光文社古典新訳文庫15
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レールモントフの新訳が出るんだね。渋いな。この機会に読んでみる Les Misérablesも講談社文庫を超えるものが出てきていない そうはいってもレミゼラブルは岩波新潮平凡社の三社で完訳読めますし 『レ・ミゼラブル』
講談社の辻昶訳は自分も読んで名訳だと感心した 読み比べして語りたいけど長いからねえ。つかここでは光文社新訳文庫の話題をしよう
今月の新刊がもう本屋に並んでた ハックルベリー・フィン買った。上下で2500円ほどとハードカバー並みの値段なのは驚いたけど満足
ハックの一人称が「おいら」で伝法な語り口で好き
ハックは「ぼく」や「わたし」より「おいら」か「おれ」であって欲しい 読後は新潮選書の「謎ときハックルベリーフィン」を読むと楽しさ2倍だぞ 最初と最後にトムソーヤが出てくるけど
あれいるかなって思ってた
なんか不愉快なんだよ 名作は解説本も多くて楽しいね。ハックは柴田元幸が新訳だして、さらに解説本も出してたね ひらがなだらけのぶんしょうってすごくよみにくよな
こどもむけにかくのならふつうにかんじをかいてるびをふればいいのに 読みづらいけど、ハックの学の無さは読んでてけっこう痛切だからひらがなだらけにしたくなる気持ちは分かるな
トムから見ると自由人だけど、ハックから世の中を見るとホント気の毒で >>912
マジでこんな感じだからな
正気の沙汰とは思えないw 失われた時を求めてはちゃんと完結するのかな。間が空いちゃってて心配だよ >>915
高遠訳を全部読んだなら吉川訳を7巻から読めば完読できるぞ >>916
途中から訳を替えて読むのはどうなんでしょうね
リズムが変わりませんか あとがきで吠えてた高遠を信じろ
運命感じてるらしいからやり遂げるだろ このスレ、というか、
2ちゃんねる全般の視聴者の属性から言っても
残りの生きられる年数が分からないものね
「完結するのか」という心配は分かります >>917
プルーストはどの訳で読んでもそこまで変わらないと思う
高遠訳の方がセンテンス区切って読みやすくはあるけど吉川訳も流麗で素晴らしい
トーマス・マンとかもだけど元々癖の強い文体を持つ作家は新訳しても劇的な変化は少ない 翻訳の印象ってのは大事だな。若きウェルテルの高橋訳でロッテに出会ったときの告白を友人にするかなり重要な手紙で
「天使、かな。」と訳している。これが5chの匿名の書き込みとかミサワの絵が脳裏に浮かんでそれだけで読む気が失せた
他の部分は高橋訳だから当然まともに訳されてるんだが、ロッテに会った時の感想だからやはりそこは慎重に訳して欲しかった
他の戦前戦後の訳では「一人の天使!」「ひとりの天使を。」「一人の天使を!」 それより「戦争と平和」と「失われた時を求めて」を
読まないうちに寿命がきそうな気がする
入院でもしなきゃね
学生時代に読んどきゃ良かった
ドストエフスキーは大概読んだんだが たとえ読了しても間もなく死んでしまうのに、
読了に何の意味が
という問題が次に控えるだろう そんなことをいったら人間のすべての行いが無意味だということになるぞ
実際そうだとしてもそこに意味を見いだすのが人間なのだが >>923
文学板にいる人間が基本であるその2作を読んでないとはね 10年以上前の記憶だが、たしか村上春樹は
「失われた時を求めて」は読んでいない
「戦争と平和」「カラマーゾフ」「細雪」は作家になる前の
暇な時期に3回づつ読んだそう
「罪と罰」なんかヴォリュームが足りなかったとのこと 高遠先生は何に手こずっているのかな?
完結するのか甚だ疑問 戦争と平和は刊行予定が明記されているのにプルーストは何にもなし。具合でも悪いのかな 集英社の翻訳の評判がよいのだけれど、
どの翻訳がいちばん良いの? >>931
そこを読み比べてぜひ語っていただきたいのです
自分は無理です。レ・ミゼラブル四冊でさえ手こずっておりますので 読んだ、という事実が重要なのです
そこに意味を求めてはならない
人間の精神活動のために重要なのです
そしてそれは人類のために必要なのです 今まで読んだ一番長い小説て
キングのITかも知れないw >>933
必要とか重要とか言われると途端に読みたくなくなる不思議w
なんでなんだろうな。 義務と感じると興ざめしてしまうね
長編はなにか惹き付けられるものがないとなかなか始められない
山登りみたいなもので道中楽しいことばかりではなくて、つらかったり止めたくなることもあるけど読み終えた時の達成感がスゴい >>931
訳文自体は高遠訳が一番いいが途中
鈴木訳も明解でいいけど訳注が後ろにあるのと図版が一切ない
井上訳はマニア向け
吉川訳は高遠鈴木より一文が長めだけど注が文の横にあるのと図版や解説が一番充実している
登場人物一覧があるのは鈴木訳と吉川訳
だから途中まででいいなら高遠訳
思いきって全部読みたいなら吉川訳か鈴木訳 吉川訳は全巻揃えたが、書棚に並べただけでまだ読んでない
井上訳は数十年前に完読したが、文学的香気あふれる高踏的な訳で素晴らしい
これを完読できれば、一流の読者といえる 老後の楽しみにと思って俺が買った時は、まだ井上訳だけだったように思う(充分歳をとったが未読)。買い直すなら、高遠訳? >>941
>>642らしいんで、どうしようか迷っている。 >>943
私は読んでおりませんが定評があるのなら読んで損はないのではないですか 岩波と被る場合は世間の皆さんはこなとどちらを買うのだろう 知らなかったけど、ピノッキオやロビン・フッドなんかも出てるんだね。岩波少年文庫のほうと競合になるのか
どの作品でもいつも新訳と旧訳と、どちらを選ぶか迷うんだよな あの手抜きの表紙絵でなければ、もっと買うんだがな
若者は好きなようだが、おじさんとしては眺めて楽しくない シンプルな方が味があって飽きないんだけど
新潮みたいにぜんぶヘミングウェイやドストエフスキーの肖像で済まされるほうがイヤ おっさんだけどあの表紙は好き
スカスカの活字は大嫌い 光文社が版権持っててこの文庫でしか読めない作品ってあるの 統一された表紙とか色で物欲は刺激されるんだがピックアップが古臭い
どこでも今では読めないようなものもってこい
例えばピエール・ルイス、ハウプトマン、アンリ・ド・レニエなど非常に評価の高い作家たち
日本の古典「神皇正統記」の現代語訳、茅盾、胡適など中国の近代文学先駆者の翻訳 >>960
『女と人形』じゃないかな
今まで5回も映画化されている
最新はスペインの巨匠ブニュエルの遺作になった それは是非とも出版してほしい。ブニュエルの映画は、キャロル・ブーケがよかったね。情報ありがとう。 この文庫は売れてますかね
少ししたらすぐ品切で二度と重版しないというパターンだと後で欲しいときに買えなくなるので困るのです 大ヒットしてるカミュのペスト新訳どうすかね
と思ったが権利があれか キップリングのキムが出た。これを機会に読んでみようかな このスレで何度もノーマン・メイラーの「裸者と死者」が出ないかと書いてたけど、
とうとう我慢しきれずアマゾンで古本を買って読んだ。
確かに古典になるほどの傑作ではないけれど、ジッド、ワイルド、コクトー、キップリング
が今でも読まれるのなら、代表作である「裸者と死者」くらいは文庫で出ていてもいいと思う。 >>963
ここのは数年前に出たのを取り寄せても初版と書いてあるのがほとんど あんまり売れている感じはしないね。この文庫に限った話ではないけど
カラマーゾフはたくさん売ったらしいけど、メジャーなもの以外はやはり数は出ないだろう
マンシェットの『愚者が出てくる、城塞が見える』を今日買ったが、2009年に出て2015年にニ刷となってた
初版で終わりにしないでくれてよかった ドストエフスキーとトルストイ以外の「外国文学」を読んでみよう
という奇特な人は、少ないかもしれませんね
なぜなら「知らない」し、
また「知るつもりもない」し、「知ってもしょうがない」から
そこで、広告の出番だと思うのですが 外国文学はいま読まれないらしいね
だからといって日本の古典作品が読まれているのか、というとそうでもないよね 外国文学のほうが読みやすいけどな
なぜなら翻訳が今の言葉に更新されていくから
日本文学は昔の言葉づかいのままだし、時代がたつにつれて注釈が必要になってくる それはすげーわかる
日本の古典も現代語に翻訳してほしいな ロビンソンクルーソーの新訳で「イケメン」とか出てきたやつあったのを思い出した
河出のね 樋口一葉を読みたいのにいつも挫折。現代語訳してくれませんかね
あれくらいは皆さん読めるのでしょうか 古典の翻訳としては小学館のはすごくいいね
岩波とかは全集でも校訂しかしてないから現代語あるのは助かる そういうのがあるのは分かっているのですが、書店で手軽に文庫で買える、読めるのが良いのですよ モンテクリストはやりたがる文学者、翻訳者が少ない、とどこかのネット記事で見たな
単なる娯楽作品でやりがいがないという受け止められ方だったかな 最近、大矢タカヤスがモンクリの新訳を出したが、数年で絶版になった ご都合主義の総決算みたいな小説だからな
ラノベも真っ青w せっかく新訳を出しても売れずにすぐに品切でそのまんま、って翻訳者も読者も切ないわな
売れないのだから仕方がないけどね >983
これ買ったが横書きは少し読みにくい。資料や論文の横書きは問題ないが小説はやっぱり縦書きがなじむ。 最近思ってるんだがH/G/ウェルズって大天才なのでは?
大衆作家というイメージで劣った感じに見られてるが化け物じみた教養だよな。荒俣宏のスケールでかい版みたいな モンテ・クリスト伯って新訳あるのかよ
しかも横書きかよ… モンテクリストは、フランス流英雄流離譚だろう。
オデュッセウスの他、インド、中国、日本にもある。
デュマの父の母が中米のハイチ出身の黒人奴隷でそ
の遠祖は西アフリカのdahomey出身ということから、
ナポレオンの没落ー島流しはデュマにはパラレルに
見えたかも。
そのデュマの黒人の祖母は子供を産んだ後で、再び
奴隷として売られている。
デリダのdestinerrance(東浩紀は誤配と訳したが)
的には、遺伝子のdestinerrance、あるいは彷徨と言
えるかも。 赤川次郎とか滝沢馬琴とか、デュマとかウェルズとかシムノンとかの大量に作品を書ける想像力と文体を持った大衆文学者と
純文学者の文体っていうのは作品を生み出す速度が遅くなるほどの違いってあるんだろうか、分かるんだろうか
もし赤川次郎の全集を作ろうとしたらゲーテやバルザックはゆうに超えるだろう
文体の上で純文学が1ページに1日費やすだけの価値がなければ、赤川次郎のほうがすごい文豪ということになる 「ラスコーリニコフ 」じゃないのなw
「ラスコリニコフ 」のほうが原音に近いのなw モーパッサンの短編集をたくさん出してますけどおもしろいですか? 小公子が出るんだね。最近はなつかしの名作の新訳を各社出してるね そろそろスピノザの「エチカ」かムージルの「特性のない男」が来ると思っていたが レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。