
それは残酷ということさー。 笑ってなかったことにするタイプの人間は、私にとってはまさに母親と同じだからなー。
はーうっかり罪悪感で仲裁しようなんて思わないようにしなきゃ。
結局、私が緩衝材になったほうがことがうまく運ぶ割合なんて五分五分もあればよいほうだと思うよ。
そうなんだよ。自分を過信するなよ私よ。 三月ごろから「死にたい」という言葉が頭の中に転がり出てくるようになって(前からあるけどさ)、他の言葉に置き換えようがあるような、癖になってしまったようなことなのか実験しつつ、
結局言葉に対して厳密な私が特に感じていることに対しての言葉が違っていて気持ち悪くないはずもなく、
という結論にこの間達したのだけどお薬増えてるからなんとか回っている程度の人間なのだよなあ。
声を大にして言っていいなら毎日かなりの頻度で死にたいんだ。
しかし生きていたくもあるので、なんとか日常回して行こうとしているんだ。
人と一緒に過ごすことがその人たちと同じように楽で楽しくてリラックスできて浮き上がった気持ちの浮力で死ぬような人間でなければ良かったんだが、
あいにく、自分の意志で、相手がやりたいと言ったことを自分もやりたいと思った時にしか人とは一緒にいられないんだ。
仕事でなければ。 そういう人間なんだよ私は。
これっぽっちも優しくなんかないんだよ。
人の思う意味では。
よしおちる。 なんか死ぬ死ぬ詐欺しているような気分になってきたからやっぱりあんまり表出するもんじゃないな。
もうどうしてもどうしようもなくなったらいろんなものを後始末してからのほうがいいのかどうか自動的に考えていて、
今考えることではないなと思った。
春だからかそういう話題も周りで出やすいので遠慮しよう。 botと広告ブログだけが応答するんだけど、ああいうのが完全にランダムになったら検索かけてもbotとわからなくなるのかな。
広告ブログなんてかなりの早さで通報されて消えるのにどうして作るんだろう。
クリック数即実数になる世界なんてまだあるの?
購買実数でなく。 生暖かく見守るしかないみたいだなあ。
DV夫とその妻の縮小版に面しているような感じ。
どちらのほうも感情移入はしているからそのように単純に見ているわけではないのだが、
私がなにか関わっても
権力上、上にいるほうはイライラして、下にされてしまっているほうはそれで余計に辛くなる感じだ。
離れてしまったほうがよいのかもしれない。
地雷を踏みあってしまったんだなあ。
私は今回は完全に傍観者だが、なにか細かいきっかけなどには関わっていたりするのかもしれないけど、
まあイライラしている人のほうの責任が大きくはある。 で、誘拐された人とかになぜ逃げなかったという、あり得ない視点を持ち出す人がいるが、あれは、
無力感というのを味わっていないか過去になって忘れたかあるいは積極的に忘れたい人間のいうことだな。
ああ今も笑い声が聞こえてくるよ。
権力上うえのひとの。 怒りに蓋をするだけの世の中だとサー
逃げるための怒りですら鎮火されるんだよね。
私は逃げたからもう半ば忘れつつあるが。
面白ネタのリンクを送ってきて返信しないと気になるようで
いきてる?
とかメール来るので心配かけてすまんね、とかよいこの返事を返している。
半分本音。半分は簡単な返事をさせるな、それで確認したつもりになるな、とか思うけど、それ以上のものを期待しているからというよりは、
構われたいから連絡して来るのか本当に心配なのか判別つかないからだろうな。
私と一緒で姉にせよ母にせよ父にせよ祖母にせよ、自分の興味のないことならば人はつきあわせるが自分はつきあわない。
唯一自足してて人をつきあわせないのが父なので私は同類とみなしているが、父も私が社会と戦っていると思っていると思っているので
そういう意味では特に同類でもない。 >>94
リンクを送ってくるのは姉ね。
暇な時は別によいし、ラインという既読監視ソフトでなければもっといいんだけどね。 で、私が心配だから携帯電話の設定を聞いてくるのが母。
リソースそっちにさけませーん。
祖母と犬が死に目には会いたいんですが。
祖母とは話してみたいことはまだあったけど、彼女も記憶鮮明愚痴り出したら止まらない人だからなあ。まあ年寄りはそんなもんだ。 血糖値が上がる→ドキドキする→フラッシュバック
のコンボ?を夕方から夜にかけてやって固まっていた。
今日も高速ハイウェイ〜。
やっぱりジャック・マイヨール目指さないと(心拍数的に)だめかな。 ドキドキするといつもフラッシュバック(というより想起や侵入)するわけではないので、周期によるんだと思う。
読んでいる本の行の残像がチラチラ白く浮くけど頑固に本を読もうとしているのが、あとで見ると可笑しい。
それごと嫌な記憶や学習になるから、本当はきちんととめるには抗不安頓服適量飲んでぱったり30分から寝ることなんだけどね。
その時のことを持続しようとするのはなぜだろう。 ということで眠ろう。
最近ミニハンに質問しないしずっと独り言言ってる。 マグナと話すことってあるようでないよな。
特に他意はないんだけど。
私のこのスレ的進行や理解があんまし進んでないとこで止まった。
ティプトリーJrは読んだことないんだー。
こないだ古書店で「たったひとつの〜」旧版をやっと見つけた。
あとスタージョンの「人間以上」を旧版の表紙でほしいなー。
あとは特にこだわりないけど、ハヤカワSF背が高くなってからあんまりこれといって内容と合う画、というのがないような気がする。
シンプルデザインのやつは嫌いじゃないが。
まあ私は最初に見たものを良いと思いやすいので懐古主義なのかもな。 個人的には「後藤さんのこと」の表紙はあまり気に入っていない。
後藤さんが人間でしか想像できなくなりそうだからなのと、あんまり市川春子の絵が得意じゃない。
頭が固いんだな。 ↑自分の好き嫌いでしかないんだけどな。
福祉施設の面談に行ったんだけど、私はなんでか、向こうが安心させるために(あとはまあ事実だから言う)
軽度です、そうは見えません、もっと大変な人もいます(これはわざと大変そうに、つまり私のようなほうが助かるような言い方)
という言われ方をすると落ち込んだり、一緒に笑う自分が気持ち悪くなったりするんだよなー。
アスペであることがアイデンティティになってるのか?
でもこれは正確に言うなら、アスペルガーであることもトラウマ持ちであることも、わりと普通な人間であることも、
言葉や態度の上でだけでも取り除くのが気分が悪い、ということなのだが、
他人はそうは思わないだろうし、私も別にそれを常時全部分かれっていうのは無理だというのはわかっているつもりなんだが、
なんか凹むんだよなー。
共感を求められることが自分の認識とずれてる時に、か。
人間力テストみたいなのに万が一パスできなかったとしても(最悪の場合だけど)
そっちに全部自分の自己像とられないでなんとか生きていかねばなあ。 他の人が怖がったりストレスを与えるから室内ではサングラス禁止って遠回しに言われた時、あ、そうなーってヘラヘラしてる自分が嫌なのね。
私べつにパニックになったりしないから(解離するだけだし)、社会のなかで生きていくなら譲歩しなければならないのも
わかるんだけどヘラヘラしてる自分が嫌なー。
そこらへんで逆転自己全否定に向かうのはまあ精神が安定してないからだろう。
今は嫌だと書けてるし。
あとはまあ復職するなら今の医師とバイバイなのも若干心配ではある。
普通の人が思っている発達障害への理解の進んだ状態と、当事者だからわかることってかなり違うから。
頑なビーム発してても仕方ないからなんとか頑張ってみようとは思う。
予防線張られることがあんまり好きではないんだ。
というかわりと心底嫌いでもあるんだな。
事前にちょっとこわがらせておこうみたいなのはあんまり好きではない。
そういうのも交渉術というやつか。 つまり心理戦使ってくる人がだめなんだよな。
心を掴まれること自体が私にとっては嫌なことだから。
とはいえ復職するならそういうのを俯瞰できるようにならんとならんのか。
まあ、ここで話したこと(ミニハンの考え)←というか私の半端な理解だが。
がけっこう防壁にはなってる。
施設はいって痛感した。
それできてなかったら(自他の分割)ここで潰れてそうだもんな。
それでもかなり手厚いしきちんとしているしよい施設だと思うのだけど、環境はどうしても狭くなるからな。 この心をつかまれるのが嫌だというのを、高慢だという風に感じる人もいるのかなって思う。
自己像が高すぎて嫌がってるのと区別がつかないし、実際そうだと言われても私にも区別はつかないが。
そもそも自己像が確定しないんだからなあ。
でもなんだろうな、あんまり人に取りいるような態度とらなすぎて、感謝も伝わらないから、言うべきお礼はきちんと言うようにしよう。
タイミングを逸して迷ったり止まったりしていると、受動的で人が動いてくれるのを待っている人と区別がつかないしほぼ同じだしな。相手にとって。 こう投げられる玉を全部拾いに行っているのが、適応しているように見える発達障害という気がするが、
それよりももう少し安全というか自分の心に隠れ家持ってる人もいるのかな。
そういうのって技術で多少はどうにかなるものなのかな。
(あー、これは私が今どうなのかは私にしかわからないのでわからない書き方だなあ) "母親は自分が生きている間は自分を無視し続けるでしょう。しかし「息子が罪を犯しても骨をちゃんとお墓に入れた私は母親としての責任を全うした」
という論理で祖父母への復讐物語を完結させたいと母親が考えているであろうことは、自分には手に取るように分かります。つまり母親が自分の骨を引き取りかねないのです。"
あるある。あ。 でもなんだろう、文脈にとらわれているように思う。
黒子の作者が「不安に思う」と書いたからといって、家族を持つからといって、渡辺の思うように普段は満ち足りて幸福なのではないだろう。
たんに自分の欲しいものを持っている人間は幸福でなければならないという考えが、自分に対する惨めさを慰めるだけの話だ。
自分を責める前にいじめたやつや親教師を責めろというのも筋の違う話だ。
それは別の話で、同じ人間に起こっていることだから分けて考えるわけにもいかないのだろうが、事件を起こした責任は自分にあると書いているにも関わらず、文脈の導くところへ筆が滑っている部分もかなり見られる。
たとえ理路整然としていても、理路整然としているだけで書くべきものがその人に無限にあり続けるわけでもないのに、物書きになれとは簡単に言うものだ。
謎の解ける気持ちの良さがあるだけじゃないか。
かなりの正確さで世の中の人間の傾向や政治について批判できているように読めるが、気持ちの良い解釈で救われる人間は(つまり渡辺の読者たりうる者)、
自分で考えることをし続けられる人間ともまたずれる。
未来について考えが及ばないのはアスペらしいと言えばそうだけどな。
教祖になりたいわけでもないんだろう。
たんに神輿に乗せられている部分があるし(本人はわかっているだろう)、周りの人間の欲望が代弁されているだけにも思う。 アスペなんて歳を取れば取るほど、エコラリアの大枠の中身が精緻になっていくだけで、そこにそれを集約したり存続させ続ける心なんてない。
感情はあるが心はないのか、
心はあるが感情が持続(自走)するための機構として出来上がってないのかはちょっとわからんけどね。
だからいかようにも周りの人間の"読み"を自分そのものだと思い込みうる。
そしてそれが短期間に重なれば重なるほど、それは他人と他人の考えなのだから引き裂かれる。
ただ、刑務所に入って安全な?環境で自分のなかった自分の37年間を切り刻んでいくのはいい機会なのかもしれないね。
ちょうどいい物語にありついたなら人間になって、人を愛して、社会復帰をするのかもしれない。
その可能性があるならばそれは別に責められた話ではない。
周りの人間に本当に発達障害について理解のある人間ができれば何人かいて、それ相応の対応を受けられればいいが。
実物を数見ないと知識だけではわからんもんだと、どんなに啓発活動が活発になった今でも思うな。まあ自閉まわりの定型や定型寄りの発達障害の人には心を読むばかりに大変苦労なことかもしれないが。 今でもアスペ同士なら分かり合えるとか思っている人間がいるのが困る。
(情報交換としての分かち合いならできるだろうし、距離の取れる人間なら上手くやってもいけるのかもしれない)
人の心が読めないのに人の心が読めない、自分から程よい距離に逃げられない相手に対して理解者でいられる訳がない。
これはかなり皮肉めいて聞こえるかもしれないが、そうとわかった上でなら関わればいいけど、
分かり合えるなんて言うぼんやりした安心感からは程遠い世界だと思うな。 アスペにトドメをさすのはアスペかなってこないだ思った。
被害妄想とか悪意があってこう思うわけではなくて。
あるところまで行き詰まった時になんのためらいもなく、なんであるかもわからずに地雷を踏んだり、背中を押しちゃうのってアスペかもしれない。
たんなる物理的なことで、だけど目に見えるようなことじゃないから(もしそれが言葉なら(たぶん言葉だろう)誰かが聞きとがめたり本人が反省してしまうことがあるかもしれないが)
ただそれは責任を取るようなことではない。
改めたり省みたりするべきことなのかも、私にはそうと言えない。
それはトドメであって、そこまでその人を追い詰めたものではないからだ。
たんなるキッカケに過ぎず、それはたぶんなんでもよかったはずだ。
タイミングや運みたいなものだ。
本の字ですら、均衡を失った人を殺すことは可能なのだから。
ちょっと虚無的かもね。 >>112
というかこういうのを愛情として交換しているのが人間なんだよな。たぶん。
それが苦痛ではないだけなんだろう。
それが苦痛な相手を理解できない親なりなんなりというのは子離れできてない気もするけどね。
世の中(日本)は性善説を前提に設計されている。そして悪について考えることを悪とする。こういう行き過ぎた保護、管理意識が、結果的に、ないことになっている悪にはめられた人間や悪に落ちた人間を理解できない頭を作る。
起こった悪にしか対応しないし、過ぎたことは忘れることで一時的な回復をしようとする。
だから後手に回る。
これって戦争のトラウマかなんかなの?
自分自身が人の数倍この歳までおめでたい人格で生きてきて言うことでもないかもしれないけどね。 >>113
加害者の更生(更によく生きる)に携わっている人には、ヒントのたくさんある文なのだろうと思う。
あの文章で救われたような気持ちになる人もいるのだろうし、自分の苦しみがなんだかわかったような気がして楽になったり、
自他の弁別が可能になる人もいるだろう。
片山が母がいて愛する人間がいるということだと書いていたが、母親のために早く終わらせたかったという片山の言葉だって中身がどのくらいが愛でどのくらいが重荷だったのかわかるものでもない。
まともな人生を送れたならば、というあたりの記述は悲嘆の過程なのだろう。私は〜ならばということはありえないと思うほうだけど、まったく考えないわけではなく考えるだけ無駄だと思うようになっただけかもしれない。
現にそれは起こらず、私は現在におり、可能なのは今やることのなかにしかない。
若かったら、よい大学に行けたら、できたであろうというようなことは、今できることならやるし、できないことであればいつかに棚上げするし、不可能なことであれば空想にとどめる。
誰かが負債を払ってくれるという望みなんか私には特にない。
記憶の残り方が独特だから渡辺は釈放されるまで恨みを心にしっかり残したまま出るかもしれない。
やってはいけないことには素直なアスペならそのまま大人しく本当に自分を消すかもしれない。
すべて、文章の全体で起こしたことはすべて自分のせいであると書く書き方を読んでいて二階堂奥歯を思い出した。
なぜなら誰かのせいであると言えばそれは関係の病いになるからだ。
自分の存在が誰かのせいで存在していると書き立てられることに耐えがたいからだろう。
自分のしたことが誰かの反応のためのものだと思われることが。 最後の一文(被害妄想に付き合っていただき〜)は世の中の側に寄せて書いた言葉だろう。
せめて自分のやってしまったことが何かの"役に立つ"ならとの"配慮"で萎縮するな、と書いたのだろう。
ルサンチマンや自分の鬱屈の解放のために犯罪を犯す人間を罰する法律を(つまり死刑にさせない)作れというくだりは、考える余地がたくさんあるだろう。
刑務所が福祉施設となっているならばそれを取り上げて犯罪者は苦しめというのは逆効果だし、現状を指摘するための皮肉で言っている部分が多いのだろう。
本などを書いて興味本位の人間にバッシングされるくらいなら、刑期を終えたら同じ刑務所の人間に自分のことを語ればいい。
そんなこと一切忘れてやめても誰だって生きている"価値"なんてないのだから生きていることに気に病むこともない。
自分の意思で使用されることができなかった、ただ他人の人生を生かされた人間がやることがあるならそれは他人が勧めてくれたことなのかどうか、
自分で決めることさえもやはり苦痛なのならばしばらくは役割を演じて生きることのなかで安全を培って行けばいいとも思うけどそろそろ疲れてきた。
(書くのが) 書いててさー私ってこんなに虚無的な人間だったっけって思うんだけど、別に虚無的なことを書いているわけではなくて、
そう読まれることを嫌がっているんだろうな。
しかししばらく自分の書いたものを先週より前の何週間か振り返ったら自分でもこいつ危ないと思ったので今は少し大人しくしている。
いつ誰から他人の気を引くなと叱られるかわからないからなあ。
それで、実際自分のリアル知り合いなんかが読むと自分の存在って「私」にとってなんなわけ?っていう傷つき方する人もたくさんいるらしいことは、経験してきてる。
そういう人ほどそのものズバリの質問をすることを避けるけどな。 夜に興奮してると眠れなくなるからやめよう。
詩人の詩を模写してるんだが(文章は今読まなくてもいいので、音楽流してても写せるし何も考えなくていい。一単語とか漢字の一部とかよく使われる字とかが頭に残るだけだったんだけど
散文詩に突入してからそうもいかず(疲れてんのかな)内容が湿っぽく重たいので(単なる描写なのに)若干引きずられてるかもなー。
深い眠りは喪の季節だが、だとしてその季節のなかにいる人間がその状態に馴染んだり納得したりしてるわけではないのに、
不安、不安、不安、喪失、距離、明晰な夢。
主語のない言葉なら自分のものだと思えるのだろうか多くの人は。
言葉にバラバラにされた人間には。
瀧口修造のある潔癖さと誠実さは、意味のないだけの言葉遊びに逃げなかったことだと思う。
言葉で遊ぶことさえ真剣にやった。
これは私の思い入れか?
自分の失語にたいしても曖昧な言葉を使わなかったのは言葉が物だったからなんだろうか。
夢は夢であるならば夢の格好をしているべきではないの。
夢は夢の強度を持つならばそれは現実を借りたりなどしない。
(矛盾だ。私の夢は私が眠っている間に目に入っている風景を使う)
人間なんか水の入った袋って松岡なんたらの初期作品思い出した。
けれどそれは誰かの実感なのだろう。
私に今耐え難いだけで。
おそらく、水と水のように同質になったものの記憶が私には苦痛でしかないだけなのだ。
懐かしむものでもなく。 (そして振り返るに私と自分が同質だと言ってきたのはいつも相手のほうで私はそうなのかと思っていただけで、
なんにしてもなんだか腹が立っているようなので寝よう) なんにしても楽しくてやり出したことが義務になるのはビョーキだな。
疲れを自覚しないというのは。
疲れているサインなんだろう。 眠い。
なんだか興奮しすぎた。
書くまではだいぶ静かに過ごしたんだけど、考えずに書き出すとだめだなー。
眠る。 たぶん周期的なものだがものすごくイライラしている。 心って難しい。物心って難しい。
とりあえず普通の人のふりしてればいいらしいことくらいしか。 避難所でなんだか重要なセッションが展開しているので、というより今日は他のことをしようと思うので一度落ちる。
Φとか??φの話の続きはやっぱり考えてレスし続けていったほうが私が忘れなくてよいかと思う。
いつ忙殺で記憶飛ぶかわからんけどなあ。 私の人生って母親を理解するためだけに終わっちゃうのかなとふと思った。
(理解したいわけでも理解したくないわけでもないんだけど自分の病気とか状況が象徴的に後追いしてるんだよな)
思っただけ。 >>129
というか自分を理解するために母親というモデルケースを当てはめてるだけで、母親を理解などできるはずもないんだけどね。
単にバラバラのブロックの一部分ずつが偶々一致した、あるいは近似値に見えるからといって「母親の気持ちがわかる」という物語に私のすべてが回収されるわけもない。
同時に母親の痛みなど私にわかるわけもない。
眠るら。 自己免疫疾患のかかりかけ、単発型なのか増悪型なのか観察中だけど、筋肉が痛いというと普通、負荷をかけた筋肉の主に全体とか深部が痛むと思うんだけど、
私の場合(他の人がどうかは個別にケースがあると思うのでまだ調べてない)表面に近い筋肉が疼痛のような感じで全身的に散発的に痛む。
がまんできない痛みではないので今はまだ何かしてることが可能な体調なら忘れることはたやすい。
元々痛みを切り離すのはわりと常に意識せずやっているらしいから(痛み以外の情報処理に忙しいのかね。)。
これをして母親は口癖の如く痛みは人にはわからないから、と半ば恨み言のように(本人無意識だがかなりの割合で嫌味入ってることが多い)言ってたのかな、
確かに感じたことのない痛み方だよ、などと思っていたら上のようなことを考え出して回収されそうになって今マキビシまいてるとこ。 0時より前に寝ないと体力とか代謝的に回復機能がだいぶロスするらしいけど本当かな。
あとアスペと人格障害って基本的に区別ができないものだと思うのだが(なぜならアスペで人格障害を二次障害として併発している例があるとメンヘル板のスレなんかでは言っている人がいる)、
定型の人格障害の人全般を含めたグループをアスペと区別がつかない一般の人は多いよなと思う今日この頃であった。
私は私の外に出られないのであれだが、人生で何人か私が執着した相手がいたが、定型側から見るとアスペの忖度のなさが人の気を引くための行動と区別がつかないだろう、それも特に発達障害を学ぶわけでもない一般人なら仕方がないと思うとこがある。
そもそも執着したのが私の方だけだから、相手には区別をつける必要もないしその程度の距離がちょうど良い普通の距離というやつだろうから。
積極奇異は相手が自分に合わせないと怒るというような記述をネットで見かけたが、それもたぶんフツーに思うような、
合わせない相手、に怒る、わけではなく、単に予定通りに行かなかった自分の世界、に混乱しているだけと思うのだが、
定型の人で自分の思い通りに行かなくて怒っている人と、アスペ的自分を含めた世界への不機嫌は外から見て同じでしかないよな。
けど私はココロジー的深読みと読んでるんだが(頭んなかで)、気を引くつもりがあるかないかって、かなり大きな違いなんだよな。
世の中のやっすい記事やコピーライティングなんかは、惹起(気を引く)を前提として人を煽り立てているので、
そのようなものに対する警戒心と事前防衛だけが高まって行くように思う。
駆け引きが私は苦手なので(やったことのあること以外は)アレルギーなだけで、駆け引きすることが上下関係でないなら(差異のない関係などないだろうが)
それこそ人間らしいと思うこともあり、悪いことではないのだろうと思おうとしているところだが難しい。 勿論私でも人の(特定の)気を引きたいと思うことがあることはあるし、意識するより前に駆け引きしてて、あーなんかスラスラしゃべってら、って頭の中で思うことある。
この場合、けれどほとんど目的は人間ではなく何かの結果だったり交通の便をよくすることだったりする。
私に対しては良く思われることも悪く思われることも現在受け止めかねる、が10年単位で続いてる。
(端的に表すならこっちみんな、状態かなあ)
舞台に立つ願望はないわけだ。問題は内容なのだ。その網に何が乗り得るかなのだが。
人の気を引くこととお金を集めることは相似する線を描くものなのだろうか。
それが本質的でなくても流通だけしていれば続くという社会は終わったと思っていた。
それでもネットのおかげか小さな客層さえ捕捉できれば小さな幸せを集めて仮想まるまるには成れるのだしそれが悪いこととも思いきれない。
むしろそういう世界を自明のものとして育つ世代があるわけで。
ネットが叶えることのできる願いと、ネットに載り得ない、片言の言葉、
即時的な言葉と、
時に対して遅れながらしか発することのできない言葉。
薬飲んだから書いてることわけわかんなくなってきた。寝よう。 >大阪府三島郡島本町の小学校や中学校は、暴力イジメ学校や。
島本町の学校でいじめ・暴力・脅迫・恐喝などを受け続けて廃人になってしもうた僕が言うんやから、
まちがいないで。僕のほかにも、イジメが原因で精神病になったりひきこもりになったりした子が何人もおる。
教師も校長も、暴力やいじめがあっても見て見ぬフリ。イジメに加担する教師すらおった。
誰かがイジメを苦にして自殺しても、「本校にイジメはなかった」と言うて逃げるんやろうなあ。
島本町の学校の関係者は、僕を捜し出して口封じをするな。
>島本町って町は暴力とイジメと口裏合わせと口封じと泣き寝入りの町なんだなあ
子供の時に受けた酷いイジメの体験は、一生癒えない深い傷になる
暴力とイジメの町に巣食うヤクザ・チンピラ・ゴロツキ・不良・ いじめっ子・殺人鬼・ダニ・
ノミ・シラミなどを監視して非難するのは暮らしやすい町を作るのに必要だ こっちに引っ込んでおこう。
連投規制で書けなかった分以下。
ただ可淡について考えるなら澁澤の主なところと言わず通読くらいしないとわかんないかもと思うことはあるけど、実際の可淡を知る人なりに確認していく作業をしなければ単に誤認が確信を得るだけな気もする。
そして今はそれを生活に入れ込んでいけないのであった。生活置いても出て行きそうになるけどね。渋谷の文化村の展示はすんでのとこで堪えた。
どちらかと言えば天野可淡の作品に意味を読み込むために澁澤龍彦やエリアーデやホッケという名前を高山宏が文中に挙げたのかもしれないんだけど、
(タイニー・アリスもあったっけ)
なんでも真に受けるのがあとで良かったりすることはある。
オブセッション、世界を一から作りなおすような深度の妄念というのが可淡の作品にはあると思う。私にはないものだ。私はもう少し安い手法でまかなえてたんだと思う。
地獄のような世界。
まったく不気味な(安全でも安心でもない)子宮的イメージ。
あるいは球体のなかの胎児(ギーガー的な感じもするしSFと通ずるね『2001年宇宙の旅』)。魂のようなコウモリ。
女性と女性の対。頭蓋骨。
元旦那さんの絵の世界もどこかに影響しているのかな。長じてから作ったものなのか子ども時代から育ててきたものなのか。
ただ高校時代に作ったという作品ではすでに、涙のあとのような目の下のマニキュアと腹部の膨れがある。
他者の影響はちゃんと受ける人だったと思うけど(咀嚼して)、元々の一人で作り上げた仮想世界の強度の強い人だったんだろうと思っている。
※※※※※※※※※※※※※※※
◆ 全自動ピカチュウ追跡マシーン ◆
http://s-at-e.net/scurl/pikamachine.html
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壁と巨人と
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大阪府八尾市上之島町南 4-11 クリスタル通り2番館203
に入居の引きこもりニートから長期にわたる執拗な嫌がらせを受けています。
この入居者かその家族、親類などについてご存知の方はお知らせ下さい。
hnps203@gmail.com
『RUIN』
http://s-at-e.net/scurl/RUIN.html
『The Maze Runner』
http://s-at-e.net/scurl/TheMazeRunner.html
※※※※※※※※※※※※※※※ フッ素イオン、フッ素化合物は生体酵素の阻害により、フッ素症
を起こし濃度によっては著明に歯胚や歯をを穴だらけにする、
これが1ppm以下の低濃度でも起こる、現在日本、米国の歯磨き剤の
ほとんどに1000ppmの濃度で入れてある、
実験によれば、一旦歯磨き剤を使用すれば血中の濃度は次第に上昇する
もしこれが妊婦の体内で起これば、近年実験的に証明されるように神経毒
として
微量であっても、胎児の脳を歯胚を穴だらけにするように、はっきりと
した障害を与える可能性がある
米国のアーミッシュの人々は、18世紀に近い生活をし、井戸水を飲み、
歯磨きも手作りする、米国で唯一フッ素と縁遠い生活である。
アーミッシュの人々には現代人の一万分の一程度しか自閉スペクトラム障害
は見られない、近年自閉症は急激に増加しているが、米国や日本の歯磨き
にフッ素化合物を入れだした次期は1970 (米国)〜1980(日本)であり、
自閉症が増加しだした時期に一致する 私が書き込むと雑談スレが面白くなくなる。
サイドエフェクトだなあ。
バタフライ効果、くらいにしとくか。 IP変える例の人なのかなーと思うくらい読み落としがあるなあ。 軽度発達障害、例えばアスペルガー、高機能自閉症、LDなど、を扱った小説(つまりフィクション)はありますか。あったら是非教えてください。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1883537.html
こんにちは
自閉症関係かと思われますが
「夜中に犬に起こった奇妙な事件」
[原書名:THE CURIOUS INCIDENT OF THE DOG IN THE NIGHT-TIME〈Haddon, Mark〉 ]
ISBN:4152500093
373p 19cm(B6)
早川書房 (2003-06-30出版)
それから先ごろ盛んに広告がでていた
「くらやみの速さはどれくらい」?
が思い当たりました。 ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
アメリカ同時多発テロ事件で父親を失った少年が、対人関係に問題をもつアスペルガー症候群の疑いを持ちながらも、
知らない人との交流を重ねていく上で立ち直っていく物語。 自閉症・アスペルガー症候群の作家・小説家・詩人の9つの特徴
http://susumu-akashi.com/2014/07/%E8%87%AA%E9%96%89%E7%97%87%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%81%A8%E5%89%B5%E4%BD%9C/
童話作家のアンデルセン、
「森の生活」で有名なヘンリー・ソロー、
「代書人バートルビー」を書いたハーマン・メルヴィル、
詩人エミリー・ディキンソン
「不思議の国のアリス」のルイス・キャロル、
ノーベル文学賞のウィリアム・バトラー・イェイツ、
「ワインズバーグ・オハイオ」のシャーウッド・アンダーソン、
子ども時代の日記で有名になったオーパル・ウィットリーです。
そのほか、自閉症の自伝作家として、テンプル・グランディン、ドナ・ウィリアムズ、リアン・ホリデー・ウィリー、
ドーン・プリンス・ヒューズ、ダニエル・タメットの著作が何度も引き合いに出されています。
@.乱雑な執筆プロセス
Aコラージュ的な作風
B読み手を考えない文体
C短編が多い
D反復が多い
E深みのある人物描写が難しい
F細かな描写
G複数のアイデンティティを持つ
Hテーマ
ASの作家は社会からの孤立をテーマに書くことが多いようです。
しかも多くの場合、ハッピーエンドではなく、苦悩のまま終わりを迎えます。 COCORA 自閉症を生きた少女 1 小学校 篇 単行本(ソフトカバー)
天咲 心良 (著)
出版社: 講談社 (2017/1/27)
発達障害の当事者が自らの壮絶な体験を克明に描いた衝撃作
本書は、自閉症スペクトラム障害である著者が、自身の半生をもとに描いた、自伝的小説である。
幼い頃から「なんだか変わった子 」と言われて育ってきた心良(ここら)が、
小学校入学とともに出会ったのは、理不尽な暴力教師「鈴本」だった……。
次々に訪れる様々な試練。
誰にも理解されない障害を抱え、もがきながら、戸惑いながら、全てのものと闘いながら、それでも必死に生きていく。
自閉症スペクトラム障害の少女の 「闘いの軌跡」。
中村うさぎさん絶賛!
激しい痛みを感じながら夢中で読んだ。アスペルガーという難しい障碍(しょうがい)を抱え、
イジメや差別、拒絶、侮蔑を浴びながら著者は必死で生きる。誰か愛して、理解して、と叫びながら。
ああ、この叫びは知ってる。かつて私もそう叫んだ人間だから。 >>154
ああ、これは書く話がハッピーエンドにならないという話か。
私がハッピーエンドにはならない、と読めていた。 愛されると死ぬ。
確定されるから。
椎名林檎の歌詞みたいだな。 誰かポッキーの話が入っているアスペあるある覚えている人いない。
歩道で人を避けようとして同じ方向に避けるやつ。 文学は剣より強いのか??
いじめを許さない社会にしようぜ!!!!
↓
上松煌(うえまつあきら) 作
★「九月の葬奏」(1作目「友だちを〜」と共に、作者の出生の本懐です)★
https://slib.net/71188
『作品紹介から』
初作の『友だちを殺した』と共に、作者の出生の本懐といえるものです。
世間を震撼させた「多摩川・中学生虐殺事件」に衝撃を受け、日本社会に警鐘を鳴らし
たくて書きました。
時間のないかたは、後半〜末尾にかけての主人公の「独白」をごらんください。
社会のあり方、人間の人間たる倫理正義・矜持襟度・慈悲情愛の大切さを、死をもって
訴える場面です。 問題提起の性格上、過激・苛烈な表現があります。 2015年。
作順では5番目。
プロフィール ←作品けっこう意識高いぜ。命は大事にしろ。
http://slib.net/a/21610/
社会が傍観者ばかりになったら、コワイでぇ!
! 釈迦の耳に説法とかほざいていたドードーとら君www
なんで釈迦の耳に説法をしたらいけないの?釈迦だって説法を忘れることぐらいあるだろ?
説法をわかっているつもりになっているだけかもしれないだろ?
マジでアブラおばさんの言うキチガイって天性のお笑い芸人なんだなww
一生ギャグとしての生を生きていてくれwww面白いからwww 結局アブラおばさんの言うキチガイ(自閉症や分裂症(笑))は真のキチガイにも正常人にもなれないまがい物wwwwww
にも関わらず「未」去勢者を名乗っているのは笑うwww
ほんとは中途半端な半端ものに過ぎないのにwwww
おばさんの言うキチガイってデブだよな キチガイ=デブ
デブって自他未分化だっておばさん自身が言ってたんだものなwww
キチガイも自他未分化なのだからキチガイ=デブが成り立つwww
キチガイとデブの区分けが恣意的な線分に過ぎないのだからキチガイ=デブという論理は正当性を持つwww
ようデブ!食いすぎで苦しいんだろ?wwダイエットしろよwww キチガイって強欲さの病なんだよなぁ
生(性)の欲動の病
おばさんは生の欲動が生きようとする病だって考えているみたいだけど逆だからwww
死の欲動が生きようとする病、自らを制限しようとする病。だから超自我は死の欲動なわけ
こんな基本的なことすらわかっていないのが笑えるwww
世界の全てを欲するがゆえに苦しむ自業自得がおばさんの言うキチガイの病なんだよwww
自閉症はよく物質との合一感を主張するけどこれは典型的な誤認なんだよなぁ
自分が物質と合一しているという錯覚をしているだけ あいつは俺のものとかいってるパラノイアのストーカーと同じ
ほんとバカなんだな自閉症ってwww 単なる想像だよそれはwww キチガイと正常人という区分けにしがみついているおばさんみたいなバカが自分をキチガイとか言ってるの笑うwwww
その区分けをできないのがキチガイなのにwwwもっと落ちて来いとかお前がもっと落ちて来いって感じwww
「現実」を見ろよwwwキチガイと正常人なんて区分けは現実には存在しないだろ?www キチガイは一生ギャグの存在を生きていくしかないんだろうなぁ
自閉症の症状なんて笑いものだし統合失調症をネタにして笑いをとってる芸人がいたなwww
正常人にも真のキチガイにもなれないネタ野郎
それがおばさんの言うキチガイの正体だよwww
現実を見ろよwww キチガイは身近なデブを想像してみ?
それがお前だよwwwwwwww おばさんは未去勢者は去勢済み主体を内包している(爆笑)とか言ってるけど現実にはぜんぜん2項対立的思考をしてるんだよなwww
おばさんが自分で気付いていないだけwwww おばさんはなんでキチガイも殺すことをやめてしまったんだろうなぁ
キチガイと関わることで転移してしまったのかな
自称野生の寄生人であるドードーとら君の味方をしたいと思ってしまったの?www
薬師とかいうデブガイジに転移してメソメソないているうちに仲間になりたいと思ってしまったの?www
キチガイと正常人の断絶を守る(爆笑)とか言っているのがそもそも正常人的病だろ?www
違うの?www キチガイは野生とか言ってるけど現実には正常人におんぶしてもらって生きてるじゃんwww
そんなに野生が好きなら本当に森の中で正常人と関わりなく生きていけばいいじゃん
でもできないんだろ?怖くて怖くてビビっちゃってできないんだろ?www
親の正常人におんぶしてもらわないと生きていけないガイジだから無理なんだろ?www
おぶってもらいながらボクチンは野生なんだ!とか言ってるのは笑うわwww
ほんとキチガイって天性のお笑い芸人だよwwwマジでwww 結局生の欲動と死の欲動という区分けを利用して正常人とキチガイを差異化したいという欲望にとらわれているだけなんだよなぁ
おまきん君やおばさんはwww
その区分けにとらわれている癖に自分たちは自由なんだとか言っちゃってるのが笑えるwww いやよいやよも好きのうちって言うのはお前たちキチガイ(笑)のことだよwww
嫌なのになんで人間に関わるの?それはお前が人間と関わることを望んでいるからだろ?www
いやよいやよも好きのうちこそがお前たちのいうキチガイの本質だよwww >>179
たまたま偶然脳神経外科の近くで似た人に出会った。
スレ違いざまだし、私の顔の分類は荒いけども。
単にね、ミニハンのブログを知っているか尋ねたい。
しかし脚がどうにもよくない。 この日々が奇跡なのだと覚えていよう。
というよりもそのようにいつか思い出すだろう。 >>180
数学の板に作りなされ。
私は数学はだめなのだ。
位置から勉強中です。 そういういつかがちゃんと来るといいんだけど、私を名前プラスちゃんづけする人はいなくなるジンクスはまだ正式には破られていないし、
いつかの話をする人は死ぬし。
悪気はないから仕方ないね。 いつかの話をして生きてる人のほうが数が多いから嘘言った。 被害妄想が出ている感じ。
被害妄想だとわかるうちがなんとか。 一からレスするんだっけな。
動的にならんのがつまらんな。
母艦立ち上げないと無理。 ミニハンの四文字に反応してしまうオレ
あのとめどもない文章また読みたいな 自閉症限定だと書くことないな
昨今なんでもかんでも病気扱いなもんで、(小心であることも病名ついてたな)新しい事例、診断に基づいて新たな論を展開してもよいのではないか highly sensitivity person
だな
20年は言いすぎだが結構前から本出てる
性格タイプとして感覚の過敏、動揺しやすさを捉えている hitensely seisibility pardson M・A・Oさんがショートアニメ「変形少女」#1「羽瑠編」でジェット機に変形する少女の声&主題歌を担当! 出演決定にあたってコメントも! | アニメイトタイムズ http://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1496051284 まず、アウターワールド志向型人間とインナーワールド志向型人間を分ける。 >>204
いつ読めるかわからんが、気にしてみるありがとう。 うん割と。悪い人ではない感じはする。
日記スレの発言から察するに、大学院の教授で、アーカイヴ関連の研究をしてるっぽいよ
謎というか、すごく頭のいい人が言葉遊びに興じてる感じが一番
正解に近いと思う。連想ゲーム的なそれの >>209
そうかー。最初はからかわれているのかなと思ったのです。認識を新たにするー。 自分の解いた謎は世界歴代9位ぐらいだったけどさ。音速ニュースでは。 音速を超える時のハイパーソニック
どうする。
あ、飛行機乗りの名前が出てこないなり。 しかし、日記スレでは案外と語っているのね。最近は不調なのか? 日記スレを他者に乗っ取られたのがショックだったんだな。トラウマ。 しくしく、実はそうなんですう(棒)
褒めてわるいでしゅか??w ショックだったのはわかるよ。大事なスレだったからな。 >>209
JLekXc9zは「『白鯨』を一緒に読もう!」というスレでセクハラ荒らししている人間
そのスレでも学術を罵倒したスレ主に粘着している
ほかのスレでも気に入らない話題があるとwをつけて煽ったり性的コピペの荒らしをし始めるやつで、ときどき雑談スレにも書き込んでるようだ
↓は一例
174 : 吾輩は名無しである2017/06/14(水) 20:57:39.45 ID:JLekXc9z
>>1の返答はきっとこうさ、「はあい、わかりまちた僕たん」wwwwwwwwwwwwwww
お
ば
か
さ
ん
ま、今日はこの位にしておいてやるかな^^俺も暇じゃないからな〜 ブランショやリルケやヴェイユやドゥルーズが好きなのもわかった。それに日記文学にも詳しいね?あいつにぶっかったのは運が悪かった。 確かになww
なぜ、白鯨にからんでるのかわからないね。白鯨に怨みでもあるのかな。ここで突っ込まれても仕方ないか…… >>208
これ学術さんに聞いたのね。
まあよいの。
そういうしゃべり方ならよいんだ。
あっち見てきたよ。
文化祭オワタのかな。 >>217
アイは雑談スレにいなさい。
アンモナイトの謎々したのはあなたですか? おやほんとうにアイなのかね。
ここ自閉症スレで、人に絡むスレじゃないからー。あとミニハンとマグナとおまけの私のスレだったからね。
埋めたきゃうめたまえ。 君はいつでも態度がデカイと思われてるよ? ほんとに何様なのよ?
落ちるよ。 >>230
思っているよ。でしょう。
おやすみねー。 >>232
なによ、どっかに私の偽物がいるっていうの?
まーどーでもいいような気もする。 >>236
創作文芸板に嫌われものの私さんがいます
また、なんか芸の違うことを書いてる私さんを見た気がする… >>237
あー、なんかそれは元々いる人みたい。
いつからかは知らないけれど。
私みたいに""つけているの? 創作文芸板はなんとなく師匠筋が被っている人が一人くらいはいそうな気がするので行ったことないよ。
私学校の人には好かれてないというか空気だしな。
あと人の名前を覚えられん。
作品は冗長でオチがない。うまくないよ。 >>204さん
教育テレビ(古い)見たよ。
本を見かけるようになったので読んでみる。ありがとう 国連が定めた「世界自閉症啓発デー」の2日、
全国120以上の施設が希望や癒やしの気持ちを込めた青色にライトアップされた。
自閉症は生まれつきの脳の機能障害が原因とされ、
症状が軽い人も含めると約100人に1〜2人いるという。
症状が軽い人は周囲に理解されず、性格の問題とみられ、生きづらさを抱える人も多い。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています