フランツ・カフカ Franz Kafka 10
2人の関係は中川氏の後援会メンバーには、とっくに知れ渡っていた。地元関係者によれば、2人の異常な親密ぶりに、業を煮やした幹部もいたというのだ。
最近1年間で、中川氏は頻繁に門氏を地元・帯広に招待。中川氏も門氏の地元・和歌山に何度も足を運んでいた。
後援会の複数の人間が「2人の交際は、過去2年間は続いていた」とも話しているという。帯広での2人の怪しい仲は有名で、何人もの目撃者がいたようだ。
中川と門の公金流用疑惑は、結局は暴かれることがないのか。
政務官室のラブホ化問題はどうなるのか。
結局は、全て水に流されてしますのか。
こんなやつらが税金でうはうはと愉しんでいる社会だ。 今配信されてるバイオハザードリベレーションズ2のエピソードがそれぞれがカフカの作品の題名からつけられてるのをきっかけにKindleで無料で読めるし「変身」だけ読んだ。
普段小説読まないから少し読みづらかたがなんとか読破
カフカの作品の中ではまだ読みやすい方なのかしら バイオハザードリべレーションズ2に出てきたセリフなのですが、
「告白と嘘は同じものである。告白が出来るようにと、嘘をつく」という物があります。
これが乗ってる本とか分かりますか…? >>75
読み始めたばかりだけど、相変わらず抑圧されてるなぁ、と思う。 中川郁子・門問題
大事なのは唯一つ。
公金の流用のありやなしや。
(不倫については、それぞれにいろんな思いがおありでしょう。)
和歌山、北海道間の旅費、交通費などどうなってた? (2年間付き合っていたとも)
政務官室がラブホ代わりに、ってのは実際のところどうなん? (2時間こもっていたとも)
多額の税金によって生きている二人が
税金をこんなふうに使っていたとしたならば。
庶民はやりきれんのだよ。 ドゥルーズ・ガタリのカフカ論とか、読んでみたいな。
というかカフカは変身と、審判の最初しか読んだことない。
小説という試み、それと生きているということがどうつながるのかわからないが、
わからないようでいてわかる。ドゥルーズガタリの「アンチオイディプス」
を読んでいるのだけど、この視点からだとカフカも理解できそうな気がする。
ドイツ語版の「城」を持っているけど2ページくらいしか読んでいない。
カフカも面白そうだな。 Ungezieferの解釈は、いまに始まった話じゃないがな。 >>69
「城」と「断食芸人」(アニメ)のレンタルできるところあるよ。
駿河台下にある。2年ぐらい行ってないからうろ覚えだが、
チェコ映画とか人形アニメとかもある。現代音楽のDVDも。 ユダヤ人家系 オーストリア 恋人との大量の手紙 父親コンプレックス くらいか カフカのスレってあったんだ
うれしいな
『城』を読みたくなったな 霧と闇に覆われて城は見えない
登場人物のKはこの小説の語り手次第では城にこだわる必要はないはず
なのだがKは城との関係から逃れられないことが語り手によって宣告される
馬鹿げているのだがこれは絶対的なことなのだ
そういう前提があって話がはじまる ウエストウエスト伯って誰?ってもうこういういきなりな感じが参ってしまうわ 電話があるってのがいいな
一旦は城の権威に守られるかたちになる
巻き込まれ方が成り行きと駆け引きの中間みたいな
意図があるようで曖昧な、なし崩し的なKの感じ
状況の変化とその見え方が一方向でしかないという図 翻訳の良い悪いはおれにはよくわかんねーな
宿屋のオヤジがいい味出してるのはなんとなくわかる 文字に書かれたものを読む行為というのは会話以上に解釈の政治だあ その土地の農民の性質というのはよそ者には曖昧で謎めくもの >>112, >>113
ようわからん
バルナバスを介した口頭での返答というクラム(城)との駆け引き Kとバルナバスの身長は変わらないながら目線の高さが違うなんてのがクオリティだよな どれを読んだらいいかとか聞くのはどうせなにも読まないやから
子供のころの記憶
教会の墓地を囲む高い塀を乗り越えた勝利感 バルナバスの父と母がKへ向かう様子の描き方が如何に予感に満ちたものであることか この宿のバーで飲んでいる農民もフリーダも身体が小さい お前らは、臆病者だ、wwwwwwwwwwwww
真実を言えない者に、文学を語る価値なし。
奴隷国家においては、学問はいらない。あんたらもいらんということだ。 >>1
そうだろ。お前削除しやがって。
おまえら、自分が優れているなどと思うなよ。
あほ同然だお前らは。ふふふ
女男は扱いにくいねー! 覗き穴を塞ぐ木片はフリーダのガードルに提げられた革袋から出てくる カフカのイメージする城には当然、天守閣のようなものはない 女が取り返しのつかなくなるであろう挙に出る前に男には越境の感慨が来している カフカがローベルト・ヴァルザーを評価してたけど、
ヴァルザーの持ち味である淡々とした感じが自分と同じものを感じたから
そう思ったのか、またはあの独特なテンポを気に入ったからなんだろうか 53 :吾輩は名無しである:2014/09/10(水) 03:08:17.91 かつて日本ではカフカを暗く読もうとしすぎたかもしれない反動とはいえ
池内紀氏はカフカのユーモア部分を拡大喧伝しすぎだろう
カフカ自身は作品は読者を刺すようなものでなければと書いているのに
誤訳や曲解や必要ない読点付け、人物が馬鹿にしか見えない平易すぎる訳などは作者への冒涜だろう
池内訳から読んでしまう読者はカフカを読んだとは言えないこの状況は悲しい
ドストエフスキーの亀山氏と共に文学史から消し去りたい
小田島訳シェイクスピアを加えて、消し去るのは三つにしてもらいたい。 俺は作家論って無意味の口だけど、日記とか手紙も作品として読めるものもあるだろ。
日記ってのが必ずしも事実の書かれたものとも言えないし。
日本語を考えると、どうしても自分の母語であるだけに、文章は感覚的に読んでしまい、
好き嫌いが最初に来て、かえって分析的に読めなくなることも多い。
その点、外国語は辞書引いたりは無論、文化的な背景はなんだろう?とか触発されて
むしろお勉強できるって気がする。きちんと分析的に読めるかって言われると自信はないけどな。
まあ、読書ってのは面白いから読むのが王道だから、興味がないってんなら
別に止めはしない(笑 小林秀雄がいうには気に入った作家がいたらその作家の全集から書簡、日記まで全部読めだって
そうすればその作家がやっと見えてくる 作家なんてそのへんのごろつきとかわりません。
それに作品を読書するのに、作家がどうたら、関係ないだろ。
読者がなにかを妄想できるネタを提供するだけで、作品の面白さが変わるわけでもなし。
ランボーがアル中だったとして、作品は作品だ。 全集を片っ端から読むという読書は経験ないし、するつもりもない。
国内、海外のさまざまな作家の代表作3つくらいをあれこれ読みまくるという読書だ。
まあ、人それぞれだろうがね。 俺もそれだけど、カフカとドスト氏だけはいつか全部読みたいと思ってる どっちにも同意
あとあまりはまってない割にそこそこ面白いからいつの間に全集読破してたパターンもある >>142
誰かが言ってた
作家は家のある乞食。作家は職業のあるきちがい。 ちょっと作品を読んだだけでその作家の思想なり表現したかったことなど全部分かった顔するやつ嫌い カフカに限って言えば作家より作品が好きかな
フローベールやトーマスマンの書簡や日記は面白いから一概には言えん 日記や書簡は必ずしも全て読まなければならない訳ではない
作品との関連度合いによっては読まなくていいものもあるだろう
たとえ遺っていても、遺族や関係者が大幅に手を入れたものは価値が下がるだろうし カフカの手紙や日記はひとつの作品として素晴らしいよ 手紙や日記を読んで、カフカエスクな世界が更に奥行きを増すかも。
俺は読んでないので。
カフカがポルノ写真を秘蔵していた話は聞いてるが。
彼にも平凡なマスカキストの時間があったw 変に私生活まで覗きみることで、逆に作品を楽しめなくなることもある
天才的作家は大抵の場合、嘘つきの天才でもある >>154
ポルノ写真じゃなくて、エロい絵がいっぱい載ってる雑誌じゃなかったっけ? 『城』読了
これはコクのある小説でございました
未完ってのもまた乙
これをガッツリ読んでる人がいたらいろいろとお話をうかがいたいものであります カフカの作品では『城』が最も読むのに時間がかかった一冊だった。とにかく読んでいると疲れてくる。 >>156
作家なんてフィクションで物語書いてる以上、全員嘘つき 『審判』
まず、向かいのババアがこっちを見てるってのがおもろい 向いの美女が俺を見つめてると、書けば、
「こいつナルちゃんw」と、笑われる。 理由を告げられることなく逮捕される
冗談ないし誰かのウソによる誤認逮捕だろうと
最初のうちはタカをくくっているが・・・ 『城』は、テレビ映画にもなったよな。
原作に近かったけど、限界があったな。。。 ハネケの『城』は詰まらんかったなあ
朝の教室の場面で肝心のデブ猫が出てこないんじゃシラケるよ
『審判』続き
法治国家に住んでいるということを自らに言い聞かせるんだな その法律がどこにあるのかといえば相手の頭の中だけにある 古来、『審判』は、何度か映画化されたけど、『城』は、大作としては映画化は
されないよね。
やはり、複雑だからかな・・・ 『審判』においては、登場人物の誰1人として、主人公Kの罪状を知らないし、
各々の行動の究極の意味や目的を知らされていない。
これは、田舎の工場や支店で働く人間達の生活そのものではないか?
生産のプロセスに中途から加入して、プロセスに順応して行くことだけが
求められており、「何のために?」という問いが徹底的に禁じられている。
これは大都市の中下層労働者も同様だろうが。
「何のために?」という問いが禁じられることは、言論や思想の自由以前の
問題だと、ナチス・ドイツのユダヤ人の偉い先生はかつて言ったが。