文学と自閉症 6
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文学において重要なモチーフとして「狂気」が使われてきた一方、自閉症はごく近年発見された障害であり、文学ではいまだあまりモチーフとして定着していません。
自閉症の中でも特に、知能のある高機能自閉症・アスペルガー症候群はモチーフとして、あるいは読者として、はたして文学文芸にどのような影響を与えるのか、または与えないのか。
そんなことを考えていきたいと思います。
「狂気」という文学のモチーフの中の新しいモチーフの一つとして自閉症を考えるのが目的なので、精神障害者に対する感情的な批判、煽りはご遠慮ください。
そのような煽りがあってもスルー願います。
【過去スレ】
文学と自閉症 5
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1349884514/
文学と自閉症 4
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1339406973/
文学と自閉症 3
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1332061176/
文学と自閉症 2
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1328504722/
文学と自閉症
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/book/1327202156/ 記憶さん乙です。
しかしこのスレの活用法がいまいちわからんね ttp://blog.tatsuru.com/2013/12/29_1149.php
とか”私”とミニハン(その他でもいいが)的にはどう思う? >>6
この内田の論にはひとつ重要な点が欠けているかと
人間には意味をわかっていると妄想する習性する点
その外国のスーパーのレジの話とかは、それこそ外国だから「意味がわからない」と認識できたのであろう
そうでなければ、大体の場合、人間は「意味がわからない」と思うことが少ない
そもそも人間の言語的コミュニケーションとは、個々人が「意味を理解できた」と妄想することだ
意味自体が妄想なわけだが
この点があるからこそ、ラカンはデリダと「手紙は宛先に届くか」という議論で「手紙は必ず宛先に届く」とし、
その理由を「私は臨床家で、彼(デリダ)は哲学者だからだ」と答えたわけだ
つまり、人間の習性である「意味をわかる」という妄想から抜け出す難しさが考慮されてない
内田はそれを「ルール」「文脈」とか具体的に述べているとも言えるけどなー
ラカン理論のラディカルさをオブラートでくるんだみたいな文章だな、とオモタt むしろ精神分析の実践とは、その外国のスーパーのレジで「意味がわからない」状態になることなんだな
そこから抜け出すよりそういった状態に陥ることが、人間という動物には困難なのだ 単純にたっちゃんの言語ゲーム・ルールブック(レジ篇)に
フランスバージョンがセットアップされていなかったということですね。
で、たっちゃんの弁によるとルール一般や固定的なルール観を想定することはやめたまえ、と。
ただし、たっちゃんがフランスで経験したルールの不能性は
実際のゲームプレーを通して感得しえたことであり、ニューバージョンのセットアップには
やはりオールドバージョンが必要なんですね。
で、ニューバージョンとオールドバージョンの差異はそれが実際のゲームにおいて有効かどうかであって
別に日本においてオールドバージョンが有効ならそれはローカルルールとして有効ということ。
ルール自体に内実はないの。 そうだな、(言語コミュニケーションの)ルール自体に内実はないんだよね
だけど言語構造自体を擬人化してるっつうかなあ、擬人化して感情移入してしまってるというか
それが上で書いた「人間という動物の言語という習性」の特徴なんだよね
大文字の他者を欲望し転移すること
この習性は人間という動物のみに見られることだろう なので、「ルール自体に内実はない」というのは同意だが、
大体の人は、そのルールに対し無意識的な感情的な何かがあると思うのだよ
だからルールを破るのは難しいんだな
自分でも気付いてない感情論的な思考傾向があるから 人間は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ、というラッセルの言葉を更に推し進めるのなら、
人間は悲しいとされることを共同するために泣かなければならないのであり、
感情もまたゲームの一つなの。
そしてこのゲームにうまく適合できなければ最悪の場合、社会から抹殺される。
だから例えば韓国のように泣き屋という職業が存在するわけで。
ゲームルールの一つとして演技(あるいは振る舞い)というのは重要なんですよ。
これがうまくできないとコミュ障と言われる。
たっちゃんはこの種の問題をゲームプレーを離れたところに
存する(と夢想する)ルールブックの構造や階層化だけで論じようとするからうまくいかない。 悲しいかな自閉症の独りよがりの論でしかないのな
思考が浅い
というかその程度なのな
それが2ちゃんではある お、書けた。
8日から全サーバーだったらしいから年末番組実況したい人がたくさんお願いしたのかなどと想像。 ゲームという用語がいまいち体感できないのは機械のゲームも試合のゲームもあまりやらないからだろうか。
エンダーのゲームのゲームは真剣試合に近いほうなのかしらね。とアマゾンのレビューをうっかりちらっとみて考える。
本のほうをまだ読んでいない。
船戸明里が「星の砂漠」を刊行したあとにタニス•リーとこれをあげていた気がするんだけどあまりに昔のことでよく覚えていない。 勝ち負けがあるもの、みたいな意味に考えるかなあ>ゲーム
>>16のゲームはただのオウム返しだったけど ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム論というのは言語を介して行われるコミュニケーションぐらいの意味ですよ。
そこから考えると感情もまた社会的なものに過ぎない。
だから社会表象の一つである言語とは分離できない。
そして当然のことながら自己改定も不可能。
まあ、操作はできますけどね。
また、コミュニケーションだから勝ち負けはない。
コミュニケーションが不能な場合、大勢に応じえないものが排除されるだけの話。 2010年の夏あたりまで全文読んで(コメントはOperaブラウザのユーザー定義で読んでたのでリンクが見えづらく飛ばしていたが、
8/11の記事や7/6のコメントを見ていると人間のふりしなくてよいという気分になっている。
他人と上手く関わる方法よりも、関わらない方法も含めた自分のやり方を知るというほうに傾かないと
今なんか特に環境的に不確定要素多いからな)
書いているうちから内容がスライドしてるが(笑)
ここ何日かずっと、言葉だけ回るんだが(自分自身の言葉だとわかっているが感情や感覚ではなく言葉だ)
苦しい悲しい→苦しい悲しい寂しい恐い
というように。
ただこれは私の苦しさなのか、周りの入居者のことを勝手にそう感じているのかわからんけど。
意味する人間の数だけの自分に激しく戸惑っているのはまさに今だなあ。 私もそうだし、ミニハンもそうやもしれないし、木地さんなんかもそうかもしれないけど、わかるから言語化できるから
翻訳者としての役割を期待されることがまるで良いことのように無意識にも意識的にも望まれることがたまにあるが、
これはおそらく、自閉圏の人間にとっては寿命を短くすること、忘れ難い苦しい記憶をみるみる増やして行くことのほうが、
それによって得られる報酬よりも大きいものだと思う。
そしてそれは気分や気持ちの問題ではなく途方もなく物理的な圧倒的な量なんだと思うんだよな。
私は二年くらい前から生活上の安全圏から(心理的には全く安全でないがゆえに)自分で決めて出てきたわけだが、
だから好きなように生きることができているかと言えば、
不確定要素とさえ気がついていなかった不確定要素をどう飼いならしていくかの山と対面するわけで、
圧倒的に技術も足りないし知識も足りないし何を聞けばよいのかも足りない。
主治医がアスペでも役に立てられない。
そういう問答を作り理解するための時間を作るより好きな本読んでることに時間を割くからもあるけれど、←ここは工夫の余地はあるのかもな。
なんだろう、
守るべき他人という関係する病気をこれ以上生まないで、
(今が休止の時期だという保留として捉えることも可能だが)
ゲームをクリアすることや(私はゲームをしないが、最近読んだ本で病気の男の子が死ぬ前にゲームクリアして
嬉しくて泣く場面があって、私にとっては本を読むことは他人の言うような逃避とか仮想現実ではなくて
体験そのものなんだよなーとか)
うん、ちょっと落ち着こう。 まず今使っているレノボのノートが死ぬほどディスプレイがちゃちなので文字が見えにくい。プリンターを買ったほうがいい。
あるいはペーパーインクのAndroid化したリーダーくんを出してくるか……。
ちょっと休憩をして散歩でもするべき。
リセット有効。 画面の解像度を落としたらましになった。
ディスプレイの解像度よりも画面の解像度のほうが大きいんだと思う。 言葉がまわることについて、こういう自動的に頭を回る言葉は
アニメなんかの誇張的な声優さんの演技込みの言葉とか、漫画で
読んだモノローグの記憶とか、そういったものが、自分の今の「感じ」
に応じて癖のように再生される(チックみたいに)、と言えば近いかも。
今の「苦しい、悲しい」というのは「まどか☆マギカ」の映画の予告の
ほむらちゃんの台詞だな。
こういうのは感情移入がきっかけなんだろうか。
それともそれに強調され、ひきずられた結果の"感情"のラベルとして
わかりやすいから回るんだろうか。
言葉がまわると書くときには、私の感情である、と書いていいものか
時々迷う。 私がよく電車に乗っている時にも普段にも、金属やガラスに映った影越しに人間の気配を
読み取ろうとする(直接見たほうが早い場合にも)のは、抽象的なクッションの代わりなのかな、
などと考える。 ばらばらな矢印の話を(コメントからさらにリンク先のブログのコメントを見ている)
改めて読んでいてなんというか風力の矢印思い出したな。
気象図のなかにある奴。
束ねられた矢印とその引き立ての小文字の倒錯は、発達した台風、とか空想中。 ttp://podcast.tbsradio.jp/dc/files/miyadai20131227.mp3
またネタ投下。宮台だが、多くの女と寝て、尚且つ相手を「物格化」してる男はいると思うが……。 宮台のいい方の最大の問題点はだな。「物格化」の主語が常に男視点な事。
女が男を「物格化」することはないと言うような言い草だが、そんなことはあり得ないし、また男に比べて稀な事例でもないだろう。
それでは相手を「物格化」する男女が性愛関係に陥ったとすればどうだろう。世間ではこれを恋愛という。
だが宮台的なディシプリンとしての相互理解関係ではない訳だ。
また相手と宮台の言ってるような相互理解関係を築こうとしてる途中に、その相手が「物格化」した相手と性愛関係になった場合、
それは相互理解関係が負けたと言えるのか。また「物格化」した後性愛関係が薄れた後に相互理解に到達した場合はどうなるのか、というのもある。
むしろミニハンがいってたように相手を理解するよりも適度に相手に構わない方が、有利な関係を作れるのではないか。 自閉症の独りよがりの書くもの方が文学には適応性が高い
文壇もできた当初は自閉コミュニティみたいなもんだった だろ。にも関わらずミニハンは俺に「小説は止めとけ」だとよ。 >>35の「だろ。」が>>33に言ってるのか>>34に言ってるのかで意味が変わるのだがどっちだろう であればマグナはわたしのそのレスをもうちょっと正確に思い出してみるとよい こんなことをあーだこーだと論じってるうちに
いつか寿命が来てこの世界から我が意識は消え去る
その連なりが人類の歴史
我々にとっていつまでたってもこの世界は謎のままだ
どこまで論理を延長しようが
分析を細分化しようが
巨大に総合しようが
いつまでたっても我々にとってこの世界はなぞのままだし
死んだら意識は消え去る
こんなこと考えたり書いたりできるのも生きてるあいだだけで
死んだ瞬間に全て消え去る
そして、あたかもこの世界と以前もこれからも実は無関係であるかのように
消え去る つまりおそらく、今この瞬間も
私はこの世界とは無関係なのだ
関係しているというのは
幻想である
死んだ瞬間にこの世界と切り離されるのではない
死とは、我々はそもそもこの世界に属していないということの暗喩なのだ 最後の行しか読んでないけど同意だな
人が語る「死」とはすべて隠喩でしかない
なぜならその人が語っているならその人は生きているのであり、死んだ経験がないから ほとんどの精神病は権力者が体制を維持するために作り出したものでしょう
現代においては製薬会社、病院経営とも結びついている問題だと思われます
例えば誇大妄想にとらわれている人がいたとしてそのきっかけは政権の守り
人が撒き散らすデマだったりします。 DSM-Xではアスペルガー症候群は自閉症からはずれるらしいぞ。
ほんとくだらないレッテル張り。こないだ見たTVでは
自閉症って6.5%もいるらしいじゃん。そんなのただの性格だろ。
社会に許容性がない! ttps://www.youtube.com/watch?v=u3kW7GiGuDs
電磁波を悪用すれば患者はいくらでも作れる
医薬業界もぐるになった凶悪犯罪の基盤がこれだ 浅田真央はSPで電磁波攻撃うけたとおもうよ。
あれやられるど呆然としちゃうもん。
そんな感じの演技だったしインタビューだった。
かわいそう。 スレタイに引かれてきましたが
『変光星』などは文学なんでしょうか いろんな当事者本があるんだなあ。
でもほとんどはいかにしんどかったかの中にその人の独特の体験があるから読むのがしんどいことのほうが多い。
フラッシュバックというか連想想起つらい。 絵に描いたような解離状態に突入したけど騒いでみてもあとで恥ずかしくなるくらいよくあることだという気もする。
自分の額のあたりをコンコン、生きてますかーって内側から叩いてみたいんだが。 精神の疲れだなあ。
昨日まで何にも問題なかったような私だったのに。
おとといくらいから予兆はあったけど。 薬を飲んでよく眠るべきだろう。
面白がっていないで。
なむらばなとるで。←眠れば治るで。
(打ち間違う)
こういう時ってどうして面白いような気がするのかね。 予兆として過敏さが何割か普段より増す。境界線というか防御壁がなくなったような感じがする。→気づかれたくないのでむしろ元気な(外から見た普通の人間の)ふりをする。→疲れがわからなくなって一気にどーんと逆方向へ鈍化(自分の中に退却、縮小)する。←駄洒落
←うわーつまんないうえに今全然笑わないし。 でも予兆の時よりも鈍化しているのでむしろ瑣末なことが気にならずに元気に見えるようになるのですねー。
そうだ、まだ深呼吸してなかった。
♪おくすりきれたね!
的ななにかなのかな。
そうかもそうかも。 仕方がないので左手で額をノックしながら右手で目の前のクッションをノックする真似をしてみた。
あんまり気が済まない。
何分か止まって戸惑っているけどそのうち直る。 桜の花の満開のころはさらなり。
花びらころころ転がってくのが好き。 調子が悪い。
ような気がしているだけかもしれないが調子が悪い。 春は調子が悪くなるという暗示にかかったのか周りの空気がそうなのか、春はいつもは風邪ひくくらいで元気なのにだめだわー。
重力つらい。 寒いので相変わらず調子は悪い。
物事のほうは順調に進んでいるから特に悲観することはないが、調子は悪い。
まあいつものことである。 昔テレビで見た海外の誘拐事件でさー
目が内出血しててさー
白黒(というかセピア)写真だったけど
内腿傷だらけでその爪痕だか噛み跡だかが証拠になって逮捕されたんだけどさー
帰ってきてピアノは弾くようになったけど
あんまりしゃべらないとかそういうの思い出して検索かけてフラッシュバックほいほいみたいなことになった。
昔テレビで見たグリーンレディとかいう怖い洋館の話も今やたどり着けないなあ。 こういう馬鹿な検索したの久しぶりだわ。
気をつけよう。 あったあった。うぃきぺにも載ってた。
ttp://m.blogs.yahoo.co.jp/yfujita_mystery/18564072.html
スターリング城のグリーン・レディだって。 中学か高校ん時殺人事件マニアな友達がいて主に海外事件だけど本とかしばらくのあいだにちょいちょい貸されてたから(私は覚えてないが興味はあったんだろう借りてるのだからたぶん)
無駄にそういうのの記憶が出てくることある。
旦那のベッドが血だらけで奥さんが、彼はそういうセックスが好きだと思っていた(誘拐してきてるとは知らなかった)とかなんとかちょっと思い返すとよくわからんこと言ってるなーとか。 無感動で、好奇心だけが稼働していると、避けて通れるはずのものを避けて通らないとこあるよな。
で、感動的にそういうものが好きな人に好かれてしまったりする。
仲間だと思われるのね。
んで彼らはもう今の歳にはそんなことは覚えていないだろう。
いいなあ。時間が順当に去って行く人たちは。
と思わなくもないけど。 口腔セックスとか書いてある殺人事件のほんであるよ。
まあ今もそんな本あふれてるしそんな本好きを気取る人もあふれてるし。
あと誘拐した人たちを調教してるカルト集団の本とか。蝶、モナークとかいうやつとか借りた。
たぶんその本借りた時の図書館に似たとこ行ったから思い出したんだな。
すんごい日本的なお拍子的なべらんめえ調の歌を聴かせたら怖がられてひかれた覚えあるけど同じ日の記憶だな。 グリーンレディがわかったので満足感があるので全部ご破算しよう。 外傷体験って被害者に限られないから(加害者にも傍観者にもある)、外傷体験になっている記憶があるとして自分が被害者ぶってるとか思って辛くなることはないよな、という抜け道を考え中。
また、それを思い出し続けることも誰かを責め続けることと直結しない(ので頼むから他人がそれをしているのだとか言ってくるのはやめてほしいけどそれも現在ではない)、のだからフラッシュバックが起きても罪悪感を覚えることはないのだが、
どうして罪悪感罪悪感なのかなあ。。
は、とりあえず棚にあげる。 忘れることに対するある種の潔癖さは、その人の記憶が強度を持っていることの裏返しでもある。
つまりはそのままの記憶を思い出すから、その私、とは違う今の私、に戸惑う、という仮説。 進化が不可逆で痕跡が身体の上に残らなくてもなんらかの「かたち」として(それは自分の意識しないありようでもいいけど)残るのなら忘れてもよいのだと私は誰かに言うことはできる。
忘れてもよい。
忘れられなくてもよい。
バラバラの私で都度都度まとまりながら生きている時間が何年続いてもそれが異質であると誰に責められるだろうね。
たんにそれができる人は自分自身のなかの異質さについて目を向けることがないだけではないのだろうか。 読むべき本は途中で返却してきたし、やるべきことは半隠居しているし、仕事につながることはスタート待ちだから、無理せず行きたいところなんだが、耐久力試験テストみたいな場所に迷い込んでしまった。
(人間関係を仲裁もせず、私の態度も変えず、変えたがっている人と変えたがっていないかどうかわからない人を見守るお仕事)
それよか全然知らない人とご飯食べたほうが私は無意識領域で一日稼働している類推地獄から抜けられて楽だけどね。
うーーーん。
息をするようにしにたいという言葉がぽろっと頭の中に出てくるので自分のことなのに困っている。
お薬は増えたまんまだしなあ。
眠くなる前に本読んで眠ることにするであるよ。 眠る。しか最近していない。あとは飛ぶようにすぎる。
眠る。 解離していると楽なのは、自分が今ごまかしていることを俯瞰して察知できることだなどと思うなう。
気がついたんなら納得できるならスライドできる。 誰でも主体をきちんと持つべきだなんて傲慢だよなあ。
単に私は主語をはっきりしてほしいだけなんだが、主語を無視されてきた人たちに対してそれは酷かなーと思うこともあるんだよな。
手心加えてるから変にあちらの都合のよい解釈で信頼されてしまったりするんだろうに私もバカだなあ。
いや、それはまぬがれ得ないし、そういう誤解を含めての距離で遠目に関わっていることが、身体的な距離の近い共同施設での関わりでは必要なことなんだよな。私にとってだが。
私はあなたと同じ人間ではないのだから、望まれなければ何を代弁することもできず、うまい方法を知っているわけでもない。
偶々今までの人間関係の中から導き出した答えで綱渡りしているにすぎないんだよ。
他人を馬鹿にできるほど世渡りうまかったら出世してるわ。 と、一時避難所てきなものをあえて少し作っておいた相手が答えを出すまで待てずにバランスから一抜けしましたとさ。
単純に今日は本当に具合悪いんだよね。
それだけなんだけど、一人でご飯食べたでしょーとか言われても、君もそうしてもよいのだよとしか言えません。
そうすることで起こることから誰も守ってくれないのだとか、そうすることで起こること自体に耐えられないのなら気の毒だと思うけど、私自身、無言の食卓で誰かが誰かを無言で責めている状況というのはあんまり。
それは私が捨ててきた家族の姿そのままであるし、本人が言葉にしていないものを私がとりなすことができない限り膠着状態だし、その過程自体が私の問題ではない。
あー、冷たい言葉だけどね。 代わりに何かをしてしまうことも、代わりに何もしないでそこに居続けるだけのことも、私にはできません。
なんとかそれだけは続けてみたけど、QOLとります。
ぼっちは二人ではなく私なんだぜ?
君らは他の人たちとコミュニケーションできるでしょうが。
私は親代わりはできません。 あー書いた。
優しさってなんだろー?
それは残酷ということさー。 笑ってなかったことにするタイプの人間は、私にとってはまさに母親と同じだからなー。
はーうっかり罪悪感で仲裁しようなんて思わないようにしなきゃ。
結局、私が緩衝材になったほうがことがうまく運ぶ割合なんて五分五分もあればよいほうだと思うよ。
そうなんだよ。自分を過信するなよ私よ。 三月ごろから「死にたい」という言葉が頭の中に転がり出てくるようになって(前からあるけどさ)、他の言葉に置き換えようがあるような、癖になってしまったようなことなのか実験しつつ、
結局言葉に対して厳密な私が特に感じていることに対しての言葉が違っていて気持ち悪くないはずもなく、
という結論にこの間達したのだけどお薬増えてるからなんとか回っている程度の人間なのだよなあ。
声を大にして言っていいなら毎日かなりの頻度で死にたいんだ。
しかし生きていたくもあるので、なんとか日常回して行こうとしているんだ。
人と一緒に過ごすことがその人たちと同じように楽で楽しくてリラックスできて浮き上がった気持ちの浮力で死ぬような人間でなければ良かったんだが、
あいにく、自分の意志で、相手がやりたいと言ったことを自分もやりたいと思った時にしか人とは一緒にいられないんだ。
仕事でなければ。 そういう人間なんだよ私は。
これっぽっちも優しくなんかないんだよ。
人の思う意味では。
よしおちる。 なんか死ぬ死ぬ詐欺しているような気分になってきたからやっぱりあんまり表出するもんじゃないな。
もうどうしてもどうしようもなくなったらいろんなものを後始末してからのほうがいいのかどうか自動的に考えていて、
今考えることではないなと思った。
春だからかそういう話題も周りで出やすいので遠慮しよう。 botと広告ブログだけが応答するんだけど、ああいうのが完全にランダムになったら検索かけてもbotとわからなくなるのかな。
広告ブログなんてかなりの早さで通報されて消えるのにどうして作るんだろう。
クリック数即実数になる世界なんてまだあるの?
購買実数でなく。 生暖かく見守るしかないみたいだなあ。
DV夫とその妻の縮小版に面しているような感じ。
どちらのほうも感情移入はしているからそのように単純に見ているわけではないのだが、
私がなにか関わっても
権力上、上にいるほうはイライラして、下にされてしまっているほうはそれで余計に辛くなる感じだ。
離れてしまったほうがよいのかもしれない。
地雷を踏みあってしまったんだなあ。
私は今回は完全に傍観者だが、なにか細かいきっかけなどには関わっていたりするのかもしれないけど、
まあイライラしている人のほうの責任が大きくはある。 で、誘拐された人とかになぜ逃げなかったという、あり得ない視点を持ち出す人がいるが、あれは、
無力感というのを味わっていないか過去になって忘れたかあるいは積極的に忘れたい人間のいうことだな。
ああ今も笑い声が聞こえてくるよ。
権力上うえのひとの。 怒りに蓋をするだけの世の中だとサー
逃げるための怒りですら鎮火されるんだよね。
私は逃げたからもう半ば忘れつつあるが。
面白ネタのリンクを送ってきて返信しないと気になるようで
いきてる?
とかメール来るので心配かけてすまんね、とかよいこの返事を返している。
半分本音。半分は簡単な返事をさせるな、それで確認したつもりになるな、とか思うけど、それ以上のものを期待しているからというよりは、
構われたいから連絡して来るのか本当に心配なのか判別つかないからだろうな。
私と一緒で姉にせよ母にせよ父にせよ祖母にせよ、自分の興味のないことならば人はつきあわせるが自分はつきあわない。
唯一自足してて人をつきあわせないのが父なので私は同類とみなしているが、父も私が社会と戦っていると思っていると思っているので
そういう意味では特に同類でもない。 >>94
リンクを送ってくるのは姉ね。
暇な時は別によいし、ラインという既読監視ソフトでなければもっといいんだけどね。 で、私が心配だから携帯電話の設定を聞いてくるのが母。
リソースそっちにさけませーん。
祖母と犬が死に目には会いたいんですが。
祖母とは話してみたいことはまだあったけど、彼女も記憶鮮明愚痴り出したら止まらない人だからなあ。まあ年寄りはそんなもんだ。 血糖値が上がる→ドキドキする→フラッシュバック
のコンボ?を夕方から夜にかけてやって固まっていた。
今日も高速ハイウェイ〜。
やっぱりジャック・マイヨール目指さないと(心拍数的に)だめかな。 ドキドキするといつもフラッシュバック(というより想起や侵入)するわけではないので、周期によるんだと思う。
読んでいる本の行の残像がチラチラ白く浮くけど頑固に本を読もうとしているのが、あとで見ると可笑しい。
それごと嫌な記憶や学習になるから、本当はきちんととめるには抗不安頓服適量飲んでぱったり30分から寝ることなんだけどね。
その時のことを持続しようとするのはなぜだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています